2 独りの夜
シン視点です。
記憶というものをどう扱うのか、それはそれぞれだと分かっている。
時間が経つほどにそれは風化して脳のどこかに追いやれるものである。
それがたまたま処理した後も鮮明に残り続けるのが自分だと言う事も承知している。そして、無為に蓄積するばかりであると言うのに自分がそれを求め続けなくてはいけないという運命も。
やっと飢餓から抜け出し、満腹感に身体が脳が満足している。
しかし、それは酷く重たく苦く苦痛を訴えている感情が存在する。咀嚼する時のあのなんとも言えない感覚、一日にして自分と作戦に関わった所属部署の人員の存在する記憶を全て食べた。
どんなに感情が身体にブレーキを掛けようとも、空腹の欲求に脳がそれを許さない。
そして、それは自分がやめようとしても仕事として強制される行為なのだ。
虚脱感が身体にまとわりつき苛立つ。
先程まで一緒に居た補佐官は、自分の様子に毎度ながら心配そうにしていた。
彼はいつでも自分のことに過保護だ。それは仕事の時に全てを投げ打って働かざるえない自分への優しさなのだろうと予測している。
部屋まで付いてくる言う彼の申し出を断り、能力者の館付属の養成寮へと足を踏み入れる。軍施設とは思えないほど優美な白い壁に赤い鉄の扉を抜けて教会のようなホールを歩く。
この軍本部内において唯一と言っていいほど明るすぎる喧騒が部屋だけに留まらず絨毯敷きの廊下まで漏れ出ている。下は0歳から上は十五歳までの特殊能力を持つ子供が集まる寮だ。
研修棟や訓練場では従順な彼らであっても、棲み家であるここでは単なる子供へと戻る。
自分の胸の高さにも届かない子供がかけっこでもしているのか数人横を駆け抜けていく。
あまりに悪戯が過ぎると班のリーダーの雷が落ちるが、今その人物は居ないようだ。
「シン、遅かったね」
階段に差し掛かった所で声を掛けられる。顔を上げると金髪の縦ロールを揺らしながら幼馴染のジョセフィーヌが階段から降りてきていた。
「うん。久しぶりに扱き使われたよ」
「疲れてない?」
「大丈夫だよ」
安心させるようににっこりとそのリンドウ色の瞳を細めて笑うと、ジョセフィーヌは一瞬頬を染めてシンを見つめて微笑み返す。
「よかった。…それにしてもシン、その私より可愛い笑顔詐欺だわ」
「え?」
シンは頬に手を当てる。
幼い頃から少女に間違われる顔つきだが、大人になれば解消できるものだと思っていた。それが最近逆に美少女として認識される事が多くなった気がする。正直に嬉しくない。
「あぁ、怒んないで。あのね、さっき教官から聞いたんだけどうちの班に新人が入るって」
「うちに? 誰だ、最近調子がいい奴いたかな。あ、ウゴカシのティムとか?」
彼女とは行動班もこの能力者の館に来てからずっと一緒だ。
能力者の子供を縦割りに年上の者が下の者を面倒を見るように作られたシステムで能力や生活態度が平均的になるよう作られている。
しかし、その中で唯一それに則られない班がシンのリーダーを務めるα班だった。
α班は十五歳の正式な特別能力上級士官登用の前に大人に混じり仕事をしているエリートグループの位置づけだ。待遇も違ってくるのも必然で幼い子供の世話など彼らに回ってこない。
今のところは十二歳のシンとジョセフィーヌ、現場試用期間の一つ下のメルという少年のみが所属している。
「違うの、これから館入りする男の子だって」
「これから? ありえないよ、そんな子供を急に入れてどうにかなるような班じゃない」
渋い顔を作るとジョセフィーヌも同じような顔で頷く。
「そう思うんだけど、一つ上のサキヨミらしいわ」
「…十三歳。なにそれ…今までどうやって検診を逃れてたわけ」
信じられない思いで呟くがジョセフィーヌも首を傾げただけだった。
「考えても無駄か…僕はもう寝るね」
ジョセフィーヌの横をすり抜けて階段を上る。その背中に彼女の声が追いかけてきた。
「あ、シンと同室になるらしいからね~」
振り返らずに手を振って答える。
三階建ての建物の最上階、二階までの十人が寝る大部屋と違い二人部屋が廊下に沿って両脇に並ぶ。本来そこは最上級生にあたる十五歳になる先輩達の居住区だが、任務参加しているα班は彼らよりも上の扱いになるので二人部屋だ。
部屋に辿り着くとシンは、寮に入る前よりもはるかに重たくなった身体をベッドに横たえた。
その顔からは先程浮かんでいた笑みが消え去っていた。
「最悪」
異例ばかりの少年、水準より遅れて入ることそれは能力の粗悪さが原因である事が多いというのに入局と共に実戦参加のα班に加入。
それはただ仲間が増えるだけであれば眺めているだけで済んだというのに、シンの班に入りあまつさえ人数違いによってやっと手に入れた一人部屋にやってくる。
イコールすべての面倒をシンが見ると言う事に他ならない。
最悪で災厄でこれ以上無いくらい面倒くさい事だ。
班のリーダーとしての役割として働かなくてはいけない事実には、幼少から軍人としての規律を叩き込まれたシンにとって難しい事ではない。
しかし、生来の性格では面倒な事にはなるべく関わりたくないというのが本音でしかない。
天井を睨んでいた瞳を瞼を下ろして強制的に休ませる。
取得しすぎた負のコエの塊と、幸先のよくないこれからの情報。シンの中で上下左右に動き混濁する。
脳がコエを処理する活動で休止させられた思考に引き摺られるようにしてシンは眠りにつく。
それでも、完全に意識を手放す直前に思った。
独りで寝る夜はこれが最後かもしれない、と。
シンとキフィ二人の視点で交互に進んでいきます。