未来シコウのチートデータガール 51
真っ白な砂。風が吹く空。黒とすら見紛う蒼穹。空に固定された、鋭く眩く小さく強力な白の太陽。
突き立つ矢印の標識には『現在』『過去』『未来』『――』そして……。
宙に浮くイージーチェアに座った深緑の髪。生成りの麻のシャツの胸元を、パタパタと。
手には溶けないミルクのアイスバー。
その少年は、無論すでに静夜が見上げているのに気が付いて、傲岸不遜な目付きで睥睨している。
――さくっ。さくっ。
アイスバーに歯形が付いていく。
夢の中だというのに、からりとした灼熱を感じていて、そのアイスバーが美味そうで仕方がない。
静夜とこの『存在』が会う時、いつだってこの世のものとは思えない背景が付随している。
なんでも、この地球のものではなく、違う次元の別の星の絶景に連れてこられているらしい。それはつまり、夢の中で違う世界に連れてこられているという事なのではないだろうか。
ここで置いて行かれたら、静夜も異世界転移をしてしまうのかもしれない。
「前も言ったけどさ。それは嫌いだな。次僕の呼称を存在と言ったら、本当に異世界転移させちゃうかもしれないよ?」
緑色の少年が座る椅子がすっと空気に溶けて、自由落下にかまける形で降りてくる。音もなく静夜の目の前に立つと本気としか思えない目付きで笑う。
「だったら名乗れって何度も言ってんだろ」
「じゃー愛称つけてよ。可愛いのをさ。あ、ワッ君は駄目だよ。キャラ被りだからね」
「ワンダフルワールドからワか……ワの字とかかい?」
「え、君も僕達の事見ているの? いつの間に?」
「訳わかんねぇよ」
反論すると小さな笑いが起こる。
その背後では、『現在』と書かれた矢印がぐるぐると壊れた時計のように回転している。
「仕方ないなー。ちょっと良い事あった記念だ。選ばせてあげようじゃないか」
「……選ぶってなにをだよ」
「この僕の名前の呼び方さ。特別大サービスだぜ」
ご機嫌極まった様子で、人差し指をピンと立ててしたり顔。
「クソガキからとってクー。ウザいからとってウー。ワールドからとってワー。格好いい少年からとってカー。さぁどれだ?」
「角が立つからワー以外ねぇじゃねぇか。っつーか、なんだよ良い事って。今まで頑なに言わなかった癖によぉ」
「ちょっとね。君が女の子に興味を持つのなんてあの百花とかいう子以来じゃないか」
「……んなこたぁねぇだろ。ついこの間も鼻の下伸ばして散々な目にあったんだぜ」
「君達の世界にはエッチなお店あるじゃん。まさかお店の相手に対して皆が恋人、あるいは友達のような感情を抱いているとでも思っているのかい? もっと言えば、君は飲み屋のお姉さんに対して本気の親身になるのかい?」
「そういう時もあるだろ。そりゃ」
「ふふん。ないね。君はなんだかんだ言って淡白だ。その日限りの相手を人間とすら思っていないよ」
「随分――」
「君が人間を相手にしたら安易に抱かないさ。君が相手に人間を見出したら、もう駄目だ。お金を払って遊ぶ相手じゃなくなっちゃう。説教したりしない気のいいお兄さんみたいな顔をして親身に話を聞いて、不幸の結果なのか趣味の現状なのかを聞いて一喜一憂するさ。鼻の下を伸ばすのは、エッチな漫画を読んでいるのと同じだ。君は僕等の望んだ主人公じゃない。誰にでも平等になんてする訳がない」
「……ひでぇ言い草じゃねぇかい?」
「不満であっても僕等は君以上に君の事を知っているよ。君は誰にでも優しくしようとしているけれど、それは善意じゃない。格好いい自分とは何かと思い、優劣をつけても表に出さないように見せかけだけを整えている。君達の世界でいう所の偽善者という奴さ」
「好きに言ってろよ」
いつになく強く言いがかりをしてくるワーに対して鋭く言い捨てる。
「だから好きに言っているじゃないか。誰にでも嫌味なく優しく、多くの男女から好かれて、頭も良くて完璧に強くて運もいい……そんな主人公になれない君だからこそ、一部にすっごいファンが付く。考察班は君の一挙手一投足を分析して暇つぶしをしている」
「考察班? はぁっ? お前ら頭おかしいだろ」
ぐっと眉間に力が入ってしまう。
罵倒する様に指摘してみれば、ワーは自嘲を楽しむような表情をする。
「そりゃそうさ。僕等は一人残らずイカれている。僕も僕の友達も、僕の同志も皆みんな、どうしようもない連中だからこんな事をしているんだよ」
「……友達いたんだなお前」
「うわ失礼だなー。舐めてんの?」
一瞬真顔で憤慨し、しかし直後にはケラケラと笑うワー。
「なんてね。人の気持ちが解らない僕は失礼なんて概念も皆と違うんだ。多分ね。そうそう、友達の話にしよう。君に新たな友達――カッコ意味深が出来た訳だ」
「ちっ」
「君はもっと僕の前でも取り繕いなよ。格好いいってそういうもんじゃないの?」
「お前ら俺を見ても肉とクソの詰まった袋に見えているんだろ? お前からどう見られてもどうでもいいんだよ」
「僕とあの堅物君を一緒にしないでもらえる? まぁそれはそれだ。君の友達カッコ意味深が新しくできたのは喜ばしい。姐さんなんて最近ガチ勢気味でさ、君が笑顔になると無言で涙を流して手を合わせているんだ」
「……大丈夫かそいつ」
「ああ、心配なんてしないであげて。姐さんだけじゃなくて色々が自作の団扇を持って踊っちゃうから」
頭大丈夫かそいつら。
そう心の中で思うのは許してほしい。この化け物と違って心で思っている事を偽装なんてできないのだ。
「そんなもんだから、僕らワンダフルワールドは君がトイレに行っている間以外は大体君の事を知っているよ。そしてトイレは見たくないだけで知ろうと思えば知れるからいけない事しないでね?」
「見たけりゃ見ろよ。テメェらの食欲削れるなら俺の全部は安もんよ」
「本音で言っているのが業腹だね。見ようとすると姐さんが滅茶苦茶怒るから見ないから安心していいよ」
「ねーさーん! ありがとうなー!」」
「わっ、ビックリした! えっ、さっき好きにしろっていったじゃん」
思わず感謝の声を上げる静夜にワーは目を丸くする。
「うっせぇな。感謝は言葉にしねぇと伝わらねぇだろ」
向き直って文句をたれるワーを逆に説教し、静夜は開き直る。
「えー。いいけどさぁ……。言っとくけど僕に不敬を働いて許されるのは君だけだぜ?」
「ああそうかい」
何度も聞かされてきた事で、もはや適当に聞き流す。
想定外な動きをする。予定外の動きもする。もうとっくに最強の転生者になっている筈なのになぜかならない。付与した記憶がないのに巻き込まれ体質なのはいったいなぜ? だから君は面白い。抗う君の全てを許そう。
これらは年に一度は聞かされる内容だ。自分に関わる内容だから、公開されている情報はさすがにもう頭に叩き込んであるのだった。
「まぁいいや」
と嘆息一つした後。
「今日は他でもない僕等にとっての想定外の話をしに来たんだ」
ワーの言葉が先か、ひどく冷たい表情に包まれた。
「あの子、世界のバランス壊すんだけど?」
「……あの子。ってぇと、甘咲の事だよな」
痛みすら伴いそうな冷たい空気は唐突に。
息を整えつつも、確認しなければならない。ここで尻込みをすればワーから不興を買うだろう。いちいち気にする静夜ではないが、だからといってわざわざ評価を下げたいとも思わない。
「そうだよ、甘咲ハジメの事だ。あの子は火力キャップが外れかけているね」
「強いって事かい?」
「そうだね。強さだね。火力キャップっていうのは、世界観を守るための制限だ。前に話したアバターを強制しているのもこのためさ」
「人間の可能性が何たらとかいつも言ってんじゃねぇか。世界観の制限とやらで可能性に文句言うんじゃねぇよ」
「この世界で成長する分には良いんだってば! 実際何人かは人類の枷から脱却した! 僕等の誇りだよ。けれど元から強い子を連れてきて、こっちで組み立てるだけなんて! そんなのズルだ! だまし討ちだ! トロイの木馬だ!」
冷え冷えした空気は弛緩して、駄々をこねる子供のように喚き散らす。ダムダムと砂を踏みしめる。フンスと鼻息を荒くして怒る。
推定だが静夜の億倍の年齢のワーの様子にあきれてしまうが、強大な力を持った子供がそのまま生きてきたという認識は何も変わらない。静夜は我儘で手の付けられない子供に対して遠慮などしないのだ。
「んなに不安なら元の世界に返してやりゃいいんじゃねぇかい」
そう呆れるふりをして本命の本題を切り出す。
せっかく知り合ったのにもうさようならとは、寂しくはあるが彼女がもとの世界に帰れるならば、静夜の寂しさなど大した話ではなかった。
「元の世界? 僕個人としては出来なくはないけれど、してもいいけれど、ワンダフルワールド全体の意見は大反対だ」
動きを止めたワーは、実に不満そうに静夜に向き直ってそんなことを言う。
「珍しいじゃねぇか。お前さん以外のメンバーっていや、それなりにまともだろうに」
世界の常識や物理法則を書き換えている集団ではあるが、それでも群を抜いてイカレているのがワーだろうと、静夜は思っているのだが。
誘拐された不憫な少女を家に帰すのに反対するというのは、若干の不自然さがある気がする。
「はぁ? 彼等がまともぉ? そんな訳――あっと、いいやいいや。話が逸れるしどうでもいいや、そこはいいや。でも一つ勘違いを訂正するよ?」
一瞬さらに激しい仏頂面をしたが、今度は一転して教え諭すような顔と声音を出すワー。
「勘違い?」
「勿体ぶらずに言うけれど、あの子をこの世界に産み落としたのは、ワンダフルワールドじゃないよ」
「……んじゃ誰がやるんだよ」
するとワーはすっと目を細めて、冷たい笑みを浮かべて魅せる。
「グッバイワールド。君も知っている素敵な集団さ」
「――よく聞く名前だな」
ここ最近はその名をよく聞く。
ブレイバーズや転がり同盟はグッバイワールドをテロリストと称する。
白紙社や有村技研はグッバイワールドを名前を言う事すら恐ろしい禁忌とする。
ナナホシ総合人財派遣やシルバーシップファイナンシャルグループには逆らえない取引先と位置付けるらしい。
知り合いの最強、愛凪百花に言わせればワンダフルワールドの下位互換と。
静夜が知るのはそういった聞きかじりの情報だ。
聞き及ぶその危険度を表す事は中々に難しい。
どこから現れたかは一切不明の異世界人達だと言われている。時空を超えて異世界を行き来し、時には不思議な生き物を作り出したりする。この世界の規格に合わない魔法や武術を得意として、気に入らなければ殺虫剤をバラまく感覚で国を滅ぼし、気まぐれで天変地異を未然に防ぐ。
筆舌に尽くしがたい集団であるが、この世界を創ったというワンダフルワールドと敵対し続けて、その存在を厄介がられている集団だ。
「あいつ等たしか今、異世界人殺して回ってるだろ。なんでそれで甘咲を呼び出しているんだよ」
「異世界人を殺して回っているんじゃないと思うよ。この世界の住民も結構死んでいるからね。何がやりたいかはわかっているけど僕は教えない。それと、彼女をこの世界に呼んだってだっていうあれは……彼らに言わせればグッバイワールドが、ワンダフルワールドが出来るなら自分達にもできる。そんな対抗心を燃やした結果が甘咲ハジメだ」
「……」
「本当だよ?」
「わぁってるよ」
異世界からここにやってくる人物の過半数は、何かしらの事故にあってやってくると言われている。多くの場合はその事故現場から精神体を刈り取ってこの世界に連れてくるとの事らしい。
ただ、それで連れてくる事が出来るのはあくまでもランダムな人物だ。中にはそれが成功につながるケースもあるかもしれないし、それが楽しいという考え向きもあるだろう。だが、造りたいと思った理想的な転移転生者を用意したいときには都合が悪い。
だから、用意するのだ。理想的な前世となる人物を。
そもそも、世界を創造できるワンダフルワールドが偶然に頼る必要は一切ない。
残酷な話ではあるが、人の心が解らないと明言するワンダフルワールドである。数多の世界から理想的な人物を見つけ出し、簡単に殺してしまうのだ。自分達の目的のために、何一つの罪悪感も抱かずに。
そして、ワンダフルワールドがやるのなら、グッバイワールドがしない訳がないのだ。
で、あるならば。
ハジメは偶然でもなんでもなく、酷く乱暴に静夜達の世界に連れてこられた可能性がある。
何とも言えない気分で顔を顰めると、ワーは更に語る。
「だから彼女がこの世界にいる理屈は僕たちの物とは異なっている部分がある。異物だと言って追い出される事を避けるための処置だろうね。ルールにのっとったイレギュラーを弾いたら、それは僕等に勝利したことになるとでも思っているんだろうね。不愉快だなぁ、あいつ等」
それはつまり、このワーであってもハジメを元の世界に戻す事はできないという事ではないだろうか。
などと思うとワーは下唇を突き出して、いかにも不満そうな顔を作って見せる。
表情にすら出さず、心で思うだけで何もかも筒抜けなので、本当にうんざりである。
「なんだいその思考は。やろうと思えば出来る。認めようじゃないか。出来るともさ。あいつらが勝手に僕らに勝利したと思って僕らが敗北感を感じるくらい、どうでもいいさ。だけど彼女の居た世界に戻る事を、みんなは反対している。僕も言われて見れば反対だった。元の世界に戻る事が彼女にとっての幸せなんてそんな事は幻想さ。少なくとも、僕は大反対だ」
「なっ……」
いつになく強い言葉選びに、さしものの静夜も声を上げ、そして詰まってしまう。
そしてそのままワーは言葉を続ける。
「それでも君が彼女を元の世界に戻せと言うのなら、良いだろう。甘咲ハジメをその世界に送ってあげようじゃないか。ただし、さっきも言ったように僕等は反対の立場だ。つまりそれを曲げるにはそれなりの対価を支払ってもらうよ。他ならぬ、君にね」
事実上の没交渉だと理解する。なぜここまでの拒絶反応が起きるのかそれが解らないが。
いつも静夜は彼等に対して何も願わない。願わないのはこのワーに借りを作りたくないからというのが一番の理由。そしてワーに頼らなければならないような願い事は、本来人類には不可能な願いなのだ。
だから静夜に甘く優しく願いを叶えてくれるなどと言う都合のいい期待はしていない。
ただ、それでも思ってしまう。今までさんざん静夜の人生観察で楽しんできた連中が相手なのだ。少しぐらいは話を聞いてほしいものだ。
「なんだかんだと僕が君の為に骨を折ると思っていたら大間違いだ。譲れない物は譲れない」
「……ちなみに俺に対するペナルティってのぁ、どんなもんでぇ?」
「食い下がるなぁ」
珍しいものを見るような顔だが、すでにワーの雰囲気から威圧感は失せていた。
「まずは前提だ」
ワーは静夜に全く溶ける様子のない、齧りかけのアイスバーを突き付ける。
まだ表面がサラサラしているアイスからは妖気のように白い靄が立つ。
「今まで、君には世界の復元力が働いていた。僕等がが設定したんだから間違いない。首が吹っ飛んでも、体が木端微塵になっても、魔法で蛙に変質しても元通りになる超強力な修復力だ。完璧な肉体に転生者を入れたかったからね。これを利用するのが君の不死性だ。もちろん、僕らはすぐにこの不具合には気付いた。だけど僕等はこれを放置した。面白がってむしろ援護すらした。つまり例のアクセサリーが即時無効化される当然の仕様を変更したんだ。その上に君の肉体が完全空白になっても転生者が入り込むまでの時間にに執行猶予を設けた。なんと十分もだ。この間に切腹でもしておけば少なくともその場凌ぎができるようにした。こんなサービス君にだけだぜ?」
恩着せがましく言ってい来るが、静夜に言わせれば半分以上が彼等の娯楽の為である。
結果それが静夜の延命につながっていたのは認めざるを得ないが、それを感謝というのは見解の相違である。放火した家に消防車を呼んでやったから感謝しろ言っているようなものだ。
そんな気持ちで微妙な表情になってしまう静夜だが、目の前では捲し立てる様に金髪少年は続けるのだ。
「この前置きは必須。つまり、ペナルティというのは優遇措置の撤廃さ。見方によっては正常化だよ。不具合の修正をすると言った方がいいかな? アクセサリーを君の外として認識していたけれど、今後君の体の一部とみなすように調整する。何が起こるかと言えば、君を狙う異世界の精神体は無事じゃすまないという話さ。運が良ければ一人か二人、こびり付いて残るかもね。でも、一人も残らないかもしれないし、一人だけ残ってもその精神体に乗っ取られるかもしれない」
「事実上の死刑って事かい」
「それくらいに彼女を彼女の世界に送り返すのは僕等のにとって嫌なことだって話だね。別にグッバイワールドを意識しての話とかじゃないよ。シンプルに、彼女を送り返すのが僕等にとっての不満って話だからね」
「……」
「それでもそれを飲めばやってくれるんだろ? って顔だけど、君、僕と違って人の気持ちがわかる人だろ? そんな売り言葉に買い言葉みたいな覚悟で彼女をこの世界から追い出しても、彼女も君も、誰も幸せにならないだろ」
まさかこのクソガキに諭される日が来るとは思いもよらず、不愉快の極みだ。さすがにそこまで考え無しではないつもりだが、頭に血がのぼればそんな発言もあり得たかもしれない。
静夜は返す言葉もなくにらみつけて睨むだけになってしまう。
「本当に言い負かせた。凄いな姐さん」と言って目を丸くするワーのセリフを、もう馬鹿馬鹿しくなって聞き流す。
「元の世界に帰す気はないけど、あの子の取り扱い、君は慎重にしてね」
「パワーバランスがどーたらか。なんでぇ、悪い未来でも見たかい?」
「いや? そんなものは見ていないよ。何でもかんでも未来をみたらこの世界がどんな道筋をたどってもつまらないだろ? おっと、誰かに言われたからそう思っている訳じゃないぜ? 昔からあまり未来は見なかったんだ。せいぜい予測くらいはするって話さ」
その予測は大体当たるのだろう。そしてその予測がハジメを危険視する理由となるのだろう。
「ちがうちがう。イメージしてみてよ? 小学校に鬼殺しのヒグマが紛れ込んできた様子を。誰がどう見てもパワーバランスが崩れているだろ? 体格がいい小学生も、剣道を習っている小学生も、等しく無残な犠牲者候補だ。どんなに人に懐いたヒグマだと説得しても絶対に思うだろ? こっそり駆除したい。無理なら目を離したらいけないぞって。それくらいに彼女の危険性は一目瞭然なんだよ」
「……たかが小娘一人だろうによ」
思わず相槌のようにつぶやけば、大いに満足したワーが頷く。
「その通り。僕たちが警戒するにはあまりにも情けない。それもルールぎりぎり内側にいるとわかり切っているんだ。僕らが駆除するのは大人げないし、あまりにもみっともない」
その感性は、おそらく自分たちの行動を妨げるものがいない彼等だからこそ育ったものだろう。自分たちの行動を自分たちで律さないと、自分たちが作り上げた世界に悪影響がおこる。特に、静夜が今暮らしているこの世界はこのワンダフルワールドがかなりいじくりまわしているという。この世界がそれでも今日まで原型をとどめているのは、ワンダフルワールドがどこかでギリギリの線引きをしているからであるらしい。
その絶妙さは殆ど奇跡。だがそんなものの塩梅に一喜一憂するのはあまりにもみっともない。
「……そんなにやばいっていうなら本人が帰りたがっていても駄目かい?」
「駄目だね」
ワーはぴしゃりと言い放つ。強このい拒絶に静夜ももう食い下がる事すら許されない事を悟った。
「僕らはわざわざ不幸な人を作らないんだ。面白いと思ってやってみて、その結果たまたま不幸を生み出す事はあるけどね。逆に言うとね、不幸になる人がいるとわかっているのにわざわざ面白くない事はしたくないんだよ」
「……憶えておくよ」
「うん。それがいい。それでいい」
満足そうに頷いたワーはニコニコと笑みを作った。
あ、アイス食べる? そう言ってアイスバーの袋が差し出される。ひんやりとした靄が袋の周りに漂っている。
いったいどこから取り出したかは考えるだけ無駄だろう。
たぶん受け取りを断ったと夢の記憶が曖昧模糊になっていく。
「またねー」
ワーのシルエットはいつの間にか少年のそれではなくて、大人のそれへ。あるいは老年の男。いや、女にも。いつものように印象もぼやけていく。世界はミルクバーが溶け込んだ様に白くなり、甘い香りと共に静夜の意識は手放される。
夢の中で眠る様に。
今度こそ普通の夢の中へ。
――夏の朝は早くて日差しは強い。カーテンのない窓に差し込んだ光は容赦なく。静夜の瞼の裏を刺激する。
瞼をあけても思考も視界もぼんやり。すこしすれば、枕元のスマートフォンが姦しく騒ぎ出す。充電器のコードが抜けていたので残量は残り僅か。
コードを刺しつつ少し手に窮屈な思いをさせながら画面を見ればこのところよく見る名前。
さて、今日は何をやらかした?
画面をスワイプすると、ハジメの顔が画面いっぱいに映し出される。影を落とすほどに長い睫毛に、切れ長な二重の美しい瞳、綺麗な形の目尻には泣きボクロ。
染み一つない顔に、一瞬ドキリ。
静夜は寝ぼけた頭で少し沈黙。ハジメも自分の顔がビックリするほどアップにされていた事に気が付いたのか、ちょっと顔を離して距離を調節した。
「あれ、静夜君寝てた?」
「丁度起きた所だよ」
「ほんと?」
「ほんとだよ。目が覚めたら丁度お前さんからの電話だ」
「……今大丈夫?」
聞かれて、くわっと、大欠伸をしてから頷く。
「大丈夫だぞ。かしこまってなんでぇ?」
「静夜君に、折り入って相談あるんだ」
「んー? ……はいよ?」
「ずばり恋愛相談」
「……他ぁ当たれ」
「わっ、すっごい嫌そうな顔。その顔したらいくら君でも女の子から嫌われるぞ」
「知っててやってんだよ。惚れた腫れたの相談役なんて俺にゃ務まらねぇ」
表情は唇をひん曲げたまま。百年の恋も冷めてくれる筈の渋面だ。
もっとも、ハジメは一切気にしていないようだが。
「なんでさー。静夜君どうせ女の子泣かせてきたんでしょ。禊のつもりで相談乗ってよ」
「その前提なんなんだよ。あと、たとえ禊をするにしたってお前さんにじゃねぇだろが……」
「ふふっ、騙されないか」
「今のって騙すつもりだったのかよ」
呆れつつも、笑ってしまう。
笑ってしまいつつも、小さな後ろめたさを覚えてしまうのだ。
脳裏によぎるのはワンダフルワールドのワーとのあの会話。
等価交換にもならない条件だったと言っても、静夜はハジメの希望の一つを断ったのかもしれない。なのに静夜は何食わぬ顔で彼女と言葉を交わすのだ。あまつさえ、本当に本気で彼女を元の世界に戻してやりたいと思うのだ。どの面下げてと、自虐の自嘲を自分に向けながら。
ちっとも楽しめない自嘲をしていると、おや、ハジメが勇気を出して切り出してくる。
「男の子ってさ、やっぱり、き、キスとか? その、告白が成功してさ、カップル? が成立したらすぐしたいもの……なのかな?」
「……あん?」
「だから、その、もしもだよ。うまく行ったらの話なんだ。何かの偶然で、もしもお付き合いし始めたらだよ? キスって、皆、すぐにしたいものなのかい?」
「俺ァ相談に乗るなんて言っちゃねぇぞ? ……そりゃ、今どきの連中は知らねぇが、学生なんて頭ん中そればっかだろうよ」
なんなら、その延長線が本懐だと言っても過言ではないだろう。
世の中多様性がどうこう言うが、静夜に相談するからには、当時の静夜の物差しで語るしかない。
「ま、益体にもなんねぇ意見なら、そうじゃねぇ奴も少しゃいるだろうし、相手にその気がねぇのに無理矢理やるのは論外だ。そこに至るまでをどうやるかを楽しむもんだし、若いうちこそ相手の気持ちを考えて駆け引きするべきなんだろうな」
「だよね。簡単にキスなんてして、その男の子って責任とか……ほら、赤ちゃんとかできちゃったら」
「んん? んー? おっし、恋愛相談は置いておいて保健体育から話そうぜ」
「あ、やっぱりエッチな話かい!? そんなのは求めないって言った癖に、静夜君ってば嘘つきだったんだね」
「嘘だろ。こいつ面倒くせぇ!」
どこまでが冗談か解らない会話は案外楽しく長く、その日の電話は中々に騒がしい物だった。




