死ぬよりマシなゾンビズム 15
コーヒーの味の良し悪しは正直に言ってしまえば解らない。コクや香りや酸味の強弱、言われてみればなるほど、色々と判断基準はあるのだろう。だが、インスタントコーヒーを心底美味しいと思う自分はおそらくコーヒーにこだわりを持ち、良し悪しを語る様な人種からは蛇蝎のごとく嫌われる事だろう。
偏見を強く抱いている弓代静夜はコーヒーにたっぷりのミルクを入れて飲み干す。
喉を通る熱さと、胃の温まり、鼻を抜ける香り。舌に残る苦みと、ミルクのまろみ。
十分美味い。
必要に迫られて飲むようになったコーヒーは今ではすっかり嗜好品であった。
ほぅ。と息をついて数秒。
まだ少し微睡に翻弄されて魯鈍な思考を自覚しつつ、部屋の中を無意味にうろうろ。紙コップを持ち、裸足のままテレビの前へ。カップを小さなローテーブルに置くと、張りのない合皮のソファへ腰かける。
理想的な体であるならば目覚めも快適であるべきだと思うのだがどうやらその恩恵はないらしい。
相向かいのテレビは今は暗い。『ニュース番組をつけてくれ』と命じるが反応がない。言い方が悪いのか、それとも音声認識システムが安物なのか、あるいはそう言った機能は導入されていないのか。
視線がテレビのコントローラーを探す。ローテーブルの上、テレビ台、ベッド横のサイドテーブル。戻ってローテーブルの上。そこにあった平べったいコントローラーを手に取る。
しかし画面は映らず、暗い画面に反射した自分の姿の後ろに髪長い女が映り込んでいた。
「……ああそうかい」
それはいつもの事なので欠伸をかみ殺す事の方が重要だった。
反射に映り込んだその女を確認しようと振り返ってもどうせ居ない。いるかもしれないが見つけられない。
ただ、解ってはいるのだ。さっきの女は迷宮に関係する何とかという女の切れ端だ。
それは転生者の魂の、一つだ。
最高の転生者とやらに乗っ取られない為には、異世界の転生者の魂である精神体に狙われる事が必要で、精神体を静夜の周りにとどめる為にはいくつものアクセサリーが必要だ。そのアクセサリーは多くの場合マジックアイテムで、マジックアイテムなんて高品位になればなるほど呪われている。
呪いなんて掛けられても、静夜の場合は少し経てば払われてしまうので、静夜は気にせず構わず無策に集めて身に着けた。中にはしぶとく残って静夜にちょっかいを掛けてくる呪いがあるなんて、気が付いた時には取り返しがつかない所まで来ていたのである。
しかもだ。しかもなのだ。しかもこの呪い。なんと異世界の精神体の魂と混ざり合う時がある。精神体は呪いの影響を受けてその特性を引き継ぎ、その上で気性が荒くなる。これを安易に解呪しようとしたりすると転生者の魂まで消滅するのだから手に負えない。それは流石に本末転倒である。
結果呪いのアイテムはそう簡単に処分できず、されど集めなければ静夜は静夜を保てない。そもそも呪物の収集が仕事になっているのだから。
静夜のジレンマは誰にも理解されず一方的に静夜を困らせる物であった。
――何はともあれだ。つまり鏡に反射したあの女は、たしか紫鏡かなにかと混じり、変質してしまったのだ。そのためか、時折静夜に対して奇妙なアプローチをしてくる。霊感がない静夜に見える様にするために、随分努力をしているらしい。こうしてテレビにいたずらをしたり、スマホにいたずらをしたり、鏡に映り込んでみたり。
迷宮を作る事が出来る女王という触れ込みから随分ランクダウンしたようにも思えるが、静夜の体を乗っ取っていないにもかかわらず、この世界に影響を及ぼしているのだから実は相当厄介なものになっているのだった。
ほかの転生者の魂共も、同じように変質して、静夜に小さな攻撃を仕掛けてくる。
彼等は一向に体を譲る気配のない静夜に嫌がらせをしているのだろう。普段はテレビが付かなかったり、鏡に知らない女が映り込んだり、腹が減ったり、コーヒーを飲まなければいけなかったり、色々あるがその程度で済んでいる。が、時と場合と条件がそろえば今でも凄まじい害が発生するのが油断のならない所である。
「ったく、ニュースも見せねぇってんなら指輪一つぐらい捨てちまっても構いやしねぇんだぜ?」
本当にただのボヤキだったのだが、どうやら覿面な脅し文句だったようで、突如画面に映像が映しだされる。
もうコントローラーは投げ捨てたというのにだ。
いつもこうであるならありがたいのだが、何気ない呟きだからこそ本気と取られたのだろう。
何はともあれ、偶然にも素直に映ったテレビはバラエティー色の強い朝の情報番組だった。
実際にニュースが見たかった訳ではなく、古御堂との約束の時間まではずいぶん時間があったからテレビをつけたかっただけだ。ただ音を垂れ流すのが目的だったので静夜はチャンネルはそのままに、ベッドに腰掛けてスマートフォンをいじりだした。
しばらく適当にネットニュースなどを流し読みし、ついでに求人サイトにアクセスする。
するとすぐに目に留まる求人広告があった。
【おまじないの大手、白紙社で働いてみませんか?】
……やっぱり白紙社は頭がおかしい。なぜ、一般的な普通の求人サイトに求人広告を出しているのだろう。
載せる方も載せる方だ。白紙社がどういう会社であるかなどは、求人サイトを運営するからには知らない筈もない。例えばヤクザの仕事が具体的に何なのか、それが解らなくともきっと危ない事をしているのだろうとは思うだろう。白紙社の扱いはそう言った物の筈なのだが。
この求人広告、ようは『急募鉄砲玉』と掲載している様なものなので、応募があって採用されたらどう責任を取るつもりなのかが気になってくる。
心底不思議で首を傾げるが、じつは白紙社は頻繁にこういう広告を打つ。しかも勤務地や給与の詳細まで書かれていて、ちょっと考えればどのくらいの危険があるのかすら読み取れる始末だ。百歩譲って求人広告を載せるまでは良いとしても、そんな情報を載せるなど考えられない。
【日給二十万円。未経験でも稼げます】
闇バイトだってもう少し文言を練るだろう。
違いは白紙社は本当に給金を支払う所だろうか。だから尚更たちが悪いのだが。
日給二十万円という事は命の危険はあるが、誰でもできる仕事だろう。
汚染の可能性があるマジックアイテムの清掃? 治験という名の呪詛? それとも、確率で死ぬ呪いの実証実験? 或いは、呪物を運ぶだけの簡単なお仕事? ぱっと思いつく割の合わない仕事はこの辺りだろうか。
仕事の内容は解らないが、勤務地は書かれているのでそのあたりに使い捨てにされる人間が出るような厄い物があるとだけ記憶する。
こうして定期的に載る広告は静夜の情報源だ。何処に呪いがあるのか。どんな悪さをしているのか。勤務地と必要経歴、給与。これらからおおよその推察が出来る。
もしかしたら、適正のある人間にしか見えない術式が組まれた広告なのかもしれないが、魔力に関してもとことん才覚がない静夜には分からないし、結局静夜の目には留まっている。
結論、白紙社が馬鹿で本当に良かった。
そんな暢気な事を考えている静夜の元に、点けっぱなしのテレビから耳を疑うような情報が飛び込んできた。
『――今、世界が注目する八龍建設。その秘密に迫る二時間半。担当者がぶっちゃける驚き特殊技能とは?』
耳に入ってきた文言に視線をテレビに向ける。すでにアイスクリームのCMに切り替わっていたが、あれは間違いなくゴールデンタイムに放映する番組広告だった。どうやら依頼主の会社は違法建築ばかり作っているくせにテレビに出るらしい。もしかすると、裏社会のトップたちは案外自分の事をまっとうな仕事をしていると錯覚しているのかもしれない。
無事仕事に区切りがついたら、教えてあげなければならないと思う。
お前らが摘発されたら世界の名だたる大企業の社屋にメスが入るから見逃されているだけで、お前らは決して正義ではないのだ! と。
色々馬鹿馬鹿しくなって誰かに聞かせたくなる程大きな溜息を一つ。
再びスマホのディスプレイに視線を落とす。
もうやっていられるかとブラウザを閉じてベッドの上に投げ捨てる。
あと一時間くらいは違いの判らないコーヒーを飲んで、特に何も考えずにぼーっとしよう。
ホテルを出ればやるべき事は沢山あるのだから、少し位は弛緩した時間があってもいいじゃないかと、そう思ったのだった。
ソファに深く腰掛け、もしかしたら眠ってしまうのではないかという程に力を抜いて、天井を仰ぎ見る。
思い出したようにサイドテーブルのコーヒーを飲んでは再び姿勢は天井を見るだけ。
できれば思考すら排除したいのに、何も考えないという事はできずに絶え間なく思考が動き続ける。
そうだ。やるべき事はある。
ビルへの侵入。
撤退を視野に入れた通路の調査。
あの生霊の数々と、どう見ても異質だった子供への対処。
古御堂に話しかけてきたという少女と同一存在だろうか?
ズームォから聞かされたダンジョンコアの発見。
ダンジョンコアの形状は、変化していないのならば書類であるという。
なるほど、かつては社員たちを縛り付けていたものなのだから、契約書という形式は納得だ。
要はその契約書を破き捨てれば今回の仕事はお終いとなるのだろう。
もっとも、ダンジョンコアは変質するらしいので、そう簡単に事が進むとは思えないのだが。そして、ダンジョンコアが存在するのであるならば、ダンジョンマスターがいる可能性も考えなければならない。あの子供がそれである可能性は大いにあるが、だとすると気持ちは重くなる。
ダンジョンコアの破壊とはつまりダンジョンマスターらしき子供を殺害する事に他ならないのだ。
人でなしの様な事を数えきれない程してきた静夜だ。今更人間ではない物の破壊に戸惑いはしない。
だからといって罪悪感がないかと言えば――夜中に食べるチョコレート位にはあるのだ。
「あーあっ……ままならねぇったらありゃしねぇな」
思わず呟いてしまう。
けれどそれだけ。きっと静夜はあの子供がどれほど哀れな存在であっても、それが必要であるなら殺すのだろう。
そして、殺さなくていい理由を探したりはしない。いちいち見つける程甘ければ、今頃とっくに静夜は主人公になっている。
文字通り抱えきれない厄物を安全に保管する為。考えれば考えるほどズームォの提案を飲まない訳にはいかないと痛感する。
そんな事を考えていたらいつの間に時間が……流石にそれほど経っていなかった。世の中なんてそれほど静夜に都合よくない。時間を潰すのにもいよいよ飽きて、結局静夜は予定よりだいぶ早くホテルをチェックアウトする事になる。
空は晴天。日差しの鋭さは最早凶器と言って過言ではなく、白い七分袖の下は酷く汗が滲む。普段は大人しい背中の刺青も、どうやら暑さに少し苛立ち、ズクリと蠢動する。周囲を気にして疼くままにさせているが、人目がなくなったら叩きつけて黙らせなければと心に決める。
それはそれとして、どうせあと四時間は暇を持て余すのだ。
ちょっとした買い食いと散策位はきっと許される。例えば子供が好きそうな駄菓子を見つけるくらいの時間は充分に。




