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魔法の堕天使、降臨す  作者: 鹿磨
第1章 新世界と闇の産声
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第52話 失敗作と敗北者 その3


 ロエルの館、地下「守衛室」。

 無機質な小部屋で尚且つ整頓された室内には、それを上書きするとでも言わんばかりに脱ぎ散らかされた無地の衣服と頬を上気させて吐息を漏らす半天使とエルフがいた。


 大粒の汗が二人の輪郭をなぞるように伝っている。


「無い……無い……!」


 守衛室の机上に置かれていた文書──「保管種族分類」やら「廃棄予定者一覧」やらを掻き分けてセファローズが声を震わせた。


 自然由来の素材で作られた森の守り人(エルフ)らしい深緑と枯木色が織り成す衣服──森と一体化する目的から肩に羽織ったケープは風にそよぎ、スカートから覗く色素の薄い太腿は弾力を持って揺れ動いている。

 カツカツと天然皮革の靴が床を叩く。

 金色の横髪を耳にかけながら室内を忙しなく動き回る姿からは明らかな焦燥が伝わってきた。


 ──と同時に。


「無いぞ……無いぞ……!」


 セファローズのすぐ隣で同じような言葉を吐き、同じように焦る女がもう一人いた。

 資料の並んだ棚の隙間を覗いてみたり、机の引き出しを開けたり、閉めてみたりする魔法使い──そう、私である。


 恐怖から来る焦りというよりかは、なぜ、どうして、というような困惑による焦りが心を占めていた。


 では、そんな「なぜ」、「どうして」という困惑は一体何に対するものなのか。

 その根源は没収された所有物があるらしい守衛室に、肝心の物だけが見当たらなかったことにあった。


 私の場合、【ルモス村】のマダム・ラベンダーから譲り受けた黒紫色の立ち襟ローブや古びた懐中時計等は取り戻せたのだが、ルキスから貰った星型のペンダントやモンクシュッド男爵から託された我が魔導書とリヴの遺物「マル秘・交配指南書」は見計らったように消えていた。


「絶対、誰かが抜き取ったんだわ」


 私の方は見ずに、机に視線を落としたセファローズは言う。

 吐き捨てるような舌打ちをすると、今度は知性を露わにした神妙な面持ちになって何かを考え始めていた。


 そんなセファローズは捕まる以前に愛用していた背負い鞄はあったものの、中を覗いてみれば大切にしていた物だけが見事に抜き取られていたそうだ。


 机上に置かれた、使い古されているが、どこか上品さを感じる革製の背負い鞄はセファローズの背中より一回りも大きく、よく膨らんでいた。

 それでも、物言わぬ風貌に哀愁を感じたのは気の所為ではないだろう。


 先のセファローズの言葉に私は心の中で相槌を打つ。


 無くなっていた物が全て始天使にまつわる物であったことからして、間違いなく何らかの陰謀が働いている。

 それもとびきり最悪な陰謀だ。

 自身がいる場所を踏まえて推察してみれば、陰謀の先にいるであろう人物が容易に浮かび上がり、吐きそうになった。


 以前の私ならば勇猛果敢に足を踏み出しただろうが、名前すら挙げたくない"彼女"の強さを思い知った今は違う。

 かつては勇気であったものが今は無謀に成り下がっている。

 もういいか、と投げ出したい気持ちに心を塗り替えられてしまいそうだった。


 だがしかし、我が手元を離れたのは今は亡き同胞の遺物。

 更には天界崩壊後の世界で偶然出会ったものばかりだ。

 ここで見捨てれば一生涯後悔に苛まれることになるだろう。

 そして、そんな余生に価値はあるのだろうか。


 答えは否だ。


 私の思考・行動方針の根幹にあった「魔法」が打ち砕かれたとて、抗えることはまだあるはずなのだ。

 打ち倒すことは不可能でも、せめて我が宝を奪い返すことくらいはしてみせよう。

 そして、無事に奪え返せたなら名を捨てて旅に出よう。

 此度の奪還を魔法の始天使としての最後の戦いとし、新たな人生の餞とするのだ。


 震える手足を深呼吸で落ち着かせて、白の魔導書(ホワイト・アルバム)を呼んだ。


 私の手元を唯一離れなかった魔導書、もとい宝物である。


「白の魔導書よ、捕縛された私が貴様を招集する以前、他の所有物たちは既に無くなっていたのか?」


『マスターの質問を確認──記録(ログ)から情報の選別・思考・伝達を実行します──回答、無くなっておりませんでした。マスターの招集命令前と比較し、現在の室内の所有物数は減少しています』


「やっぱりフィーネの魔導書がここを出た後に誰かが来たのよ。それで値打ちのあるものだけを抜き取ったんだわ」


 ……やはりそうか。

 私は腐っても始天使だ。

 ルキスとリヴの物が奪われて白の魔導書だけ残っているというのはおかしい、いや悲しすぎる。

 白の魔導書の報告に、良かったとまでは言わないが、僅かばかりの安堵感を抱いてしまう私がいた。


 少しだけ回復した自尊心を胸にセファローズの方を向く。


「では……取り返しに行くか。問題は誰が奪ったのか、だが……」


「十中八九、あのキザ野郎──生の幹部ロエルでしょうね。でも、どこにいるのかは分からないわ」


「ふむ……ヒューマンならば大抵自室にいるのではないのか?」


「アイツの部屋自体はあるみたいなんだけど、常にいるのは館に幾つもある女中部屋らしいのよ」


「や、やけに詳しいのだな?」


 世界の根幹を成す要素を司る力を持った【アンハンゲル】はおそらく現代世界の頂点に君臨していることだろう。


 村で言えば村長、町で言えば町長、国で言えば国王、と規模が拡大していくに連れて命の重みは増していくものだ。

 道徳的な観点ではなく、社会的な観点で、だ。

 そして、世界の長ともなれば数え切れない人々から認知され、尊敬を集め、最後には崇められるようになる。

 天上に立っていた私が言うのだから間違いはないだろう。


 その一方で認知が広くなれば必ず危険も伴うようになる。

 これもまた経験者は語る、というやつだ。


 自分のことさえ理解出来ない者がいる中で、他人を完全に理解するのは不可能に等しく、例え平和的に生きようとしても遅かれ早かれ思想の相違は必ず体験することになるだろう。

 それ故に現れる対立者は、やはり上に立つ者ほど遭遇する可能性が高くなり、必然的に身の危険も高まるというわけだ。

 実際【アンハンゲル】にはモンクシュッド男爵を筆頭とした叛逆の芽が出始めているように思える。


 だからこそ、彼らの情報、特に居場所なんかは秘匿にされる若しくは絶対的な守護があるべきであり、セファローズがその詳細を知っているというのは何か特別な理由があるのではないか、と勘繰ってしまった。

 彼女がいつか発していた「身体を造り変えられた」という意味深な言葉も、私の下賤な妄想に拍車をかけるようだ。


 そんなわけで私がぎこちなく質問をすると、セファローズは何かを察したのか「今後の為にも言っとくけどアタシは襲われたりしてないわよ」と一言断ってから話し始めた。


「【グリム交戦楽団】って知ってる?」


「いや、知らぬな。どこかの音楽隊か?」


 どこか惹き込まれるものがある名前だな、と思う。

 だが、私に音楽を嗜む趣味は無い。

 我が守護天使バニーは酒場に来る「流し」が奏でる音を肴に盃を傾けることもあったようだが……いや、この話はよそう。


 胸が張り裂けそうだ。


「音楽隊ではないわね。まあ、別に覚えなくたって良いんだけど、簡単に言うとアールディア正教団に楯突く反乱軍ってとこかしら。『例の人外集団』なんて呼ばれたりしてるわ」


 なるほど。

 アールディア正教団はモンクシュッド男爵を筆頭とした旧プエル派だけでなく、他にも反対勢力を抱えているのか。


 確かによく考えてみれば、市民に一日三回のお祈りを強いている時点で、純粋無垢な信仰を集めているとは言えないのかもしれない。

 それでも百年間世界を統治し続けているのは見事だがな。

 仮初の管理者にしては上出来だろう。

 燃え滓程度に残った始天使としてのプライドが、彼らに敬いの気持ちを抱くのが分かった。


 それにしても、「例の人外集団」か。

 その言葉には聞き覚えがあった。

 はて、どこで耳にしたか。


 寸刻程記憶の海を彷徨っていると【メリディ・リサ】の教会でのモンクシュッド男爵の発言に辿り着いた。

 私の記憶が正しければ……モンクシュッド男爵は聖印(シール)の無い私のことを「例の人外集団の実験体」と言って何とかマン大司教から匿ってくれていたな。


 彼らもまた聖印を持たない、とも言っていたか。


 そこでセファローズの右腕をチラリと見てみるが、やはりそれらしきものは見当たらなかった。

 世界各地を旅していたとは思えぬ瑞々しい腕だ。


「セファローズはその反乱軍に所属しているのか」


「いたのはついこの前までよ。勝手に『副団長』なんて呼ばれてたりしたんだけど……色々あって抜けちゃったわ」


 そう言って苦笑いを浮かべるセファローズ。

 怒りや悲しみの感情は見られなかった様子からして仲違いをしたというわけではなさそうだ。


 そういえばモンクシュッド男爵は「生の幹部が例の人外集団の副将を捕まえた」というような話もしていた。

 それはセファローズのことだったのだろう。

 用心棒としての毎日は、と言っても三日程しか経っていないが、それでも大変目まぐるしく変化していたので聞きそびれてしまっていた。

 もし屋敷にいた時の私が追及していれば、あるいは……いや、過ぎ去ったことを掘り返すのはやめよう。


 しかし……最近の私は後悔してばかりだな。


 つい先程【メリディ・リサ】での記憶を掘り起こした際も、胸に鋭い 痛みと喪失感を覚えた。

 目が覚めたら全てが手遅れだった同胞たちの死とは違う、あの時ああしていれば、という生々しい絶望を含んだ悔恨だ。

 それに触れる度、心に陰鬱とした靄がかかるのが分かる。


 先程から止まらぬ吐き気を何とか堪えて、私は話を続けた。

 

「だが、脱退したにせよ、その組織のおかげでここには詳しいというわけだな?」


「まあ……そうかも。それが良いことなのかは分からないけどね。侵入は出来ても、結局捕まっちゃったし」


 新たな世界の管理者【アンハンゲル】の領域に侵入するという暴挙とその結末を、少しばかり肩を竦めるだけで言い終えたセファローズ。

 自慢げでもなければ自嘲気味でもなかった。

 まるでそれが普通だとでも言うのだろうか。


「で、話を戻すけど、生の幹部ロエルは館のメイドと色んな部屋で四六時中遊んでるらしいから、どこにいるのか分からないの。奪われた物を探すなら、ある程度手当たり次第になるわね。ロエルの部屋を探すにしたって奥の方にあるみたいだし」


「むう……だが、館には先程のような獣人メイドがいるのだろう?」


「情報では五十人くらいいるらしいわよ」


「ご、五十人……!? 彼のヤギヒツジメイドはそれなりに動けていたぞ。単独であったから撃退出来たが複数相手となると……いけるか?」


 私が弱音を吐くのには理由があった。


 セファローズが敵を翻弄し、その間に詠唱を完成させる。

 先の戦闘で、まるで予め用意していたかのような円滑さでセファローズが実行した戦法は、非常に汎用性が高く、詠唱に時間を要するという魔法の弱点を完璧に補えるものだった。


 実戦経験を積んでいくに連れて、詠唱が半ば制約のように思い始めていたが、それを克服する糸口が見えたと言っても良いだろう。

 魔法本体よりも詠唱を愛していた時期もあるので、心からの喜びと安心感もひとしおだ。


 しかし、それは敵が少人数であった場合に限る話である。

 セファローズの作戦により一人は倒せても、まだ敵がいるのならば再度詠唱が必要になる。

 その際、同じ作戦が通用するだろうか、いや、しない。


 ならば敵を一度に倒せば良い。

 そう思うかもしれないが、問題がある。


 詠唱を唱えた際に構築される術式を改良したり、マナ操作を工夫したりして魔法の威力を底上げさせることは可能だ。

 しかし、その範囲には限度があるのだ。

 例えるならば、剣の攻撃範囲が良いだろう。

 斬撃の威力向上は筋力や技術力で賄えるが、攻撃範囲に関しては物理的な限界があり、武器を新調するか改良することで無理に広げることも可能ではあるものの、今度は重量や利便性が足枷となって却って威力が損なわれてしまう。


 それは魔法でも同じようなことが言えた。

 簡単に言えば【火球(ファイア・ボール)】によって顕現させた炎を大きくする為には、マナを拡散させる必要があり、それをすれば範囲こそ広がるが密度は低下し、肝心の威力は低下の一途を辿るというわけだ。


 ──とは言え、我が魔法は世の理に縛られることはない。

 驚くことなかれ。

 とある領域にまで達すれば、威力を爆発的に向上させながらも、攻撃範囲を拡大させることが可能だ。

 その領域とは──「中級魔法」である。


 基本的な魔法技能に更なる"知識"を注ぎ込むことによって、より深く、より洗練された魔導の道を歩むことができ、その先に「中級魔法」という名の新たな世界がある。

 「初級魔法」を一とするならば「中級魔法」は千だ。

 「初級魔法」を小石とするならば「中級魔法」は塔だ。

 大袈裟ではなく、本当にそれくらいの差がある。


 ヒューマン世界の規模ならば「中級魔法」を一つ修めれば人々から「大魔導士」と呼ばれるようになるだろう。


 それ即ち、範囲魔法は想像以上に高度ということだ。

 よく考えてみてほしい。

 広大な森を指の一振りだけで灰燼にする力を。

 それを可能とする為にはどれだけのマナが必要で、どれだけの知識があれば被害を制御出来るのか。


 強い力には危険が伴うものだ。

 魔法の試行錯誤には死を招くこともある。

 故に「中級魔法」を完全に制御出来る者は「大魔導士」と呼ばれるのである。


 ──話が脇道を逸れてしまったな。

 魔法談義はここまでにしておこう。

 まだまだ書き綴りたいことがあるのだが、今は無用だろう。

 ご存知の通り、「中級魔法」は今の私には使えない。

 そして、それが問題なのだ。


 私は近頃「初級魔法」に限界を感じ始めている。


 それほど広くない射程範囲によって、近頃は私の魔法を避ける者が現れ始めており、あまつさえ無傷で受け切る者すら現れ始めていた。

 自信の喪失に次ぐ自己確立の崩壊。

 今吐き出した弱音の出処はそこにある。


 何度も書き記したことだが、魔法は心の在り方が影響してくるものだ。

 例え「初級魔法」の【火球(ファイア・ボール)】でも膨大なマナと最高峰の知識と技術、そして全能感さえあれば、数千の魔物を一瞬で蹂躙出来るくらいにはな。


 だからこそ、下界で目覚めてから私の手のひらに顕現する魔法の有り様を見ていると、あらゆる面での弱体化を痛感する。 


 こうして、いつまでもウジウジしてたら駄目、というか悪循環に陥るばかりだと分かってはいるのだが……どうにも気が起きなかった。


 何かが足りないのだろう。

 もう一度羽ばたく為の何かが。


 しかし、そんな漠然としたものが都合良く現れるはずもなく、私はセファローズに助けを求めるだけであった。


「メイドくらいなら心配無いわ。アタシ、結構──」


 とその時、守衛室の扉が叩かれた。

 瞬間、空気が凍り付く。

 自慢げな表情を浮かべて何かを言いかけていたセファローズも表情を気迫に満ちたものに一変させ、白い扉を睨んでいた。


 扉の先にいるのは……大方敵だろうな。

 ここは守衛室。

 必然的に保管庫へ出入りする者や仕事を交代する者が訪れることもあるはずだ。

 阿呆でも分かる。


 二人の中で扉に近い所に立っていた私は白の魔導書を開く。

 魔法の前準備として身体中のマナを漲らせ始めた。

 いや、もう詠唱を唱え始めても良いかもしれない。


 そう思ったが──


「扉を開けてください……生の始天使リサウェルです」


 それは酷く聞き覚えのある声だった。

 それは天界が崩壊した世界で心から切望した声だった。


「フィーネ……!? 開けちゃダメ!!」


 セファローズの制止を無視して、私は扉を開ける。

 その先にいたのはリヴだった。

 私の仲間であり、家族でもある大切な存在。

 見間違うはずがない。


 生きていたのだな。


「おや、久し振りですね……フィーネ」


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