第44話 脅威の襲来と、終わりの始まり
「悪夢を見た、という顔だな?」
屋敷の玄関前に座り込んだモンクシュッド男爵は、愉快そうに声を掛ける私に気付いて目を丸くした。
瞼の下に出来た隈は洞穴を思わせるようだ。
暗がりから覗く眼光は身の毛がよだつ程に鋭い。
常人ならば怖気付いていただろう。
だが、私は常人ではない。
全てを悟った優越感から目を細めて、腕を組み、仁王立ちをしてモンクシュッド男爵の言葉を待った。
「フィーネ嬢、ここに戻って来た理由を聞かせてもらおうか」
「それは私の台詞だ、モンクシュッド男爵。座り込んでいたようだが、忘れ物はどうしたのだ?」
私の問いにモンクシュッド男爵は黙り込む。
小さく息を吐いて顔を僅かに俯かせる仕草は、煩わしさを感じているようにも、考えも練っているようにも見えた。
それもそのはず。
彼の「忘れ物」という話はおそらく嘘なのだから。
「フィーネ嬢が懸念することではない。今すぐ戻るのだ」
「では、共に戻ろうではないか」
「それは出来ない」
モンクシュッド男爵は眉間に深い皺を寄せて立ち上がる。
目線の高さが逆転し、今度は見下ろされる形となった。
窪んだ目元はやはり対峙する者に普段以上の威圧感を与えるようだ。
だが、距離が近付いたことで気が付いたこともあった。
瞳孔が微かに揺れている。
それは例えるのならば、絶対的な捕食者を前にした小動物が恐怖とも戦いながら勝算を見出そうと思考をめぐらせる様だ。
今のモンクシュッド男爵の中にも焦りと恐怖と理性と思考が混在しているのだろう。
そこから改めて自身の推察が正しかったことを確信する。
「これから囮になる為か?」
遂に私は推察の結論、会心の一撃を放った。
昨晩からのモンクシュッド男爵の不可思議な言動は、死を悟った者がする言わば終活のようだった。
貴重な品は用心棒に託し、値打ちのある絵画等は馬車に積むという所持品の整理に、今朝フェゴール夫人を呼んだのはこれから遺される家族への相談だったのだろう。
他にもメイドとコックの日課と異なる行動等、思い当たる節は他にもあるが、私が抱いた違和感を推察まで昇華させたのはやはりチェリーパイと例の別れの言葉だった。
今振り返っても、あまりにも意味深すぎる。
口惜しさのあまりボロが出た、と言ったところか。
それを見逃さなかった今日の私は非常に冴えている。
そして更には、次に取るべき行動と自身の役目さえも理解していた。
「囮か……そこまで辿り着いたフィーネ嬢に改めて聞こう。何故ここにいる? 私が貴君に始天使の遺物を託した意味が分からないのか?」
「愚問だな……私はモンクシュッド男爵家を脅かす敵を排除する為にここにいる。そして、リヴの蔵書も守り抜いてみせる。なぜなら私は当家最強の用心棒だからな!」
先程着替えた紫黒色の立ち襟ローブをはためかせ、決めポーズを取る。
この身に宿る強さを最大限主張したつもりだ。
我が主が何にそこまで怯えているのか知らぬが、この私がいれば大丈夫だということを思い出し、安心してほしかった。
いつかの暗殺部隊と戦う前もそうだったが、モンクシュッド男爵は私を過小評価している節があるからな。
私は人生において無敗だ。
これまでも、そしてこれからも、それは絶対なのだ。
──しかし、私の自信に満ちた表情だけでは足りないのか、モンクシュッド男爵の顔色は先程よりも蒼白になっているように見えた。
「不可能だ。フィーネ嬢、今すぐ馬車に乗るのだ」
「それは無理な相談だ。というか……馬車はとっくに出発している。モンクシュッド男爵は私を敵の所まで連れて行き、共に勝利の盃を手に取る他無いのだぞ」
やれやれと大袈裟に肩を竦めてみせると、突然モンクシュッド男爵は両手で私の肩を掴み、泣きそうな顔をした。
「本当に……無理なんだ。百年前を生きたフィーネ嬢にはもう少し時間が経ったら話そうと思っていたが、この世界には新たな管理者が──ッ!?」
モンクシュッド男爵が良い所で言葉を中断する。
しかし、私が続きを促すことは無かった。
彼が前置きと共に不可解な言葉を言う前から、私の意識は既に空へ向けられていたからだ。
「な、何だ……これは……!?」
蒼穹全体に及ぶ膨大なマナの変動。
言葉では言い表せない程、どこまでも果てしなく大きい。
地殻変動、天体衝突、究極魔法……そのレベルだ。
原因不明の大いなる力によって、大気中のマナが著しく活性化して──"何か"が起ころうとしていた。
それからすぐに建物がほんの僅かに揺れ始める。
風も無いのに全ての窓ガラスがガタガタと震えている。
「もう来たか……! まさか……街全体に……? クソ……フィーネ嬢!! 今すぐにここを離れる魔法はあるか!?」
突然の大声にようやく我に返る。
この時の私はまだ、モンクシュッド男爵にもこんなに大きな声が出せるのだな、と一瞬感想を挟む余裕があった。
とは言え、危機が迫っていることは百も承知。
すぐに記憶の本棚の中から要望に応えられる魔法を探し始める。
「──移動と言えば、手頃なのは【跳躍】か【飛翔】か……一応『変化魔法』と言うのもある」
「では、すぐに使ってくれ!!」
「ま、待て。今は使えない。属性魔法は所有マナが足りないし、『変化魔法』もそうだな……出来ないことはないが、『習得』したと言える程の実用的なレベルには──」
「御託はいい!! 何でもいいから使ってくれ!! 偉大なる魔術師なのだろう!?」
モンクシュッド男爵が必死に声を荒げるのとほぼ同時に、頭上から何かが降ってくるような感覚があった。
命の危機が目前まで迫っている。
それと同時に、私は妙な懐かしさを覚えていた。
焦燥と困惑が入り混じる中、白の魔導書を呼び出して魔法発動に取り掛かる。
「ええい……! 【旋風】と【風刃】を多重発動して……殺傷能力を極限まで抑え、推進力のみを引き出すような術式を……完璧ではないが……行くぞ!! ──【半多重詠唱】【半詠唱破棄】──そよぐ風よ、我に力を【旋風】【風刃】!!」
未完成で且つ不安定な魔法様式を、元魔法の始天使が故の知識と技術力で何とか発動させる。
それでも所有マナ量やマナ制御は完全には間に合わない。
理想は足元から柔らかな魔法の風が起こるはずだが、今回は街路の奥からしかも災害じみた暴風が私たちに吹き付けた。
その場にいたモンクシュッド男爵と術者である私の身体は否応なく持ち上げられて、街の外へと強制放出される。
暴風の渦の中で錐揉み状態になりながら何とか耐え抜くと、地面に叩きつけられた。
街の外は草原になっていたが、痛いものは痛い。
若干の吐き気を催しながらも何とか身体を起こす。
「ぶ、無事か……モンクシュッド男爵」
そう声を掛けた頃には彼は既に立ち上がっていた。
そして、呆然と、まるで石像にでもなったかのように微動だにせず街の方を眺めている。
一体何が起こったと言うのだ。
先のマナ変動のことも気にかかり、私も目を向けると──
「え……?」
──街が消えていた。
家屋が、教会が、街路樹が、忽然と……いや、違う。
地平線をなぞって目を凝らしてみれば、街は消えたのではなく何らかの力によって押し潰されたのだと分かった。
かつて【メリディ・リサ】があった場所は今や無惨な瓦礫の山となり、数千の命は虹色の粒子となって空中を漂っていた。
その原因はあの膨大なマナ変動に違いない。
だが、一体どうやって?
脳裏に浮かんだ疑問に一つだけ思い当たる節があった。
「重力」だ。
その答えが先程の妙な懐かしさと繋がり、全身が粟立つ。
「我が主エルメス様……彼の罪人たちの魂をどうかお救い下さい。貴方様の忠実な信徒カーネが天誅を下しておきました」
「……いや、カーネ様。流石にやりすぎっしょ?」
立ち尽くしていると背後から声がした。
慌てて振り返ってみれば、二人のシスターの姿があった。
おそらくアールディア正教団なのだろうが、【メリディ・リサ】では見たことがない顔だ。
一体どこから来たのだろうか。
周辺には馬車等の乗り物は見当たらない。
一人は胸元で両手を組んで祈りを捧げていた。
前髪を額中央で分けたストレートの髪は薄紫色で、【メリディ・リサ】の司教らと同じく清廉潔白さを象徴するような白の修道服を身に纏っている。
但し、散りばめられた装飾や意匠は、他の者とは一線を画す豪華さで、スカートには腰付近までスリットが入っている。
これまた白のタイツを履いているので素肌は見えていないものの、それでも尚、女性らしい膨らみと曲線美の目立つスタイルが相まってシスターとは思えぬ程妖艶であった。
そして何より私が着目したのは、彼女の頭上──シスターベールに浮かぶ光輪だ。
あれはまさしく天使の証であり、私が喪失した物だった。
「モンクシュッド男爵……! 奴らは何者だ……?」
顔面蒼白を通り越して覚悟を決めたような表情をしているモンクシュッド男爵に聞く。
彼は目前の相手から目を離さずに口を開いた。
「フィーネ嬢と同じく百年前から生きる歴史の生き証人だ。天界崩壊時に天使から我々を守ったとされる【アンハンゲル】の内、奴は『重力の幹部』。名はカーネ・ルフーリア。その肩書き通り、重力を操る力を持っている」
「そ、そんな馬鹿な話があるか! おい、貴様ら! 誰の許可を得てその力を手にしたのだ! 洗いざらい話せ!」
私は手をついてまで急いで立ち上がり、シスターを指差した。
モンクシュッド男爵の話が本当ならば、今は亡き我が同胞、重力の始天使グラウェル・デア・ラピスの力を奴は引き継いでいることになる。
いや、おそらく本当に引き継いでいるのだ。
それなりの規模の街を一瞬にして圧し潰し、瓦礫の山に変えるという奇跡に近い芸当をやってのけたのだから。
それに加えて、頭上に浮かぶ光輪と先程よりも強く感じている懐かしさは、ラピスと再会したような気持ちにさせる。
目前でおかしなことが起きすぎているな。
まるで悪夢を見ているかのようだ。
そんな私の困惑をよそにシスター二人は、初めて私の存在を認識したと言わんばかりに目を丸くした。
お互いの距離は大して離れておらず、街道の挟んで対角線上にいるので気付かないわけがないのにも関わらず、だ。
私など眼中に無い、とそう言いたいのだろうか。
「あー、カーネ様。もしかしてコイツらじゃね? 天使信者のアシュマン・モンクシュッドとその用心棒。マジか。すご。生きてんじゃん」
光輪を浮かべる女を「カーネ様」と呼ぶもう一人のシスターが笑みを含ませながら感嘆の声を上げる。
彼女の修道服はかなり質素であった。
切り揃えた前髪に艶のある黒色の横と同じくストレート。
そこだけ見れば凡庸なように思えるが、特筆すべき特徴は目元を完全に覆った白布と腰に携えた刀だろう。
失われた武器を持つ盲目の修道女。
ただの腰巾着ではないことは一目瞭然だった。
更に、これまた妙なことだが彼女からも懐かしさを感じる。
口振りと立ち位置からして、まさか「守護天使」などと言うわけではあるまいな。
「エルメス様の寵愛の力から逃れるなんて……何と罪深い者たちなのでしょう。やはり私の判断は間違っていなかったようです。ヨシロ、引き続き、彼らに聖なる裁きを与えましょうか」
「はーい」
私の糾弾を完全に無視した二人のシスター。
組んでいた手を解いたカーネが、スリットから顔を覗かせていたナイフホルダーから真っ白なナイフを取り出す。
同時にヨシロが刀の柄に手を掛ける。
あまりの殺気と威圧感から場の空気が凍りつく。
そして、シスター二人の手元が太陽を反射して輝いた。
「フィーネ嬢……構えろ。最後の大仕事だ」
「うむ。だが──ッ!?」
どうやって勝つのだ。
二人のシスターが持つマナ量は尋常ではないぞ。
隣に立つモンクシュッド男爵に戦略を訊ねかけたところで、強い衝撃に襲われて気が付けば空中を飛んでいた。
完全に意識の外だった。
顔を正面に向けた頃には既に斬撃が身体を通った後であり、腹部に強烈な鈍痛があった。
うつ伏せに倒され、思わず咳き込む。
周囲には血の海が広がっていることを予想したが、目を見開くと口から出た僅かな血飛沫があるだけだった。
「峰打ちじゃ倒しきれないかー。割としぶとい感じ? ウチ、戦うのあんまし好きじゃないんだけどなー」
「ぐっ……貴様……不意打ちをしておいて何を余所見している……『熱き炎よ、灼熱の痛みを集め、敵を撃ち焦がせ──【火球】』」
地面に伏した体勢から腕だけを伸ばし、詠唱を唱える。
身体にダメージを負っていてもマナ量には大きな影響は無い。
手の平にありったけのマナが集束し、熱き炎に変化した。
現時点で最大火力の火球は、空気中の水分を干上がらせながら敵目掛けて一直線に飛ぶ。
対して「うわ」などと抜かして目を丸くするヨシロ。
勝った。
そう思ったが、刀身が閃くと火球は両断された。
「マジの魔法じゃん。ヤバい」
とヨシロは何でもないように軽口を叩く。
その光景に私は愕然とした。
私の魔法が通用しない……?
冗談ですよね……?
首筋を粘り気のある汗が伝うのが分かった。
私は今、明確に恐怖を覚えているらしい。
次に瞬きをすると、頭頂に痛みがあり、一瞬気絶した。




