第50話 失敗作と敗北者
「ソイツらは諦めなさい。どうせ助からないわ」
セファローズがきっぱりと言い切って、再び歩き出した。
分厚いガラスを眺めていた私は置いていかれそうになり、慌ててそれに続く。
眉を顰めて目を離した光景を視界の端で捉えながら。
ここは天使に次ぐ新たな世界の管理者【アンハンゲル】が一人「生の幹部」の所有する実験施設とセファローズは言った。
表向きは生の幹部の館ということになっているが、その地下では生命の禁忌に触れる実験が日夜行われているそうだ。
そして、私たちが歩いている区間は「生命の保管庫」。
度重なる実験により生まれてしまった望まれない生命が、せめてもの利用価値としてマナを捧げる最低の場所らしい。
その証拠として、先程まで私が眺めていたガラスの向こう側には犬の耳と尻尾を付けたヒューマンが瞳を閉じていた。
獣人とでも言うのだろうか。
ハーピーやケンタウロス等の魔物とも違うそれは天地開闢より約一万年間世界を見てきた私が初めて見る種族の生命だ。
そんな光景が白い通路の左右に延々と続いている。
犬耳がいれば猫耳がいて、全身が鱗に覆われた者もいたし、顔だけが鳥の形をした者なんかもいた。
白の魔導書から「従来の種族分類に該当しない生命体が多数存在していました」という報告を受けた際は照会元の記録不足だと判断したが、まさか本当に新種がいるとはな。
多種多様な彼らに唯一共通しているのは透明な管を繋がれていることくらいだ。
セファローズ曰く、あの管はマナを吸うだけでなく、最低限生きるのに必要な栄養素を送る役目も果たしているらしい。
脅威の回復力を持つ天使やエルフ族ならば管を抜いても仮死状態から復活出来るが、そうでない彼らは不可能だ(セファローズも水が無ければ死んでいたかもしれない、と言っていた)。
だから彼らはどうせ助からない。
諦めるしかない失敗作なのだ。
「その、セファ……貴女はいつからここにいるのだ。ですか?」
「……正確には分からないけど、ここが破壊されていないのを考えると数日しか経ってないはずだわ」
意味深な言葉を残したセファローズ。
その意図を聞き出すことは劣等感と罪悪感に苛まれた今の私には出来なかった。
元々人付き合いが苦手な性分がこの期に及んで存分に発揮されているのである。
しばらく無言の時間が続いた。
天使なので感情が薄い方であると自覚している私だが、それでも気まずいな、と心の中で呟いてしまう程の沈黙だ。
屹然と前を歩くセファローズの表情は読み取れない。
きっと私に失望していることだろう。
そんな時間もじきに終わる。
セファローズが白い壁の前で立ち止まった。
「ここが出口ね……」
セファローズは呟き、よく見たら白い壁ではなく白い扉だったものの横に取り付けられた謎の装置に近付く(謎の装置とは表現したが、金属板か鏡のような物だ)。
私たちの前に立ち塞がる扉には取っ手が無かった。
窓ガラスも無ければ蝶番も無い。
特徴と言えば壁に妙な切れ込みが入っているだけであり、セファローズが出口だと言わなかったら、私はそれを壁だと思い続けていただろう。
どういった仕組みで開閉するのか、と若干興味を唆られながら私は待つ。
時代は進歩したのだな、と思った。
私を含めた失敗作たちからマナを吸収していたのもそうだ。
昔はそれほど高度な技術は無かったからな。
とは言え非道な使い方を見るに、進歩というものは全てが喜ばしいことではないだろうな、とも感じる。
過去に【吸収】という魔法を開発しながらも下界に流用しないよう封印した私が正しかったことを改めて実感した。
そうしてようやくセファローズがこちらを振り返る。
ここまでかなりの時間がかかっていた。
「開かないわ! このクソ扉!」
セファローズは声を高らかに、そして乱暴に言い放って、開かない扉を靴底で蹴った。
そりゃそうだろう、と言いたくなるのを堪える。
約数分間セファローズは扉横の謎の装置をひたすらにペタペタと触ったり撫でたりするだけだったのだから。
手を翳すだけで扉が開くわけがない。
その装置もただの飾りなのではないか、と疑いたくなった。
それらの心情を閉じ込めて仏頂面を保つ。
その後にセファローズが何か解決策はあるか? みたいな表情を向けてきたので私も真面目に思考を巡らせることにした。
「魔法で扉を破壊するというのはどうだ……どうでしょうか」
やはり私にはこれしかない。
「悪くないけど、その前に鍵を開ける魔法は使えないの?」
セファローズの言葉に私は密かに感心する。
手を翳して世界のマナに働きかけることで鍵を開ける魔法【解錠】は確かに存在しているのだ。
それは以前にも記述したことがある「変化魔法」に分類され、属性魔法とは系統が異なり、詠唱さえすれば発動可能というわけではない。
特に精緻なマナ操作が重要になってくるのと同時に、世界のマナを扱わねばならないので要求される所有マナ量が非常に高いのだ(その代わり消費するマナは少量で済む)。
それらの特徴からして世界に流通しておらず、実際に習得出来る者も多くはない魔法分類であった。
その上、私の記憶ではセファローズは魔法にそこまで関心が高くない印象があったので驚いたのだ。
というか、彼女には魔法を使う必要が無かったはずだ。
彼女は植物と会話すらだけでなく操る力にも目覚めていた。
それは魔法を学ばなくとも世界を自由自在に歩ける程の有用さだったに違いない。
「その魔法は今は使えん……のです。繰り返すことにはなるが、なりますが、私はかつて所有していたマナの大部分を失い、今は初級魔法の一部しか使えない状態だ……です」
「……分かったけど、それやめて。敬語。変な感じだから」
私自身正しくないような気がしていた行為を指摘され、何度も首を縦に振る。
数百年前もこんなやり取りをしたことを思い出す。
今度は立場が逆になっているがな。
不必要な敬意が却って邪魔になることを私が忘れるとは。
思い出させてくれたセファローズに感謝と謝罪を伝えたい。
「では聞くが、植物と心を通わす力は脱出の糸口にはならぬのか? ここに植物は無いとは言え、外から蔦を伸ばしてくるとか貴様ならば容易いことだろう?」
「アンタ……敬語をやめろとは言ったけど……まあいいわ。ていうかその態度懐かしすぎだし……コホン、今のアタシも力を失ってるのよ。最悪な『生の幹部』に身体を造り変えられたから」
「か、身体を造り変えられただと!?」
全ての始天使(私と追加始天使二名を除く)が与えた権能を更に自然の始天使が覚醒させた力を消失させたというのか。
「生の幹部」と言うくらいだからリヴの権能を奪ったのだろうが、あまりにも強大すぎるような……いや、まあ生命改造など彼女ならば容易だったか。
その力を「生の幹部」とやらが完全に引き継いだというのならば有り得ない話ではない。
そうして自ら出した結論に改めて恐怖を覚えた。
私も未だ辛うじて天使であるが、それも奪われてしまうかもしれない、と。
「詳しい話は後よ。とりあえずここから出る方法を考えるの。いつまでもグズグズしていたら見つかるかもしれないわ」
セファローズの言葉に頷き合った二人は扉の前で腕を組み考えた。
その瞬間、初めて気まずさが和らいだような気がする。
「扉は頑丈で開け方も分からないし、下手に触れば警報がなるような仕組みになっているかも。探すべきは別の出口ね」
「うむ」
「思ったんだけど、マナを吸収してるホースはどこかに繋がってるのよね。そこに辿り着く方法はないかしら」
「うーむ」
「そもそもアタシが生きてるってことは空気があるってことだわ。ってことは通気口があるはずよね……」
「うむう」
なるほど、さっぱりわからん。
必死に考えている素振りを続ける私はもうすぐ泣くだろう。
おそらく建設的な議論にする為にセファローズが意見を出してくれているのだが、その内容もよく分からない。
というか、内容以前に「ホース」や「通気口」と言った言葉の意味すら完璧には読み取れない始末だ。
下界の魔法は勿論、国名や種族くらいならば知っているのだが、より専門的な下界用語となると分からないことだらけである。
私に話を振られないことを祈るばかりだ。
「フィーネはどう思う?」
「えッ!? いや、うーむ。分かりそうで分からない感じがするような感じだ。雰囲気的には感じ取れるのだがな」
「アンタ今、何も言ってなかったわよ」
「う、うむ……難しいことを考えるのは不得意なのだ。夢とか希望とかなら簡単なのだがな。やはりセファローズはすごいな」
キョトンとするセファローズ。
翠玉を思わせる碧眼を丸くする姿はかつて世界樹剪定で出会った夢見る少女と重なった。
だが、実際エルフの里から飛び出して人々を助け歩いたことに始まり、天界崩壊後も当然のように生き残っていることを考えるとやはり彼女は尊敬に値する。
聡明で思慮深いのだ。
それは一種の権能とも言えるだろう。
共に歩きたいと思ったあの時、素直に直感に従いセファローズを仲間として天界に招き入れていれば、この悲劇を防げたのではないかとすら思ってしまう。
「実はエルフの里で別れてからセファローズの活躍を天界から見ていたのだ。見知らぬ風土と民たちに戸惑いながらも、自身で考え、自身で判断し、世のために力を行使する姿に感銘を受け、私も仕事を頑張っていた。そして、私を魅力した信念ある心は今も変わっていないように見える」
これは推察の域を出ない話だが、セファローズがここに囚われていたのは「生の幹部」を倒そうとしたからではないだろうか。
自由が奪われた、と憤慨していたからな。
次期長老という話を断って外の世界に飛び込んだ時と同じように、彼女は依然として自由を求めているのだろう。
「見ててくれたんだ……でも、どうしてそこまで……」
「忘れてしまったのか? 我々は友達だろう?」
そう言うと、セファローズは目に涙を浮かべて俯いた。
震えを抑えきれない程の握り拳を作っている。
「ねえ……本当に諦めちゃったの? 本当に戦いたくない?」
旧友は俯きながら本当に小さな声で聞いてくる。
その時だけは搾取部屋から続く刺々しい雰囲気は消え去り、声色からは期待が滲んでいるように思えた。
それなのにも関わらず、私が唇を噛んで黙り込んでいるとセファローズは「そっか」とだけ呟いて会話を終わりにした。
まるで演劇が終わったような雰囲気の切り替わり方だった。
己の意見すら主張しなくなった私には対する彼女の三文字の呟きには、底の見えない失望が込められていたように思える。
その証拠に、彼女が顔を上げた時には全てが元通りになっていた。
数百年前の友人としての関係に戻ったのではない。
前に進む者と裏切り者の関係に戻ったのだ。
「さあ、無駄話はこれくらいにしておきましょうか」
「あ、ああ……そうだな……」
「そういえば、それは使えないの?」
淡々としたセファローズが指差したのは、私が脇に抱えた白の魔導書だった。
そこではたと気が付く。
コイツはどうやってここまでやって来たのだろう、と。
私は白の魔導書を両手に持ち、顔の高さまで上げる。
いるじゃないか、移動方法を知る者が。
「我が魔導書よ。貴様どこから来た?」
「アンタ……何してるの……?」
目を細めてこちらを訝しがるセファローズ。
事情を知らぬ彼女からしてみれば、私が本に話しかける奇人のように見えているのだろう。
本というものは例えマナが込められた魔導書だったとしても、喋りかけて返答があるものではない。
だが──
『マスターの質問を確認──記録から情報の選別・伝達を実行します──回答、当施設の関係者と思わしき人物が荷物保管所と推測される場所から当区間へ入室する際に後に続きました。補足、目前の扉は関係者の指紋を認識して開閉する仕組みであることが確認出来ました』
「魔導書が喋ってる……嘘……そんな魔法は無かったはず」
「セファローズ、魔導書が喋っているのは私も不思議に思っている。だから、あまり気にしない方が身の為だ。して、セファローズよ、我が魔導書の報告についての意見を聞かせてくれ」
白の魔導書の報告を未だ理解出来ずに反芻している私は、頭の回転が早いだろうセファローズに丸投げする。
私の思考では嫌な結論が出そうだったというのもある。
「え、えっと……ここの関係者と一緒に入ったって言ってたわよね。指紋ってことは、やっぱりこの扉はアタシたちじゃ開けられない。開けるには関係者が必要で……あれ?」
「どうした?」
「つまり、ここにいるのってアタシたちだけじゃなくない?」
「正解だメー!」
「「うわ!!」」
背後から上がる第三者の声。
私とセファローズが驚きながら振り返ると、そこには二足歩行でメイド服に身を包んだ羊がいた。
いや、羊と言うか頭部だけが羊というのが正解か。
よく見れば、手足は肌色で人が持つ造形をしている。
そして、その手には巨大で凶悪なハンマーがあった。
「今日は変な日だわ……死んだと思ってたフィーネには会うし、本と山羊が喋り出すし、まるで悪夢ね」
「野暮な突っ込みだとは思うがセファローズ、あれは羊だ」
「え? どう見ても山羊でしょ。顎髭があるし」
「だが、メーと言ったぞ」
二人で言い合ってから、前方を見る。
「二人とも不正解だメー。アチキは羊と山羊の合成人だメー。不正解の失敗作は殺してやるメー!」
私たちの倍以上はある体躯を持つ羊と山羊の合成人は、更に身の丈の倍以上ある大きな白いハンマーを振り翳して突進を始めた。
「一緒に戦うわよ、準備はいい!?」




