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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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未来シコウのチートデータガール 46


「カジャリの肉を探していた。この世界にカジャリはいなかった。試した。この世界に満ちている食材は駄目だった。鶏も豚も駄目だった。駄目だった。理想のラバサターカには程遠い……牛はマシだったが、ラバサターカとしての格が落ちる。そして天人様が愛したラーサタバーハには似ても似つかなかった」


 呪文のような独白する声が聞こえる。


「色々を試した。試したとも。あれも違うこれも違う。お届けしたかった。もう一度笑っていただきたかった。試し続けて辿り着いたのは良き環境で育ったカダマの味だった。この世界のカダマはカジャリに味が似ていた。育て方によってはカジャリを超えていた」


 真の意味では何を言っているのかわからないが、かなりいかれた事を言っているのは想像がつく。倒れた静夜が見上げると、嫌悪感すら想起させない無感情な黒い目が、静夜を見下ろしていた。

 ちゃぷん。と、水の壁から抜け出すように、その男――秦飼はモルタルでのっぺりと固められた壁から全貌を現した。


「私はただ、天人様に至高のラバサターカをお召し上がりになってほしいだけだ。欲しいだけだ。だというのにこの世界のヒャミンどもは、いくらでも生まれ、余り、もはや捨てるカダマを執着する。他でもない親が捨てたのに他人が固執する。理解できない。理解できない……理解できないから、死ね」


 秦飼が抜け出した後の壁が滑らかな平面となり、体のどの箇所にも液体状になった壁がこびり付いていない事からも、その壁が柔らかいものでなかった事は解かる。

 やや興奮状態だった秦飼は、一通り怨嗟を語った後に深いため息をついて、そしてスンッと落ち着いた様子になる。

 

「……あともう一人、メスの泥棒がいたな。一人いたな」


 そして胡乱な目付きで、小さくつぶやくのだ。 

 こいつの情緒はどうなっているんだ? 思いながらも動けない。

 頸椎の中の神経まで切断された静夜だが、それでも十全に動く視界で状況把握に努める。


「おお……まだ生きているのか、この有様はまるでハバだな。ハバの様だ。泥棒のハバ……この世界にも居るのか。ん? 知らないか? 知らないのか? 泥棒のハバは人が大切にする財産を盗むのだ。盗むのだ」


 よくわからない固有名詞を使用し、ほぼ一方的に語りかけてくるのは変わらない。それは人に向けてではなく、自己に向けての言葉であると思われた。


「まぁいい。いい。もう一人の……メスの泥棒は危険そうだ。危険だな。ふむ……」


 一方的な語り掛けと納得。視線は立ちっぱなしの三人の子供へ。


「仕方ない。仕方ないな。この一匹だけでも回収するか。残念だ。残念だが。天人様への供物は足りるな。足りるな」


 頷き、秦飼は静夜が先ほど触れていたあの、床の液体に視線を向ける。


「……頃合いではある。頃合いか。ならばいい。ならばいいだろう」


 自分を説得するような言葉だが、苛立ちは隠せていない。その証拠に、高くあげられた右足は這いつくばる静夜の顔面に振り落とされた。


「食生活のなっていない駄肉が。オサッキイのハバが。恐れ多くも天人様への供物に手を出すとは、恥を知れ。知れ」


 顔の側面からのスタンピングは、静夜の頭蓋骨を陥没させる。勢いあまって喉を貫いていた包丁は零れ落ち転がる。さらに踏まれて、反動で足が跳ね返り、そして再び踏まれる。スタンピングはしばらく終わらない。執拗なまでに続く。

 ボロボロになった出刃包丁の刃を見て秦飼は何を思ったのか、非常に不可解そうに目元をゆがませていた。


 静夜でなければ確実に死亡し、不死身であっても脳破壊により意識を失う事だろう。それほどの追い打ちの連撃だったが、こと静夜に対応した攻撃と考えればそれは悪手だ。


 不死身の分類の中で言うならば、静夜は例外中の例外だ。脳まで破壊されたならば、すなわち即死である。静夜の体質は死に近づけばそれだけ早く肉体が回復する。喉を突き刺された包丁がなくなった今、即死は即時回復と同意語であるなのである。

 

「しかし、あのメスはいい肉をしている。……天然ものか。天然でうまいカジャリはいないというが……果たしてヒャミンは旨いのか? もしも喰う事ができれば……取り込めるのか? 取り込めるようなら、サンザウとナウは天人様への献上品となるか? なるのか? 素晴らしいぞ。素晴らしいじゃないか」


 恍惚と、独り言を繰り返す秦飼には寒気が走る。

 取り込む云々は想像がつくが、だとするとこの人物は決して放置していいものではない。やがて手が付けられなくなることは想像に難くないのだから。

 今すぐに反撃に転じたいところだが、少し待とう。勝手に語り続けるならば、少し情報を引き出したい。それに静夜の回復に気が付かないまま一人語りに夢中になってくれれば、ここから奇襲が成り立つかもしれない。


「……できるか? できるのか? 無理だな。無理だ。あのメスは危険だろう。危険にすぎる。生き残れないだろう。逆に喰われてしまう……」


 ブルリと震え、秦飼は自嘲したようにみえる。


 どうでもいい感情の動きだと思う訳だが、少なくとも何かを――十中八九ハジメの事を恐れているとわかる。ハジメの無事が約束されたようなものだが、喜ぶだけという訳にもいかない。ハジメの実力を悟って恐れるからには、静夜よりも強い事は確定だ。なにせ静夜にはハジメはただの女の子にしか見えていないのだ。実力差を感じる時点で間違いなく静夜より格上だ。これはなおさら攻撃初手を考えなければならないだろう。


 秦飼は自分が不利とわかれば逃げ出すという。壁の中に潜れるなどというふざけた能力があれば、どのような場面でも逃げる事は簡単だろう。特に、ハジメの事をすでに警戒しているのだから、ハジメが近づく気配一つで逃げ出しかねない。

 静夜が戻ってこない事を不審に思ったハジメが行動を起こすのは、おそらくそれほど時間がかからないだろう。そうなればすでに逃げると決めている秦飼は逃げ出してしまう。その前に何としても片をつけたい。

 可能ならば、反撃の隙もなく意識を奪ってしまいたいというのが静夜の本音だった。


 慎重になりすぎて機を逃さないようにと考える分も含め、時間はもうない。

 頭のなかで理想の動きをイメージし、秦飼の靴を見つめる。


 押し殺した呼吸を二度三度。この間にあと少しだけ秦飼が背を向けたら行動すると決める。

 同時に心の中で折れた刃を罵倒する。安っぽく『バカアホ』始まり、『鉄くず以下の無価値無能』などの人格否定に近いものまで、とにかく罵る。


 これが引き金となり、僅か五秒ほどで静夜の左脇腹の中に激痛が走る。掌ではなく内臓に食い込むあたり、折れた刃は怒り心頭だったのだろう。普段から殺意が高い折れた刃だが、自分が操る体のスペックが落ちかねないような致命傷を与えながら召喚に応じるのは珍しい。言葉の選び方が少し悪すぎたかもしれないと、見当違いの反省を、場違いにするのであった。


 まぁ、そのおかげで直ぐに手元にやってきたので、悪い結果ではないと思ったのだが……。


「……っ!」


 引き抜こうとわずかに突き出している鉄片に左手で摘まんだところで、秦飼が何かを察したように振り返る。


「……生きている? 生きているのか? なんだその――理不尽な禍々しさは」

「……」


 自分は死体であるとすら思い込み、息を止める。不可能であるのに心臓すら止める事を意識する。しかしそうと思えば思考だけが逸って高速回転する。

 たった数秒の時間が数分に感じ、呼吸を止めるのがもはや限界なのではないかとすら感じる。


 どうする?


 じっと見降ろさされ、静夜は焦れる。

 武器はすぐそこにある。この間合いは、静夜が今すぐにこの折れた妖刀に身を任せれば射程圏内だ。事実、刃は自分を頼れと鳴動している。

 それでもかまわないのだが、襲い掛かって一気呵成に制圧できる相手なのかと思ってしまうのだ。秦飼の強さをハジメの話を参考にして考えた時、静夜は自分の体を操る折れた刃の戦闘能力では足りないと感じてしまう。確実に始末するならハジメが信頼できると思う程の暴力が欲しくなる。


 ただの殴り合いならば実のところ静夜に勝機はある。

 逆に有利過ぎる事が問題だ。

 無限回復に任せて消耗戦を挑むことになれば、いつかは静夜に天秤が傾く。しかしそうなると、秦飼は追い詰められると逃げてしまうという話だ。おそらく静夜では止めようもなく逃走を許してしまうだろう。


 逃がすくらいなら……切り札を切るか。 

 

 あまり気が進まないが、この殺人鬼を逃さない手段なら持っているのだ。

 しかし静夜の持つ切り札とは、言ってしまえば非常に暴力的で精神的に危険なものである。


 ――喩えるならば敵と自分が一緒に拷問部屋に入り、同じ拷問を同じだけ受け続け、生き残った方だけが部屋から出られるような。説明するならそのような手段を静夜は有している。

 静夜は死なない上に発狂もしないのだから、上記の勝負なら基本的には静夜が生き残る。


 ただし、発狂しないとは発狂できないという事でもある。特別ではない静夜は痛みには慣れられないし、憂鬱な気分にはなるし、死なない自分に心が折れる事だってある。

 繰り返せば嫌にもなる。それこそ、自分の体を狙っている異世界の転移者達にこの身を譲って楽になりたいとすら、思う瞬間は訪れるかもしれない。


 その境遇から解放される手段があると知るからこそなおさらだ。

 実行は簡単だ。この体中についている多くのアクセサリーをすべて捨て去れば、おそらく数日の間に静夜の新しい人生は始まるだろう。


 とはいえだ。

 それでも覚悟だけはキマっている自覚がある。


 覚悟を決めれば少しは戦えると経験で学んでしまっている。自負がある。今だって折れた刃を腹に刺してまで呼び出して、手に食い込ませて刃を握ろうと思っている。これだって覚悟がいるが、今まで使い続けたのだ。これの延長線上に、静夜の切り札は存在した。


「……この泥棒のハバも良くないな。良くない」


 とどめを刺しに来い。切り札を切らなくともよいならそれに越したことはない。射程距離からの不意打ちは、実力差を覆す事がある。静夜がつらい思いをしなくても良いチャンスである。が、しかし静夜の願いはしかし叶わない。

 飛びのくようにして後退した秦飼は、小部屋の外へ。


 ――しまった。


 欲をかきすぎて殺気とやらを気取られたのだ。舌打ちをした静夜は腹から折れた刃をずるりと引き抜き、弾ける様に飛んで追いすがる。


 せめてこの場で深手を負わせたい。

 狙う静夜だが刃は届かない。


 静夜の動きを予測していたのか、秦飼の反応速度は尋常じゃなく早い。とびかかる静夜にぴったりと合わせ、反撃を繰り出してくる。逆にこれに対応できない静夜は後頭部のくぼみ目掛けて果物ナイフを叩きつけられてしまった。


「――……」


 一瞬途切れる思考と視界。しかし問題はない。

 そして折れた刃は静夜の意識がない時こそ自由自在だ。強敵を相手にするならば、静夜が意識的に暴れるよりもよほど健闘する事だろう。


 本当に一瞬の混濁の後、意識が戻った時にも状況変化に理解は追いつく。


 後頭部の、盆の窪と呼ばれる部分に突き立てられたペティナイフはすでに抜き捨てられて、左手の折れた刃は秦飼の体を、かすかにだが逆袈裟懸けに切り裂いていた。

 出血は目視出来ないが、秦飼の顔は驚愕にゆがんでいた。


 ここは畳みかけようと距離を詰めるが、これは鋭い前蹴りに迎撃される。ごぐじゃっと、骨の折れる音と湿った音が混じり、静夜の体はくの字に折れる。

 やはり、静夜の意思が介入すると精彩を欠くのか、即座に対応されてしまう。

 それでも跪く寸前、静夜は踏みとどまる。この動きに相手の気配は瞬間戸惑う。

 たかが打撲によるダメージで静夜を止められる訳がないだけの話だが。


 骨を折り、おそらく内蔵にまで傷をつけた凶悪な前蹴りを放ったその足の裾をつかみ、左手は渾身の力で乱暴に刃をたたきつけた。その手応えはまるでなく自分はいったい何に刃を突き立てたのかと思ってしまう。

 

「……本当にハバのようだ。なぜ死なない? モンスターめ。モンスターめ。ハバよりも忌々しいモンスターめ」


 慄く秦飼だが、静夜の反撃に痛みを感じた様子はない。おそらく静夜が攻撃してきた事にではなく、死なない事に驚いているのだ。

 では静夜の攻撃は全く効果がなかったのかといえば、その通り。刃は秦飼の足にダメージを与えていない。それどころか、触れもしていないのだ。

 振り下ろしたと思った拳は、刃ごと足と服をすり抜け空を切っていた。ダメージがないや、攻撃が皮膚に届かないとは想定していたが、幻のように触れられないのは想定外だった。

 右手も秦飼の服をつかんでいた筈なのに今はむなしく握りしめられているだけ。

 バランスを崩して、結局静夜はひざまずいているだけになった。

 

「死なない怪物を相手にしていられない。していられない」

  

 視線を向ければ秦飼は変わらず立っている。静夜に注目して――はもういない。その目線は、その傾聴は、静夜と別行動をとっていた、彼女の気配に向けられている。

 秦飼は、もう逃げる気なのだろう。静夜が想定した通りのタイムリミットの予兆である。

 

「……憶えたぞ。憶えたぞ。お前も、メスの泥棒も、臭いも、音も、憶えたぞ。全部だ。全部だ」


 そう言うと、じゅぐじゅぐ。と、秦飼の体が唐突に水になったかのように、ゆがみ始める。それは、存在が揺れているかのような、薄まって溶けていくかのような現象だった。

 当然静夜には理屈が解らないその現象。ただ、それが逃げるための準備だという事は解かった。静夜の折れた刃では攻撃が通じないが、ハジメからは逃げたい判断する程度には、おそらく弱点がある能力。

 深い考察はできていないが、相手が逃げるというのなら、さらに苛烈に追撃をするべきだと刃が訴えかけ、静夜が認めて動く。


 心臓を狙った一突きが、背中から壁に沈んでいく秦飼の体に突き刺さるのだが手ごたえはモルタルのそれである。 

 顔まで沈むのに数秒にも満たない間。しかしひどくゆっくりと秦飼の目と静夜の視線はぶつかり合う。

 あの言葉は、このまま逃げる事が出来るし、その上で静夜達とはもう二度と会う事はないだろうという捨て台詞だった。


 そして、そこまで捨て台詞を言ったというのに、肝心の、秦飼の成果である子供達への言及がない。意図したものでもそうでない物でも、おそらく意味はあり、読み取れるものはどうであってもろくでもない。

 脳裏によぎるのは静夜達の目の届かなくなったところで殺される子供達の姿。この場で静夜達からかすめ取るのか、それとも保護された先で子供たちを再回収するのか。いや、どちらも出来るというのが正解だろう。

 

 ならばこのまま逃げられたら取り返しがつかない事になるのは明白。

 これだけは確定で、そうと確信する静夜の事を理解したような秦飼と睨み合う。

 攻撃が届かない静夜に対して、秦飼は勝ち誇った、ほの暗い笑みを浮かべていた。



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