未来シコウのチートデータガール 39
あれはまだ入学してから一ヶ月。五月の連休よりも少し前。
それはハジメがまだ魔法をファンタジーと信じていた頃。学校に行くよりも、新作ゲームの有用武器生成に心血を注ぎたかった頃の話。
新しい友達もできたし、いろんな部活を見て回り、勧誘だって沢山受けた。助っ人なら構わないとバスケットボール部とバレーボール部に演劇部を掛け持って、普段は気楽に遊んでる。友達と手頃なショッピングもするし、好きな歌手の話題も楽しんでいた。けれど、例えば空を見るのが好きだとか、家に帰ったら大半をゲームに費やしているとか、そういう事はあまり他人と共有しない事だった。
晴れ渡って風も穏やかで、空気も気持ちがいい日の事。
まさに五月晴れという空が見たくなって、立入禁止の屋上まで歩いて行った。
高校生が罹る特別な自分を求めてしまう心の動きの様なもの。
例えば登り切った屋上の扉の向こうで自分の想像もしないような格好いい男の子と出会ったり、もっとももっと気の合う女友達の存在に気付いたり。そんな期待と、ただ高い所で空を見たいという欲求をぐるぐるかき混ぜて、ドアノブをひねる。
『うーん……ロケット雲にうってつけの空だなぁ……』
『……うってつけってなんだい?』
『えっ? うわっ!』
屋上にいたのは特別に格好いいと言う訳ではない、でもどうやら趣味があう、少しふんわりしたただの普通の男の子だった。甘咲ハジメと宮寺律の出会いは風変わりであり、少し特別だった。
そうして隣のクラスの彼と、たまに話して、たまに目で追い。夏休み前には二人が同じゲームをプレイしている事を知る。
でもまだ、恋じゃなかった。
きっかけは多分三学期。学校でたまに話して、ゲーム内で沢山話して。
『その曲芸撃ち、やめるか極めるかどっちかにして? 流れ弾掠ったよ』
『じゃ極めるよ』
『いいね。嫌いじゃない』
負けん気が強いと知り、そしてゲームの才能も中々あると知り、ちょっとエッチな格好の女の子が好きだと知った。友人の新たな一面は嫌いじゃなかった。
そんな日々の春休み前。学年が変わる節目、上級生達が卒業式するその日。
『ごめん。私は君の事を知らないよ。いきなり言われても困ってしまうな』
『じゃ、お互いの事を知ろうぜ。とりあえず今度の休み空いてる? 友達からでいいからさ』
『先輩。友達は間に合っているんだ』
折角桜吹雪が綺麗な三月なのに、ちょっと水を差されて不満だった。だから、いつもよりヘイト管理が雑だったことは否めない。
結構顔の整った先輩は、まさか断られなんて思ってもみなかったかのようだった。今まで、ハジメが他校の生徒も含めて十人以上を袖にしてきたのは知っているだろうに。それでも自分が断られるなんて……とそんな様子。断られても明日から学校に来なくていいなんていう状況を選んだくせに。
『いいだろ? ならアドレス交換だけでもさ』
『いや、ちょっと……』
強引に近寄ってくる先輩に、ハジメは一歩引く。ここは人通りが少ない校舎の死角。もしも強引に迫られたらと思うと少し恐ろしい。今までと違うのは、周囲に人目がない事だ。なんだかんだ、校門前や教室の廊下前だったりと、安全マージンをしっかりとってきたつもりだった。だけど、今回は唐突に呼び止められた事、下級生からは顔がいいと人気がある先輩で、同級生たちが先輩に対して協力的だったことが、ちょっとハジメに不利な状況を作っていた。
――男の人は股間を蹴られたら痛いっていうし、試してみようか。
考えが過り、いざとなったらとは思うのだけど。
暴力を振るわなければいけないかもしれないと思い、うまく行くものだろうかと思い、そもそも果たして行動できるかと焦りと緊張と恐怖が混じり合って手足は震えた。
そんなところに――。
『おっサキ。そんな所でなにやってんの? 皆が探しているよ――って、あ、ごめん!』
大袈裟な演技と解る、大根役者が声を張り上げやってきた。
『なんだよテメェ?』
『取り込み中だったみたいじゃん。なに、告白? 先輩、サキに告白なんて勇気あるね! 絶対振られるのにさ!』
その顔は酷く悪い物だった。普段は絶対見せないその悪い顔。その雰囲気は以前一度だけ、ゲームの中で感じた物に似ていて、だから何かを企んでいるとはすぐ解かった。
『ちなみに僕ならこっぴどく振られるに掛けるぜ? さっき話してたよね。なんだっけ、無理矢理でもキス出来たら先輩の勝ちだっけ? あーあ、先輩のお友達、皆振られるのに掛けているよ。サキは誰にもなびかないだろってね。でも払いたくないよね! 全員に一万円なんてさ』
『テメッ!』
『ガッコの先生もたまには役立つんだよ――ねっ?』
そうと言った直後、律は殴られた。気が付いた時には手は止まらない。大声で呼びかけ先輩の注意をひき、煽って、そして周囲の注目を集める。律が見上げた先は二階、そこで怖い顔の学年主任の先生が、この様子を見下ろしていた。
そうして先輩は卒業式の日だと言うのに先生にこっぴどく怒られて、律は相手に貸しだと言って殴られた事を不問にした。その是非の判断は解らないけれど、ふんわりした印象の男の子が案外したたかで、そして自分の為に殴られる覚悟までして助けてくれたなんてと思うと、不覚にもちょっとときめいてしまったのだった。
そうして季節は巡り、高校生活二度目の夏。甘咲ハジメは狸寝入りの様に育てた恋心を告げないままに、この世界で目を覚ました。
目が覚める瞬間から、これはああ夢だったとわかる。そんな目覚めを自覚しながら、ハジメの目は開かれる。
「にゃあぉ」
目を覚ましたと思ったら、目の前には片目宝石の太っちょ猫が覗き込んでいた。
目覚まし時計のベルにするように手を伸ばし、その首根っこの柔らかな部分を摘まむ。
ぷらん。
こんな風にぶら下げてもホプレスだから大丈夫。本物の猫なら太り過ぎで痛くて暴れてしまうだろう。
「ふふっ。そんなに悪い夢じゃなかった筈だけどな。心配したのかい?」
一つしかない金色の瞳がぱちくりと。
解かっているのか解っていないのか。ふと気づけばベッドの足元にはメアとヘルもお行儀よく座って見上げている。ハジメを見上げている。
こうも心配そうにされるともしかしたら、魘されていたのだろうかと不安になる。
二匹からぶら下げた一匹へ視線を戻し、ハジメは首を傾げる。ホプレスの鼻先に人差し指をツンツンと当てて、ざらっとした感触を楽しみつつ、この三匹が不安になるほどの悪夢ではなかった筈だと記憶と辿る。目覚めたばかりの夢は水に溶ける様にどんどん透明になっていき、あれこれ思い出すと記憶なのか夢なのか。解らなくなってしまうのだった。
そんな夢のあるあるを想っていると、ホプレスはどうやってかハジメの指をすり抜けて、ぽとんとブランケットの上に降りた。猫らしく、主人と戯れるのに飽きたのかぽてぽてと歩き、二匹を引き連れ部屋から出て行ってしまった。
追うには寝起きの体は気怠くて、別に構ってほしそうでもなかったまぁいっかと思うことにする。
それにしたって寝た気がしない。今はいったい何時だろう?
時計を見ると針は二時。随分眠ってしまったなと思ったが、そうじゃないと気が付くのは早かった。
夜中だ。いつの間にか電気がつけられているので戸惑うが、外の色は夜だ。けばけばしいまでの青と緑と赤ピンク。ネオンが生えるキャンバスは黒。
「……あの子達、私起こすために電気点けたな」
もうっ。と嘆息一つ。
つまり興味がなくなってどこかに行ったのではない。夢を見ていたハジメを邪魔するために無理矢理起こしたものだから逃げたのだ。
もしやあの三匹はハジメの夢の内容まで知る事が出来るのだろうか。そして何かが気に入らないから起こしたとか……。嫉妬かな?
なんて微笑ましく思って許しはしたが、中途半端な時間に起きてしまったのに眼が冴えてしまった。もう一度眠るのは少し難しそうだ。もとより一度起きてしまうと寝つきの悪いハジメは、早々に眠るのを諦めて、高い階層にも拘らずフルオープンに出来てしまう窓を開け放って窓辺のパーソナルチェアに座った。
もわっと、少し暑い。
換気の為に窓を開けると、夜の独特の静けさをかき混ぜるような街の鳴り声が聞こえてくる。
窓の外は夜の街。それを眺めて夜の空気の匂いを嗅ぐ。
夏の熱のピークが去り、空気が変わりつつあるのを感じる風。それでも両隣の部屋の室外機の音。
まっすぐな道の両脇が、クリスマスでもないのに光り輝いていて、雲ってもないのにスモッグがかっている。 これが噂に聞いた眠らない街という事なのだろうか。謎の配管が血管の様で、ならばたまに漏れ出る魔力を含んだ水蒸気は出血なのだろうか。そうなると……このギラギラ輝く街全体が生物のような……。
サイレンは夜中の方が際立って、そして夜中の不安を煽られる。
少しだけぬるい温度。
窓を開けていれば心地よく、窓を閉めればわずかに蒸す。絶妙な塩梅の気温である。
『東京では四十度を超える酷暑日が七日連続を記録した』そんなニュースをかつての世界では聞いていた。それに比べればこちらの気温は常識の範囲内だ。色々と非常識な世界だとは思っているのだが、気温だけはずいぶんおとなしい。エアコンを使用せずに眠っても苦ではない程度には、夜は快適である。
八月は後半。残暑が厳しい日々だというのに、この東京の夜は秋の気配をすぐそこに感じて、風は穏やかに涼しい。
こんなに心地の良い涼しさを感じられるならば、今日はこのまま開けっ放しにしてしまおうか。
この高さなら滅多に羽虫も入ってこないだろうし、変質者はよじ登って来たら返り討ちだ。つまり、窓を開け放っていたところで心地よさしかない。開け得だと言って過言ではないのはないだろうか。
律や、静夜が見たらきっと口酸っぱく説教されてしまいそうだが、自分が暴力という面では最強である自覚があるのだから、これを不用心だとか危機感の欠如などと思ったりはしないのであった。
「そもそも窓を開けられる仕様が悪いのさ」
必要のない後ろめたさを、適当な嘯きで誤魔化す。夜は長い。眠れなくなった夜に、ハジメは何をしようかと窓の外を眺める。
「……帰ったら、きっともう開けっ放しになんてできないしね」
夜景はなんだか、孤独感を強めるような低音の唸りをあげていて。
ハジメはその時初めて、帰れなかったらどうしようなんて、怯えるような気持ちを強く意識したのだった。




