未来シコウのチートデータガール 3
古御堂と駅で別れて、馴染みの洋食店へと足を運ぶ。棘ヶ丘医師の元を訪れた後は、いつもここでコーヒーを飲み、サンドイッチかナポリタンを食べている。安くてそこそこ美味くて、食べきれる量だから、よく通うのだ。
強い冷房の店内へ、カランコロンと踏み入れて、ビロード張りのソファに体を預けてメニュー表も見ずに注文を告げる。
今日もマヨネーズたっぷりの卵サンドとツナサラダを注文してスマートフォンをいじっていると、相向かいの席に総白髪の老婆が静かに座った。
か細く、華奢で、刻まれた皺に対して肌の色は白く綺麗だ。夏だが老人特有の体温調整の鈍さからか、黒い長袖を着ている。まるで、葬式帰りのハリウッド女優みたいだと、そんな感想を抱かせる老婆が、静夜の前でサングラスを取り、青い瞳を露にした。
「……婆さん、何か用かい?」
「あら。報告だと怒鳴りつけて追い払うような人だと聞いていたけれど、穏やかなのね」
少し枯れた声。だが張っているから聞き取りやすい、力強い声だ。
「俺の事を知っているって訳だな。だったら俺ぁチンピラみたいなもんだぜ。あんまり気安く話しかけちゃならねぇよ」
「自己評価が低いのね。弓代静夜さん」
「そういう婆さんはなにもんでぇ? 俺と飯を食いたい訳じゃねぇだろ?」
「若い人との食事は望むところよ?」
一瞬沈黙し、静夜は視線を店内全体に巡らせる。もともと昼時でも人の少ない洋食店なので人がいないのは驚かない。ただ、厨房の方からも音はしないし、たぶん食事はしばらく運ばれてこないだろう。
「店のおっさんは?」
「安心なさい。人払いの呪いよ。今頃きっと、足りなくなったマヨネーズを買いに走っているわ」
「元から客が少ねぇんだぞ? これ以上人が来なくなったら潰れちまうってのに」
「後遺症があったら補填はしてあげましょう。それでいい?」
「……呪いつったな?」
「ええ。言ったわ。白紙社だもの。呪いを使うのは当然よ?」
白紙社の名前が出た事にはそこまでの驚きを覚えない。呪いなんて単語が出た時点で真っ先に考える可能性なのだ。良くも悪くも、日本において、呪いと言ったら白紙社である。
静夜だけの認識ではなく、お呪いという分野でも有名で、一般的な認識だ。
ただ、静夜と白紙社には積み重ねられた因縁がある。時には被害をこうむり、時には加害に回る関係として、長くかかわってきた。直近で言うのなら、白紙社の管理する自殺者をゾンビにするビルを台無しにした。静夜が白紙社に損失を与えたという形で決着がついている。
「そんなに警戒しないでいただけるかしら? しわくちゃのお婆さんが危険なお兄さんの前に座っている方がよっぽど勇気がいるのよ?」
「……こえぇなんてちっとも思っちゃいねぇ奴が何言ってんだい?」
「あら。わかってしまうものね」
「相手の腹の据わりは解かるさ」
戯れの会話を楽しむような、上品な笑みを浮かべる老婆。
誤解を恐れずに言えば、白紙社の人間であるという色眼鏡がなければ親しく付き合いたいとすら思う上品さを持っている人物だった。
「六反園の件なら決着がついていたと思ってたんだけどな? 違ったかい?」
「その件なら後処理を含めてキチンと片付いているわ。でもまさかあの件だけが私達の関係だなんて思っていらっしゃるの?」
それは確かに。
元よりひび割れた関係だ。既に何歩も間違えて、殺し合いを演じてきた静夜と白紙社の距離感は、明確な敵対関係と言っていい。白紙社が本格的に静夜を排除する為の行動を取らないは、ただ、静夜が小物として相手どるには手強くて、今までの対立の理由がそれなりに白紙社に非があった。それだけなのだ。
ヤクザとは違って会社という体裁をとる白紙社は、妙な所で法や常識を守ろうとする。社則に従い障害に対処するために、静夜はずっとボーダーライン上に居座っているにすぎなかった。
「本部でも意見は割れているわ。悪い事は言わないから、しばらくは私達にちょっかい出すのはおやめなさい?」
「……ムカつかなきゃなにもしねぇよ」
「そのあたりは報告の通りね。折り合いをつけるのが大人という物よ?」
「こんなもんだから年を取らねぇんだよ」
「それもそうね。説得力があるわ」
穏やかな笑みで頷く白紙社の老婆。話していると近所の穏やかな老婦人と話しているような錯覚を起こしてしまいそうだった。
「でも今日は弓代静夜との確執を深めに来た訳ではないわ。むしろ逆よ。個人的に、あなたに取引を申し入れにきたの」
「……なんの用だい?」
「貴方、不死の薬を手に入れたわね」
「知らねぇよ?」
即座に答えると、老婆も即座に鼻で笑って否定した。
「嘘おっしゃい。群馬の夜市でとんでもない物が販売されたのは確認済みよ」
「へぇ?」
「気のない返事だことね。あの日の夜市でそれを買えるだけの運命力を持っていた人物は限られている。そして、すでに確認済みよ」
心当たりはあったが、優先度の低い物である。
そんなものがなくても死なない静夜である。肌身離さず持ち歩く事など当然なく、今頃その他の不死付与呪物に埋もれて金庫の中だ。
「私に売ってくださらない?」
「知らねぇって」
「カレン・アレンたってのお願いでも駄目かしら?」
「……」
切り札という程でもないだろうが、名前を名乗られて静夜の動きが止まる。
白紙社のカレンという名前には大きな驚きがある。衝撃のあまり息すら一瞬忘れる。
態度や物腰からただものではないと思っていた。堂々と白紙社と名乗り、敵である静夜を前にして堂々としている。呪いや魔術のプロフェッショナルになるほど、静夜の存在に恐れおののくのだが、そんな素振りは一瞬も見せなかった。
ならば白紙社を騙る嘘吐きか、静夜を見ても怯えない胆力を持っているのかのどちらかだ。
白紙社のカレンと言えば、間違いなく後者になる。
静夜の知る限り、カレン・アレンとは白紙社の取締役の一人であり、そこらの端役とは訳の違う大物だ。
クソみたいなブラック企業といえども呪物の総合商社の白紙社。呪物の業界を牛耳る組織の大幹部である。彼女を怒らせれば誇張なく命を狙われ、血筋は呪われ、末代まで憑き物に悩まされる覚悟をしなければならない。
彼女は白紙社という半違法組織をまとめて、それなりの形にとどめている人物だ。しがらみのない静夜といえども、態度に関しては気を使うべき相手であった。
「……白紙社に売ったら世界が滅んじまうよ」
「そんな事はないわ。これでも、世界の均衡を保つための研究をしているんですもの」
「マネキン事件ぁまだ終わってねぇぜ」
「担当は新しくなったわ。早晩解決するでしょう」
「解決してから言っておくれ」
逃げ出したいが、きっと店の外は囲まれているのだろう。雇われていた古御堂一人に苦労したのだ、カレン・アレンの護衛なんて恐ろしくて見たくもない。それも踏まえて考えなければならない。暴れまわってこの場を切り抜けて、今度こそ白紙社と決定的にやり合うか? 白紙社の大物がわざわざやってきたのを台無しにして、顔に泥を塗って?
考えるだけで面倒で、逃げ出したくなる。逃げ出せないから今こうして言葉に困っているのだが。
「それにね。私は私に売ってと言っているのよ? 白紙社としてではないのよ」
「……なんでアンタが欲しいんだい?」
個人で欲しいなどというのを鵜呑みにする訳ではない。そもそも、白紙社の名前を出したからには、もう警戒を緩める事はない。そんな事はカレンも重々に承知している事だろう。
だが、そうと言うからには、何か言いたい事があるだろう。
「不老不死だもの。流出すれば多くの人が狂うのは見えているわ」
だから。と老婆は青みの強い瞳を細める。
「扱い次第で多くの人を不幸にする事になるわ。だったら、管理のノウハウをもっている私が、然るべき対処をするべきだわ」
人の嘘を確定的に見抜く力はない。嘘を言っているように見えないと思っても、それを信用する根拠はない。ただ、言っている事は正当である。不死をもたらすアイテムというのは不幸を巻き散らすタイプの呪物と違って、他人の手に渡らない事、厳重な管理こそが肝要なのだ。白紙社のカレンならば不死をもたらす呪物の管理も出来るだろうし、静夜よりもおそらく適切に管理するだろう。
だが、静夜はあのお守りを第三者に譲るつもりはなかった。
不死に価値を見出せないと自信をもって言える自分だけが、不死のアイテムの管理者の資格があると自覚していた。
「白紙の小切手、用意できるわよ?」
おそらく静夜が悪ふざけで書くような金額でも許容するのだろう。
それはつまり、たった一つ、静夜にとってどうでもいい物を、あまり好印象ではない会社の人間に譲渡するだけで、今後の人生で金に困る事はなくなるという事なのだが、どうしてもそれにいい顔ができない静夜だった。
「渡したら、使いたくなるだろ?」
「……そうかも知れないわね。でも私だけが持っているという事に価値が出るのよ」
皺の多い手の甲に、静夜は視線を向ける。
それを見ると、少し悲しくなるのだ。言いようもなく、否定したくない気持ちになる。
「……せっかく綺麗に年取ったんだろ?」
「……あら? あらあら。いやね。そうと言われたら強くは出られないわ。いいでしょう。今はあなたに預けておくわ」
何が彼女の琴線に触れたのか、カレンは上品に微笑み、頷いて引き下がる。
「交渉は決裂ね。残念だわ」
テーブルに手をついて、ゆっくりと立ち上がるカレンを、静夜は視線だけで追う。言葉ほど残念そうでもなければ、そもそも不快そうですらない。その証拠にカレンは後は出ていくだけという段階でも立ち止まり、静夜に向かって柔らかな視線を向けてくるのだ。
「そうそう、あなた最後にワンダフルワールドのホームページを見たのはいつかしら?」
「……こんなところでその名前言ってっていいのかよ」
「どこで話したところで聞かれる時はきは聞かれるし、資格のない人間はすぐ忘れるもの」
老婆は何も問題ないと強気に笑う。
それはそうだと静夜も納得する。
「……一か月前だな」
「もっと見なさい? これはアドバイスよ」
呆れたように言われても困ってしまう。
世界が改変されたという記述があるだけのあのふざけたホームページを、一か月に一度でも見ている事を褒めてもらいたい静夜である。
世界は改変されていたのだと後から知らされて、しかしそんな馬鹿なと言ってしまう。昔から世界はそうだっただろうと反論してしまう。
魔法が百年前に実装された。いやいや、神代と呼ばれた古代から存在し、その当時に比べれば魔法は弱体化していると言われているではないか。なぜその歴史が百年前からなのだ。
魔法亜種の特殊能力者の実装が三十年前。それなら日本の戦国武将たちはいったいどんな活躍をして名をはせたのか。
事実だったとして、静夜はいったい何をしたらいいのか解らない。空ではなく大地が回っていたのだと知った所で、ただの一般人と変わらない静夜は何もできない。
変わる前の世界を知らず、戻す事も出来ないのだったら、ホームページを見る理由など、何となくの確認以上の価値は見いだせないのだった。
「たまにだけどね、予告もしているのよ?」
「そういや……しているな」
「もうすぐ世界が変わるわ」
その言葉にドキリとするが……今までだって変わってきたのだ。
歴史も世界も改竄され続けている。数年前の改変だというのに四百歳の長命種が存在しているし、大魔導士一人によって動いた歴史も在る。
「ワンダフルワールドがいくつかの団体に能力制限を科すの。この意味解かるかしら?」
「……転がり同盟とかブレイバーズとかが弱体化するってかい?」
「その程度は可愛い物ね。お祭り騒ぎやグッバイワールドが今まで以上に規制されるの。詳しくは後で確認なさいな」
そう言ってカレン・ヴァレンタインは静夜の目の前から去っていく。
彼女が去ってから一分と経たずに厨房の奥でドアの開閉の音が聞こえ、ガスコンロをひねる音がして、調理の音が始る。
先程の邂逅が、白昼夢だったかのように錯覚してしまうほど、日常的な生活音だった。
普段なら絶対に営業中に客を残して店を開けたりしない店主が、何食わぬ顔で注文通りのサンドイッチを運んできて、サラダを置いて、いつもよりも待たせてしまったとお詫びにスープをつけて戻っていく。
「……ま、いいけどよ」
店主の態度が普通過ぎる点には最早引っかかりすら覚えない。カレンが言っていた呪いが本当に人払いであるならば、精神への影響はそれほど大きなものではない筈だと思う事にする。もしも呪いが残っている様なら、プロの呪い師に依頼して静夜に呪いをのせかえれば良いだけだ。
それにしても、世界が変わるとは……。
静夜はスープの底の正体不明の葉野菜をスプーンで浮上させる。
スマートフォンではワンダフルワールドのホームページは閲覧出来ない。なのに意味もなくスマートフォンを机の上において、暗い画面に明かりを灯して、別に見たい情報もないから、適当なブックマークを開いてスワイプして、斜めに眺めながらスープを飲んで。
卵サンドを一口かじった所で着信が入る。
登録されていない電話番号だ。そして知らない電話番号だ。
何となく、いや、かなり明確に嫌な予感を覚えつつ、静夜は本当に嫌そうに応答マークに指をフリックする。
「はいよ?」
そして静夜はスピーカーから聞こえる第一声にうんざり顔を顰めてパンを更に置く。
続く言葉に苦虫を噛み潰したような顔をして、大きく首を振る。
きっと知らない所で、巨大で抗えない権力とか力が、静夜を襲っている。何かの陰謀だ。そうぼやきたくなる。
くそっ。
「火事だぁ!? 嘘だろクソったれが!」
心の声は胎から口へと勢いよく洩れて、食事もそこそこに静夜は店を後にした。




