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魔法の堕天使、降臨す  作者: 鹿磨
第1章 新世界と闇の産声
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第53話 光の使者に影が射す


 私と同じくらいの背丈の超然とした女。

 この世のものとは思えない唯一無二の美しさをした純白の大翼を四つ携えて、頭頂には太陽の如く輝きを放つ光輪がある。

 三日月のような糸目に微笑を乗せながら、細い腕を広げて抱擁を誘う彼女は──生の始天使リサウェル・デア・リヴだ。


 死んだと思っていた家族が生きていた。

 これほど嬉しいことはない。


 リヴも同じ気持ちを抱いているのだろう。

 私が溢れ出る涙を堪えながら一つ二つとおぼつかない足取りで近付くと、リヴはらしくない表情──白い歯を見せて稚拙な笑顔を作った。


 もう少しで身体に触れられる。

 抱擁など何年ぶり、いや、初めてかもしれない。

 お互いの肌に敷き詰められた穢れのない網膜模様がハッキリ見えるまでに近付いた刹那、脳裏に疑問が湧いて出て来た。


 そういえば、マナが感じられないな、と。

 

「チッ──『【詠唱破棄】──【旋風(デア・ウィンド)】』!」 


 柔らかな風が守衛室に吹いた。

 風属性の基礎魔法、発動者は──私ではない。

 その証拠に魔法の風は私のうなじを撫でて進み、目の前にいた大切な家族を吹き飛ばした。

 私が開発した魔法【旋風】によって二人の天使の距離は強制的に引き裂かれることとなる。


 驚いて振り返ると、両手を前に翳したセファローズがいた。

 歯を食い縛り、肩を上下させている。

 慣れないまま【詠唱破棄】を用いた者にありがちな兆候だ。

 魔法を使うようになったのか……いや、今はそれどころではない。

 彼女が起こした突如たる行動を非難しようとする私だったが、その碧眼が纏う殺気に思わず口を噤んでしまう。


 堅気の人では出せない鋭利な視線はリヴだけでなく、私にも向けられているような気がしたのだ。


「フィーネ、ソイツは偽物よ」


 セファローズは静かに、しかし力強く言い切った。


 偽物……?

 目の前のリヴが偽物だと……?


 私はセファローズの言葉が信じ切れない。


 魔法の風によって廊下の壁に追いやられた女は、私の記憶の中にいるリヴをそのまま取り出したかのような外見と雰囲気をしている。

 同じ日に生を受け、それから約一万年間も同じ天上で過ごした家族を見紛うはずがなかった。


 しかし、この時の私は混乱のあまり忘れていたのだ。

 自身の得意不得意──マナを見極めることは得意であるが、人の外見を覚えるのは不得意であるということを。

 冷静になって先程脳裏に浮かんだ疑問を追っていれば、もっと早くその正体に気が付けただろう。


 廊下の白い背景にもたれかかりながら、口端を目一杯横に広げて邪悪な笑みを湛えたリヴは、私たちに向き直りやがて──素顔を見せた。


「流石だなーセファちゃん! 美人なだけじゃなくて賢いね。それでいて気高さもある。ボク、そういう子、大好き」


 嘲笑にどっぷりと浸したような鼻にかかった中性的な声。

 それがよく似合うと言うべきか、甘ったるい印象の、都会的で端正な顔立ちをした男がそこにはいた。

 二枚目、甘いマスク、という言葉がよく似合う。

 いつ現れたのか、それは目の前にいた私ですら分からない。

 どこかのタイミングで瞬きをして、瞼を開けた時には既にリヴの姿は無く、代わりに彼が立っていたのだ。


 私は模範的な百点満点の絶句をしていた。


「ロエル……ッ!」


「おっと、そんな風にシワを寄せたら美しい顔が台無しじゃないか。これからキミのご主人様になるボクの為にも、その美貌は保ってもらわないと、ね?」


「きっしょ」


 低く唸るような声でセファローズは毒を吐いた。

 その様子と先程の「ロエル」という呟きからして、ようやく目の前にいる男が「生の幹部」であることに気が付く。


 確かに彼が身に纏う服装は聖職者特有の丈の長いガウンであり、所々に見られる荘厳な意匠は「重力の幹部」のものと酷似していた。

 頭上に光臨は見られず、観測出来る所有マナ量も未だゼロに近いのが気になるところではあるが、何か細工があるのだろうという結論に着地する。

 街一つを軽々と潰した重力の幹部と同列にいるはずの彼が弱いはずがない。


 しかし、何よりも……早すぎるな。


 私は声には出さずに呟いた。

 天界崩壊後の世界を支配する幹部殿が、たった数日の間で立て続けに現れるのも、館で鉢合わせる二番目の敵として出てくるのも、何もかもが早かった。

 

 おかげで吐き気が止まらない。

 心臓が早鐘を打ちすぎて目眩がしてきた。

 もう少し私の気持ちを慮ってくれ。


 この嵐がさっさと過ぎ去りますように、と黙ったまま懇願する私だったが、我々天使にとって災厄とも言える彼の存在は、気ままに弱者を巻き込んだ。


「あ、キミはフィーネちゃんだよね? さっきは平然を装ったけど、キミがいるのは心外だったよ。もしかして、わざわざボクに会いに来てくれたのかな?」


「……勘弁してくれ」


 重力の幹部を通じて私の名前を知ったのだろうか。

 馴れ馴れしく呼びかけてきたロエルの悪趣味な長い前髪の奥では、ぬらりとした光沢を放つ瞳が私を捉えていた。

 男にしては愛嬌のある丸い形の目。

 頭髪と同じ緋色の虹彩には不埒な欲望が揺れていた。


 ──品定めされている。


 目前の状況だけでなく、肌でもそれを直感した。


「ふーん……やっぱりキミも可愛いな。棘のある雰囲気だけど、本当は甘えん坊さんって感じ? まるで子猫ちゃんみたいだ」


「こ、子猫ちゃん……?」


 確かに我々天使は下界屈指の愛玩動物である猫に例えられることがあるが……しかし、気持ち悪すぎる。


 往来を歩く女性が下心丸出しの野郎共に声を掛けられるというのは世の常であり、女に生まれた者の宿命だと断言出来る程に、天界にいた頃は飽き飽きするほど見かけたものだ。

 当時はそんなに嫌なものか、と疑問を抱いていたが……いざ私が声を掛けられる立場になってみると、彼女たちが口を揃えて断り文句を告げていた理由がようやく分かった。


 見ず知らずの者に、外見だけの評価で繋がりを求められるのは、酷い不快感があるのだ。

 相手の方が強者である場合は抵抗も難しいので更に最悪だ。

 一時期、やたらと女性が身体を鍛え、女騎士や女戦士といった職業が流行ったのも今なら頷けるようだ。


「その辺にしておきなさいよ」


「あれれ、もしかして嫉妬? 可愛いなあ。でも、セファちゃんじゃボクを止められないよ? だって君はもうボクのモノだもん、ね?」


 明朗として言ったロエルだったが、その白い歯を見せた笑顔にはドス黒い狂気の靄がかかっていた。

 目を合わせてしまった私の身体に底冷えする悪寒が走る。

 重力の幹部が放っていた威圧感とは違う、何か正気を失わせてくるような気味の悪さだった。


 奴に歯向かえば、死以上の最悪が訪れるような予感がする。

 実際問題、最低でも先程の保管庫に戻されて、永遠とマナを搾取されるだけの傀儡と成れ果てるのは確定だろう。

 だが、もっと最悪なのが奴の力の餌食になることだ。

 先程も書き記したが、セファローズにアモルから授かった植物操作について聞いたところ『生の幹部』に身体を造り変えられて失ってしまった、と言っていた。


 つまり、ロエルは生命の禁忌を侵すことが出来るのだ。

 かつて下界に生ける遍く生命を管理していたリヴでさえ、権能が及ぶ範疇を死後新たに転生する生命までに留めていたがしかし、奴は平然とその不文律を踏み抜いている。

 先程、リヴに化けて出て来たロエルとの抱擁をセファローズが止めてくれていなければ私も今頃……。


 最悪だ、今すぐ逃げたい。

 安全で人目につかない所に隠れたい。


 私の心は、遂に崩壊を迎えようとしていた。


 だが、いや……やはりと言うべきか、傍にいた旧友は未だに諦めてはいないらしい。


「アンタのモノになったつもりはないわよ。っていうか、アタシたちの荷物はどうしたのよ。貴重な物だけを選んじゃって。『生命の保管庫』ってのも悪趣味だし、アンタに人の心ってもんは無いわけ?」


「そりゃ無いでしょ。だってボクは神なんだから」


 唐突な神座を冒涜する発言。

 女神の子である私は反射的に否定の言葉を返したくなるが、それが出来る程の勇気は無かった。

 また事実として、奴は始天使の力──女神デア様の力の一部を有しており、生の始天使の姿を完璧に模倣してみせている。


 私もセファローズも苦い表情をしていた。


「好きなように生命を生み出せて、気に食わない所があれば改造出来る。それって神だからこそ成せる力でしょ? ね? 厳密に言えば神の子の力なんだろうけど、女神は死んだんだ。死んだ人よりも生きているボクの方が価値がある。そう思わない?」


「貴様……」


「まあ……分かってくれなくてもいいや。女の子に自慢するのもチヤホヤされるのもいつだって出来るからね。今のボクはもっとワクワクしたい気分なんだ。もちろん女の子を使ってね。──だからさ、ボクと追いかけっこしよっか?」


 守衛室の空気が不思議な静寂に包まれる。

 限界まで張り詰めた糸のような緊張感の中で、唐突に現れた「追いかけっこ」という幼稚な言葉があまりにも不相応だった。


 ふざけているのか、はたまた意表を突こうとしているのか、様々な思索と警戒が錯綜する。

 

 そんな私を嘲笑うかのように、この場を完全に支配している生の幹部ロエルは上機嫌に言葉を続けた。


「ルールは簡単。ボクは今からキミたちを解放する。そして、キミたちは大事な持ち物が置かれたボクの部屋を目指すんだ。アレを置いて逃げるなんて……出来ないよね? うんうん。分かってるよ。で、そんなキミたちをボクが追いかけてあげる。もし何事もなく無事に辿り着けたらキミたちの勝ち。あとは逃げるなり好きなようにすればいい。あ、ボクのメイドになりたいって言うならそれもアリだよ?」


「誰が」


「いやいや、案外悪くないと思うけどなあ? 最初はイヤがってた子も、ボクの手にかかったらすぐに虜になっちゃうんだよ。まあ、使えなくちゃったら……ポイッ、だけどね」


 ロエルは何かを後ろに投げる仕草をしてみせる。

 それから、「ふふ」と言って笑った。


 誰かコイツを殺してくれ。


「……では、捕まったらどうなるのだ?」


 私の質問にロエルはこちらに近付いてきて、私の顎に指を添えクイッと持ち上げる。


「そりゃあ、一生ボクの性奴隷? ははっ、そんな顔しないでよ。二人とも可愛いから、もっとイジメたくなっちゃうよ?」


「ほんとサイアク」


「ああ……吐きそうだ」


 私はロエルの手を振り払い、嫌な顔をして強い拒否感を主張する。


 コイツが喋るだけで私の人生が汚されていくようだった。


 ──性奴隷、もとい奴隷という枠組みは百年前以前には存在していなかった。

 無論、地の民が持つ底知れぬ欲望からして人を単なる道具として扱う発想が出てこないわけがないのだが、それでも普及しなかったのには明確な理由がある。


 死の始天使ニルが奴隷を嫌っていたからだ。


 それは単なる好き嫌いであり、ニル自身も奴隷制度を生み出し始めた者を特別処罰していたわけではない。

 だが、やはり「死を与える」という力が持つ抑止力は凄まじく、大昔、下界に降りたニルが初めて目にした奴隷商人に対して「くだらねえな」と呟き、それが語り草となって以降は人身売買はタブー視され、その発想があったとしても暫く経てば枯れ葉のように萎れていくようになった。


 過去の過ちから、始天使は自身の管理対象以外の概念には手を出さないという決まりがあったのだが、ニルのそれは明らかな掟破りになるだろう。

 加えて、一人の始天使が地の民に圧力を掛けている構図とも取れる。

 所謂、権力集中だ。


 それでも尚、我々が静観を決め込んだのは「奴隷制度」があまりに胸糞悪く、女神デア様の元来の願い──「みんななかよく」を貶すものだったからだ。


 ──しかしながら現在の世界の管理者は、私たちを性奴隷にする、と口にした。


 ただの独り言ではなく、生の始天使リアウェル・デア・リヴから"奪った"力を誇示して私を脅迫したのだ。


 事実を認識した刹那、胸の奥に跳ねるような痛みがあった。

 思わず顰めた眉のままでロエルを睨みつける。


「うんうん、いい顔だね。古来より生きる特別なエルフ族と謎多き魔法使い。反抗的なキミたちをボク好みに造り変えるのが楽しみだ。ちなみにボクに触れられたら負けだからね。ルール上でもそうだし、ボクの力的にもアウトだよ。セファちゃんならよく知ってるよね?」


 長々と話す最中、スラリとした体躯を活かしながら顎に手を当ててみたり、わざとらしく人差し指を立ててみたりしてロエルは軽薄さと俗臭を前面に出す。


 傍では歯軋りをする音が鳴っていた。

 私は何も言わぬ代わりに、脳内で生命保管庫に管を繋がれて並んでいた実験体たちと、リヴと瓜二つに化けたロエルの姿を並べて──例えば私をスライムのような単純な構造に変えて、より効率的に尚且つより非倫理的にマナを吸収することも可能なのだろうか、と妄想した。


 そして、ロエルの白い袖が上がり──


「それじゃあ始めようか! よーい、ドン!」


 ──と最悪の追いかけっこの開幕が宣言された。


 私は抵抗感に抗えずに逡巡してしまうが、いつの間にか背負い鞄を背負ったセファローズに「行かないと」と腕を掴まれてようやく足を動かした。


 扉の先でニヤニヤするロエルの前を通り、駆け出す。

 香料入りの石鹸の匂いがした。


「十秒数えたらボクも行くよ。ちなみに、館の中はボクの可愛い子ちゃんたちが沢山お出迎えしてくれるからね!」


「死ね!」


 最後の悪足掻きか、セファローズの暴言が廊下に反響する。

 次に喉元を掻き切るような仕草──下界最大級の侮辱と暴力として知られるサインをロエルに向けた。

 短絡的な言動ではあったが、思ったこと感じたことを言葉にする姿を見て、何も言えぬ自身を情けなく思った。


 「心を自由に」を矜持としていた私はどこへ行った?


 前を走り、光り輝かんとする旧友の影に隠れて、私は表情を曇らせた。


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