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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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未来シコウのチートデータガール 10


 ――骨は切られていない。が、太い血管と、気道が断たれた。間違いなく致命傷である。静夜以外なら。


 おそらく神経も切断されたのだろう。脚の感覚がなくなった結果静夜はドアに背中で寄り掛かり、あふれる血を抑える様に右手で切り口を覆う。上手に息が出来ず、口からは傷口からでは出きらなかった血が溢れる。が、それも時間にしたら二秒ほどだ。虚血による眩みはある物の、静夜はぼやける視界で自らの首を切り裂いた彼女を、何とか見ようと藪睨みになる。


 放火を受けて。

 毒を盛られて。

 次は首を切られるだと。いったい何が自分を殺そうとしているのか?

 殺す事など出来ないと、知らない奴らは何者だ?

 そんな必死の思いで静夜は彼女の顔に視界のピントを合わせる。


「……良かった。治ったみたいですね。まだシズヤさんはシズヤさんのようで安心しました」


 納刀して、納得する様に彼女は頷いた。どことなく気怠そうで眠たそうな顔をしている、少女の面影を残した美女だ。月明りに肌が冷たい白になり、玄関上の外灯を向かいから受けて顔の陰影は濃く見える。アメシストの様な紫の冷たい瞳が静夜を少し暖かく見下ろしている。静夜の目の前で刃物を振るい、血飛沫を巻き散らしたと言うのに彼女は綺麗なまま服も肌も染み一つない。表情にすら曇りも染みもない美女を認識して、静夜はやっと声を絞り出す。

 

「よぉ……百花さん、久しぶりだな。こっちに遊びに来てたなら連絡くれりゃよかったのに」


 静夜は首の血管を切られ、気道も切断されたにも拘わらず、彼女の顔を見たら安心したようにへらりと笑った。

 よろけていた静夜だったが背もたれにしていたドアから、しんどそうに起き上がる。


「連絡ならしましたよ? 三十分ほど前に」

「あー……。そりゃ悪かったよ」

「未読スルーをするような男はシズヤさんではないかもしれないので、少し確り切っときました」

「三十分なのに判定厳しすぎやしねぇかい?」

「そんな事はないですよ?」


 そんな事はないらしい。長風呂する時は命がけだ。


「俺のスマホたまに勝手に電源落ちるんだよ」

「その呪い、取っておいてもそれほど役に立たないんじゃないですか? 役立たずは祓いましょう?」

「あー。確かにそうかもしれねぇ。ついつい何でもとりあえず取って置こうって思っちまうんだよな」

「ダメ男と言うよりダメ人間ですね。これ、良い意味ですよ?」

「良い意味ってどういう意味でぇ?」


 苦笑いすると彼女も肩をすくめてみせる。


「でも突然訪ねてしまってすみません。あと、痛かったですか?」


 月と刃物と咥え煙草がよく似合うこの美女は、愛凪百花(あいなぎひか)

 世界に百人いる殺しのライセンスを持つ人物――その内、二人を返り討ちにした人物だ。


『愛され百花(ひゃっか)』や『剣の姫』『尻軽』『皆の百花ちゃん』などと多く渾名を持っているが、一番有名なのは『北陸最強の剣』である。静夜の知り合いの中ではおそらく一番暴力行為が強い人物であり、世界ランクの上位、黒い塗りつぶしの内の一人は彼女だと思っている。


「大丈夫だ。相変わらず痛くなかった。死にかけたのもわかんなかったぜ」

 

 そう、彼女の太刀筋は鋭く、出血は多い。その結果痛みを感じる前に意識が遠のく。死なない静夜は痛みがないままに回復するし、死んでしまう普通の人間は、痛みを感じる前に昏倒する。

 首を摩りながら、静夜は彼女の実力を称賛する。


「ならよかったです。でも、もしも静夜さんじゃないなら、少しぐらい痛い方がよかったでしょうか?」

「どっかの誰かに痛がってもらいたい訳じゃねぇよ」


 静夜は苦笑する。


「……ああ。そういえばそうだったでした。では今まで通りにしましょう」


 実に淡々としたものだ。が、それでも彼女はきちんと静夜の事を気遣ってくれている。その証拠に、


「不意打ちとはいえ、妙に驚いていましたね。まるで恐れていた敵がきたかのような表情でしたが?」


 などと聞いて来てくれるのだ。

 ダウナーな紫色の瞳の奥が、少し強く静夜を見つめる。彼女の咥えた煙草の灰が、微風に撫でられてポトリと落ちる。

 短い沈黙に静夜は耐えられず、白状する。


「最近やたら命を狙われててよ。びっくりしたがなんてこたァない」

「命を? 狙ってきたそいつはどうなりました?」


 百花の美しく整えられた眉が跳ね上がる。強い目つきでついつい静夜は目を逸らす。


「どうもこうも、逃げられたよ。んで、百花さんはなにしにこっちに?」

「はぁ、相変わらず敵を作ってもほっといているんですね。もしかしてマから始まってゾで終わる二文字のあれですか? 変態ですか? わたし好みですか?」


 呆れて言われるがあながち否定できない。百花の蔑み混じりの瞳は中々色気があるのだ。


「世の中にゃ二種類の人間がいるんだよ。善人か、俺の敵かだ。敵が多すぎて一々構ってらんねぇんだよ」

「そういえばわたしもいずれ敵に寝返る味方でしたね」

「そりゃ敵だろ」


 苦笑いを返すと百花も少し笑い返してくれる。


「命を狙われたのは解りました。それで、どんなメスに命を狙われたんですか?」

「女限定かよ」

「どんな雌ですか。と聞いています」

「解かるのかよ?」

「女の匂いがします」


 真面目な顔をして百花はそんな事を言う。


「ですが、それはそれとして、シズヤさんに手を出したんですからケジメはつけないと」

「いや、俺の間抜けで死にかけただけだぜ?」

「甘いですね。ですが、話は実は厄介です。近ごろ、異世界人関連が連続して殺されています。その事でわたしもお上から呼び出しを受けていますしね」


 百花は面倒くさそうな感情を隠しもせずに、煙草の煙をため息の様に吐き出す。


「俺ァまだ異世界人にゃなってねぇんだが……どうやら巻き込まれているな?」

「はい。未確認情報では、異世界人の中でも、ワンダフルワールドの息が掛かった人物に固執しているようでしたので」


 それなら心当たりありますよね? そんな瞳で百花は静夜を睨む。


「……酒かなんかに毒を盛られたよ。名前は東雲コハクだったかな。知ってるかい?」

「全く知りませんでしたが、名前は覚えました」


 その笑みが怖くて、静夜はそれ以上何も言えなくなってしまう。


「話を戻しますが、異世界人殺しは実に面倒です。ワンダフルワールド絡みなら尚更です。シズヤさんは例外として、殆ど全員が非常に強いんですよ? 中には転がり同盟どころかブレイバーズにスカウトされる人だっています。わたしだって狙うなら少し本気にならないといけません」

「俺ぁさぞかし殺しやすかっただろうよ」

「拗ねないでくださいよ」


 困ったように、百花は笑った。


「何が言いたいかというと、おそらく近頃のこの異世界人殺しにはグッバイが絡んでます。その上で、報酬は転生の保証の様です」

「……転生の何がいいんだか」


 静夜は苦虫をかみつぶして、咀嚼したような顔をした。

 言葉の意味も理解して、本当にげんなりしていた。


「今後も命を狙われるかもしれません。手に負えない様なら、相談に乗りますよ?」

「ありがてぇが、今んところ大丈夫だ。下手すりゃもう俺が死んでいるとか思っているだろうぜ」

「そうですか。東雲何某の方は私がけりをつけておきますのでご安心してくださいね」


 そういう話になってしまうかと、静夜は仕方ないと思いつつ複雑だ。


 静夜はその体質上、死ぬ事がない。相手がどれだけ命を狙ってきても、静夜は完全に死んだりしないのだ。しかしその代わりに相手はあっさりと死ぬ。時には間抜けに死ぬ。無意味に死ぬ。あまりにも不公平ではないかと、そんな負い目すら感じるほどに。


「それじゃ、その転生者殺しの解決をしにこっちに来たのかい?」

「それもありますが、もう一つ」


 百花は指を立てる。


「他にもあるのかい?」

「もちろん、シズヤさんに会いに来たんですよ?」

「そいつぁ嬉しいな」


 整った顔の男がするから気持ちの悪くない破顔。

 ニヤニヤとする静夜を、彼女は本質を見抜くように冷めた瞳で見つめ返す。


「半分お世辞ですよ」


 そりゃ残念と顔に苦笑いを浮かばせると百花は、立てていた指をくるくると回す。


「実は剣術学校で特別講師をして欲しいと打診を受けていまして、その下見に来ました。実際に一週間だけ試しの講義もやってみようかと」

「マジかよ。今どきのガキャ恵まれてるもんだな」


 間抜けな顔で、あまり考えていない発言で、ぼんやりとした感想を言う。


「愛凪の師範代が学校で教えてくれるなんてよ。あれかい、剣術学校ってなぁどっかの私立かい?」

「実は義父(ちち)に勝ったからわたしが師範ですよ。学校は公立で一般人にも公開する予定です。しかも聴講は無料でビックリお値段設定ですね」

「えっ、親父さんは……?」


 ゾッとしない想像をして、静夜は腫物に触るような気持ちで窺いたてる。

 生物を物理的に駄目にする事だけを目的とした古流剣術である愛凪流の勝敗など、大体死んでいるではないか。


「おや……? ああ、親。ええ、(アレ)は勿論生きてますよ。法律ってご存じです?」

「あ、そうなのかい。いやぁ超法規的に例外が認められるとかあるのかなって思ってよ?」

「育ての親を殺すのは法律が許しても、ちょっと気が引けますね。そもそもわたし、人殺しとか出来ればしたくないんですよ?」


 出会いがしら、いきなり血管と気道を断ち切った凄腕が呆れた顔をする。


「ともあれ、わたしが圧勝したので師範はわたしです」

「そりゃおめでとう。言ってくれりゃなんか祝いを送ったのに」

「本当ですか? では今度ごはんに連れて行ってください」

「おう、いい所を見繕っておくぜ」

「注文を付けられるならシズヤさんの行きつけがいいですね」

「そうかい? そんなにうまかねぇんだけどな」

「それでも構いませんよ。出来れば静夜さんのかわいい知り合いも連れて来てくれたら完璧です」

「唐突な下心に弓代さんもびっくりだぜ」

「いるでしょ? 一方的に恋慕されて袖にするには可哀想な女の子の一ダースや二ダース」

「……いても百花さんにゃ教えたえくねぇなぁ……」

「こう考えてみてください。男友達に女の子を紹介するのと何が違うんですか?」

「お持ち帰り率が百パーセントな所だよ」

「静夜さんを持ち帰るのも、まぁちょっとくらいなら妥協点ですよ?」


 笑う静夜と、にこにこと楽しそうな様子の百花。静夜の服の半分が血に染まっていなければ、それなりに絵になる会話の光景だった。


「――それにしたって無料てなぁどういう事だい?」


 首の切られた部分をべたべたと、右手で摩りながら聞く。夏の温い夜風で乾き始めた血がぽろぽろと汚らしく落ちていく。

 

「学校側の意向もありますけど、無料にするのはわたしからの提案です。最近は兵器に頼って接近戦で色々死ぬので。我が流派を習えば生存率も上がるし、そうすれば門下生も増えるから儲け物です。いわばこれは種まきですね」


 そんな答えに静夜はそうかい。と応える。優しくて甘くて利益計算をあまりしない百花の事だ。魔物やモンスターを狩る初心者の死亡事故のニュースに心を痛めて、利益を度返ししたのだろう。そもそも彼女の流派の門下生は万人を軽く超えている。分派も合わせたらさらに増えるだろう。門下生を増やしたいと言うのが目的になるとは思えない。


「一般人も受け入れるってこたぁ俺が出ても良いって事だな?」

 

 かつて百花に剣術を習おうとして、迂遠に避けられた結果、結局なにも教わらずに終わった静夜としては少しリベンジを果たしたい気分である。


「教えてもいいですけど……シズヤさんの心と体が合ってないですから。あのちょっとやんちゃな妖刀に芸を仕込む方が効率的ですよ?」

 

 仔犬に子犬に芸を仕込むかのような感覚を感じさせる言い方で、百花が応える。

 他ならぬ百花が言うのだ、あの静夜を乗っ取りたくて仕方がない折れた妖刀はちょっとやんちゃなのだろう。


「それはそうと、引っ越しでもするんですか?」

「解かるかい? いよいよ手狭になったんで、その準備中でぇ」

「それはまぁ、あれだけ禍々しい段ボールが山積みになっていたら、そうかなとも思うんじゃないでしょうか。でも、そうでしたか。忙しいところにお邪魔してしまったみたいですね。申し訳ありません」


 百花が開け放たれたままの玄関に視線を向けて一度頷く。


 あらゆる妖刀、魔剣と触れ合ってきた百花は、その延長で魔力の量や質が判るらしい。どのような魔法を相手が使うかなどもわかると言う話で、その百花からみると静夜の部屋は魔窟という言葉がよく似合うとの事だった。

 そのあたり鈍感な静夜にはまるで分らない。解るようならうっかりガラス入りの飲料を飲んだりしないのだ。


「邪魔なんて思っちゃないぜ?」

「ならよかったです。しかし、引っ越しですか。こう言ったらなんですが、シズヤさんを受け入れる引っ越し先って気は確かでしょうか? 頭呪われてません?」

「そう言ったらなんだと思うなら言い方を考えてにしておくれ?」

「正気の沙汰ではないですね」

「マイルドにしてくれって言ってんだよ。なんで辛辣になるんでぇ……」

「おや失礼。つい口が滑ってしまって。けど、引っ越しに興味があるので聞いたんですよ?」


 そしてたぶん、本当に受け入れ先の正気を疑っているのだろう。百花曰く、不吉が生きている様な静夜である。受け入れ先があること自体が驚きだ。


「落ち着いたら連絡先も教えるさ。ちょっと面倒な仕事を押し付けられる事もあるだろうが、今よかマシな所になるぜ」

「そういう関係ですか。案外真面な取引関係そうで驚きますね。では、その時は遊びにお邪魔しましょう」

「急ぎじゃねぇなら今から食事でもどうだい?」

「やめときましょう。どうやらシズヤさんは一人前だけ頼んでいるようですし、今日は本当に挨拶だけのつもりだったので」


 別に寂しそうでもなく、淡々と百花は頷く。


「一人前?」

「話している間に、リュックを背負った男の人が置いて行きましたよ?」


 薄く笑いながら百花は静夜の背後。つまりは玄関を指す。

 天板のある靴棚の上には湯気が立ち上る中華丼と酢豚。ビールには水滴がついていた。


「あの人、挨拶をしない事に命でもかけているのでしょうか? もしかして、シズヤさんには見えませんでしたか?」

「そらぁ……、見えなかったよ」

「ええ。知ってます。門下生に欲しい位ですね。瞬間移動に見せかけた、超高速移動でした。あんな技術があるなんて、東京は進んでいますね」


 頬に白い手を当てて、とても感心したように言う。


「日本全国どこでも届けるってよ」

「それも実は知っています。遭難したら利用してみようと密かに楽しみにしているんです」


 遭難してみたいらしい。


「もっかい注文するから寄ってかないかい?」

「嫌ですよ。シズヤさんの部屋なんてどうせ幽霊とかでるでしょう?」

「俺にしか見えねぇけどな」

「いえ、静夜さんが見ているそれは怨念――呪いです。幽霊の類は全く見えてませんよ。今も、ほらそこに」

「え?」

「そういう訳で、天井の染みが苦悶の表情だったら目も当てられないです。わたし、幽霊にも体は見せたくないですから」


 百花は携帯灰皿の中に吸殻をねじ込み、静夜を半眼で睨む。

 怖い事と同時に、ぐうの音も出ない事を言われては、もう苦笑いしかできない。こうなってはこれ以上引き留めるのも無粋な男だと言われてしまいそうだ。


「今日から暫くはこっちにいますし機会があればまた会いましょう」

「解かったよ。帰りは?」

「バス停まで歩いて。送ろうとしてくれなくて大丈夫ですよ? これでも、結構腕には自信がありますので」

「襲った奴が何枚に卸されるかだな」

「法律ってご存じですか? ……では」


 少し笑って百花は踵を返し、歩き出す。

 かと思えば、思い出したかの様に立ち止まる。きっと、本題はそれだったのだろうと予感させる雰囲気を纏って何気なく。


「そうそう。昨日……あの大雨の時、何者かがこの世界に現れました。シズヤさん、心当たりありますか?」


 温い風は、まだ遠い秋の風を思わせる。

 じとっとした、湿り気と生温さ。

 百物語にうってつけの風。

 百花は肩越しに静夜を見ている。


「雨の頃だったら、俺ァ酔いつぶれてたよ」

「……ああ、殺されかけてたんですね。有象無象の女と飲むようなシズヤさんにはいい薬ですけどね」


 少し別の鋭さに変わった百花の雰囲気。もしも、この自由恋愛主義の美少女に嫉妬をしてもらったのなら、それは男の冥利に尽きるのではないかと、少し駄目な事を考えながら静夜は肩をすくめる。


「もしも見かけて、敵対するような事になったら、必ず逃げてください。それでは」


 忠告をしなければ、不死性にかまけて無茶をする事を彼女は知っているのだろう。冷たい瞳に少しだけの憂慮の色を見せた百花は、それ以上は言葉を言わずに去っていった。


 百花の背中が見えなくなってから、扉を閉めて、まだ冷めていない料理皿を手に取ったのだった。


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