未来シコウのチートデータガール 12
メールを読んだのは昨夜の就寝前。そこまでの記憶は確かにあった。
そして報酬と言う名の添付ファイルを開いたところまでは覚えている。開いて、何も変化がなくて、せっかく報酬が届いた筈なのに、もしやバグか運営のミスかと思ったのも、やはり覚えている。問い合わせのメール内容は半ば寝ぼけて送ったので少し曖昧だが、ふて寝した事も覚えている。
そして夢か翌朝か、ログインしてみたら運営からの返信が来ていて……。
記憶は少し曖昧だが、気が付けば広大な部屋に独りきり。
ログアウト出来ないという状況に巻き込まれていた。
冷静に考えれば、報酬のURLを踏んだ事が今このログアウト出来ないと言うバグの原因なのではないだろうかと行きつく。
だとしたらあまりといえばあまりな状況である。
だがしかし、ハジメは現状を楽しむと決めていた。
もっとも、体感では一昼夜は歩いたのだから、そろそろ飽き始めてはいた。
ゲームの世界の距離感と歩行速度をリアルティのあるスケールに修正するとこうも時間が掛かるのかと、ハジメは妙な感心をして、そして辟易とする。
ハジメの本当の身体はおそらくまだゲーム世界にダイブしてから一時間しか経っていない事だろう。脳に微弱な電流を流す事により体感時間を二十四倍にまで引き延ばすとかなんとか、聞きかじった知識ではそうだった筈だ。そうする事によって体がゲーム世界に入り浸る時間を短くし、半覚醒状態による疲労の蓄積を減らす事が出来るとの事らしい。
ハジメ達ゲーマーは一時間が二十四時間になったのなら、体感二十四時間で満足するのではなく体感二百四十時間を遊び倒すのであまり意味がないのだが。
話が逸れたが、つまり、ハジメの本来の体は一時間しか時間の経過を体験していない。当然、肉体は疲れていない。なので、肉体的な疲労が訪れるのはずっと先の話になるだろう。シンプルに考えて一日遊ぶ体力があるならば、この場ではその二十四倍遊ぶ事が出来る訳だ。殆ど無尽蔵の体力であると言えるだろう。
そんな無尽蔵の体力が想定されたとしても、精神的なストレスはなかなかに馬鹿にならなかった。
疲弊の理由はいくつかある。
まず、空腹を感じる。その空腹は本来ならまだ感じる筈がない物だ。まだその空腹は深刻なものではないが、それは明確な違和感である。
ゲーム内で脳が空腹を感じてしまうと、実生活に深刻な影響が起きる。そのため、ゲームプレイヤーの実体が栄養、カロリーが不足し、生理的に摂取を求めない限りはプレイヤーは空腹を感じない筈なのだ。
だったらこれは現実なのか?
それは……違う筈だ。二十四時間を飲まず食わず? ありえない。食べないはまだいい。飲まないのは不可能だ。苦しむ筈だ。こんな小規模の、浅い乾きと飢餓感で収まるものではない。それが結論だ。
次に全ての生物に起こる生理現象。本来はゲーム内で排泄行為をしたくなる事はない。正確に言うと、それら生理現象を肉体が認識したら強制的にログアウトになる。ゲーム内でそれら行為をしてしまって、現実に影響が起きたら目も当てられないからだ。それが今回は……。
他にもまだあるが、他に大きくハジメの心を蝕むのは眠気である。ゲームの世界では――語るまでもない。ともかく、眠気すら感じるのはやはり異常なのだ。例え、それが浅い眠気だとしても、感じているからには異常である。
半覚醒状態で眠る? それが及ぼすメンタル及び身体への影響はどうなる? そうならないように作られているからこそフルダイブ式ゲームは世間に浸透したのだ。
それらの思考は、考えない様にしているのにハジメの思考を占めていく。
万が一、ログアウトできないままに気絶したり死んだりしたらどうなるのだろう。ゲーム内で死ぬと脳波に異常が発生するから危険。という都市伝説が思い出される。今まで何度となく脳波に異常をきたしてきたことになるが、今回は事情が事情なので不安がよぎってしまった。
となれば、意識の持ち方は決まる。死ぬ訳にはいかない行動をするべきだという結論だ。どんな行動もあまり無責任に行うな。これがゲームで安全だったとしても、大真面目に行動して悪い事は何もない。ゲームだからこそ、気持ちのいい行動をとりたいのだ。
指針が決まる。歩き疲れて魯鈍に成りつつある思考に活を入れて、大きく一呼吸。
「疲れた? 大丈夫かい?」
自分がストレスを感じているのだから、足元の可愛い三匹もきっと感じているだろうと思って訊いてしまう。
ハジメの足元を三匹の片目猫がしなやかについて歩く。緑青黄色に光る宝石のような偽の眼が三つとも、ハジメの顔を見上げて、ナーと鳴いた。
彼等はどうやら大丈夫そうである。
「もうすぐ着くよ」
十階分を一気に短縮できるショートカットを駆使する事十回目。辿り着くのは木の根が蔓延る少し狭い通路。あと少しでその終わりがやって来る筈だ。
やがて木の根のエリアを超えて、石の床が見え始め、さらに歩けば風を感じ、薄明かりが見え始めた。軽やかに歩くハジメの足音は、漸く辿り着く折り返し地点に喜んでいる。
足元がどういう訳か湿っていて、片目猫が少しびっくりしているが、ハジメはそれほど気にしていなかった。
靴にしみ込むような濡れ方ではなく、たまに水溜りがある程度。世界観の解像度を上げたここならばそう言う物であるのかもしれないと思ったからだ。
足の裏の、ぴちゃんという音にも音符が付きそうな足取りは、しかし石のアーチを潜った所でピタリと止まる。
「やっぱりこのダンジョン、少し違うかな……」
一気に上り切った百階層。ところどころ、おや? と思う所もあった。見た事のない薄墨の様な色のスライムがいたり、銀色の巨大な狐がいたり、レアとされるカラフルな毒ガエルの群れを見つけたり、妙にコケティッシュなアクラネを見かけたり。
そのどれもが妙に大人しい。
狐は腹を見せて撫でさせてくれるし、スライムに至ってはうっかり踏みつけてしまったのにふよふよ揺れるだけだった。
ただ、色に関していえば見かける事のないレア色というのはまぁいるだろうし、個体によってはテイムが出来るモンスターもいるので大人しいのもギリギリで納得していた。ケイオス・ウィッチを倒した事が関係しているのならば、その実績の恩恵かも知れない。
本来ならその恩恵はゲームを楽しむのには邪魔なので、システムウィンドウから恩恵を解除するのだが、既に二十四時間以上は歩いた感覚のある現状、無駄な戦いや迂回は避けたいハジメにとってはありがたい事だった。
そんな違和感のある道程であったが、今ここに至ってハジメはついに首を傾げる。
「違うよね?」
ちらりと足元を見る。
言葉を投げかけた先は隣にいた三匹の片目猫。その内一匹が翡翠色の眼を輝かせ、不思議そうな雰囲気を醸し出しつつ、ハジメの足に体を擦り付けた。
勝手にそれを返事と解釈して、目の前の光景は異常であると結論付ける。
ケイオス・ウィッチの隠し部屋があるダンジョンは、隠しダンジョンという分類になる。
百階層に及ぶ巨大な迷宮である九龍大迷宮を完全制覇し、隠された九つの鍵を入手して最下層で鍵を使用する。そうする事で隠しダンジョン、ケイオス・ウィッチの墳墓が解放される。つまり、ハジメの脱出ルートから見ると、ケイオス・ウィッチのダンジョンを抜け出したら、次に待つのは別のダンジョン、九龍大迷宮なのである。
ハジメの知る九龍大迷宮と、今辿り着いた出口の先の光景は、大きく乖離していた。
本来、九龍大迷宮の最下層は街並みの様な造りの筈だった。インターネットでも見る事が出来る東京や大阪、北海道の地下街のような、長い通路と左右を埋め尽くす大小ある部屋の数々。その何千とある部屋には様々なイベントが用意されていて、モンスターが無限に湧き出てプレイヤーを襲う物や、商人に扮したモンスターがいてプレイヤーの助けになる商店があったりした。まさに千差万別の部屋があったのだ。
つまり、ケイオス・ウィッチの墳墓から出た第一の光景が、広大な広場で、天井全てが巨大プラネタリウムの様相をなしているなんて事は、絶対になかった筈なのだ。
「んー、これはこれで趣があるかな?」
広大な広場だ。黒い石畳であり、その面積の八割以上は水没している。おそらく、天井や壁から染み出した水がぽたりぽたりと滴り、ここに溜まったという事だろう。
この時点で想定外という思考の枠を超えて、別物だと判断するに至る。
それでも、既知の風景との共通点をさがして目は動く。そして改めて思うのだ。
「綺麗……」
やはり高い天井に目が行く。青い輝きは砕いたサファイアをちりばめたようだ。いったい何が輝いているのか、それは解らないが大小様々な輝きは夜空がそこにあるかのようだった。ぽたりと頬に小さな水滴が垂れてくるまでの数分間、ハジメはそればかりを眺めてしまった。
頬を伝う水滴を人差し指で拭ってから、次に見たのは一キロ以上先にある様に見える壁際だ。
一見ただの壁に見えたが……目を凝らせば、壁には穴が多く空いている事が判る。そうと思えばそれがハジメの知っている九龍大迷宮の大小様々な部屋の入り口なのではないだろうかと連想するのは当然だった。
ふと右手側を見る。
緩やかなカーブを描く壁がずっと続いて、そこに角はない。このフロアが円筒状であると判ると同時、やはり等間隔に横穴があり、それらが部屋の入り口だと確信するのだった。
ここは知っている九龍大迷宮とは別物であるが、類似点はかなり多い。
ハジメの知るゲームのダンジョンであるならば、きっとその共通点はある筈だ。すなわち出口が存在し、どこかにショートカットが存在するという事である。
この横穴のどこかに上に通じる道がある筈であるし、おそらくショートカットもある筈だ。問題はほとんど初見の攻略となる訳で、ショートカットはフロアボスの所までたどり着かないと解放されない可能性が非常に高いという事だった。
ケイオス・ウィッチの隠し部屋から、九龍大迷宮にやってくるまでは知っている道であり、ショートカットも解放されていたし、モンスター達も邪魔してこなかった。それでも上ってくるのに丸一日かかった。
今度は知らない道で、きっとモンスター達も襲ってくる気がする。ショートカットなんてたぶん見つけられない。いったいここから出るのにどれほどの時間が掛かるのか。果たしてその行程に自分の体は耐えられるだろうか。それ以上に、心は耐えられるだろうか? そんな不安が色々とのしかかってくるのを自覚した。
墳墓と比べれば九龍大迷宮の危険度は本来低い。圧倒的にだ。
しかし今はそこが問題になっていた。
緊張感が途切れてしまったのか、ハジメは今、浅い疲労、浅い空腹、比較的強い眠気を感じていた。
緊張感がないのは、初見プレイにおいて致命的なミスにつながる場合がある。その事をハジメは危惧していた。
そうは思っても生理現象は止まらない。欠伸をかみ殺し、ハジメは水没していない外周を歩き出す。通り過ぎる部屋への穴を覗き込んでは中の様子を探っていく。
たまに水溜りを飛び越えたり、そう言えば水没した先はどうなっているのかと覗き込んだりする。
どうやらこの広場、段々になっていて中央に向かうにつれて深さを増すすり鉢状だ。石段はおそらく一メートル前後の幅で、およそ三十センチづつ段を作っている。ここに落ちればもう靴はびしょぬれになってしまうだろう。
水の中には見た事のない白い魚が泳いでいて、ハジメの影に気付くと素早く逃げていく。
生態系が作られていて、しかも人から逃げる。推察するにこの場に天敵はいるようである。
もう一度顔を上げて見渡す。あの横穴数々から出てきそうな気配を発しているのは……解らない。ハジメの存在気付き、何匹か部屋の中に逃げ帰っていくのは理解できたのだが。
そんな観察をしていると、片目の白猫が、湖面に左前足をちょんとつけて、浅い波紋を起こしていた。その姿が愛らしくて、もう逃げた存在の事など忘れて思わずしゃがみ込む。
「落っこちないようにしなよ?」
呼びかければあどけなくハジメの顔を見上げる白い生き物。返事と思われる鳴き声までもが可愛らしい。
ひとしきり撫でていると、自分の事も撫でろと言わんばかりに黒猫と太っちょブチ猫もすり寄ってきて、かなりの時間を三匹のグルーミングに費やす事になってしまう。
片目黒猫の毛並みを掌で楽しみながら、首をきょろきょろと動かす。
本来ここは九龍大迷宮の最下層。ゲーム内でも屈指の強ボスがプレイヤーを待ち受けるフロアである。
ダンジョンボスの名前はそのまま九龍。九つ首の、西洋型の龍でダンジョン奥地の【ボスの間】でプレイヤーを待ち構えている。この空間よりもずっと狭いけれど、ボスの間は広くて石畳で、そう言えばコロシアムみたいにすり鉢状だった。ずっと、せまい部屋ではあったけど、この広間の縮小版の様な……。
「……もしかしてここ」
とぷん。
「あっ」
見れば白い片目猫が水の中。比重が重いのか浮かぶ気配もなくぷくぷくと。
慌てて手を突っ込み落ちた片目猫の尻尾を摘まみ、ハジメは引き上げる。
「だから言ったじゃないか」と苦笑い気味に優しく叱りながらタオルを生み出して手ずから拭いてやる。すると、それを見ていた残りの二匹が後を追って飛び降りて、とぽんどぽん。
ハジメは大いに困り顔をして、そして再び苦笑い。水浸しの二匹の首根っこを摘まんで「もー……」と言ったのだった。
残った二匹の身体もひとしきり拭き、乾かしてあげてから再度広間を見渡す。
「もうちょっと見て回ろうか? 今度はワザと落っこちたら駄目だよ?」
そう注意し、三匹を引き連れて再び歩き出す。
しばらく歩いて、疲れた目を癒すように擦ってポツリとつぶやく。
「……案外いけるかもしれないな」
一つ一つの部屋の入り口から漏れ出てくる雰囲気や、肌で感じる魔力の強弱などから、そんな結論が出た。
ここは九龍大迷宮。ケイオス・ウィッチの墳墓と比べれば格落ちするとは言えども、フロアボスが弱いという事はありえない。だからこそその強い気配がどこから漂ってくるかは、今のハジメなら辿る事が出来る。
つまり、この一周六キロにおよぶ部屋の連なる壁の中から、どれが正解かをかなり高確率で当てられるという事になる。その上で、ボスキャラクターがいる部屋には一階からこの階層に簡単にやってこられるショートカットが用意されている可能性が非常に高い。
本来ならボス部屋前に用意されるべきショートカットだが、ここが九龍大迷宮だとしたらショートカットはボス撃破後に現れる。
数百のダンジョンが存在するマホレコの中でも屈指の高難易度ダンジョンだ。ショートカットが用意されているだけありがたいと思えと言わんばかりの不親切仕様である。何はともあれ、この階層さえクリアすればハジメの目的が果たせるかもしれないという展望があった。
そうと思えばあとは決行するだけだ。
――と、思ったのだが鉛のような眠気がどうしても目の奥にこびり付く。
「んー……うん。せめて寝ようかな」
今すぐ駆けだして階層制覇を目指す選択はない。思考がこんなに鈍っているのにボス戦に挑むなんて無謀と勇気の初見プレイヤーみたいな事をする気にはなれない。見下ろした三匹に話しかけたのは心を少し整理する為の、小さなお呪いのような物だった。
本来、モンスターが跋扈しているはずのダンジョン内で眠るなんて危険である。が、人間は寝なければならない。寝不足のまま雑な動きをする方がよほど危険である。それに、どうやらそこらの雑魚は、ハジメを恐れて出てこなさそうであるし。たくさんの言い訳を用意してハジメは眠る決断をしたのである。
太った片目猫がその両目を開く。片方は本物の眼、もう片方は宝石みたいな黄色い玉。その色の濃い宝石のような眼を黄色く光らせると、ハジメの周りに魔力が満ちる。
綺麗な白の片目猫がグリーンの瞳を輝かせる。巨大な池となった水溜りの水が大きな球体となってに宙に舞い始める。
真っ黒な片目猫が青く双眸を輝かせる。球体から雫が垂れて、水と球を繋ぐ柱と変わる。
「えっと、これベッド? この中で寝ろって事かい?」
綺麗にお座りをした三匹が、そうだと言わんばかりに得意げな顔をする。
かなり大きなボールチェアのような形状になったその水は、触れても濡れないで、ひんやりしつつ柔らかい。
現実離れした熱帯夜だから、この中で寝たら心地いいだろう。透明で寝姿が見えてしまう事とかに目を瞑れば、うっとり眠れることだろう。
つまり、今この場においてはまったく障害がない状態だ。
少しの勇気を出してハジメはぴょんと軽く跳ねて中に身を入れてみる。
「ワアォ……凄いね。ふふっ。これは、癖になりそうな夢心地。うん。これ好きかも」
飛び乗ったにもかかわらずその衝撃も受け止めて、揺るぎもしないが固くもない。
体中の無駄な火照りを水は奪い取り、しかし寒くはならない。体重は程よく分散されて、耳に入る夜の小さな雑音も遮断してくれる。
聞こえるのは水溜りの中の揺らぎの音。穏やかで心地よい、睡眠の為の音。
ハジメが味わっているのはそんな感覚だった。
ハンモックを世界一心地よくしたらこうなるだろうと思わせる安寧にハジメは身をゆだねる。
心の疲れを癒すためには満天の星と穏やかな揺れが必要だ。意識も沈む、心も眠る。もしかしたら目が覚めた時、椅子から立ち上がって妹と両親を出迎えに歩いているかもしれない。一瞬だけ考えたがハジメの思考も眠りについた。
三匹がその周りでふわりと浮いて、丸くなる。
静寂に包まれる下層階の湖面の上。水で出来た揺り籠にくるまれて眠る美少女。湖面には、彼女と月の見えない疑似的な星空が反射する。
誰が見ても、神様が見ても、彼女とその奈落の湖面は美しい。




