第54話 ロエルの館にて
モンクシュッド男爵家の用心棒、"天使に偽装した"魔法使いフィーネの敗北から約一時間後、ロエルの館。
大陸中の人々から百年前の女神以上の信仰を集める【アンハンゲル】の内、人々の営みを守護する役目を担う「生の幹部」ロエル・クレイニアムが人里離れた森林に所有する秘密の花園では、今日もまた色情が入り乱れていた。
「はいはーい。みんな注目」
パンパン、と手を叩く音が真っ白な玄関ホールに響く。
主の声に、集まっていたメイド総勢百名が一斉に口を噤んだ。
いや、完全に口を閉ざしたというには語弊がある。
己をアピールするために、それぞれ異なる系統の顔立ちに化粧を乗せ、髪型を飾り、獣耳がある者は毛並みを整え、甲殻のある者は磨き上げ、完璧に身なりを整えた千差万別な美女全員が、彼の美しさに顔を赤らめて息を呑んだことで必然的に静かになったのだ。
そんな彼女たちの主であるロエルは白のバスローブを身体に巻いて、腕を広げても余りある広い階段を優雅に降りていた。
その横をピカピカのメイド服を着たクマ科の獣耳の少女──申し訳なさそうに身を屈めているものの、その表情に僅かな優越感を滲ませた新人メイドが駆け抜け、玄関ホールの集団に合流する。
同時にどこで舌打ちをする者がいた。
それも複数人。
だが、それは館における日常風景であり、半数以上の者はそんな些事には目を向けず、愛しの主による何にも代えがたい御言葉を今か今かと待っていた。
「まずは新しいお客さんのお出迎え、ご苦労さま。茶番集団、じゃなくてグリム交戦楽団の副団長と天使信仰リーダーの用心棒。大物が立て続けだったけどみんな良く頑張ったね」
甘美さを潤沢に含んだ労いの言葉に、メイドたち全員が恍惚とした表情を浮かべた。
時期的に発情期を迎えていた者なんかは人目を憚らずに身体を震わせているのが見て取れる。
そういった変化は、一見して立ち居振る舞いやメイド服の着こなしが洗練されている者ほど激しいようだ。
その証拠に集団の中央にいる、結んだ髪を後頭部でまとめ上げたクラシカルなメイド長──屋敷にはロエル以外にはメイドしかいない為、名目上はメイド長になっているが実際は家令の仕事を担っている──は気高い雰囲気を醸し出しながらも、屹然と背筋を伸ばし全身全霊を傾けて拝聴していた。
普段通りのメイド長が送る熱い視線にロエルは気が付き、満足そうに頬を緩ませてから話を続けた。
「今回のおかげで研究にもけっこうな余裕が出来そうだよ。特に用心棒の子は予想外だった。中々特別な体質をしているみたいでね。魔法使い特有のものなのかな。彼女から得られるマナがあればお披露目にも間に合うと思う。カーネにはお礼に合成獣の方を贈っておこうかな。ミカ、手配を頼むよ。耐久性が高い子がいいかも」
「かしこまりました、ロエル様」
ミカ、もといメイド長が右手を身体に添えて頭を垂れた。
その動作には一切の無駄が無い。
長く綺麗に揃った睫毛を伏せて、陽光を肌色の頬に映しながらお辞儀する姿はその場にいた他のメイドすら感心させた。
彼女が、他のメイド全員に見られる動物の身体的特徴を唯一有していない仲間外れであるにも関わらず、だ。
メイド長はその役職だけに留まらず、ロエル個人にとっても特別な存在だった。
新世界が開かれた百年前以前、まだロエルが一介の聖職者であった頃から部下として付き従い続けていると聞けば分かりやすいだろう。
メイド長は生の幹部の守護騎士でもある。
彼女は全メイドの行動決定権を握っていた。
「しかし、良い天気だね。まるでお日様がボクを祝福しているみたいだ。最近のボクはツイているしね。そうだ、今日は皆でピクニックにでも行こうか。チェリーパイでも焼いてさ──」
「──あの! 裏切り者のモンクシュッドの用心棒は本当に天使だったのでしょうか! まだ調査が必要なら私がやります!」
ロエルの言葉に割って入り、元気な声を上げたのは先程の新人メイドだった。
期待の表情を浮かべる彼女は茶色のクマ科の丸い耳と木の実にも似た小鼻を小刻みに可愛らしく動かしている。
張り切っている、と誰が見てもそう思っただろう。
だが、新人メイドの期待が成就することはない。
朗らかだった空気は死んだように静まり返っていた。
新人メイドの行動は、先程の話の中でメイド長にしか仕事が与えられなかったことに対する嫉妬から来るものだった。
それ以外にも、ロエルが話さなかったこと、皆が気になっているだろうことを自分が聞いてあげようというお節介な心持ちも僅かながら存在していた。
彼女なりの善意である。
しかし、それが大きな過ちとなることを彼女は知らなかった。
愛しの主の寵愛をその身に授かり、完全に浮かれていたのだ。
「あ、あれ?」
やがて周囲の様子がおかしなことに気が付き、辺りを見渡すと、まるで咎人を見るような視線が一斉に向けられていることを知った新人メイドは、自身の心臓が強く跳ねる音を聞いた。
「はあ……いけない子だなあ。今ボクが話してたでしょ?」
「え? いや、その」
新人メイドは困惑に顔を歪ませた。
この館で生を享け、メイドとして仕事に従事し始めてからそれほど日は経っていないものの、こんなに低く冷たいロエルの声色は聞いたことがなかった。
焦りが爪を立てるようにして胸の奥を引っ掻く。
そこでようやく、もしかして何か失敗してしまったのか、という発想が脳裏に浮かんだ。
焦りつつ、一体何を間違えたのか、と頭をフル回転させる。
動物的な本能がけたたましい程の警鐘を鳴らしおり、先程までの優越感は跡形も無く吹き飛んでいた。
「『いや』って何? ボクに口答えするの? キミが?」
「ち、違います。私はただ何か手伝えることがないかなって」
「あるわけないじゃん。ボクを誰だと思っているの? キミは自分を誰だと思っているの? ボクは神にも届く力で世界を支配する絶対者。キミはそんなボクによって作られた下僕。この違い、分かるよね? 仕事も気遣いもダメダメで、奉仕すらまともに出来ないキミがボクを手伝えることなんて無いんだよ」
ロエルは歩みを進めながら、まるで台本があるかのようにスラスラと言葉を続け、そして新人メイドの前に立った。
余裕綽々とした微笑を湛えているのが常であるその顔に、憎悪にも似た何かだけを浮かべて新人メイドの顎を持ち上げる。
対して、主の指から不可思議な力が全身に流れ込んでくるのを感じ取った新人メイドは吐息を洩らすようになった。
それは興奮と恐怖だけが齎したものではない。
作為的、機械的とでも言うべきか、彼女が人工物たる所以でもあった。
手足が動かない。
自然に生まれた生命が決して味わうことのない「自分の身体が自分のものではない」という感覚を初めて得た人工物──新人メイドは大粒の涙を流し始める。
誰か助けて、その一心で周囲に目をやった。
しかし、彼女の瞳に映ったのはどこまでも無機質なメイドたちの姿だけであった。
「どこ見てるの?」
「ひっ……!」
ロエルが言葉を発すると同時に視線が強制的に固定される。
「このボクを前にしてよそ見するなんて……やっぱりキミは何も分かっていない。いいかい? ボクは生命の優劣を理解出来ていない奴が一番嫌いなんだ。だから、そういう人たちにはいつも分からせてあげるんだよ──こうやってね」
主の赤色をした瞳の奥に、黒さえ呑み込んでしまう程の闇が渦巻いていることを新人メイドは初めて知った。
「ロエル様! やめてください! お願いします!」
「だからお前如きがボクに口答えするなって言ってるだろ──『奇跡解放だ──【生命改造・液状化】』」
「やだ! やだ! やだやだやだ──────」
玄関ホールに響き渡る絶叫も虚しく、新人メイドは人としての姿を失った。
骨は粒子レベルにまで粉砕され、それらを巻き込みながら血肉は極限まで圧縮していき、やがてゲル状態へと変身する。
白い床に落ちたぷるぷると震える液体とも固体とも言えない存在に、ロエルは一瞥くれてから満足そうな笑みを浮かべた。
「ふう……スッキリしたね! あとは、これ掃除しておいて」
その一言に、新人メイドだった物の最も近くにいたボブカットの猫耳メイドが反応する。
懐から布巾を取り出して、「にゃにゃにゃ」と口走りながら目にも留まらぬ速さでそれを片付けた。
その間、約二秒。
メイド集団の外周付近にいた者は何が起きたのか分からなかっただろう。
彼女もまた古参の一人だ。
ロエルの「獣人精製」実験の初めての完成体。
現在の精神・肉体支配システムが確立される以前の作品だ。
この館で生きる術を知っている。
「さて、話を戻そうか。ええと、何だっけ……そうだチェリーパイ。モモ、作れる?」
「もちろんですにゃ。大好きなご主人様のために腕によりをかけますにゃ」
「うんうん。楽しみにしてるね。それと今日捕まえたセファローズちゃんなんだけどさ、一旦脱走させようと思うんだよね」
ロエルは平然と言ったが、唐突に出てきた「脱走させる」という言葉に困惑しなかった者はいないだろう。
耳を澄ませていれば微かだが疑問符混じりの唸り声のようなものが聞こえてきただろう。
それは先程、ロエルと共に部屋から出てきた新人メイドに対して舌打ちをしていた者たち、所謂新参者による困惑の証だ。
入れ替わりが激しいロエルの館にこれだけの人数がいると、こういった場面で経験の差が如実に現れてくる。
特に咄嗟に湧き出た強い感情を抑えるのは至難の業だ。
嫌な仕事を押し付けられた時、上の者から理不尽な事を言われた時、理性的であらねばならないと思いつつも、つい嫌な顔をしてしまうことがある。
それは人工物であるメイドたちも同じだった。
奇跡に近い精巧さであるが故の欠点と言えるだろう。
村に魔物をけしかけたことのある者も、親の目の前で子供を攫ったことのある者も困惑には勝てなかった。
ロエルに対する否定が死に直結すると知ったばかりであるのにも関わらず、声を抑えられなかったのだ。
彼女たちは皆、やってしまった、と顔を青褪めさせている。
鼻が利く者は死の匂いを感じ取ったかもしれない。
「にゃーっくしょん!!」
──だが、新参者たちの罪は黒い猫耳を生やしたモモの大袈裟なくしゃみによって掻き消されることとなった。
再び静寂がやって来る。
その間、一部のメイドたちはモモの行為が逆にロエルの逆鱗に触れることを再現してしまうのではないか、と思った。
しかし、「大変失礼したにゃ」と真面目なのかふざけているのか、良く分からない声とそれに苦笑いを浮かべただけのロエルによって不穏は帳消しになる。
玄関ホールの雰囲気はすっかり元通りになっていた。
「で、話を戻すけどみんなには脱走したセファローズちゃんをもう一度捕まえて欲しいんだよ。まあ簡単に言えばレクリエーションかな」
意味不明な言葉の上乗せだ。
だが、もう声を出す者はいない。
「夜ご飯を食べ終わったら、ボクがセファローズちゃんの睡眠物質の供給を切るよ。そしたら皆、準備して。配置とかはミカに任せるから言うことを聞くように、ね?」
「「かしこまりました、ロエル様」」
「良いお返事だ! ちなみに脱走したセファローズちゃんは殺しちゃっても構わないからね。いや、むしろ殺した方がいいかも。だってボクのお嫁さん候補が増えることになっちゃうからね。ははは! そんなに嫉妬しないで! あの子、けっこう可愛かったんだよ。もちろん皆も可愛いけど、ね?」
そう言ってロエルはウィンクをして愛情を送った。
それは恋に盲目を体現するメイドたちにとって、飴と鞭で言うところの飴であった。
強引で気ままなご主人様のたった一人の伴侶になりたい。
甘くて刺激的な愛を注いでほしい。
そんな熱情を胸に、湿り気を含んだ嬌声を洩らしている。
先程仲間を殺されたというのに、メイドたちに恐怖や怒りが浮かぶことはない。
そういう風に作られているからだ。
「よし。じゃあそんな感じで今日も楽しくやろう。あ、そうそう。言い忘れてた。もし無我夢中で逃げようとする哀れなセファローズちゃんに倒されちゃっても、また産んであげるから安心してね。今日の当番の子も、最初に出会うことになるから上手く戦えないかもだけど大丈夫。だってボクたちに死はやってこないんだから!」
ロエルは断言する。
誰しもが一度は恐れ、それでも必ずやってくる「死」という名の運命を彼は笑顔で否定したのだ。─
傍から見れば狂人の戯言のように思えただろう。
しかし、その場にいる者はそうではなかった。
皆がロエルの言葉が事実であることを知っていた。
「さあ、まずはピクニックに行こう! 楽しい一日の始まりだ!」




