未来シコウのチートデータガール 40
目をかけている異世界少女がバイトをしたいと言ってきたのが少し前の事。何でも、お金の重さを理解したからこそ自分で稼ぎたいとかなんとか。
そんな事は考えるなよと言いつつも、静夜はこっそり感心した。
そうして彼女はナナホシ総合人財派遣の求人誌を持ってきた。これには何かの大きな力の介在を疑いたくなるという物であり、なおかつ知り合いの仕事がこの求人誌に乗っているものだからもうてぇへんだ! ってな気分だった。
こっそりごまかそうと思ったがハジメは興味津々。なんで裏バイトの中から面白そうなもん見つけるかなぁ……。
とはいえ、どうやらうまく仕事をしているらしい。ようやく引っ越しの荷物を運びきって、荷解きをするかどうか、面倒くさいなと思っている所でハジメから相談の電話がかかってきた。仕事で悩んで解決を相談してきたのだ。それが逆にまともに仕事をしている証左だと思った静夜はなんだか安心してしまったのだった。
その日の夕方に古御堂からも連絡があり、聞いたところによれば午後にずっとシキと遊んでくれていたとか。そんな報告俺にしてどうするんだいとは思いつつ、同時に何となく理解した。昼間のあの電話は、どうやら古御堂とシキの絆となっている呪いの指輪の件についてだったのだろう。ちょっと話を聞くだけでそうと解る状況である。
三人ともが知り合いなのだから当たり前だろう。などと頭がおめでたい事を言うつもりもなく、そういう天秤をきちんと考えてくれた事を嬉しく思う事は確かだった。
そうと考えればハジメを信用してもいいと思う思考は自然と湧いてくる。
やはり今度、シキが言っていた不幸の量産についてハジメの協力を仰ぐのも視野に入れるべきだろう。人殺しが関わる話なので静夜だけで何とかしたいという思いもあるが、ハジメ自身が積極的に関わろうとしている節があるのだから、いっそ巻き込んで静夜の目が届く範囲で関わらせるのも一つといえる。罪科を負う事に敏面もあるが、彼女ならこの世界の気持ち悪い物を見てもきっと大丈夫だと、そう思うだけの凛々しさが彼女にはあった。
そんな事を思いつつ、静夜は電子レンジでコンビニ弁当を温める。漬物まで温まるのだけは許せなくて、温め前に取り分けておいていた。
新しく買い替えた机の上に弁当を置いたところで、取り分けた漬物の皿がそう言えばレンジの棚の隣だったと、引いた椅子をそのままに、長細い二階の端から端へ。部屋のレイアウトをもっと真剣に考えなければなどと考えつつ、小皿を手に取り振り返り、静夜は思わず動きを止めた。
びくり。として。
黒猫が静夜を待ち構える様にフローリングの上にお座りしていた。
白猫が引かれた椅子の上で丸くなり、つんと澄ましていた。
太っちょ猫が机の上で 弁当の鮭を一心不乱に食べていた。
ハジメの生意気そうなペット三匹がそろい踏みである。
「おいデブ猫そりゃ俺の飯だぞ」
別に不快じゃない溜息を見せて三匹に声をかけると、椅子の上で丸まっていた白猫モドキがつぃっと貌を上げた。
「それとお前らのご主人様ァ何処だい? 一緒に来たんなら――いや、この時間に来たりやしねぇか?」
時刻は深夜二時半。こまごまとした荷物整理をしていたらこんな時間である。よしんばこの時間にハジメが起きていたとしても、訪ねてやってくるシーンは想像できない。言いながらこの結論に達して一人納得してしまった。
つまり、この猫モドキどもはハジメ抜きでここにやってきたわけだ。何か、きっと目的があるのだろうと思うのは、この猫たちを買い被っているのだろうか。
白猫と目が合う。その瞳孔は大きく開かれていて、底のない穴の様で、深く透明な水のような、引き寄せられそうな雰囲気をたたえていた。
見惚れた結果、思わず声を詰まらせて言葉をつづけられなかったが、釘付けになった目とは別に耳は自由だ。すなわち机の上で今なお鮭をもしゃもちゃしている音が気を散らす。
視線は美味しそうに食べている太っちょ猫に移る。丁度食べ終わったようで、弁当のトレイを前足でカタンと揺らしてみせた。どうやらお代わりを所望らしい。太々しい事この上ない。
今度は不満を露に露骨な嘆息をついてみせる。
静夜が言った言葉が理解出来ない様な魔法生物ではないだろう。
静夜にしてみれば猫に食事を台無しにされるのは、別に目くじらを立てて怒る程の事ではないのだが、この三匹の行動を見るに人の食事を横取りするのは罪深い事を理解してるのは間違いない。解っていて欲望のままに机を散らかしているのだ。いっそのこと嫌がらせもありうる。
となれば話は別なのだ。
「お前ら後で甘咲にチクってやるからな……」
皿の上の漬物を摘まみ口の中にいれる。忌々しく噛みしめた塩の味に、一瞬意識が逸れた。
瞬間、白い猫モドキのヘルの目が鈍く光る。静夜の視線は考えなしにその光を見る。太っちょ猫は太々しい顔で静夜を見ている。なら、黒い猫は――?
意識の外に行ってしまった黒猫の存在に気が付いたその瞬間。
静夜はガクンゴキンと首を引っ張られる。正確には襟首を凄まじい力で引っ張られたのである。びりっと少し襟首が破け、次の瞬間には静夜の体は窓の外。
入れ替えたばかりのガラス窓が! 心で叫ぶ。
このケダモノども、静夜が死なないのを良い事に何をしてもいいと思っているんじゃないだろうな!?
キラキラ煌めくガラス片。窓から伸びる光の筋が宙に浮く静夜を影絵のように照らす。
びっくりするやら、高くて怖いやら。
落下するなら覚悟を決めてからにさせてくれ!
全部合わせて絶句するしかない。
猫モドキどもは周囲のビルの縁や街路樹、信号に標識、次から次へと飛び跳ねる。
静夜を咥えて飛び跳ねる。
静夜の隣を白いのと太いブチが跳んでいるので、静夜を咥えているのは黒猫で確定だ。この三匹、とにかく学校帰りの子供のごとく、地面に降りない。きっとマイルールは地面に降りたら静夜は死ぬ。とかなんだろう。だとしたら今この状態でかなりグロッキーなので考え直してもらいたい所である。目的地に辿り着く頃、静夜は死ぬ。
首が折れても構わない、窒息なんて上等、むしろデフォルトで必須条件だ。そんな強い意志を感じる移動はおよそ十分に及ぶ。この十分、直線であるし、かなりの高速である。少なくとも九龍城敷地内ではなく、他の区画まで行くだけの移動はした筈である。常に酸欠気味のクワンとした視界には九龍城付近では見かけない目にも厳しい電飾がギラギラ映る。派手な芸能人達の広告塔が入れ代わり立ち代わりに流れていく。歌うアンドロイドが路上でギターを抱えているのがちらりと見えた。宅配ドローンが縦横無尽に飛び交い、たまにそれを足場にしてさらに加速。。瞬く間に移動し続け、ついにエリアが変わったのだ。八龍建設が理想とする集合ビルのダンジョンから、東京全体の平均である電脳都市に入った。
呼吸困難でなければスモッグと魔力の混じった独特な臭いも嗅げたのだろう。
ビルに蔓延る鉄パイプが鈍色のムカデに見え始めた頃、ようやく猫モドキどもの上下左右の運動が終わりを迎える。
乱暴だが大怪我にならない勢いで、静夜はざらつくコンクリートに打ち捨てられる。
「いってぇ……」
苦痛をぼやき、擦りむいた腕を撫でて静夜は立ち上がる。
そうだろうとは思ったが、見渡してみればスモッグにけぶる大都会。静夜が連れてこられたのは温い風が吹く屋上だった。立ち上がり、長い脚にもついた埃を払う。
「お前らなぁ、俺をこんな所に拉致って何だってんだい?」
立ち上がるのを待っていた三匹に声をかける。返事をする訳ないと思ってはいるのだが、このケダモノどもは人語を解している節がある。何らかの反応を期待しての事だ。
とくに、この三匹が雁首揃えて静夜を連れきて、まさかハジメに関わらない事な訳がないとも思っていた。
なー。にゃー。なぁーお。
事実三匹は静夜の文句を聞き流しつつ、誘うように静夜を待つ。
一歩踏み出せば、その歩幅分だけ先に進む。その動きは間違いなく静夜を誘導していた。少し気になり立ち止まり、踵を返そうとすると、いつの間にか回り込まれていて太っちょぶち猫に睨みを利かされる。やはり、ここから戻る事は許されないらしい。
「――ったく、人の飯食ったくせに、っと図太てぇったらねぇな……」
とはいってもあまり腹を立てる気も起きない。猫相手に本気で怒っているというのは絵面の悪さがあまりにもひどい。知能が人間並みに在ろうとも、静夜は猫と人間を区別している訳で。
それに、この三匹が揃って静夜を誘導するからには何かるに決まっているのだ。
少し伸びた襟首を――驚くべき事にあれだけ引っ張って少しだけだ――人差し指で整えつつ、望まれているだろう方向に向かう。
ただ、ぶつぶつと愚痴の様なものを呟いてはいるのだが。
「ここ何処だよ? あーあ、腹減ったなぁ。えっ? 俺猫に脅されて歩いてんのかよ。ままならねぇなぁ」
静夜がここまで独り言を長く言うのは珍しい。本人は猫に話しかけているつもり半分なので、厳密には独り言ではないのかもしれないが。
「しかも裸足だぞ。お前らと違ってこちとら人間様だぞ。靴履かずに出たりしねぇんだよ……」
帰ったらまずは足を洗おうと決意しつつ、塔屋を回り込んで、その裏手に向う。
その間もぶつぶつ言い続けていたのだが、三匹はそれを咎める様子もない。
しかし角を曲がった所でぼやきは止まる。ジリッと細かで少し痛い砂ぼこりを踏みしめ立ち止まる。
温さと冷たさが綯交ぜになる風と、世界中の喧騒がぼんやり全て溶け込んだ様な街鳴りを浴びて、手摺りに両腕を乗せて凭れ掛かり街を見下ろすハジメがいた。
「……」
さて、近寄るべきか、声をかけるべきか。……いや待て。こんなどう考えても独りになりたくて、誰にも見られたくなくて、黄昏れたい状態な少女を見つけ出して近寄るとか正気か?
この考えはどうやら受け入れられたようで、静夜の後ろに控え、脅すマフィアよろしく睨みを聞かせる猫モドキ共も何もしてこない。
それにしても、静夜からもハジメの表情がはっきり見える距離である。彼女がこちらに気が付かないなんてことがあるのだろうか。
そんな事を思って再度三匹に目を向ける。三匹はあまり変化を見せていないが、白い猫、ヘルの瞳孔が妙に強く開いているように見えた。これに意味があるのかはわからないが、きっとハジメが静夜に気付く様子を見せないのはこれの所為だと思っておく事にする。
「……ふぅ」
ハジメが溜息をついた。
何やら疲れている様子である。
たぶん連続出勤だろう。彼女の世界は連続出勤が当たり前かもしれないが、ハジメが始めたアルバイトは本来過酷だ。命にはかかわらない事が殆どだし、時給が発生して失敗も許される。裏を返せば失敗が前提で、成功が困難で、成功報酬では誰もやりたがらない仕事なのだ。鼻歌交じりに一日一つ以上の仕事を成功させるハジメが特異なだけである。
あの所長の事だから、ハジメの仕事の成功率に目をつけて次から次へと仕事を入れているのは想像に難くない。
「異世界かぁ……」
呟きの流れからして、仕事で何かを見て、思う所があったのだろう。ハジメは、たぶんじっとしてられなくて夜の街――の屋上巡りでしていたといった所か。だとしたら仕事帰りのちょっとした寄り道だろう。猫モドキ共が静夜を拉致するくらいには長くそこにいるのだから、随分長めの寄り道となる。
ノスタルジックな心境に陥って、センチメンタルに夜景を眺めていたのだろうか。
「会いたいな……」
思い悩むようなとても大きい独り言。
「今すぐは無理……だろうね」
そして彼女は強く、重たい溜息を洩らした。
猫モドキ共に無理矢理連れてこられたのだから、もしかしたらハジメが呼んだのかとも思ったが、この独り言の様子からするとやはり三匹の独断のようだ。
三匹としては声をかけて欲しいのかと視線を落とせば、そんな様子はちっとも見せていない。静夜の存在を彼女に気付かせないようにしているのだから、逆に声をかけても無駄まであるかもしれない。
いや、だったらここに連れてきたりしないのだろうか。
あまりにも意味のない逡巡をしている内に、ハジメが空を見え気てふぅっと呼吸をした。
溜息というより、深呼吸の、落ち着いた吐息。
「でも――」
さらに一呼吸。
「――帰ったら……今度はちゃんと……言えるかな?」
そう言ったのが聞こえた。人差し指の腹で目元を擦ったようにも。
その様子を見て、静夜は無言で踵を返す。
静夜をここに連れてきた三匹も今度は道に立ちはだからない、威嚇もしない。この猫達が見せたかったものは見せられたという事だろう。見せたいものは、果たしてハジメの見られたいものだったのか?
……そんな事はないだろう。
このケダモノ三匹は、果たしてハジメの横顔を見た静夜に何を期待したのか。例えば近寄った所で駆ける言葉はないし、ただとなりにいてやるのも気持ちが悪い。それにこの三匹はきっと彼女に声を掛けようとしたら妨害した事だろう。静夜がその立場でも妨害する。独りで泣きたい女に声をかけるのはよほどの考えなしか、ただのスケベだ。
立ち去る事は間違いない。ただ、見てしまったからには、と考えてしまう。
気丈な彼女が笑顔で帰れるように願ってやりたいと。
そう思わせる事が目的だったら猫達の行動は大成功だ。
「ったく、裸足で帰るにゃもう少しテンション高めにしたかったぜ……」
ぼやいて塔屋を回り込み、扉のドアノブを掴んだ瞬間――静夜の手は空を切った。階段があると信じた最後のマイナス一段の様に、体と意識の齟齬に吃驚してしまうのだが、静夜の驚きには更に先があった。
すかした手とドアノブを見比べた時、静夜が見ていた世界がぐにゃりと歪み、様相を変えた。目を瞬かせる度にフィルムを切り替える様に光景は変わっていく。目の前のドアも取り付けてある塔屋も薄れていき、踏んでいた雨曝しのコンクリートタイルの感触も、砂埃の感触も薄れていった。混乱して何が起きているかも察する間もなく、ただ目を瞬かせ続ける静夜の眼前で、その事象はすべて進み終わっていくった。
数度の瞬きの後に静夜が立っていたのは、冷えた弁当トレイの前、引っ越したばかりの部屋だった。
「……さっきのァ幻だったって事かい?」
割れていない窓ガラス。鮭の消えた鮭弁当。
黒猫モドキと太っちょブチ猫モドキ。白い毛並みの猫モドキだけはいなかった。そこにいないという事はハジメの近くにでもいるのだろう。
「いや、違うな……どっかのライブ映像か何かか……」
ならば逆説的にあの光景を見せたのは白いアイツがやった事なのではないだろうか。まぁこの三匹に関して、どれがやったかなどどうでも良くて、三匹の全体が今のハジメの姿を見せたかったという事なのだろう。
「別に特に何かしてやらねぇぞ?」
鼻から息を吐いて、二匹に言って聞かせる。
二匹は静夜の内心を見透かしたように、行儀よくお座りしつつ、小首を傾げる。尻尾だけが雄弁に優しくぱたんと揺れた。きっとここにはいない最後の一匹も同じようにしているだろう。
だから、彼女に力を貸すにしても、それはやり過ぎないように、少しだけにしたかった。




