第51話 失敗作と敗北者 その2
「フィーネ、今よ!」
敵の大振りな攻撃を誘い、それを跳躍して空中を泳ぐように避け切ったセファローズが鋭く合図をする。
彼女が縦横無尽に敵を翻弄している間にありったけのマナを収束させていた私は大きく頷いた。
高密度のマナは従来の威力を遥かに凌ぐだろう。
詠唱は既に唱えてある。
あとは心を込めるだけであった。
「うむ──【散雷】」
瞬間、閃光が迸る。
視界を埋め尽くすまでに拡散した雷光は標的を捉えると一気に襲いかかって、その巨体を穿ち、破壊した。
息絶えても尚、白目を剥いて痙攣する巨体。
私が指を鳴らすと、駆け巡っていた紫電が飛び散り、羊、いや山羊、じゃなくて合成人はやがて力なく倒れる。
戦闘中、「失敗作とは出来が違う」と何度も主張していた合成人は我々にあっけなく撃破されたのだった。
「腕は衰えてないみたいね」
そう言って親指を立てたセファローズ。
だが、その朗らかな表情の中にはどこか哀愁が漂っていた。
そんな影を差すような感情が多分、自身のせいであることを察した私は口元に笑みを作ってみせることしか出来ない。
二度目の別れが迫っていた。
セファローズは自由を求めて再び世界に飛び出すのだろう。
私は…………何も出来ない。
場は流れ、私たちは当初の目的達成に向けて切り替えた。
ここからの脱出──もっと言えば、白の魔導書が「指紋を認識して開閉する仕組み」と報告していた扉についてだ。
しかしどうしたものか、と私が考え始めると同時にセファローズは合成人の亡骸の元にしゃがみ込んで言った。
「これ、魔法で切れる?」
セファローズは合成人の脱力した片腕を持ち上げていた。
その光景に私は一瞬思考を停止する。
やがて暫くの逡巡の後に、やはり彼女の言った「これ」が合成人の片腕を指しており、言葉通りにそれを魔法で切らせようとしていることを理解した私は思い切り顔を顰めた。
我が道を邪魔する輩を魔法で抹殺したことは何度かある。
良い気はしないが、抵抗感は無い。
無価値な殺生は控えていると自負出来るからだ。
だが、亡骸を弄ぶとなると話は別だった。
それは同じ世界を生きる全ての生命に対する冒涜に繋がる。
しかしながら、その方法以外に解決する術が無さそうであることも理解していたので、感情を押し殺して足を進めた。
至って平然としたセファローズに亡骸の片腕を渡される。
既に冷たくなっていたそれは合成"人"らしく、肌色で五本の指があり、れっきとした人の形をしていた。
せめて爪くらいは獣のようであってくれ、と願ったが、運の悪いことに合成人の爪は女性らしく綺麗で更には桃色に塗ってお洒落してあった。
メイド服を着ている癖に何余計なことをしているのだ。
死してまで私の邪魔をしないでくれ、と悪態を吐きたくなる。
背中に妙な汗をかきながら数秒程の葛藤を終えた私は【風刃】を発動させた。
くるくると回転してドーナツ状になった風の刃はやがて、瑞々しい音を立てながら合成人の肘あたりを切断する。
──合成人の血は赤い色をしていた。
「よっと……アンタの魔法は綺麗に切れるわねえ……」
切断されて血塗れになった腕を軽々しく持ち上げた人に言われても全然嬉しくない。
「おお、開いたわよ!」
と、やはり平然と言う旧友とその濁った碧瞳を見て、私はこの世界と自分自身を更に憎んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ふわふわと浮かんで、おまけに人の言葉を発する白くて不思議な魔導書を先頭にセファローズは進んでいた。
生命の幹部に捕まる前から聞いていた情報の通り、自動ドアの先には上に続く階段があり、現在は荷物が一時的に保管されているはずの「守衛室」を目指している。
そして、その後ろにはもう二度と会えないと思っていたマギウェル・デア・フィーネがいた。
数日前に世界に魔法が復活した際、ふと頭を過ったことではあったが、まさか本当に生きていたとは驚きである。
生の幹部の罠なのではないか、と今一度疑ってみたものの、フィーネの右腕に聖印は確認できなかった。
それにあの口調を常人が真似するのは不可能だろう。
夢でも幻でもない。
本物だ。
ここからは周囲を警戒するように呼びかけると「うむ!」と元気よく、どこか芝居がかった声が聞こえてくる。
この状況を何度夢見てきたことだろう。
──それなのに、胸の奥では怒りが渦を巻いていた。
今から百年前に起こった悲劇「女神の落日」。
沢山の人が死んだ。
いや、人だけには留まらず、自然も国も自由も死んだ。
雪山の斜面を転がり始めた雪玉がやがて災害級の雪崩を引き起こすように、連鎖的に何もかもが崩壊していった在りし日の中で、辛うじて生き残ったセファローズは孤独を味わうこととなった。
旅の途中で出会った友人とその子供たち、何世代にも渡って取り引きしていた商会、エルフの里とそこに残った両親。
大切な繋がりがたった一夜で消え去った。
あまりにも突然だったので、何とかしてその繋がりの軌跡を世界に残そうと、故人の墓を各地に建てて回ったこともある。
泣いて、前を向いて、絶望して、乗り越えて。
そうやって幾つもの悲劇を何とかしてきたセファローズだったが、中でも唯一受け止めきれず、何処にいても何をしていても忘れることが出来なかったのがフィーネの死だった。
悲しいなどという次元の話ではない。
最悪の夜から一夜明けて、いつものように空を見上げた際にようやく天界崩壊を知ったセファローズは、生まれて初めて自分自身にナイフを向けた。
生きている価値が無い、と直感したのだ。
それでも何も成さずには死にきれないと覚悟を決めてから百年が経ち、故人の弔いに満足した後は、世界に蔓延り始めた思想に反旗を翻す集団への参加と脱退をして、その締めくくりとして幹部の本拠地に乗り込み、今に至る。
振り返ってみれば、昨日までの行動の全てが無意識の内にフィーネの亡霊を追いかけ続けた結果だったのだろう。
だから、この再会は喜ばしいことのはずなのだが……。
セファローズは徐ろに後ろを見る。
「と、どうかしたか?」
「別に、何でもないわ」
「そうか……なら良いのだが……」
違う。
自身の知るフィーネはこんな情けない表情はしない。
再び前を向いたセファローズは眉間に憎悪を刻んだ。
今から八百年と百十八日前、世界樹剪定──おとぎ話みたいだったあの日から、一度も再会しなかったことで日に日に大きくなっていった理想像と今後ろを歩いているフィーネの姿は大きくかけ離れていた。
「解釈違い」と表現しても良いだろう。
加えて、先程の「保管庫」でフィーネ本人の口から聞いた実状と降参宣言はやはり、かつて「伝説の始天使」と語り継がれていた者の末路だとは思えなかった。
魔法は無限の可能性を秘めているのではなかったのか?
魔法は不可能を可能にするのではなかったのか?
魔法の始天使は敬意を求めないのではなかったのか?
魔法の始天使は世界の危機に現れるのではなかったのか?
魔法の始天使は最強ではなかったのか?
変わり果てたフィーネの姿を見る度に湧き出てくる疑問。
それらは怒りの炎を決して絶やさぬ薪木となっていた。
八百年と百十八日前にフィーネに背中を押されて世界を飛び出し、フィーネに見てもらう為に世界を渡り歩いた自分が馬鹿らしくなってくる。
全部を台無しにされたような気分だった。
先程の羊だが山羊だかの合成人に放った魔法もそうだ。
雷属性の初級魔法【散雷】は、魔法を司る者が発動したにしてはあまりにも弱々しすぎていた。
敵を撹乱する最中、魔法の詠唱を聞いたセファローズの頭では魔法によって顕現した大災害級の如く雷が合成人の細胞の一つ一つまで破壊し尽くしてしまう景色が思い描かれていた。
だが実際は、五本か六本の細い雷が迸る程度だったのだ。
一般的な規模で言えば充分すぎる威力なのだろう。
【散雷】はやはり初級──詠唱とマナ操作さえ理解していれば実用可能な難易度に分類される魔法なのだ。
しかし、今回は術者が例外中の例外である。
魔法の始天使という肩書きだけでの判断ではなく、フィーネが同じく初級魔法である【|花火《ソラリス・フロス】で世界樹(満身創痍ではあったが、本来傷など付かない)を焼き尽くした姿をセファローズはその隣で目撃していた。
そう、あの時のフィーネが使用した魔法は【花火】なのだ。
エルフの里からフィーネが去った後、魔法に興味を持ったセファローズは長老の持つ魔導書を調べてみた。
そこで驚愕の事実が発覚した。
初級魔法と言うだけあってすぐに見つかった【花火】の項目には何と「娯楽魔法」と書かれていたのだ。
馬鹿げている、と腰を抜かし、思わず笑った記憶がある。
フィーネは激昂する世界樹を相手にしているのに、世界の危機が迫っているのに、娯楽魔法を使ったのだ。
その自由奔放さは誰にも真似出来なかっただろう。
しかも、世界樹との戦闘時に使用したもう一つの魔法【岩石仕掛けの神】はエルフの里では辿り着くことが出来ず、世界を渡り歩くようになってからようやく、しかも偶然に情報の一片を知ることが出来たが、あれは「究極魔法」と言い、本来は大陸全体──おおよそ一万キロの大地を造り変えて超超超大型のゴーレムを顕現させる魔法らしい。
だが、フィーネはエルフの里の約二割弱程度の土地にしか魔法をかけていなかった。
つまり、フィーネはずっと手加減していたのだ。
おそらくだが、【花火】であの威力なのだから火属性の中級魔法を用いれば世界樹など簡単に燃やせたのだろう。
そうしなかったのは多分、木々で囲まれたエルフの里に被害が及ぶことを良しとしなかったからなのだと予想している。
あまりにもカッコつけすぎなのではないか?
当時のセファローズはそう思った。
そして、それは生きる希望、目指すべき指標となった。
そんなセファローズにとっての心優しき最強の始天使──大好きな人がここまで落ちぶれているとは。
魔法の弱体化に全てが表れていた。
魔法の強さは心の強さだと誰かが言っていた。
即ち、フィーネの魔法弱体化の原因はフィーネの心の弱体化なのだ。
そして、セファローズのもどかしい怒りの矛先もそこにあった。
もう一度振り返り、気になっていたことを言葉にする。
「その髪の毛の色、どうしたの?」
エルフの里に来たフィーネは金色の髪をしていた。
おそろいだ、などと思ったものだ。
後々になって、天使は皆金髪でエルフ族はそれと同じものを意図的に与えられたのだと知ったのだが、それでも嬉しいことに変わりはなかった。
「あ、ああ。始天使の力を失ったのと同時に姿も変わっていたのだ。推察に過ぎないが、女神デア様の光が抜け落ちた結果なのだと思う」
「なるほどね」
肩を竦めながら捨てられた子犬のような目をするフィーネを見て、セファローズは頷いた。
やはり、かつての力を失ったことが心に強く影響を与えているのだな、と。
おかしい、と再び眉間に憎悪を刻む。
私の憧れた、私の好きだったフィーネならば、例え力を失ったとしても諦めずに立ち向かっていくはずなのだ。
何も根拠があるわけではない。
だが、それでも、そう思える程の勢いを、風格を、心の強さをフィーネは持っていたはずだ。
確かに天界は崩壊した。
フィーネの故郷も、フィーネの仲間も、この世には無い。
それに加えて力も失ったとなれば、大層な悲劇に違いない。
だが、状況はセファローズも同じなのだ。
そして、フィーネに憧れ、フィーネと肩を並べられるように願い続けたセファローズは今、巨悪と戦おうとしている。
自分勝手なのは理解していた。
理想を押し付けているのも理解している。
だがそれでも、フィーネならば共に戦ってくれるはずだった。
一緒に行こう。
そう言いたかった。
フィーネの手を引き、「アタシが守るから」と。
しかし、結果はご覧の有り様である。
セファローズは自身も自覚する程の小心者であった。
小心者が故に素直な言葉を口に出来ない。
それがフィーネの前では顕著に現れるようだ。
エルフの里で別れた時と同じように、もう一度断られるのではないか、と想像するとどうしても言葉を飲み込んでしまう。
また、覇気の無い表情、まるで戦場で友を亡くした退役軍人のような雰囲気のフィーネを見ていると強い口調を使うのも気が引けた。
セファローズは肺に溜まっていた重い空気を吐き出す。
これは自身の罪でもあることを自覚しながら。
フィーネが戦いから降りたと言うのならば、現在のセファローズが歩もうとしている道と交わることは無いのだ。
無理に連れて行ったとしても、今のフィーネでは却って足手まといになるだろう。
今自分たちがいる場所──新たな世界の管理者【アンハンゲル】が住まうロエルの館からの脱出ですら厳しそうなのだ。
腐った世界のおかげで合理的な思考に頭を蝕まれたセファローズは、フィーネを完全に戦力外だと判断している。
先の戦闘を見るに、単独で動いた方がまだ勝率はあるだろう。
そんな残酷な事実を踏まえても、やはりフィーネには出会わなければ良かったと思う。
しかし、だからと言って置いていくという選択肢はない。
なぜなら──フィーネは「友達だ」と言ってくれたからだ。




