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第37話 聖都にて


 最強の用心棒マギウェル・デア・フィーネの活躍の三日前。


 これはとある男のちょっとした話。

 どんな物語にも名を連ねることなく、ただ愚直に生きていたが、少し運が悪かった男の最期を切り取った幕間である。


 ──聖都【サイリス】


 世界の救世主が君臨する大陸中央の都。

 百年前の悲劇によって大陸全体が地盤沈下に見舞われたが、聖都──当時は旧央国エルモアがあったその場所だけは聖なる庇護によって大きな被害を免れた。

 その為、聖都がある場所は土地全体が隆起しており、まるで運命がそう仕組んだかのような天然の台座の上に街が形成されていた。


 また、神がかった完成度は土地だけには留まらない。

 聖都【サイリス】は「シャングリラ計画」──大陸全体を教皇の庇護の下に置く計画──の中心地である。

 その目録の内、「新たに建造する建築物は白一色とする」という建築新法に則って、聖都【サイリス】は街並み全体が見事な白色だった。

 昼になれば日差しを眩しい程に反射して、夜では暗闇の中に白い街全体が浮かんでいるかのような錯覚を起こさせる。

 

 その光景を初めて目の当たりにした地方の来訪者等は口を揃えて「天国だ」と言う。


 そして、聖都【サイリス】について語るならば絶対に外すことが出来ないのがデア・クローナ大聖堂である。

 端的に言えば、壮麗で大きいアールディア正教の総本山だ。

 偉大なる教皇様と共にありたい、と人口集中が加速する聖都【サイリス】において、デア・クローナ大聖堂は一般的な家屋約千戸の土地を占めている、と聞けば、あらゆる意味での凄さがよく分かるだろう。


 内部には複数の礼拝堂や祭壇があって、中央礼拝堂に至っては二階席が用意されており、その総収容人数は約一万人に達する。

 女神暦から教皇歴に変わってからの百年間、呑気に眠っていた天上の絶滅種、なんて稀有な例を除けば、知らない人はいない、と強く断言出来る偉大な建築物である。


 さて、今回の幕間の主人公である男はそんなデア・クローナ大聖堂に務める聖職者だった。

 と言っても、地位は下っ端も下っ端で聴衆の前に立った経験など無く、掃除や献金回収、儀式の手伝い等を主な仕事としていた。


 言わば雑用係の彼だが、毎日莫大な献金が捧げられるアールディア正教団の賃金は地方の農民の三倍以上もあり、神学以外に大した趣味もなく、妻子もなく、離れた地で暮らす母親に少しばかりの金を送るだけの生活には充分すぎる手当を貰っていた。


 だが、人が欲するのは金だけでは無い。

 さほど欲が強くない者でも他者からの評価、自身の地位や名誉はどうしても気になってしまうものだ。

 それはこの優男も例外ではない。

 

 少年の頃から所属していた聖歌隊を下手な声変わりをした影響で脱退させられ、お情けから聖職者として雇ってもらって十年が経つ。

 万年雑用係として嘲笑されてきた男だったが、それでもめげなかった愚直な働きが今まさに報われようとしていた。


「──世界の創造主、そして我々の母である女神デア様を失ってから百年。アールディア正教団は遂に最後の叛逆者の討伐を成し遂げた。ここに『天使』の完全撲滅を報告する! これで我々が生きる新世界はより平和へと近付いた。しかし、この大地には未だに百年前の忌まわしき思想を持ち続けている者がいる。正しき祈りを捧げる者たちよ、聖なる御力を引き継いだ我ら【アンハンゲル】が、女神デア様に代わって諸君を守り抜き、導いていくことを、この記念すべき建国百年の日に改めて誓おうじゃないか!」


 エルメス教皇が両腕を広げ、最後の挨拶を告げ終えた。

 すると、待ち切れないとばかりに万雷の拍手喝采が中央礼拝堂の高い天井まで響き渡り、デア・クローナ大聖堂内部の他の礼拝堂を揺るがし、果ては外で音漏れを聞きに来ていた者をも歓喜させた。


 その勢いは本来厳粛である教会で起こったものとは到底思えず、もし何も知らない者がいたならばここは闘技場だと説明された方が納得出来るものだっただろう。

 雲の上の人と言っても過言ではないエルメス教皇が直々に言葉をくれたのだから尚更だ。


 教皇歴百年。

 それは聖都【サイリス】に住む人々が教会における礼儀を忘れ、それを聖職者側も咎めない程にめでたい出来事なのだ。


 そんな熱狂の渦の中で男は一人、汗を滲ませていた。

 挨拶を終えても尚、教壇を歩きながら民衆に手を振るエルメス教皇を見て、男は唾を飲み込む。

 

 いよいよ男の出番だった。

 近付いて来るエルメス教皇に合わせて男は足を踏み出す。

 今回の仕事は、エルメス教皇が宮殿に戻るまでの付き添い、もっと具体的に言えば演説用の衣装(マント)を回収することだ。


 一見すると大したことではない。

 エルメス教皇に近付いて、横を歩き、「お召し物をお預かりします」と言って、衣装を回収し、撤退する。

 ただそれだけだ。

 しかも、本来の付き人は他にいて、男は本日風邪を引いたという彼女の代理だった。


 だがしかし、男にとっては、いや、全国民にとっては大変名誉な仕事であるのは間違いなかった。

 何と言っても相手はあのエルメス教皇。

 百年前「女神の落日」、世界を滅ぼさんとする死の始天使から世界を守ったまさに生ける伝説なのだ。


 間近で見れる機会などそうそう無い。

 ましてや群衆の中の一人としてではなく、一対一で関わることが出来るなんて一生自慢できる話だ。


 それに、あわよくば雑用係から脱出できるかもしれない。

 もしかしたら男の日々の働きをご存知であわよくば宮殿の使用人として引き抜いてもらえるかもしれない。


 そんな妄想を繰り広げていた前夜。

 遂にその時がやって来た。


 教壇から降りるエルメス教皇は百年以上前からご存命とは思えない程に若々しかった。

 外見だけで言えば二十代くらいに見える。

 艷やかな金髪をオールバックにした姿は雄々しくもあるが、線が細く中性的な顔の造りは同性である男でも惚れてしまいそうだった。


 心臓をバクバクさせながらエルメス教皇の方に足を踏み出す。

 少しタイミングが早かったか、眼前に立ち塞がるように真正面から向き合う形となってしまった。

 当然傍に寄って来た男に注意を向けるエルメス教皇だったが、その眼差しは温かく、何故か男は照れ笑いを浮かべてしまう。


 ニヤける予定は無かった男は内心で自己嫌悪した。

 絶対に気味悪がられたに違いない、と。

 だがそれも一瞬で、自身に課せられた重大な任務が感情を置き去りにして次なる行動へと移行させた。


 「お召し物をお預かりします」と言おうとした矢先だった。


「これの回収か。毎回、ありがとう」


 とエルメス教皇の方から衣装を渡してくれたのだ。

 それもお礼の言葉付きである。


 男は思わず涙を流していた。

 世界の救世主から「ありがとう」と言葉をかけてもらった人間など世界にどれ程いるのだろうか。


 ──いや、そうではない。

 何より自身が感動したのは彼の慈悲深さだと思い直した。

 我らが敬愛する教皇はかつての女神と比肩する地位に立っているのにも関わらず、下っ端も下っ端の雑用係にも感謝の言葉を忘れないのだ。


 これが過去にいたらしい天使に真似出来たのか。

 いや、出来るはずがない。

 奴らは世界を管理するという責務を背負っておきながら、その世界を裏切りそして、正しき心を持つ偉大なるエルメス教皇に討ち倒された愚者なのだ。

 男はこの時代に生まれたことを心から感謝したいと思った。


 豪華な装飾が施された衣装を手に持ったまま立ち尽くす男。

 恍惚とする中、中央礼拝堂の方から聞こえてくる「エルメス教皇コール」にふと我に返ると、当の本人はとっくに姿を消していた。


 慌てて男は自分の仕事を思い出す。

 意外とあっけなく、ましてや宮殿の使用人として引き抜かれるなんてことは妄想に終わったが、もう死んでも良いと思えるくらいの思い出が出来た。

 あとは、この衣装を然るべき場所に戻すだけだ。

 

 事前に教えてもらった保管室に向かおうとした所で、これは一度洗濯するのか、と疑問が過った。

 そこで急停止したのが原因だったのだろう。

 両手にお姫様抱っこのように持っていた衣装から白い何かが落ちるのが分かった。


 空中をヒラヒラと舞うそれは一枚の紙だった。

 自身の足元に落ちた紙を何の躊躇も無く拾い上げると、男は少しばかり目を丸くした。

 綺麗な字が並ぶその紙は所謂カンペだった。

 よく読んでみれば、ちょうど先程エルメス教皇が最後の挨拶で話していた内容がそっくりそのまま書き記されている。


 男は僅かに頬を緩めた。

 何事も完璧であるエルメス教皇もこういった類いの備えをするのか、と嬉しくなったのだ。

 世界の救世主と言えども不安になる。

 伝承すら残っていない謎の種族の天使とは違い、エルメス教皇は自身と同じヒューマンなのだ、と親近感を抱く男。

 とは言え、かなり長生きで尚且つ世界を守る程の力を持っているのだが。

 

 しかし、この紙はどうしたものか。


 デア・クローナ大聖堂でのお役目を終えたエルメス教皇にとってこの紙は間違いなく不必要な物だろう。

 かと言って、下っ端も下っ端である自身が独断で捨て良いとは思えなかった。


 暫く逡巡した後、男は決断を下す。

 エルメス教皇の宮殿に行こう、と。

 本来、宮殿は認められた者以外立ち入り禁止なのだが、今の男は一種の錯乱状態にあった。

 感謝の言葉をかけてもらったことで、天と地程にあったはずの距離が縮まったように感じ、多少の無礼もエルメス教皇ならば許してくれるだろう、と錯覚していたのだ。


 自覚する程に優柔不断な男だったが、この時ばかりは行動が早かった。

 未だに民衆が熱狂している内に宮殿への扉を開ける。

 幸い、鍵は掛かっていない。

 不安や罪悪感よりむしろ心を躍らせながら男は先へ進んだ。


 初めて入る禁断の地は思ったよりも暗かった。

 通路の両脇には松明が疎らに並んでいる程だ。

 少し歩けば外に出るのか、と想像していたが、そういうわけでもなく、直線通路が右へ左へと続く迷路のようになっていた。


 大きなステンドグラスがあるデア・クローナ大聖堂の絢爛さに対して、この通路は酷く不気味だった。

 外気が入ってこないのかジメジメしていて、音も無い。

 常に誰かに見張られているような気さえしてきた。


 若干訝しがりながらも、そもそもデア・クローナ大聖堂の全体図を見たことが無いし、エルメス教皇のことだから他意は無いだろうと自身を納得させながら足を進める。


 暫くして、何度目かの曲がり角を迎えると、何やら話し声が聞こえてきた。

 思わず角に身を寄せて、聞き耳を立てる男。

 悪意があったわけではない。

 ただ、薄暗く秘密めいた雰囲気が自然と彼をそうさせていたのだ。


「エルメス教皇。先の演説お見事でした」


「世辞は良い。あれは演劇のようなものだ。それで、何かあったのか? 私は今から昼寝の時間なのだぞ」


「世界に魔法を使える者が現れました」


「なに……?」


 一人はエルメス教皇、もう一人は聞いたことがない声だ。

 その辛うじて聞こえる程度の暗く低い声の主が誰なのか気になるが、それよりも先程の会話が気になって仕方がない。


 演劇? 昼寝? 魔法? そして、この沈黙は何だ?


 男のこめかみから顎に向かって汗が流れる。

 それが地面に落ちた瞬間、再び会話が始まった。


「如何致しますか。魔法ともなれば我々の、ひいては世界全体の役に立つと思われますが」


「魔法の顕現は聖都(ここ)でも確認されているのか?」


「いえ、『シャングリラ計画』外の地方でのみ三件の報告が挙がっております。まだ世間一般には知られていないかと」


「ならば禁止令を出せ」


「……よろしいですか?」


「翌朝、いや、今晩までには発令し、大陸全土に周知させるのだ。それと【アンハンゲル】を招集しろ。近くにいる者だけでいい。これは……面白いことが起きた」


 エルメス教皇の言葉を皮切りに会話は終わったようだ。

 おそらく低い声の主は、命令の為に動き出したのだろう。

 その一部始終を聞いていた男は強く眉を顰めていた。

 先程のは本当にエルメス教皇──


「迷える子羊よ。盗み聞きはいけませんよ」


 背後から声が聞こえ、心臓が止まりそうになる。

 何となく聞き覚えがある声に男は後ろを振り返ろうとするが、それは叶わなかった。

 なぜなら身体が宙に浮いていたからだ。


 ふわふわ、とまるで雲にでもなったかのように曲がり角の先へと連れて行かれる男。

 その浮遊感は自由なように思えて全くの不自由だった。


 やがて、薄暗い通路の先にいたエルメス教皇がこちらを向いた。


「え、エルメス教皇様……!」


 呼びかけてみるが、視線は合わない。

 彼は男ではなく、その後ろにいる人物を見ているようだった。


「私の愛するエルメス様。会話を盗み聞きするドブネズミを捕まえました。お知り合い……ではありませんよね?」


 そこで初めてエルメス教皇と目が合った。

 だが、男は違和感を覚える。

 その視線はデア・クローナ大聖堂で衣装を受け取った時、感謝の言葉をかけてくれた時の温かい眼差しとは程遠い冷たく鋭いものだったのだ。


「ああ、そんなもの知らない。潰しておいてくれ」


「うふふふ……良かったです。私が知らない間にご友人を作ってしまったのかと心配してしまいました──『奇跡解放します──【贖罪(グラヴィス・シン)】』」


 果実が潰れたような音が通路に響く。


「カーネ、君を裏切るようなことはしない。ああ、それと……どうやら世界の救世主が生きていたようだ」


 エルメス教皇の愉快そうな声で幕間は終わりを告げる。

 その後、デア・クローナ大聖堂で雑用をしていた男の姿を見た者はいなかったという。

 数日後、息子と離れて暮らす母親の元に男の行方不明を告げる手紙が届いたそうだ。


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