第39話 長閑な時間 その2
モンクシュッド男爵一家と団欒を囲んだ早朝が過ぎて。
午前と昼食の時間の全てを費やして「モンクシュッド男爵家流レッスン『マナー講座編』」が行われた。
フェゴール夫人、いやフェゴール先生の指導の下で、淑女たる作法を厳しく叩き込まれた。
事の発端が朝の食卓の中だった事から、最初は各食器の扱い方や食事の取り方(音を立てないとか小刻みに切って食べるとか)などの食事マナーを小一時間教わった。
しかし、その合間における私の仕草がフェゴール先生は気に食わなかったらしく、まさかの指導延長が決定。
既に目をぐるぐるさせていた私と半ば呆れたモンクシュッド男爵をよそに更に二時間(休憩無し)の鬼畜講座が開かれた。
その結果、乙女らしい姿勢や美しい歩き方に始まり、風呂の入り方や髪の梳かし方まで、日常生活における様々な清く正しい事を私は知った。
鏡を見てみれば、淑女の風格が滲み出ていることだろう。
これからは淑女フィーネと呼んでくれてもよろしくてよ。
おほほほほほほ。
なんてな。
私は淑女ではなく魔法使いだ。
魔導を極める道すがらに編み出した至高の言葉遣いも、私が日々目指している理想像も、変えるつもりはなかった。
私は「美しい」よりも「カッコいい」を目指しているのだ。
だからと言って純粋な好意で教えてくれたフェゴール夫人を無下には出来まい。
これからもモンクシュッド男爵家には用心棒としてお世話になるそうなので、せめて彼女の視線がある時は淑女フィーネになりきろうと思う。
私は気を取り直して鼻を鳴らした。
目前には相変わらず良好過ぎる空模様の下に屋敷の裏庭が広がっている。
石塀に囲まれたやや閉塞的な空間の中で、先程のマナー講座で新しく着せてもらった小洒落たホワイトシャツの襟を正す。
「素敵な服は素敵な人を彩るのよ」とはフェゴール夫人の言葉だ。
どうやら【ルモス村】から着続けてきた村娘衣装はあまりお気に召さなかったらしいな。
それに関しては分からんこともなかった。
いくら荒仕事が主な用心棒とは言え、流石に田舎者の雰囲気が出すぎていたからな。
余談だが、着替えを選ぶ際にフェゴール夫人にはドレス衣装を勧められたのだが、私の理想からかけ離れていたので我儘を言ってモンクシュッド男爵が少年の頃に着ていた服(訓練、乗馬用の物らしい)を貰った。
現在は影から這い出てきたような身のこなしのモンクシュッド男爵だが、昔は白を基調とした服ばかり着ていたらしい。
何でも、天使に成り切ろうとしていたそうだ。
しかし、色の好みは変われど美的センスは変わらず。
自然と背筋が伸びるような貴族らしいベストとホワイトシャツは少年服とは思えぬ程洗練されており、それとは対照的な可愛らしさがある膝上丈のズボンは、素足を晒さなければならないのが難点だがスカートよりは断然マシだった。
私は朗らかな表情を浮かべて目の前の男を見る。
「さあ、モンクシュッド男爵。レッスンをお願いしますわ!」
時は午後となり、「戦闘指南編」が始まろうとしていた。
午前までの常にフェゴール先生の監視下にあった時とは異なり、気分は程々に晴れやかだ。
戦った経験は数える程しかないが、ナイフとフォークよりは武器を扱う方が得意に決まっていた。
とにかく敵を倒せば良いのだろう。
至極簡単だ。
「……言葉遣いは普段通りで構わない。しかし、フェゴールは張り切りすぎていたな。余程フィーネ嬢の事が気に入ったのだろう。疲労は無いか?」
「私を侮ってもらっては困るぞ。天空の使徒である我が肉体は疲労などに屈しはしない……腹底の獣も真昼の晩餐を終えて寝静まった。つまり、準備万端だ」
私は腹を擦りながら満足感に浸る。
──今日の昼食は最高だった。
フェゴール先生のマナー講座を乗り切ったご褒美として、モンクシュッド男爵家御用達の料亭に連れて行ってもらったのだ。
何やら高級感漂う店内で、何やら頼もしげなウエイターに勧められた「アルセーノ山麓角牛の濃厚ミルクとアーリア産旬野菜を使ったホワイトシチュー〜麦香るバゲットを添えて〜」は大変美味だった。
やたら風味が良いと言うか舌触りが良いと言うか。
私がこれまで食べてきたシチューとは良い意味で異なる方向性を往く味だったな。
下界の貨幣価値の勉強になるかと思って、家庭で作るシチューにかかる費用と比較した値段を聞いてからは金を食べているような気がしてならなかったが。
他の料理も美味しそうだったので、上流階級の味覚に慣れてから再び連れて行ってもらいたいと思っている。
その為には用心棒として精進しなければな。
今回それなりにやる気なのはそんな理由からでもあった。
「ならば、さっそく始めるとしよう。まずは参加してくれたことに感謝したい。此度の目的は基本的な戦闘技術を修めることだ。フィーネ嬢が唯一無二の才能を持っていることは私も重々承知だが、昨晩の戦いで少しばかり戦闘の運び方に拙さが見えたのでね」
「ほう……中々言ってくれるではないか」
「アールディア正教団を打破するにはフィーネ嬢の力が必要不可欠だ。だが、まだ足りない。貴君には伸び代がある。それを最大限に伸ばすには、かつて剣術を修め、戦場に赴いた私の経験が少なからず役に立つはずだ」
「うむ、私も強くなる必要性は感じている。が、天使信者になるつもりは無いぞ。私は天使だからな」
「……そうか。残念だが、奴らにさえ共感してくれなければ構わない」
暫しの沈黙を作り出した後にモンクシュッド男爵は言った。
残念に思う気持ちも分かるが、それが私の答えだ。
やはり女神信仰も天使信仰も私にとってはどうでもいい。
もっと言えば、ヒューマンもエルフも魔物も元世界の管理者である私からすれば同じ「地の民」である。
モンクシュッド男爵に暗殺を仕向けたアールディア正教団の行いは死を以て償うべきだと思っているが(実際そうした)、アールディア正教団自体を潰そうとまでは考えていない。
それは天使信仰についても同じだ。
考えには納得出来るが、信仰を広めようとは思わない。
私はあくまで公平でありたい。
目には目を、歯には歯を、死には死を、だ。
「しかし、モンクシュッド男爵よ。その生暖かい視線は何だ。私が天使と名乗る度にそうしているようだが……」
「懐かしいと思ったのだ。私にもそんな時期があったな、と」
モンクシュッド男爵は空を見上げて目を細め、微笑みを浮かべた。
言動からして過去を回想しているのだろうか。
だとしても……一体どういう意味だ?
首を傾げる私に、モンクシュッド男爵は目尻を下げたまま話し始めた。
「十四、五くらいの時だ。自身を天使の生まれ変わりと頑なに信じて、白布を肩に掛け人助けに奔走していた日々があったのだ。私は選ばれし者だ、と剣術の訓練にも精を出していた。時が経ってそれを想起する度に死にたくなることも多々あったが、今になっては良い思い出だ」
「い、いや……私のは……」
「深く追求はしないから安心してほしい。私もその辺りはよく分かってるつもりだ。それに実際に光の時代を生きていたとあって、フィーネ嬢の設定や演技はよく出来ている。特に魔法の始天使という独自の存在はな」
「設定……演技……独自の存在……」
何だかとんでもない誤解をされているような気がするな。
天使信仰と名乗っておきながら、天使である私を崇める様子が一切見られないのはその為なのだろうか。
妙だと思っていたのだ。
お祈りの時間になれば教会に連れて行かれるし、聖職者たちから私を匿うような様子も無い。
まさか天使を自称している若干頭のおかしいヒューマンだと思われているのか?
くそ……何とか翼を生やす方法があれば良いのだがな……。
釈然としないが、変に態度を変えられるのも嫌なのでこれ以上言及するのは避けようと思う。
「さて、雑談はこの辺にしておくとしよう」
その一言で空気を切り替えたモンクシュッド男爵は剣の代わりに腰に指していた木刀を引き抜いた。
いよいよやってきた開幕の合図。
だがしかし私は意気込む前に、"それ"が未だに残っていたことに感心を覚えた。
──「木刀」
それはかつて世界に存在していた「刀」という刀身に反りがあるのが特徴の武器に似せた鍛錬用の木製道具だ。
何故わざわざそんなものを、と思うかもしれないが「刀」というのは大変扱いにくく、製造が困難な上に消耗も激しい為、鍛錬で常用するには貴重すぎる物だった。
その為に安易で量産可能な木刀が作られたのだが、時が経つとそもそもの刀の方が作り手の減少により世界から姿を消してしまった(魔法の普及も原因だと言われている)。
そうして剣術の鍛錬用という需要を満たし続ける木刀だけが残ったと私は記憶している。
それが天界崩壊後の世界でも未だ健在だとはな。
何だか嬉しい。
何を隠そう私は刀が好きだった。
他の武具にはない艶やかさもそうだが、斬撃の際に描かれる光の残像がカッコよかったのだ。
どれくらい好きかと言えば、今は無き魔法管理局にはバニーに買ってきてもらった木刀が四本程あったくらいだ。
私はモンクシュッド男爵に向かって手を差し出した。
「私も剣術を学べるのか……魔法剣士も中々悪くはない」
「いや、フィーネ嬢は魔法使いのままでいい。私が伝えたいのは剣術ではなく、剣術に対する対抗術だ」
「対抗術?」
「そうだ。だが、伝える前に魔法について聞きたいことがある。良いかね?」
「うむ、構わんぞ! 何でも聞くがいい! 私ほど魔法を理解している者は他にいるまい」
「では、さっそくだが古来の魔法、フィーネ嬢の使う本物の魔法には伝承の通り詠唱があるようだ。それは無ければならないのだろうか?」
「そうだな……現状の私に関しては『詠唱』は必要不可欠だ。膨大なマナ量を以て強引に無限の可能性へ至る【詠唱破棄】というものもあるが、今聞きたいのはそこではないだろう」
私が「ロマンが無い」という理由で忌避している【詠唱破棄】だが、魔法使い的には大変ありがたい技術ではある。
詠唱は戦闘だけに着目すれば、おそらく隙になるのだろう。
下界ではその隙を埋める為に前衛職のヒューマンが奮闘している姿をよく目にしたことがある。
しかし、魔法使いが【詠唱破棄】を会得していれば隙はなくなり、その上で常に攻撃魔法が降り注ぎ、常に防御魔法に守られるという状況を作り出すことが可能になる。
また、仮に無限に近い所有マナを持つ者がいたならば、天変地異にも似た力を持つ究極魔法を間断なく連発出来るのが【詠唱破棄】なのだ。
そんな長所を加味しても私は【詠唱破棄】が好きではなかった。
初めてその現象を確認した時(あれ……なんかイケるんじゃね、という感じだった)は一時は感嘆したものの、無詠唱で放たれる魔法を想像した途端に萎えた。
何も言わずとも火や水を放出可能だなんてまるで魔物のようではないか。
それに魔法が道具に成り下がってしまう不安もあった。
まあ実際、そんな不安が的中するかのように【詠唱破棄】が常である魔道具が開発されてしまったのだ。
世界には根本から理解しないまま魔法を乱用する者が溢れかえっていることだろう。
「なるほど……しかしフィーネ嬢、不躾であることを承知で聞くが、魔道具の方が扱いやすいのではないか?」
「魔法使いの前では絶対に言ってはならない発言だぞ、モンクシュッド男爵。魔法の方が絶対に優れている。扱いやすさに関してもだ」
「その根拠はあるのかね?」
「ふむ……その前に私からも聞きたいことがある。これは前々から気になっていたことでもあるのだが、魔道具はおそらく魔道具を起点にしか魔法を放出出来ないのではないか? それ故に範囲も限られ軌道も読まれやすい」
何度か垣間見た様子からして、魔道具は嵌められてる不思議に輝く石を媒介として仮初の魔法を発動しているのだと思う。
石が輝くタイミングも魔法発動と同じだったからな。
少量の所有マナ保有者でも適性以上の魔法を使えていたことも踏まえて、石には何らかの力が秘められているのだろう。
「確かにその通りだ。魔道具は魔石という物を用いている。そこから魔法が生み出される為、手馴れが相手では通用しないことが多い。だからこそ皆、切り札や奥の手のような扱いをしている。魔法使いがいないのもそれが原因だ」
「そうして魔法使いは廃れたのか……しかし魔石とは何だ? 知らない鉱石だが……最近発掘されたのか?」
「発掘されたのではなくアールディア正教団が最近になって持ち出してきた物だ。その由来は知らされていない」
「ほう……流石に怪しいな……だからこそモンクシュッド男爵やハゼランは魔道具を使う様子がないのだな」
「ああ、笑えるだろう。男の意地と言うやつだ」
「いや、そういうのは嫌いではないぞ。──それで話を戻すが、紛い物と違って真の魔法は基本的にどこにでも顕現可能だ。マナ座標の固定が間に合えば、襲ってきた敵の背後を逆に不意打ちすることも出来る。その分、慎重なマナ操作が要求されるがな」
もっと詳しく言えば、自身の所有マナを変換させるだけではなく、周囲のマナも利用することが出来ると言うことだ。
と言うか、その技術が必須となる魔法も存在している。
天候操作とか磁界操作とか、自然に働きかける系の魔法が特に顕著だろう。
補足しておくが、周囲のマナを使うとは言え、詠唱によって術式を組むのも、周囲のマナに働きかけるのも、結局自身のマナが必要となる為、どう足掻いても無消費での魔法発動は不可能だ。
「フィーネ嬢の話を聞いて確信した。やはり付け焼き刃の剣術を用意するより、魔法使いとしての戦闘技術を磨くべきだと私は思う」
「まあ、そうだろうな。私は体力が無いし」
私は回復力に優れた天使という種族ではあるが、そもそもの 体力の最大値が他の皆と比べて圧倒的に低いのだ。
休憩を挟めば永遠と走り続けることが可能だろうが、休憩無しではすぐに体力が底を尽きてしまう。
ひとえに何千年にも渡る引きこもり生活のせいだろうな。
「ならば一層のこと伝えたいことがある」
「ぶむ」
「確信を得るためにも、ひとまず手合わせ願いたい」




