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五分前仮説のブランニューワールド  作者: 幾楽あくた


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19/61

死ぬよりマシなゾンビズム 18

 なんにしても、古御堂が見つけたのは階段の終わりであり、おそらく最上階に該当する部分である。

 登り切り、気味の悪い素早さで這いずり寄ってきた掌を、右足を浮かせる事でやり過ごしてから見渡す。

 

「……なぁ弓代? 目的地はここでいいのか?」

「俺もこういうのぁ初めてなんで知らねぇっちゃ知らねぇけどよ、これ見て違うってなぁねぇだろうよ」 


 今までと同じようにエメラルドグリーンに塗られた鉄扉を押し開けた先の光景を前に二人は言葉を交わす。


 見えてきた光景はまさにダンジョンだった。

 ドアを開けた瞬間、けたたましい打鍵の音が二人を出迎えた。

 一つや二つのキーボードを叩く程度ではこの様な音にはならない。数百、或いは千を超える音が重なって蝉しぐれのように静夜達に叩きつけられてきているのだ。


 その音源は探すまでもなく目の前に、そして全体にあった。

 距離の狂った部屋。今までの小部屋の数百倍の面積がある事は間違いない広大な部屋。

 薄暗く終わりが見えない部屋には、見渡す限りにスチール製の机が並んでいた。


 その机の上でノートパソコンが仄暗く光を放つ。パソコンの数は全ての机の数だけ、数えるのは端から諦めた。

 安物のデスクチェアに座る人の姿はない。

 だがそれらの席から途切れることなく打鍵の音は響いている。

 天井の明滅する蛍光灯が照らし出すのは机の上。

 そこでは千に届くかもしれない掌が、原理不明の現象で少し浮き、自律して動き、止まることなくノートパソコンのキーボード叩き、音を鳴らし、マウスを動かし、クリック音を響かせている。


 指が足りないからブラインドタッチの動きがどれもこれも不規則。

 その歪なステップが軽やかであり、ひどく不気味に映る。

 打鍵の一つ一つを聞けばリズムの崩れた不協和音。

 すべてが一斉に響くから一つの塊になる。

 音が二人に叩きつけられる。

 

「余分な物音ひとつでこっちに向き直りそうで怖いな」

「縁起でもねぇからやめてくれ」


 特に古御堂が言うとそんな気がしてくるから本当に辞めて欲しい。

 

「さて、このどこかに俺たちの目的物がある筈だが……」


 静夜は頭一つ大きい古御堂を見上げる。


「古御堂ぁ何処だと思う?」

「書類棚か……いや、一番偉い奴の席……でもなければこの中で一番強そうな奴が持っているというパターンがセオリーか……」

「ってこたぁアレだな」


 それは視界の届く限界の最奥。

 スチール机の整列の道の向こうにある、重厚な木製机。

 そこだけデスクトップのパソコンで、モニターとタワーがある。


 いつ、誰が使用したかもわからないコーヒーカップとダイヤル式の黒電話が置かれているのも見えた。

 肥え太った豚の皮の様に光沢を放つ椅子にはやはり誰も座っていない。

 ここからは見えないが、静夜の予想が正しければあそこには掌はいないだろう。

 いかにも特別といった感じで、まさかあれが本命だとは思いたくないが、ここはダンジョンであり、静夜の様な常識人の常識は通じない。


 特別なものは特別として存在し、弱者が行う擬態などはしない。

 ――のだが、その後ろを二人は見ていた。


 光が届かない奥まった場所だから、というだけでは説明が付かない暗闇の中に幼い女の子は居た。

 くすんだ白髪の、痛ましいまでにやせ細った少女。

 安物の布を赤い紐で巻き付けて服にしたような、みすぼらしい服装で、まさに襤褸を纏っていると表現するにふさわしい。


 怯えてうずくまると、そんな恰好になるだろう。しゃがみ込んで闇の隠れる様にして、しかし顔だけは静夜達を見逃さない様にこちらを向いていた。

 朱色の瞳が静夜と合う。その瞳はもしかしたら何らかの魔眼の類なのかもしれないと思う程に、恨みがましさを感じる物だったが、生憎静夜を怯ませるだけの効果はなかった。

 その少女の周りを指を一本失った指たちがカサカサと動き回っている。それは守るようでもあり、或いは神をあがめる信者のようでもある。


 少女の肩をまるで鼠か何かを模したペットになったかのように掌が這う。

 その光景はある種の神秘を感じさせるが、掌に絡めとられた姿にも見え、悍ましさも同じように想起させてくる。


「弓代……どうやら既に奴等はこっちに気付いているみたいだぞ」

「あん? まぁ、そりゃそうだ……ろうなっ!」


 古御堂の視線が足元を見ているのに気が付いた静夜は、いつの間にかにじり寄り、ついには飛びかかってきた一匹の掌を踵で踏み潰す。


 ぐにゃ、ぼきり。


 皮が伸びて骨が折れる感触。足の裏で指が暴れて逃げようとする感覚が伝わってきて非常に悍ましい。

 焦りのあまり何も考えずに踏み潰してしまった事に内心舌打ちをする。

 その結果は露骨な静寂だった。

 数秒前までの凄まじい打鍵の音が消えた。


 瞳がある訳でもないのに、掌共が一斉にこちらに注目しているのが解る。

 あまりにも苦痛を伴う静けさに、古御堂が緊張に強張る顔で周囲を警戒した。

 一方静夜は開き直っている。足を掴もうとする人外の化け物共は、いつだってこうして蹴り潰してきたのだ。静夜を掴もうとする方が悪いのだ。

 故に緊張感なく、踏み潰した掌を邪魔そうに蹴って足元から遠ざけるという暴挙に出るのだ。

 

「おいっ悪目立ちし過ぎじゃないか!?」

「んなん、今更だ」


 蹴り飛ばされた掌は飛び跳ねて逃げていく。

 内心、虫みたいなもんだから死んだと思ったのに存外丈夫で驚いてしまった。

 その様子を古御堂は呆れてみて、ぼやいた。


「まったく……いや、ヘイトを集めてくれる分には文句はないのか……」

「――何しに来たの?」

 

 二人のやり取りを遮る様に、掌に埋もれた少女が、問う。

 この距離からでも届くのは細く、弱い声。

 小言を言いかけた古御堂と、受け流す気満々だった静夜が目を合わし、古御堂が先に向き直る。


「昨日も会ったな、今日は――」

「古御堂さんよ。今のぁただの鳴き声かもしれねぇぜ?」


 古御堂を早足で置いてきぼりにし、静夜は掌達の関心を一身に受けて前進する。


 大量の血が妖刀に吸われ、それでも飲み干されなかった血液が雫となって床で跳ねる。

 すぐに黒化して、不気味な何かが芽吹くように姿を見せようとするが、血の表面積が狭いから血の向こうで呻くだけにとどまっている。

 そんな状況に全く気付いていない古御堂が追い付いてくる。


「お前は何を馬鹿な事を言ってんだ……」

「どうしてオジサン、ここに来たの? ねぇ、みんな死んじゃうよ?」

「ほらな。会話が成立しやしねぇ」

「成立ってなに? オジサンが、勝手に入ってきたから私は聞いているの……応えてよ」

「おい。弓代何を――」

「精神揺さぶられる前にぶっ殺しちまうのがいいだろ」

「おいっ!」


 隠す気すら全くなく、さらに力強く刃を握りしめ。床に血溜まりを作った静夜に古御堂が目を剥く。


 殺気なんぞ解らない。

 敵との実力差なんて量れない。

 だが、それが危険かどうかなど、見た目で大体わかる。


 掌に包まれた少女。残念ながら会話が成立してしまった呪物。

 特殊な訓練を受けていなくても危険であると判断するのは難しい話ではない。


「誰がオジサンだクソガキ。俺ぁ若ぇだろうが」 

「馬鹿な事を気にしている場合か。会話ができるなら、説得する事だって出来るだろう」

「会話ができるなぁ知ってるよ。お前さんがここにやってこない様に気遣いまでしたんだろ?」

「……随分心配されてしまったな」


 餌付けが出来そうならよかったな。

 古御堂がまだ大事に抱えている紙袋を一瞥して静夜は更に進む。既に少女と静夜達の距離は十メートルもない状態だ。

 近くになったら声がでかくなるかと思えば、結局か細いままなのだから声帯が静夜と同じ構造なのかも怪しい物だ。


「そりゃ、やべぇ呪いと(おんな)じ反応してやがる」

「相手は子供だ。弓代が知っている呪いと同じ反応をしたって、それが――」

「あのガキャぁ……子供だとして弱いのかい?」

 

 少しだけ、奇跡を願って静夜は古御堂に尋ねてみる。もしも、これまでの傾向がそのまま適応されるならば。

 そう、ならば古御堂の思い込みは、この世の改変された事象(・・・・・・・)に対して干渉する事が出来る筈だ。強める事も弱める事も、古御堂が信じた通りに事は起きる。ガラスは叩けば割れるし、階段には終わりがある物であり、漫画の様に後頭部を叩けば後遺症なく気絶させる事が出来る。ならば、子供が弱いと決めつけてくれたなら、改変された世界にだけ存在する化け物を弱める事が出来るだろう。無力で保護対象となるべき子供として。そうすれば静夜はこの子供と事を構える必要もなくなるのだが――。


「弱い……様には見えない、な」


 古御堂の声には諦めの色が見て取れた。


「そりゃ残念」

「……やりあうしかないのか」

「見ろよ。怯えるふりして俺達を追い返そうとしてやがる。さっきから――」


 ぐちゅり、肉が潰される音がして、遅れて痛みが静夜を襲う。

 見れば左足首に掌が一匹、懲りずに掴みかかり、静夜の脹脛を握りつぶしていた。が、その痛みを知覚して倒れる前に、静夜の足は修復された。


 次の反応をされる前に静夜の右足の踵が足を掴む掌を蹴り、地面にそぎ落として、血溜まりに押し付ける。この血溜まりを構成する血は、他人に輸血をしようものなら即座に廃人が出来上がる、この世で最も呪われた血液である。


「俺の足を引っ張って鬱陶しいったらねぇ」


 血に触れた手首共が明らかに動きを鈍くし、更に踏みにじるとまさに虫の様に潰れて動かなくなった。


 それは、おそらく少女から見れば蛮行を働く男が凄んでいる姿に見えるだろう。掌がペットだったのなら、虐待を是とする暴漢に違いない。


「……帰って。みんなを死なそうとする奴は、帰れ」


 呪詛にも似た声で白髪の少女は言う。 

 多くの転生者の魂に塗れて、化生のモノから見れば生きているのか死んでいるのかわからない様な男に向かって、少女は言う。


「帰らないなら、追い出すから……」


 ぞぞぞ……。


 掌たちが群像としての意思を持ち、静夜と鬼を、狩りを行う動物の群れの様に円を作って取り囲み始める。

 古御堂はこの様な場面に出くわし慣れていないのだろう。固い表情で周囲に目配せをしつつ、静夜に小さく声をかける。


「一斉に襲われたら対処しきれないな」

「銃弾も効かねぇ古御堂さんでも厳しいかい?」

 

 その会話のタイミングで、群れの内の一匹が飛び出し、古御堂の腕に掴みかかる。が、それだけだった。静夜の様に肉が握りつぶされる事もなく、古御堂が不快そうな顔をしてむんずと掴み、引きはがす。二の腕の皮膚に僅かな赤みを残し、逆に掌は握りつぶされた。銃弾すら通じないと言ったのは本当らしい。その異常な頑強さと力により掌の群れは再び警戒し、襲い掛かるタイミングを窺うようにこちらの動きに傾注し始めた。


「……別にやられる訳じゃない。躱す事が難しいから面倒だと言うだけだ」

「ああ、そういうな」


 蠅にたかられるのは嫌だ。古御堂にとってはその程度なのかもしれない。


 だとすればつくづく古御堂と静夜の認識には齟齬がある。あんな指先一つで肉を引き千切る化け物を前にして、今もって古御堂には危機感が薄い。

 だから古御堂は少女を保護対象として見ているし、静夜は自分を取って食ってしまう危険な存在として見ているのだ。


「あらかじめ言っとくが古御堂さんよ。俺ぁアレをやべぇ奴だと思っている。正直言って俺が対処するならぶっ殺すしかねぇだろうな」

「……そうなのか。いや、そうだろうな。これでも解っているつもりだよ」

「そんでもって、殺す気なしで挑んだなら、お前さんだって最終的にはジリ貧だって思ってんだよ」


 古御堂には少女に対する殺意がない。相手がそれを理解してしまったのなら、最終的にはそうなるだろう。それが解らない古御堂でもないだろう。

 今まで、そんな場面に出くわした時、古御堂はどうしてきたのだろう。今までこの様な状況に追いやられた事がないとはまさか言わないだろう。自覚があろうが、なかろう、が何だろうが、白紙社の仕事を請け負ってきたのだから。


「確かにそうかもしれんなぁ……。よし解った」


 古御堂が一旦返事を区切り、続ける。


「俺は無力化出来たらする。弓代が殺してしまったら、それは仕方がないという事にしよう」

「俺がぶっ殺す分には……仕方がねぇかい?」

「認めたくはないがこの状況だ。我儘を通すにも道筋が必要だ」

「その割り切り方ァ嫌いじゃねぇぜ?」


 じりじりと、周囲を囲む掌の群れの輪が小さくなる。

 きっかけ一つで爆発しそうで、二人のどちらかに緊張の綻びさえ見つけられればそれが合図となるのだろう。

 

「言った手前……まずは俺がやっていいよな」


 古御堂が瞬きの様に目を閉じ、開いた時には何かが切り替わったかのような表情になる。角が生え、筋肉の隆起が目に見えて起こる。


 シャツが限界になるまで肉が詰まり、みるみる内に肌も浅黒くなり、髪の毛は白髪へとなっていく。より鬼のように、化け物のように。


 静夜とやり合った時、きっとこの鬼は本気だった筈だ。だが、その本気の度合いは違ったのだろう。殺さなくとも済むという前提がある戦いと、倒さなければ相手が死ぬという戦い、気合の入り方が違う。

 この状態で殴られたら、静夜の気絶も長くなりそうだと思う程、その様相は恐ろしい。そう思ったが、それはそれとしてこのままだと鬼は好き放題暴れるくせに少女を殺そうとせず、膠着状態を作ってしまうだろう。そして強いばかりに逆転すら許してしまうかもしれない。そんな予想し易い未来が静夜には見えていた。


 死ぬ事はないだろう。だが、古御堂だからこそあり得る敗走。再び戻ってきた時には手遅れになる。そんな可能性を静夜は見据えてしまう。

 その可能性を見過ごしてやるほど静夜は敵を甘く見ていない。


 つまり、古御堂への返答は、よくねぇよ。である。

 

「――あのガキ、なんでお前さんばっかり追い返そうとしてんのかねぇ」

「さぁね。今考える事かいそれ」

「きっと、お前さんの方がヤバイって思ったんだろうな。来て欲しくなかったんだ。って事は、古御堂、お前さんが保護しようとしてもきっと懐いちゃくれねぇぜ?」

「そんな話をしているんじゃない。それに鬼は怖がられて当然な化け物だ」

「――そんな話よ。保護しても誰が面倒みるんだって話だしよ。助けたのに結局懐かねぇから殺処分。なんて事にならなければいいけどな?」

「お前、俺に喧嘩を売っているのか? 次は――容赦しないぞ?」


 古御堂が少しだけ声を苛立たしげに荒げ、意識を静夜に向けたその瞬間、囲い込んでいた手首たちが一斉に動き出す。


 獲物を狙う動物にも似て、隙を見せた目標を目掛けてなだれ込むように、古御堂にだけを狙うかの様に。


「あーあ。敵を前によそ見なんかするから」

「なっ!? 弓っ! お前っ!」


 思わず笑った静夜に古御堂が怒鳴る。


 その怒声は相当な物だったが殺気立つ掌共には挑発以外の何物でもなかったようである。奔流となった掌の群れは古御堂を飲み込み、四肢を掴んで引き摺りだす。


「くっ……!」


 古御堂が階段にまで吹き飛ばされ、紙袋は中身をバラまいて床に打ち捨てられる。

 できればそれで軽傷を負って、静夜とバトンタッチして欲しいが――


「くそっ! 虫っ! 共がっ!」


 悪態を吐き、床を右足で大きく踏み込めば轟音と共にひびが入り、衝撃波が掌を一瞬跳ねのける。あまりに人間離れしているので目を瞠りたくなる光景だ。しかし古御堂から離れた掌の群れは再び古御堂に群がり、そして掴みかかり、部屋の外、階段の下へと押しやっていく。

 引かれていく古御堂の一際大きな掌が入口の壁の縁を掴み、亀裂を入れつつ踏みとどまる。それを見て静夜は場違いに一安心する。


 ああ、本当にコイツァ死なねぇや。


「なぁ古御堂さんよ」


 ならば安心して、次善の策を提案しようじゃないか。


「なんだ!?」


 ぎちぎちと音を立てながら一歩一歩、部屋に戻ろうとしながら古御堂が怒鳴って返事をする。


「あのガキを殺したくねぇなら、ダンジョンコアをぶっ壊すってのが、一つの掛けになるたぁ思わねぇかい?」

「そんな事をしなくても――」

「わりぃがこれが俺の妥協点だ」

「……どこにある?」

「だから、このダンジョンの、どこかだろ? この部屋は俺がぶっ壊してやるから、お前さんは他を探しておくれ。俺が、ぶっ殺しちまう前にだぜ?」

「もっと具体的な事をっ!」


 古御堂が叫び声を上げるが、声がやはりでかい。それは動き出した掌とってはただ

の威嚇行動であり、同時に壁を震わせる怒号だったのだ。


 古御堂が掴んでいた壁が握りしめられ粉々になり、古御堂を支えていた物が取り払われた。


 濁流にのまれるように、古御堂がぽっかりあいた階段に引きずり込まれ、怒鳴り声ともうめき声ともつかない叫びをあげながら、静夜の視界から消えていった。


 静夜が一身にヘイトを集めて、その間に古御堂にはダンジョンコアを攻めて貰おう。

 少女がダンジョンコアそのものでない事を祈りつつ、静夜はぐるりと見渡す。

 ハエトリグモの様な挙動の掌共が静夜の様子を窺っていた。

 こうして、この場で戦うのは弓代静夜一人となったのだった。

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