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魔法の堕天使、降臨す  作者: 鹿磨
第1章 新世界と闇の産声
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第57話 かつての面影は


「あーん」


 銀色のフォークで刺したチェリーパイが口元に運ばれる。

 バターが練り込まれたサクサクの生地と、敢えてゴロゴロとした果肉を残したまま砂糖をたっぷりと入れることで、甘みと酸味の絶妙な一体感を作り出した赤と黒の詰め物は世界の管理者を唸らせた。


「うーん……美味しいなあ。モモは相変わらずボクの好きな味をよく分かってるね。そんなにボクの胃袋を掴んじゃって、どうするつもりなの?」


「モチロン、ご主人様のお嫁さんになるのニャ!」


 ヒューマンの手でネコの肉球を再現し、ポーズを取るモモ。


「あはは! でも、ミカが愛情を込めてあーんしてくれたから美味しく感じたっていうのもあるかも。ね?」


 そうやってロエルは空を見上げながら笑いかける。

 目尻を下げた愛嬌のある笑顔は、初心な村娘ならば一瞬にして虜にし、酸いも甘いも経験した夫人ならば新たな青春を取り戻させただろう。

 細字のガラスペンでそっと描いたような薄さをした彼の唇、その端にはチェリーパイの餡が僅かに付いていた。

 

 そんな主人を膝枕しながら赤い色の髪を撫でていたミカは、そのあざとさを布巾で拭き取り、微笑みを返す。

 「本妻の余裕ニャ」と一連の流れを見ていたモモが言う。

 【ルモス村】の森林から続く草原に朗らかな雰囲気が広がった。


「前にここでハーピーを放ったよね。ほら、モンクシュッド男爵だっけ? 大司教たちがずっと迷惑してるって言うからさ、手伝ってあげたじゃん」


 ミカとモモは同時に頷く。

 周囲の警備──ピクニックを邪魔しようとする侵入者を抹消する任務に当たっている他の九十七名のメイドを代表して。


「皆で力を合わせてゼロから作った人工生命体(ホムンクルス)第一号だったのに、あっさり倒されちゃったんだよね」


 あれは傑作だった、とロエルは更に呟く。


 様々な素材──魔物の肉体中枢に存在する「完全な状態のマナの核」、世界に一匹しか存在しないとされる「ロック鳥の脊髄」、死後一時間未満の「新鮮な肉と骨」、純潔を保った淑女の「破瓜の血」、高位者の「精液」──を配合させてガラス瓶に注ぎ込み、世界の管理者の権能を以て作り出した人工魔物ハーピー。

 研究には二年程の歳月を費やした。

 試行錯誤の過程では幾つもの失敗作、別名ゴブリンを産出してしまい、その度にアーリア地方の無も知らぬ小さな村が潰されたと報告を受けている。


 だが、それも必要な犠牲だ、と当時のロエルは考えていた。

 自身の許可なくこの世に生を受けたにも関わらず、何も成し遂げずに死んでいくはずの粗末な命なんかよりも、ずっとずっと素晴らしいものを作り出す研究だったのだから。

 

 そして、遂に完成したハーピーの性能は完璧主義なところのあるロエルをして心から満足させるものだった。


 ロエルは自身が創出した生命の設計図「あらゆる攻撃を受け流す機構」を彼のハーピーに組み込んだ。

 脳には感情を度外視した演算処理回路を、神経組織にはあらゆる力学計算式を、外気に触れる皮膚には生物史上最高峰の触覚受容器を、といった具合に。

 特に上半身を覆う羽毛は空気の流れだけでなく、マナの動きすら感知するように出来ており、作為的な変化を感じ取った瞬間、脊髄反射で回避行動へ移行するという完全な護りの根幹を成していた。


 攻撃を当てるなど理論上"不可能"なはずだった。


 しかし、結果は──


「死体には魔法の痕跡……もしかして、あの子がやったのかな」


 ロエルは目を瞑り、思考に耽る。

 焼け焦げた我が子を思い出す度に胸が苦しくなった。

 ハーピーの為に犠牲となった小さな村の矮小で粗末な命たちも涙を流しているのではないか。

 いや、絶対そうに決まっている。

 もし彼らが我が子の死を悲しんでくれていないのであれば、今度こそ存在価値が無くなってしまう。

 今頃、彼らの魂は転生の機会を与えられずにどこかを彷徨っているだけなのだから。


 暫く風が草を揺らす音だけが辺りを占めて、やがてロエルは「そういえば」と言葉を続けた。


「マギウェル・デア・フィーネって知ってる?」


 目を瞑ったままロエルが唐突に訊ねる。

 その言葉にこれといった抑揚や含みは見られず、あくまで世間話といった風だ。

 彼の頭には既にハーピーへの哀悼は消え失せていた、


 一方で、ミカとモモはほぼ同時に眉をピクリと動かして、互いに目線を交わしていた。

 その直後、何かを抑え込むように表情を固める。

 やってしまった、と二人の間に緊張感が走った。

 それにロエルは気が付かない。


「カーネが言うにはあの子の名前は確か『フィーネ』だったよね。同じ名前なんだよなあ。でも、天使ではない。魔法も避けるまでもなかったって言ってたし……うーん」


 間延びした唸りを見せ、やがて大きな欠伸をした。


「まあいいか! "彼女"の捜索は重力と星々の担当だしね! ボクには関係ない! それに考え過ぎはお肌が荒れちゃうし。二人も気を付けなよ? ボクは世界で二番目に肌荒れが嫌いなんだ。知ってるでしょ? だから、ボクに見放されないように、ね?」


 二人のメイドの柔らかい頬にキスをしたロエルは満足そうに立ち上がり──


「あ、いいこと考えた」


 と瞳を歪に輝かせた。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 ──ロエルの館一階「大広間」


 延々と続く白い廊下を走り続け、何度か曲がり角を過ぎるとようやく初めての部屋、大広間に辿り着いた。

 廊下より更に多くの窓ガラスに囲まれ、白壁には金色の意匠が施された豪華絢爛な部屋、というより巨大な箱の中のようだ。

 キラキラしたものが沢山詰まった宝箱。

 ここで踊ったりするのだろうな、と夢想する。


 大広間はセファローズが経験してきたどんな場所よりも現実離れしており、それ故に自身のような手を血に染めた存在には相応しくないという疎外感が、身体中にむず痒さを与えた。


「ぜえ……ぜえ……奴め、本気で追いかけっこをするつもりなのだな……だが、かなり距離を離すことが出来たぞ……ふう」


 フィーネは大広間の空気を目一杯に吸って、吐き出した。

 直後、青白くなっていた顔に色が戻ってくる。

 その様を見ていたセファローズは海岸に打ち上げられていた魚を海に戻してやった時の光景を思い出した。

 扉を開けた先が大広間ではなく調理場や書庫のような若干閉塞感のある場所だったら窒息していたのではないだろうか。


 まあ、そんなことは有り得ないのだが。


 自身で思い付いた冗談をセファローズは自身で否定する。

 そもそも、たかだか掠り傷一つが毒や病気の糸口となって死に至る事もある地の民を、まるで嘲笑うかのような脅威の回復力を持つ天使族──フィーネが窒息如きで死ぬとは思えない。

 世界から空気が消えれば、自身の身体から空気を作り始めるくらいのことはしてしまいそうな気がする。


 それに、セファローズはロエルの館の内装を記憶していた。

 仮にフィーネが大広間程の広さをした場所に訪れなければ窒息死するという事態に陥っても、すぐに案内が出来る。

 ロエルの部屋があると思わしき場所までの最短ルート上にある大広間まで迷うことなく来れたのもそのおかげだ。


 ロエルの存在さえ無ければ、ここで二人が死ぬことはない。


 そんなことを考えながらセファローズは周囲を見渡した。

 そして、いや、だからこそ首を傾げる。

 敵は何をしているのだろう、と。


 【気配探知】ではこの大広間には二十もの反応がある。

 窓際に潜んでいる気分になっているらしい反応たちからは余裕で息遣いが聞こえてきているし、殺気も抑えられていない。

 力量においては間違いなく格下だ。

 今すぐにこちらから挨拶してやりたいところなのだが、一つだけ問題があった。


 敵の姿が見えないのである。

 無論、敵の位置と数は分かっている。

 にも関わらず、いるはずの場所に敵の姿が見えないのだ。


 何が起きている?


 セファローズは思考し、警戒する。

 その警戒は敵に対してではない。

 敵の策に対してだ。


 セファローズとフィーネに認識されていない(と思い込んでいる)という状況は相手にとっては攻撃する絶好のチャンスに違いない。

 それでも様子を見ているということは何かある。

 敵の姿が見えないという時点で既に敵の術中に嵌っていると考えた方が良いだろう。


 額に汗が滲むのが分かった。


 後ろからはロエルが追いかけてきているというのに、こんなところで時間を割いている余裕はない。


「しかし、セファローズよ。先程はどうして殴ったのだ!?」


 一方で、周囲を警戒するセファローズのことなどお構いなしにフィーネは喚き始める。


 何と呑気なのだろう。

 嘘ばかりのこの世界でよくもまあ生き延びたものだ、とセファローズは却って関心する。

 天使族と言えば、その容姿はかなりの上物だ。

 口達者な人売りなんかがいれば、簡単に娼婦か性奴隷に成り下がっていたのではないだろうか。

 セファローズが思うに、フィーネはチョロい。

 

 とは言え、ここは敢えて何にも気付いていないというフリをするのも悪くはない。

 敵が仕掛けてくるのを待つのだ。

 例えそれが大掛かりで決定的なものだったとしても、それなりの対処方法を思い付ける自信があった。

 ここはフィーネに話を合わせることに決める。


「アンタね……あの魔法、あそこで初めて使ったわよね?」


 あの魔法──【吸収(マナ・リザーブ)】とかいう反則技だ。


「まあ……そうだが……それがどうかしたのか?」


「ヤギとヒツジの脳筋アホ獣人を殺した時、サソリの三馬鹿姉妹を八つ裂きにした時、何で使わなかったのよ! 使っていればもっと沢山の魔法を覚えられたんじゃないの?」


 わざとらしく話を盛る。

 先程放流した魚を撒き餌にして、更に大きな獲物を待っているような気分だった。


 一方で、やはりセファローズの思惑と緊張には気が付かないフィーネは目を丸くして「ああ!」などと言っていた。


 ポンコツかよ。


 と言いたくなるのをグッと堪える。


「聞くところによると、白い魔導書も魔法を撃てるのよね? それなら自動吸収とか仕込めないの? 敵を倒したら勝手に吸収するとか……他にも、隠れている敵を感知したら攻撃してくれるようにするのも便利じゃない?」


「セファローズ……貴様は天才か! それは考え付かな──む」


 ──会話に割り込むようにして周囲から一斉に浴びせられた殺気。


 その時、旧友の瞳にほんの一瞬だけ輝きが戻った……ような気がした。

 「五感強化」を発動させていたセファローズよりも速く動き出していたフィーネの視線がグルリと周囲を見渡して、最後には納得したように瞼に収まる。


「なるほど……魔道具か。洒落臭い」


「「【火球(ファイア・ボール)】」」


 フィーネの呟きが先だったか、それとも四方八方から火球が放たれるのが先だったか、頭をフル回転させて適切な回避行動若しくは防御方法を探していたセファローズには分からない。


 大広間の室温が急激に過剰に上昇する。

 思わずセファローズは顔を歪めた。

 自身の敵の出方を伺うという作戦は誤りだった、と。


 ロエルの入れ知恵か。


 エルフ族の所有マナの特性上、火が絡んだ攻撃は弱点だ。

 マナによる防護が「至高」の域に辿り着いたセファローズでも種族が背負った宿命には抗えない。


 魔法はまさにマナを「攻撃」に変換させたもの。

 今回は初級魔法の【火球】だが、時に量は質を上回る。

 最大限防御に徹しても、損傷は免れないだろう。

 無論死ぬことはないだろうが、灼熱が身体内部まで達したら最悪だ。

 内臓は回復に時間がかかる。


 せめてフィーネを、と踵を浮かせた瞬間だった。


「『偽りの魔法よ。無に帰せ──【魔法零落】』!」


 大きく開いた手の平を掲げるフィーネの姿が視界に映る。

 その時、セファローズは確かに垣間見た。

 落ちぶれた旧友の中に眠る「魔法の始天使」の片鱗を。


 魔法の始天使の号令に無数の【火球】ははたと消え失せる。


 大広間の温度と光度は一気に低下して、辺りには所在を無くしたマナの残滓のみが漂っていた。

 どこかから「嘘でしょ」という呟きが聞こえてくる。

 おそらく隠れている敵の内の誰かがが洩らしてしまったものなのだろうが、セファローズも同調せざるを得なかった。


 セファローズが人智を超えた光景を見るのはこれで二度目である。


 目の前で起こった出来事がやはり信じられず、呆れて半笑いを浮かべながらフィーネを見た。


「な、なにをしたの?」


「私に魔法は効かない。ただそれだけだ」


 さも当然といった風のフィーネ。

 自慢げでいるならまだしも、堂々とすらしていない姿にまたもや殴りたくなる衝動に駆られるが、ここは理性が上回る。


「後で説明しなさいよ、ホントに」


「うむ。それと姿を隠した卑怯者には出て来てもらわねばな。未熟な魔道具では【透明化(リムピタス)】の弱点、急激な光の屈折率の変化に対応出来ぬだろう──『【詠唱破棄】──【光球デア・シャイン】』」


 続けてフィーネが光属性の基礎魔法を唱えると、周囲は目も開けてられない程の光に包まれた、と思う。

 曖昧なのはセファローズには何故か見えていたからだ。

 白い大広間が更に白くなる景色の中で、それぞれの窓際で姿を暴かれ、藻掻き苦しむようにして目を覆い隠すメイドたちの姿を、瞼を開けて見ることが出来ていた。


 ──魔法は暴発しない限り術者を巻き添えにしない。

 

 それは魔法を学び始めた者が序盤で必ず知る知識だ。

 基本的に魔法は術者の目前に顕現する。

 その際に、特に火や雷の魔法は周囲の環境に少なからず(しかも攻撃的な)影響を与えるが、術者には一切それが届かない。

 セファローズが読んだとある本では、詠唱を唱えた際に構築される術式に既にそういった防護的なものが組み込まれているとかなんとか書かれていたが、完全には理解出来なかったので、そういうものだ、と解釈している。


 そして、フィーネが発動した【光球】にセファローズが一切の影響を受けていないのは、その防護的なものを術者だけでなく味方にまで拡大させたからなのではないだろうか。

 当然、そんな技術は見たことがない。

 術式は詠唱を唱えれば勝手に構築されるもので、それに変更を加える事が出来るなどということは教えてもらっていない。


 ここでセファローズはフィーネに対する認識を改め、同時に目標を完全に切り替えることとなる。


 フィーネは落ちぶれてなどいなかった。

 やはり生き残るべきは自分ではなくフィーネだ。


 ナヨナヨとした態度は勿論のこと、魔法の威力や規模はかつての伝説の始天使と呼ばれた者のそれではない。

 だが、フィーネの魔法制御、いや、魔法支配はセファローズから見ても一線を画している。

 他者のマナを吸収し、他者の魔法を無効化する。

 ハッキリ言ってバケモノに他ならない。

 

 フィーネは燻っているだけだ、と確信した。

 かつての力と勢いを取り戻す事が出来れば、この腐った世界を変えられるかもしれない。

 自信が叶えられなかった夢を実現してくれるかもしれない。


 しかし、同時にセファローズは悲しさと情けなさも感じる。

 大切な旧友を闇の底から助け出すことすら出来ない自身の未熟さに。

 このままでは間違いなく二人とも終わりだ。


「セファローズよ……今ので私の所有マナは完全に底を突いた。あとは頼んだぞ」


「……ええ。任せなさい」


 心にモヤモヤとしたものを抱えたセファローズは飛び出し、それを晴らすかのように大広間のメイドを血祭りに上げるのだった。

 

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