第55話 夜の底で
ロエルの館は地下の保管庫だけに留まらず、館部分までもが白に染まっていた。
建物内は巨人でも住んでいるのか、と勘繰ってしまう程の高さをした天井と、如何にも人工的な滑らかさをした白い壁が目の前百メートル以上は続いていた。
それだけでは地下と同様の無機質さを感じさせたのだろうが、十字の線を幾何学的に組み合わせた格子状のアーチ窓と樹冠を逆さにしたようなシャンデリアが等間隔で並ぶことによって、真っ白な廊下に華やかさを与えているようだ。
また、窓から外を覗くと、漆黒が広がっていた。
一寸先まで不可視の暗闇と我々がいる真っ白の廊下、その黒と白との対比に館が浮かんでいる、と錯覚してしまう。
別世界に来てしまったのかとすら思った。
窓から空があるはずの場所を見上げて、満月から少し欠けたくらいの月を発見してようやく下界にいることの確信を得た程だ。
本当に天界にいるかのようだな、と苦笑する。
「──フィーネ! 余所見してないで急ぐわよ! 窓は壊れないから!」
「あ、ああ!」
何においても私の先を走るセファローズに声を掛けられて正面に向き直る。
それから重い心と身体に鞭を打って、旧友の後を追う。
彼女に託された大きな鞄が背中で弾んだ。
確かに余所見をしている場合ではない。
我々は今、天界を滅ぼした張本人【アンハンゲル】が企てた「最悪の追いかけっこ」の最中なのだから。
まだ姿は見えないものの、背後からは確実に生の幹部が追ってきているのが分かる。
歩みを止めれば、我々に未来は無いだろう。
ちなみに現時点では、どう足掻いても追いかけっこは避けられないという結論が出ていた。
先のセファローズが言った「窓は壊れないから」という発言は、この茶番を根本から破綻させてやろうとした結果が齎したものだ。
あの時の落胆は筆舌に尽くしがたいものがあった。
窓、というより館内部は私の魔法を以てしても焦げ跡を残すくらいしか出来なかったのだ。
私の鑑定眼から推察するに、館に用いられている建材は衝撃を吸収する特性が強く、特にマナを含んだ運動変化には著しい効果を発揮するようだ。
百年前以前にはなかった素材だと思われる。
仮にこの素材若しくは技術が世間に広く流通していたとしたら、私の魔法は使い物にならないのではないか、と考え及んだところで脳の回転を強制的に遮断した。
今はとにかく逃げなければならない。
「はあはあ……しかし、存外静かだな……あの気障男はメイドの歓迎があると言っていたが、虚勢だったか」
「フィーネ、気配感知は出来る?」
気配感知──おそらく私が観察眼と呼んでいる周囲状況の認識・分析能力と似たようなものだろう。
私の場合はマナの流れや特性を見ることで、人や物の状態を判断しているが、戦闘経験が豊富な者はマナ反応だけには留まらず、空気の震えや違和感、殺気等の些細な変化まで感知することが可能だと聞いたことがある。
セファローズが言っているのはそんな戦闘に特化した上級技法なのだろうが、魔法以外に才は無く、ましてや仇敵と家族を見間違えるような私にそれを使えるわけがない。
何度か「殺気を感じる」等と書き記したこともあるが、全てはノリと雰囲気である。
「気配感知は、出来ん。周囲のマナならば、感じ取れるが」
体力の無い私は言葉に息継ぎを挟みながら話した。
「それで充分だわ。そこの曲がり角を見れる?」
一方で、同じ道を走りながらも呼吸の乱れを全く見せないセファローズに言われて、恐怖心から一貫して背後に向けていたマナ感知をようやく前方へ向けた。
廊下に並ぶ壮麗なアーチ窓を五つ程越えた先にある、左右へと続く分かれ道に感覚を研ぎ澄ませると──
──三つの反応があった。
街にいたら結構驚く程度のマナ量と良質さだ。
また、それだけではない。
ついでに分かれ道の先まで感知を広げてみると、多少の差異はあれど同様のマナ反応が十数、いや……四十程度あった。
情報量の多さに目眩がする。
これは比喩的な表現ではなく、実際に許容限界ギリギリの情報を一斉に受けたことと走行による疲労状態であることが重なって身体が拒否反応を示したのだ。
「お、おいおい」
「先まで見たのね? 多分、百人くらいいるわよ。グリム交戦楽団の情報は間違っていたみたい」
「ひゃ、百人か……」
小規模の村人口くらいの数に絶望を感じる。
が、同時に薄っすらと希望も感じていた。
現状がどん底すぎて、むしろ負の方面の感情に鈍くなっていたというのもあるだろう。
私が感じていた希望は、セファローズが私のマナ感知可能領域外にいる敵を感じ取っていたらしいこと。
未だ全盛期の一割未満の所有マナ量しか取り戻せていない私だが、マナ感知に関してはかつての平均的な魔法使い以上のものを持っていると自負出来る。
少量でもそれを最大限に活かす術を知っているからだ。
一万年間、下界のマナ観測をしていた経験は伊達じゃない。
その為、おおよそ百メートルくらいまでならば索敵範囲を広げられるはずだ。
それをセファローズは遥かに凌駕している。
道具やマナを用いずに、だ。
全盛期では基準となる自身のマナが膨大すぎて地の民の強さ比べが詳細なところまで判断出来なかったが……セファローズはメイドたちと比べてかなり強いのではないか?
だが、発動中の観察眼に映る彼女とそのマナ量はメイドたちと同格のように思える。
質こそ違えど、量は大差ないのだ。
昔からセファローズはマナ量に関しては平凡だった。
それに加えて、百年前以前に主な攻撃手段であった「植物操作」を失っており、ここではヤギヒツジメイドを倒す際に私の魔法を頼っていた。
果たして彼女の実力は如何ほどのものなのか。
そんなことを酸欠気味の脳で考えていると、やがて曲がり角に辿り着く。
三つのマナ反応があった場所だ。
「出て来なさいよ! 卑怯者!」
セファローズが叫ぶ。
薄桃色の唇を裂けてしまいそうな程に開けていたが、それでも大輪の華のような美しさは保ったままであった。
過激さも彼女を引き立たせるスパイスなのかもしれない。
以前よりも凶暴、というか悪態が多めになっているような気がするが、人は変わるものなので気にしないことにする。
ただ感情を曝露させただけか、はたまた策略か、私には判断が付かないが、事態はセファローズの思惑通りとなる。
左右の曲がり角──右の柱の陰からは一人が、左の柱の陰からは二人がぬらりと現れた。
「キヒヒ……アンタが噂のセファローズねえ。グリム交戦楽団の副団長。A級指名手配犯『侵略の指揮者』。腕が鳴るわ」
「ケヘヘ……でも弱そうですよ、姉さん」
「クフフ……アタイらでやっちゃいましょう」
まさに順番通りに、背の高い順、身体の大きい順、そして背後の腰付近から生えている尻尾──楕円体を幾つも連ねた体節とその終わりにフックのような毒針を携えたもの──の強靭な順に三人のメイドは話した。
全員が図形でいうならば球体の全体的に短く纏めた黒紫色の髪型をしており、違いと言えば各々で前髪を中央か左寄りか右寄りかで分けているところくらいだろう。
その統一感と顔の作りも似ていることから三姉妹なのかもしれない。
堂々と中央に立ち、最初に口を開き、前髪を真ん中分けにして、これでもかというくらいに戦意を剥き出しにしているのが長女だろう、と予測を立てる。
また、彼女たちの特徴的な尻尾は髪と同じ色であり、それは砂漠や森林に棲む節足動物サソリや、それの祖先であるスコーピオン系の魔物のものと酷似していた。
強靭な鋏角や鋏、そして毒針と言った多様な武器を用いて獲物を捕食していたことを記憶している。
保管庫とそこで戦ったメイドが動物の特徴を持っていたので、彼女たちをサソリ三姉妹と勝手に呼ぶことにする。
ちなみに、彼女らは何食わぬ顔で出てきたし、セファローズも特に驚いた素振りを見せなかったが、サソリの特徴を持ったヒューマンを見るのは生まれて初めてである。
「グリム交戦楽団はもうやめたっての。それに、指名手配犯とか言うのヤメて。まるでアタシが悪者みたいじゃない」
セファローズがため息交じりに言う。
友よ、指名手配されていたのか。
後方で緊張感から黙り込む私は、驚愕すると共に「侵略の指揮官」という二つ名に僅かながら憧憬の念を抱く。
「まあいいわ。悪いけど、アンタたちみたいなザコに付き合ってる暇はないから。さっさとぶっ殺させてもらうわ」
侮られたサソリ三姉妹は青筋を立てながら笑顔を作る。
口端がヒューマンの限界以上に裂けて、鋭い針を並べたような歯を剥き出しにする姿は、彼女たちの笑顔が抑えられない怒りから来るものだということを表していた。
目前に巻き起こるマナの放出。
気迫とも殺意とも言えるそれは私を圧倒する。
鉱石の輝き──金、銀、銅、赤鉄で例えるならば間違いなく銀相当の、歴史に残る英雄には及ばないものの一般人や魔物ならば簡単に蹂躙出来る程の力だった。
過去に会った者で比較するならば、【ルモス村】の斧使いハゼランや【メリディ・リサ】のモンクシュッド男爵と同格かそれ以上だろう。
──コイツら強い。
「重力の幹部」の力を目の当たりにした時を彷彿とさせるような恐怖が湧き上がるのを、歯を食い縛って誤魔化すと同時に白の魔導書を召喚する詠唱を「奇跡解放」まで言いかけたところでセファローズに制止された。
手の平をこちらに見せて「アタシがやるわ」と背負い鞄を私に預けた時と同じことを言う。
戦わなくて良いという安堵感を抑え込み、何か言い返そうとするのも束の間、セファローズが私の視界から消えた。
「なっ……!?」
その驚愕に漏れた声は誰が出したのか。
私だったかもしれないし、サソリ三姉妹だったかもしれない。
唯一確かなのはセファローズではないことだけだろう。
誰かが時計の針を調整したのか、時の流れが遅くなる。
無論、実際に時間が遅くなったわけではない。
誰もが目前の光景に呆気に取られて、情報の処理に時間がかかり、相対的にそう見えただけだ。
セファローズを除くその場にいた全員が空を見上げて、口をポカンと開けていた。
天井から吊られたシャンデリアの光を遮る一筋の黒影。
それは空を舞うセファローズだった。
身体を半回転させながら、ケープをはためかせ宙返りする姿に戦闘中にも関わらず「優雅」という言葉が思い浮かぶ。
遅くなった時間の中で彼女だけが早送りで進んでいた。
細分化された秒速の中でサソリ三姉妹がようやく我に返り、腰を落として回避行動を取ろうとした頃には、セファローズが彼女らの後頸部付近を漂っていた。
そして──白い腕が煌めく。
瞬きする間もなく振られた手刀はサソリ三姉妹の長女の頭部を切り落としていた。
最期の時まで何が起こったのか分からずに目を見開いた頭部が鈍い音を立てて地面と衝突し、噴水のように青色の血飛沫が飛び出てからようやく次女だか三女だかが「あ」と声を洩らす。
「トロいわね」
頭部を失い、後は血を吐き出すだけが仕事となった長女の身体が倒れ込む最中、セファローズが小さく呟いた。
ものの数秒で二人だけとなったサソリ姉妹がありありと恐怖の色を顔面に浮かべるのが分かる。
両者とも防衛本能からか尻尾の毒針を立てるが、片方のそれは瞬時にセファローズの鋭い踵に踏み潰されて無力化された。
耳を塞ぎたくなる醜い悲鳴が廊下をこだましようとする。
が、胴体から離れた尻尾を拾い上げたセファローズが主の元に返す──毒針を喉元に突き立てることで悲鳴は「ぎゃ」といったところで中断された。
そこでようやく長女の身体が地面に倒れ込む。
二つの死体によって白い床に青の血の海が広がっていく。
「あ、ああ……リンドお姉さま、マルクお姉さま……!」
今しがたセファローズに瞬殺された姉妹の名だろうか。
呟きの内容からして三女であることが確定する彼女は仇敵を前にしているのにも関わらず脱力し、涙を浮かべていた。
命乞いでも始めそうな雰囲気だったが──
「サソリにも涙って出るのね?」
と言ったセファローズに腹を貫かれ、絶命した。
「はあ……汚いわね」
セファローズは自身の左腕を浸したかのように付着する如何にも人のものではない血液に悪態を吐き、日常魔法【綺麗魔法】で浄化した。
その一連の流れに、私は評価を訂正しなければならないことを知った。
セファローズの強さは「黄金」の輝きを放っていた。
特技を封じられた状況で、だ。
魔法、いや私など必要なかった。
あの時と全く同じ劣等感が心を蝕んでいくのが分かった。
「ひゅー、流石だねー! セファちゃん!」
背後から聞こえてきた軽い調子の野次。
次に隣からは舌打ちと「行くわよ」という声があり、私はすぐさま劣等感を手放して、代わりに背負い鞄のベルトを握り締め、走り出した。




