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魔法の堕天使、降臨す  作者: 鹿磨
第1章 新世界と闇の産声
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第43話 長閑な時間 その5


「夜分遅くにすまない、フィーネ嬢。渡しておきたいものがあるのだが、少し良いかね」


 暗い廊下に立つモンクシュッド男爵の顔はいつか見たような鬼気迫る雰囲気を纏っていた。

 腹蔵なく言えば「殺気」だろうか。

 目の前の人影が彼だと気が付かなければ、魔導書を取り出していたかもしれない。


 だが、私は聡明である為、雇い主の手を噛むような真似はしなかった。


「夢魔の囁き声も聞こえぬ微睡みの夜に私を呼ぶとは……一体何用だ? あ、調理場には行かない方が良いぞ。その、コックが準備中だからな」


 愛おしい小娘の為に、慌てて嘘を吐く。

 まさかモンクシュッド男爵と出会うことになるとは思っていなかったので、些か無理があったか、と言ってから焦る。


 しかし、目の前の男は気にも留めていないようだった。


「これをどうか受け取ってくれないか」


「ん? ──これはリヴの書物と……わ、私の魔導書!? どうしてモンクシュッド男爵が!?」


 おもむろに手渡された二冊の本は、アーリア地方に育つ美味で且つ力強い作物を作り上げた「マル秘・交配指南書」と、遥か昔の私が書き記した魔導書であった。


 前者については、モンクシュッド男爵と初めて紅茶を飲んだ際に話を聞いており、それを守る為にも戦っている。

 しかし、まさか、私の別名義の著作「風の魔導書〜初級魔法〜上巻」も所持していたとは夢にも思わなかった。

 しかも、写本では無く原本である。

 実際に天界の魔法管理局で私が筆を走らせたものだ。


 語彙力が高く、柔和な考え方を持っていることから読書を嗜むことは予想していたが……流石はモンクシュッド男爵だ。


 現代に失われた我が魔法に対する理解が早かったのは、そのおかげだったのかもしれないな。


 ちなみに、「風の魔導書〜初級魔法〜上巻」には風の恩恵を更に引き出す【跳躍(サリーレ)】等の魔法が書かれている。

 いつかの「世界中剪定」で使用した魔法の下位版だな。


「数年前に譲り受けたのだ。それで先程、黒鴉(レイヴン)撃退の謝礼がまだだったことを思い出した。遅くなってすまない。用はそれだけだ。ゆっくり休んでくれ」


 口早に言い終えたモンクシュッド男爵は踵を返す。

 

 まさか、それで終わりにするつもりか?


「ま、待て。魔導書はまだしも、こっちは受け取れないぞ!」


 引かれる後ろ髪を断ち切る思いで、声を大きくした。

 

 リヴの書物を羨ましく思う気持ちが無いと言えば嘘になる。


 命を賭して(?)戦ったこともそうだが、何より別れの挨拶すら交わせず死別した我が同胞の遺物なのだ。

 狭くない世界で巡り会えただけで嬉しかったのに、それが手に入るなんて僥倖の極みと言っても良い。


 しかし、私はモンクシュッド男爵と彼の書物が紡いだ血の滲むような努力を知っている。


 聞くところによると、彼が成功を収めたのはここ数年の話であり、それ以前は没落貴族と野次られる日々があったそうだ。

 それでも諦めず、試行を重ね、ついに新たな品種の作物たちを世に輩出させた後、その作物は私の口にも届けられた。


 彼らの絆に横槍を入れる程、私は傲慢ではない。


 それに報酬ならば既に受け取っていた。

 得体の知れないはずの私を彼らは受け入れ、衣食住と更には職を与えてくれた、その事実だけで私は満足しているのだ。


「頼む。受け取ってくれ。百年前の世界を生き、そして魔法の始天使を名乗るフィーネ嬢にこそ相応しい物だ」


「気でも狂ったか……それとも、同情か? ならばお門違いだな。言っておくが、最強にして最凶である私の自己肯定感は魔王級だ。人生でも本気で悲しんだ事は一度しか無い」


 自信と魔法だけが取り柄の私である。

 確かに抵抗する機会すら与えられないまま故郷と家族を失ってしまったが、いつまでも後悔に苛まれている程、私は弱くない。


 とにかく前に進まねばやってられないのだ。

 もし立ち止まってしまえば、もう二度と起き上がれないようなきがするしな。


 そんな私の思いが、モンクシュッド男爵にも伝わった。

 そう思ったのだが──


「ならば言い方を変えよう。これは主からの命令だ。これを受け取るのだ。そして、最期の時まで手を離さないでくれ」


 ──そうして、主は二冊の本を私に押し付けた。

 その勢いは強く、思わず後退りをしてしまう。


 何か言い返したかったが、目前の男の言動が私の中のモンクシュッド男爵像とかけ離れていて唖然とする。

 どうにか逡巡してみても、用心棒という立場上、主人である彼の発言にこれ以上歯向かうことは出来ないと悟る他無かった。


 そうやって暫く私が黙っていると、モンクシュッド男爵は何も言わずにその場から立ち去り、暗い廊下に消えていった。


 一体彼に何があったというのだろうか。 

 それとも、あれこそが彼の本性なのか。

 厳格で紳士的な男というのは所詮上辺だけのものであり、結局は私が見てきた、目的の為には躊躇いなく権威を行使する他の貴族たちと同じだったか。


 いや、それは無い……と思うのだが。


 その日の夜、私は「マル秘・交配指南書」を抱いて寝た。

 心に渦巻くモヤモヤした気持ちが晴れるかと思ったのだ。

 しかし、所詮は書物。

 結局、寝心地が改善することはなく、八時間程しか睡眠を確保出来ずに夜が明けた。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「温かなる火を起こせ──【着火魔法(チャッカ・ウマン)】」


 早朝、小鳥の囀りと共に詠唱を唱える。

 パチン、と指を鳴らすと焼き窯に火が着いた。


 調理場に仄かな温かみが広がる。


「流石ですわ、フィーネ様! ありがとうございます!」


 顔だけこちらを振り向いて歓声を上げるレヴィア。

 可憐な風貌にフリルの付いたエプロンがよく似合っている。

 その手元では白粉を纏ったパイ生地が、愚直な木棍によって薄く薄く、天使の羽衣の如く引き伸ばされている最中だ。


 結局、昨夜の調理場で交わした約束の通り、私はレヴィアのチェリーパイ作りを手伝うことになっていた。


 正直な話、あの時の発言はモンクシュッド男爵家の家族愛に感動して出たものであり、社交辞令的な含みがあった。

 また、調理場の火を着ける程度でこの私が呼ばれるはずがないだろう、とも思っていた。


 しかし、私はここにいる。

 就寝前のモンクシュッド男爵との一件のおかげで、レヴィアとの約束をすっかり忘れていたが、ここにいる。


 早朝に扉を叩かれて、目を潤ませたレヴィアに「お母様がいないと火が着けられませんの」と頼まれたからな。


 どうやら此度のチェリーパイ計画において、火を扱う作業は安全面の観点からフェゴール夫人が担当していたらしいのだが、そんな彼女は早朝寝室から出るや否や、モンクシュッド男爵に呼ばれて帰ってこなくなってしまったと言う。


 ちなみにフェゴール夫人が呼ばれた理由は不明だそうだ。

 

「ああ見えてモンクシュッド男爵は感情に身を任せて行動するタイプなのか?」


「いえ……よく考える方だと思いますわ。料理が美味しかったことをコックさんに伝える時ですら、食後の紅茶を飲み終えるまで言葉を選んでいますもの」


「うむ……その姿は想像が付くな」


 ──だからこそ、昨晩(と今朝)にモンクシュッド男爵が見せた理屈の通らない言動は実に不可解だった。

 どんな話題でも理路整然とした口振りが常であったからな。


 とは言え、それ以上の掘り下げはしなかった。

 今日はレヴィアが楽しみにしていた遊猟の日だ。


 モンクシュッド男爵家の用心棒たる者、主人の身を守るだけでなく、家族団欒を守るのも仕事の内だろう。


「よし、レヴィアよ。フェゴール夫人が来るまで私が手伝おう。料理は苦手と言えど、天才である私にかかれば──あ」


 心の赴くままに机上に並べられた調味料に手を伸ばすと、勢い余って倒してしまう。

 ドミノ倒しのようにほぼ全ての瓶が床に伏せて、更にはその内の一瓶の中身──星屑にも似た白粉をぶち撒けてしまった。


 これは……砂糖か……!

 クソッ……よりにもよって何故貴様が倒れるのだ……!

 

 甘味を司る調味料「砂糖」は焼き菓子であるチェリーパイには欠かせないだろう。

 このままでは最高のサプライズが遠のいてしまう。

 己の罪を自覚した私は焦り、泣きそうになる。


「す、すまないレヴィア!! まさか私が最大の邪魔者になってしまうとは……! 砂糖を生み出す魔法は考えたことすらないが、今なんとかしてみせよう! 本当にごめんなさい!」


「そ、そこまで謝っていただかなくても良いですわ。貯蔵庫に行けばまだありますし、そもそもこれは塩ですから、今回は使いませんわ」


「これ……塩か。よ、良かったあ……」


 レヴィアの言葉に全身の硬直が解ける。

 言われてみれば確かに、一粒一粒が大きかった。

 完全に知識の底に埋もれていた知識だが、そういえば砂糖は塩よりもきめ細かく、砂塵のようなものだったな。


 まったくビビらせてくれるじゃないか。


「それよりもフィーネ様? 口調が変わられたようですが……」


「コホン……これは持病のようなものだ。すごく恥ずかしいので出来れば気にしないで欲しい」


 特大の焦燥のあまり顕現しかけた"昔の私"を何とか誤魔化す。

 これは私の黒歴史と言えるものだ。

 いくら純真なレヴィアと言えども、ありのままの私を打ち明けるのはまだ気が引ける。


 あらゆる意味でも、これ以上は下手に動かない方が良さそうだ。


「ひとまず私はフェゴール夫人が来るまで皿洗いや雑務を手伝おう。いや、安心するがいい。もう下手を打つことはない。魔法を使うからな」


 そうして一悶着ありながらチェリーパイ作りが再開された。

 

 机上の掃除に、使い終わった皿の洗浄、焼き加減の調整。

 基礎魔法を再習得したことで使えるようになったあらゆる「日常魔法」を駆使しながらレヴィアを手伝う。


 あまりにも順調であった。

 レヴィアは首尾良く調理を進めているし、私の魔法はそれを完全にサポートしている。 


 やはり私には魔法以外の才は無いのだな。


「フィーネ様が我が家の用心棒となってくださって、本当に良かったですわ」


「急に何を言い出すのだ」


「ふと、そう思いましたの。命を救っていただいた方が身近にいる安心感もそうですが、何より、フィーネ様はカッコよくてわたくしの憧れですもの。こうして同じ作業をしているだけ嬉しい気持ちでいっぱいですわ」


「ま、まあ、レヴィアがそう思うのも当然だ。何せ私は至高の魔術師であり、最強の用心棒であるからな! これからも安心して身を任せると良い!」


 おもむろに好意をぶつけられて声の調子が高くなる私。

 他人に「カッコいい」と言われたのは初めてかもしれない。

 

 調理場に射し込んだ朝日を反照する瞳は、宝石なんかよりも輝いて見えるようだ。


「そうだ! レヴィアよ! 言い出すタイミングが中々無かったが、私に敬称は必要無いぞ。呼び捨てで構わない!」


「そ、そんな失礼なこと出来ませんわ!」


「かつての友にも言ったが、私は敬意を求めない。確かに私は特別な存在だが、他の者もまた特別な存在なのだ。それに、貴君は私のことをよく理解ってくれているようだからな」


「で、では……フィーネ。これからもよろしくお願いしますわ!」


「うむ! 永遠の誓いをここに!」


 そうして長閑な時間は過ぎていった。

 

 その後、暫くしてチェリーパイは無事完成したが、フェゴール夫人が調理場に姿を現すことはなかった。

 当然首を傾げた私たち。

 だが、不思議なことはそれだけに留まらず、モンクシュッド男爵も併せて、夫妻はその後の朝食も不在のままだった。


 小さな違和感を覚えながらも、とうとう出立の時が訪れる。

 

 調理場での会話が、モンクシュッド男爵家の用心棒として彼らと交わす最後のやり取りになるとは知らぬままで。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 

 早朝、空は鈍い灰色の雲に覆われていた。 


 屋敷前の通りには黒塗りの馬車。

 荷台には、遊猟に使う弓矢や剣が各人数分とピクニック用の布や着替え、更には絵画らしき物も複数積まれていた。

 人の乗るスペースが無いくらいの大荷物だ。

 正直言って張り切りすぎである。


 それをぼんやりと眺めるは、モンクシュッド男爵家の用心棒こと私と手提げのバスケットを大事に持ったレヴィア令嬢。


 私たち二人は完全に蚊帳の外だった。

 

 朝のお祈りでようやく姿を見せたモンクシュッド夫妻。

 その内、当主の方は忙しそうに荷物を運んでいるし、フェゴール夫人は御者(私がここへ来た時とは違う者)と話をしている。


 最近は流れに身を任せるままである私は良いが、レヴィアの方は少しばかり可哀想であった。


「お、お父様……! わたくしも何かお手伝い致します……!」


「大丈夫だ。もうすぐ終わる。──ルビィ! 保存食を運んで来てくれないか! それが終われば馬車に乗り込め!」


 先程からこんな調子である。

 実の父親に事実上の戦力外通告を受けたレヴィアは、絵に描いたようなしょんぼり具合を見せていた。

 この年ならば不貞腐れてしまうか、最悪癇癪を起こしても良い応対だったが、そんな素振りを一切見せないのは彼女自身の優しい性格と(これまでの)両親の教育のおかげなのだろう。


 その一方で私は、ルビネッタも来るのだな、と取り留めのないことをぼうっと考えていた。


 すると御者と話を終えたフェゴール夫人がやってきて──


「そろそろ行きましょうか。フィーネちゃんも馬車に乗り込んでね」


 と言う。


 普段の私ならば二つ返事で従っていただろうが、フェゴール夫人の目が赤く腫れていたのを見て、眉を顰めた。


 寝不足か?

 いや、それとも──もっと悪い状況だろうか?


 と勘繰りながら馬車の前まで歩き、そのまま乗り込まずに屋敷の前を俯瞰的に眺めてみる。

 確信はなかったが、昨晩から続く違和感の糸口を掴むことが出来るような気がしたのだ。


「レヴィア、朝のお手伝いに行けなくてごめんなさいね。チェリーパイは完成した?」


「はい……フィーネが手伝ってくださいましたので……」


「そう、よく頑張ったわね。──あなた。少しいい?」


 愛娘を片腕で抱き寄せたフェゴール夫人が、丁度荷物を運び終えたモンクシュッド男爵を呼び止めた。


 その横をルビネッタが通り過ぎる。

 後に続いてやって来た老年のコックが人目を避けるようにして、街の方へ小走りに去って行った。


 これで、屋敷に住んでいた者が全員外に出たことになる。


「どうした」


「レヴィアがね、あなたの為にチェリーパイを作ったの」


「お、お母様!? それはお昼まで内緒のはずでは……!?」


 そこでようやくレヴィアは顔を赤くして怒った様子を見せる。

 ぷんぷん、という擬音が聞こてくるような腕振り付きだ。


 だが、それでも尚、レヴィアは蚊帳の外であった。

 フェゴール夫人は薄紫色の虹彩を真っ直ぐにモンクシュッド男爵に向けている。


「出発の前に食べていって。ひと切れでもいいから、お願い」


「……」


 少し俯いて、逡巡するような素振りを見せたモンクシュッド男爵であったが、フェゴール夫人の無言の圧に屈したのか「もらっていいか」と手提げのバスケットに手を伸ばした。


 当然困惑した表情を浮かべるレヴィア。

 しかし、彼女はモンクシュッド男爵の手を拒まなかった。

 いや、どうあっても拒否権は無かった、と言うべきだろうか。


 手提げのバスケットの蓋が開けられて、レヴィアの愛情が詰まった見事なチェリーパイが顔を出す。

 馬車の傍に立つ私の所にも香ばしい匂いが届いてきそうだ。

 そして、丁寧に切り分けられたそのひと切れがモンクシュッド男爵の口元に運ばれる。


「──うまいな」


 とすぐさま感想を述べたモンクシュッド男爵。

 彼にしては感情的な物言いであった。

 普段は平静な瞳が僅かに潤んだように見えたのは、私の妄想だろうか。


 モンクシュッド男爵はチェリーパイを掴んだ方とは逆の手をレヴィアの頭に乗せる。


「愛する娘の成長をここで見ることが出来て、良かった。レヴィアの未来に光の祝福あれ」


 その言葉に私は驚嘆と確信を得る。


 あれは私が古くから使っている「別れの台詞」だ。

 魔道を進み、真の言葉に辿り着いてすぐさま考え付いた原点にして頂点とも言える至言。

 

 勇者フォルト、聖女マーレと別れた時も、唯一の友セファローズと別れた時も、昨晩調理場でレヴィアと別れた時も、私はその言葉を好んで選び発していた。


 何を経由したのかは定かではないが、この時代に引き継がれており、更には私を手助けする役目を果たすとはな。


 これまでのモンクシュッド男爵の妙な言動の数々。

 それらがここで全て繋がった。

 彼はどこか遠い場所へ離れようとしているのだ。

 

「……お父様?」


「……私は忘れ物をしたので一旦屋敷に戻る。フェゴール、皆を連れて先に行っていてくれ。頼んだぞ」


「はい……すぐに帰ってきて下さいね」


 馬車の傍で傍観していた私は歩き出す。

 こちらに向かって来ているフェゴール夫人とレヴィアとすれ違いざまに「先に行っててくれ」と呟いた。


 モンクシュッド男爵家の用心棒としての最後の仕事が、今始まろうとしている。


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