3 異分子
廊下を歩く。
前を歩く男の背中をただ追いかけて歩く。
その軍には不似合いな白い建物に入ったときから感じていた違和感が廊下を歩くたびに大きくなっていく。何かが変な気がする。
それは自分を好奇の目で見る子供達が沢山廊下に出ているからでは無い。そんな事気になど留めない。
廊下を抜けて大きなホールに入るとピタリと教官と名乗った男が足を止めた。自分を振り返るとニヤリと笑う。
「どうだ、読めるか」
「?」
一瞬何を言われたか分からなかったが、すぐに思い当たる。
くるりと辺りを眺める。少なくとも百人は子供が整然とテーブルに着き夕食を口にしている。もちろん闖入者へ送る視線に遠慮など無い。
「読めないです」
なるほど。
違和感はこれか、全く読めないことは無いが年齢が高くなるほど靄がかかっている様だった。ここで事実を全て晒す必要性を感じないため適当に答える。因みに教官とやらの未来などとっくに読ませていただいている。
何も知らずにそうかと頷いた教官はテーブルの方に向き直る。
「ナカムラ、どこだ?」
異国風の名前にキフィは教官が呼んだ相手を目で追う。しかし、誰も返事を返す事無く注目しているだけだ。
「教官、ここです」
その中性的な声は後ろからだった。
振り返ると黒鳶色の艶やかな髪を顎のラインで揃え、紫の大きな瞳の可愛らしい子供が立っていた。年齢は自分より少し下だろう。そこら辺にいる可愛いと言われる奴等よりよっぽど愛らしさと気品があるように見えた。
「あぁ、まだ来てなかったのか」
「今日は外に出ておりましたので」
よく見れば確かにほとんど同じような統一された服装をしている子供の中で、上等なケープを羽織りどこかの子女然としている。
にこやかに答えるその顔に教官も少し顔を緩めて感心したように頷く。
「そういえばそうだったな。ご苦労。今日からお前のα班に配属するキフィ・クレイだ。今日王都についたばかりだ、分からない事ばかりだろうからリーダーとして面倒を見るように」
「かしこまりました」
その後、キフィを無視して二人で二、三言交わすと教官はホールから出て行った。
「これから丁度夕食なんだ。他のメンバーも紹介するから着いてきて」
不意に自分を紫の瞳が捉えて歩き始めた。
自分に向けられたその顔は綺麗な印象を与える笑顔で一瞬ぽかんと見つめた後、ナカムラを追う。
ホールの中にいる子供は同年代で固まる事無く、幼い子供には必ず大きな子供が介助しているテーブルがほとんどだった。
その中において一番端にいた子供二人のテーブルにナカムラは座る。
キフィも席に着くと、給仕により何も言わずにも目の前に夕食が並べられた。
「さて、最初は自己紹介だよね! 私はジョセフィーヌ、十二歳。このあなたの隣に居る子がメル、十一歳。後は、…自己紹介はしたの、シン?」
「まだ。シン・ナカムラ、12歳。このα班…特殊行動実施班のリーダー、今のところ君と現場試用期間のメルを入れて四人のチームだからよろしく」
「よろしく。俺はキフィ・クレイ、十三歳」
一重のすっきりした顔のメルは小さく会釈して夕食に集中する。ジョセフィーヌは食事を終えているのか嬉しそうに身を乗り出す。
「あなた噂の的よ。異例の待遇だもの。どうやって十三年間もここに来なくて済んだの? それも入った途端このαに所属するなんて、相当能力を使いこなせるってことでしょ?」
きらきらした目で見られて、逆に答える気が失せるって事知らないんだろうか。
それも周りも凄く聞き耳を立てている。
まぁ、そもそも真面目に取り合うつもりなんて毛頭無いけど。
「…そんなの、俺が天才だからに決まってるじゃん。そうじゃなかったらあんなド田舎の村にスカウトに来ないさ」
「天才って自分で言うんだ~確かに私たちの中にいるって事はそうなんだろうけど」
嫌味を含ませた言葉を気にせずジョセフィーヌは微笑む。彼女達にとってはこのαにいること自体がエリートの証だ。それは揺るぎないものなのだろう。つまらない。
食事に手を付けながら会話をする。
「みんなの能力は何?」
「僕はミスカシです。見えすぎて困るんですけど…」
やっと食事を終えてにっこりと無邪気にメルは笑う。
細まった目は糸のようになる。ミスカシ、それは何でも透視できると言うこと。特に見られて困るものなど持っていないが身動ぎしてしまう。村の仲間とこの子供どちらが精度が高いのだろうか?
「私は…色んなものを念写することが出来るのよ。この前なんて部屋一面の資料全部を一気に念写しなくちゃいけなくて脳味噌パンクするかと思ったわ」
「確かに、この前のは大変そうだったよね」
「そうでしたね。ジョセフィーヌさん顔が真っ青でした」
大げさに表現するジョセフィーヌにクスクス笑うシンにメルも一生懸命頷く。
「シンは?」
珈琲を飲んでいたシンにも聞く。
席に着いた時に気付いていたが、シンには食事は一切出てこずに栄養剤のような錠剤数種と水、珈琲のみが置かれた。それをさりげない様子で黙々とこなしている。外で食べてきたのだろうか?
「アトヨミだよ」
シンは短く答える。
顔の凛とした声で告げられてそれが特別珍しくない能力である事に気が抜けた。なんだ、アトヨミか。それならば村にも数人いたし妹もそうだった。
「ふーん」
気のない答えを返すと、ちらりと自分を見上げたシンと一瞬だけ目が合う。
「?」
何かを感じたけれどそれが何も含むのかは分からなかった。
「そうだ、あれは教官から聞いた? シンとキフィは同室になるって」
「えっ、なんで?」
ジョセフィーヌがさらりと言った言葉に本気で聞き返す。それにジョセフィーヌの方が不思議そうにする。
「なんでって…α班で二人部屋を一人で使ってるのはシンだけだし、大部屋で雑魚寝は嫌でしょ?」
「キフィさん大部屋が良かったんですか? 僕まだ大部屋ですけど、結構狭いですよ」
メルも珍しい物を見る目で自分を見ているが、自分が言ってるのはそんなことではない。
「そうじゃなくて…シンは女の子だろ?」
「……」
「……」
それまでの賑やかな雰囲気から一転して重すぎる張り詰めた沈黙がテーブルに広がる。メルがなんだか泣きそうな顔で横に座るキフィを見上げてくる。
「……どうしてそう……」
引き攣った顔でシンが呻くように呟いた。
「…名前、ちゃんと聞いたよね? 僕は、シン・ナカムラ。これはどう考えても男に付ける名前だよ…」
「いや、だって異国風の苗字だったから女の子に付いていても変な名前でもないかなぁって。その顔で男って言う方が変だろ」
思ったことをそのまま言葉に乗せるとシンの顔が心底複雑そうに歪む。
「キフィ、そのくらいにしてあげてくれない?」
「そ、そうです」
ジョセフィーヌとメルが真剣な顔でさらに言葉を紡ごうとしたキフィを制止する。
「あんまり言い過ぎると暗殺されかねないわよ…そこら辺に長けてるから」
目の前で俯いて、フフフフフフフフと怪しげな声を漏らしているシンによほどのコンプレックスを突いていた事に気付く。
そうか、シンは可愛い女の子じゃなくて男だったのか。本気で勿体無いと思ってしまった。
あの後、逃げるように部屋に戻ると言ったメルとジョセフィーヌはそそくさと二人の前から消えた。
残されたキフィはシンについて階段を上がる。
辿りついた部屋に入ると、二人部屋にしては少し広い空間だった。
これが能力者に対する待遇なのだろう。徴兵され拘束され続ける能力者に対する対価。
灯りをつけながら振り返ったシンの顔には先ほどまで浮かべていた笑顔はなくなっていた。
先ほどの女の子扱いが不満で不機嫌と言うわけではなくそれが素の顔なのだろう。それで女顔が解消されたわけではなかったが。
「…そっちが君のベッド」
シンが指差したのは部屋に入って壁に沿って左右対称に並ぶ机とベッドの右側だった。生活感が全くないその無機質な空間を眺める。
反対側にあったシンの空間も対して変わらない。机の上には一切の物が置かれていないので全てベッド脇にあるロッカーに収められているのだろうと推測する。
「明日は鐘一つで起床、朝から基礎教練がある。その後のスケジュールについては君の所属によって決まるはずだよ」
さっき指差されたベッドに腰掛けながらキフィは答えを返す。
「へぇ、シンは本当にリーダーなんだな」
「…サキヨミか…能力は訓練や任務以外で使うなよ」
シンの目が鋭く細められる。彼の周りの空気が変わる。
この短時間でキフィが明日の朝をサキヨミしたことをあっさり理解したらしかった。
「まぁ、品行方正なこと。折角のお言葉だけど、俺は好きなようにする。使いたい時に使うのが俺の基本スタンス」
「ここは今まで居た場所とは違う。軍の中で規律を守れない奴は要らない」
シンが硬い声で告げる。
「要らないって言われてもなぁ~俺、この素晴らしき才能の所為で無理矢理連れて来られたしねぇ?」
「…」
肩をすくめるとシンは、何も言わず服を脱ぎ始めた。
まるでキフィがそこにいないかのようにして。
どうやらキフィの挑発に乗らないだけの自制心は持っているようだった。
ベッドに横になり目を瞑りながら息を吐く。
子供が軍に飼われている、この事実が気に入らない。
幼少から軍に仕え働く事に馴らされている彼らに対する苛立ちを、シンを突く事で解消しようとしている自分にも呆れた。
大きくなってそれもプレセハイド村から来た自分は十分に異分子だ。それまでの固体から排除されようとしてもおかしくない。
これからを考えるならば、自分の遊びにシンも取り入れよう。そうすればきっともっと面白くなるだろう。想像して一人キフィは微笑んだ。