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第35話 黒影


 【メリディ・リサ】は夜に沈む。

 住民に科せられた一日三回の礼拝、その終局である晩のお祈りが終わると今度は夜間外出禁止を告げる鐘が鳴り響いた。

 人の往来は徐々に減っていき、すっかり暗くなった街中をマナ反応式の街灯と家々の窓から漏れ出す灯りがぼんやりと照らしていた。


 今宵の空は灰色の薄い雲に覆われて、下界には僅かな月明かりだけが届いている。

 非常に静かな夜だ。

 絶好の暗殺日和だな、と思いながら横を向く。

 そこには顔面蒼白になって口を固く結ぶモンクシュッド男爵──今宵の暗殺対象(ターゲット)がいた。


「本当に来るのか?」


「間違いない。信頼出来る筋からの情報だ。元々【ルモス村】に赴いたのはハゼランを用心棒として迎える為だった。訳あって貴君に頼むことになってしまったがな」


 闇に溶け込むような低い声でモンクシュッド男爵は話す。

 その最中では夜風が吹いて、彼の両手にぶら下がる銀の鎖が金属音を鳴らしていた。

 聞けば、暗殺者たちを迎える罠を作るらしい。

 どこまでも用意周到な男だ。


 用意周到と言えば他にも、姿が見えないと思っていた男爵夫人フェゴールと令嬢レヴィアは、私が街に足を踏み入れた時点で既に隠れ家へ逃がしてあったそうだ。


 死の予感は人をここまで動かしてしまうらしい。

 いや、当然と言えば当然か。

 人も天使も死んでしまえば終わりだからな……。

 私もこの胸の内に渦巻く雨雲が晴れるのならば、どんな苦労も厭わないだろう。


 常に冷静沈着だったモンクシュッド男爵が明らかな恐怖を浮かべているのを見て、人の感情の揺れ動きに改めて感心する。


「私では不安か?」

 

「……不安が無いと言えば嘘になる。そもそもアールディア正教団に楯突くと決めた日から不安に悩まされなかった日は無いのだ。とは言え、予想外の収穫もあった」


「収穫?」


「元より私は全てを打ち明けるつもりは無かった。フィーネ嬢には今夜を共に戦ってくれるだけで良かったのだ。しかし、貴君には私の想像を超える意志があった。刃を向けられても己を曲げない心の強さがな」


 モンクシュッド男爵が言うには、【ルモス村】からの報告とダメ押しの所持品検査によって、私がアールディア正教団の手の者ではないことは分かっていた。

 聖印が無い事は確かに興味深かったが、余所者を巻き込むつもりは無かった、と言う。


 それから客間で自己紹介を始めた時、自信満々に天使を自称する姿を見て考えが変わった。

 ここで手放すには惜しい逸材かもしれない。

 もしかしたらアールディア正教団に対する反撃の嚆矢と成り得るかもしれない、と。


「胸襟を開いて話せる者がいる、と言うのは良いことだ。結果的に巻き込む形となってしまったのは申し訳ないと思っている。だが、貴君がいてくれれば今宵の敵にも打ち勝てる。そんなふうに思うのだ」


 モンクシュッド男爵は少しだけ笑って言った。


 今夜、彼の暗殺を目論む者たちの名は「黒鴉(レイヴン)」。

 アールディア正教団が裏で抱える戦闘部隊で、アーリア地方各地で確認されている原因不明の死は全て彼らによるものだと噂されているらしい。

 

 疑惑を真実に変えようと調査を試みたが、死体は全てアーリア正教団が回収してしまう為、中々にして手強い集団だ、とモンクシュッド男爵は眉を顰めていた。


 お察しの通り、その実力も本物のようだ。

 威光が作り出す影に紛れて暗躍する暗殺者たち。

 羽根を持つ者たちの奮闘の末に、その実在と名前は判明したものの、素性や構成人数は未だ不明。

 新たに掴めた情報は今宵の暗殺対象(ターゲット)のみ、だそうだ。


 また、彼らの狙いは他にもある。

 それはモンクシュッド男爵が所有する「マル秘・交配指南書」、世界の叛逆者である生の始天使が遺した書物だ。


 モンクシュッド男爵は私を巻き込んだ、と言っていた。

 だが、そうではないのだ。

 我が同胞ニルの書物。

 それがアールディア正教団に渡れば、焼却されるか秘匿にされて闇に葬られてしまうのだろう。

 

 そうすれば、我々天使の存在は更に世界から消える。

 捏造された悪名も増えるかもしれない。


 他にも「マル秘・交配指南書」を活用して育てられた野菜たちは、気候変動が激しくなりつつある現代でも安定した供給を実現している(故に人気)らしいのだが、それも無くなってしまう。

 

 私はそれを何としてでも防ぎたい。

 そして、それこそが私がここにいる理由だった。


「モンクシュッド男爵よ、ここは私に任せてくれ」


「何だと?」


「この目で真実を確かめたいのだ。貴殿のような人格者の暗殺を目論む闇の住人と相対し、世界の真実に迫りたい」


 あと、ちょっと興味がある。

 自分でも言ったが、その存在はまさに「闇の住人」だ。

 私が心を躍らせないわけがない。


 もしかしたら私が追求するもう一つの道「カッコよさ」の参考になるやもしれんしな。


「敵は相当な手慣れなのだ。私の見込みでは、罠を仕掛けた上に二人がかりでも撃退出来るかどうか……そういえば聞いておきたかったのだが、魔法は存分に撃てるのか?」


 その問いに私は三本の指を突き立てて答えた。


「私の所有マナは基礎魔法三回分だ」


 

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 何処までも続く影を踏む。

 限界まで速く、限界まで静かに。

 盲従的な凡人たちは寝静まり、街灯の灯りすら消えた街路を黒鴉(レイヴン)は迷いなく進んでいた。


 先程まで空を覆っていた薄い雲は夜風に流され、上を見上げれば満天の月が光を湛えている。


 今宵の暗殺対象はアシュマン・モンクシュッド。

 アーリア地方で最も栄えた街【メリディ・リサ】とその他複数の集落を治める領主であり、現代教皇様に玉座を譲った歴史最後の国王の血族でもある男。


 本来ならばこんな辺境にいるべき人間ではないが、前国王が天使信者だったことを理由に降爵、左遷された憐れな奴。

 それでも腐らずに、荒れ果てた土地を開発して農業を中心に領地全体の財政を安定させたのは見事と言う他ない。


 だが、政治は得意ではなかったようだ。

 領地経営や人材育成にまつわる力ではない。

 奴に足りなかったのは、上に立つ者に迎合する狡猾さ、時の流れに身を委ねる弱さだ。


 そう、奴は"半端に"強すぎた。

 自立し先導する程には強いが、全てを覆せる程強くはない。

 だから今宵、殺されるのだ。


 四つの影で構成された隊列の先頭を進む男、黒鴉のリーダー、暗号名(コードネーム)「サラマンダー」は黒い仮面の下でニヤリと笑みを浮かべた。

 サラマンダーはそういう我の強い者を殺すのが好きだった。

 強大な権力を盾に法から外れた手段を用いて、強き者たちを陥れるのがたまらなく好きだった。


 断罪の名の下に、好奇心や猜疑心から見てはならないものを見てしまった愚者を始め、エルフやドワーフ等の長命種族のような人外も手にかけてきたが、今回はとびきりの大物だ。


 思わず手に力が入るが、深呼吸をして落ち着かせる。

 殺気は原動力だが、時に仕事の妨げとなる。

 何より今回の暗殺対象は知謀家として知られるアシュマン・モンクシュッドなのだ。

 

 無数の監視の下でもコソコソとこちらを嗅ぎ回る知恵と勇敢さを持ち合わせていたようだが、その躍進もここまで。

 流石と言うべきか、襲撃の情報は掴んでいるらしい、

 しかし、此度の任務の障壁とは成り得ない。


 なぜなら奴は既に詰んでいるのだから。


 屋敷がある通りに差し掛かった所でサラマンダーは足を止める。

 後続から足音や気配は感じられないが、確認せずとも自身に合わせて静止していることは経験からして分かった。


 物陰から覗き見ると──門番の姿は無い。

 知謀家の彼でも「石像」の代わりは用意できなかったらしい。

 「石像」とはモンクシュッド家が雇っていた護衛を指す名であり、任務の障壁と成り得る要素の一つだった。


 その名の通り、奴はまるで石像のように主人の傍に立ち続ける男だった。

 立ち続けるというのも、一日中一年中だ。

 雨の日も風の日も、立ちながら食事を取り、立ちながら寝て主人を守り続ける。

 それでいて戦闘技術もそれなりに高いという、まさに護衛をする為に生まれてきたような男だった。

 

 だが、「石像」も我が主の策略によって命を落とした。

 加えて、各領地にいる実力者たちも殆どが再起不能と来た。

 やはり奴は詰んでいる。


 あとは、今朝提供された情報にあった「記憶喪失の用心棒」が気になるところだが、些事なことだろう。

 司教の魔法で拘束されてしまう程度の雑魚だ。


 サラマンダーは小さく息を吸って、背後に「作戦開始」の合図をする。

 横を三つの影が過ぎ去るのを確認してから足を踏み出した。

 前方集団と合流して、縦に長いひし形の陣形を組んで進むと、先頭を走る斥候シルフィードが手を前後に振り「異常無し」を告げる。


 罠くらい仕掛けてくると思ったが、遂に諦めたか。

 

 好敵手を前に拍子抜けするような感覚を覚えながら、幾つかの街路樹を過ぎて何事もなく屋敷の前に辿り着いた。

 身体のマナを用いて感覚を研ぎ澄ませてみるが、敵意はおろか緊張感すら感じ取れなかった。


 まさか何も知らないのか?

 いや……前提から間違っていたのかもしれない。

 アシュマン・モンクシュッドを高く見積もりすぎていたのだ。


 黒鴉は何十もの生命を終わらせてきた。

 その過程で大体の暗殺対象の力量を自然と測れるようになった。

 その判断基準はズバリ準備の量だ。

 実力のある者はやはり、あらゆる可能性を見出して対策を立ててくる。

 罠は勿論、見晴らしの良い場所への転居や賄賂の為に一層経営を繁盛させるというケースもあった。


 唯一取り逃がしたことのある、人の皮を被った人外集団の一人なんかはその身体を小石に変える技術を身に着けていた。

 まあ、それは特例中の特例だろうがな。

 言い訳ではないが、あのお方たちの手にかかっても未だに副団長一人を捕らえるのが精一杯なのだから。


 そう考えると尚更、こうして門を遮蔽物として身を隠しているのが馬鹿らしくなってくる。

 此度の任務で功績を挙げれば、守護騎士の座に就けるかもしれない、と戦意を奮わせたものだが、これでは報酬ですら他の有象無象の任務と変わらないかもしれない。

 世界を裏切った間抜けな天使が書いた本、というのもホラ話だったか。


 臨戦態勢だった身体から少し力を抜いて、仲間に目をやる。

 彼らも同じ気持ちだったのか、仮面の隙間から唯一見える瞳から殺気が抜け落ちていた。

 わざとらしく肩を竦めて見せてから「突撃」の指示を出す。

 

 熱量は下がっても仕事は全うする。

 それがプロというやつだろう。

 気を引き締めて前傾姿勢のまま影と同化する。

 念の為、罠や敵意が無いことを確認しながら鉄製の門を通り過ぎた時、強烈な違和感に襲われた。


 殺意? 威圧感? いや、違う。


 黒鴉の四人がほぼ同時に足を止めた。

 暗殺対象の住処を前にして停止するなど本来あってはならないことだ。

 しかし、誰もがそれを重々承知の上で空を見上げて呆気に取られていたのだ。


 屋根の上に人がいた。

 満月を背景に、"それ"は語り始める。

  

「クククッ……貴様らの来訪を歓迎しよう……闇夜を駆ける暗殺者──黒鴉よ」


 名前を呼ばれ、四人の間に一瞬緊張が走る。


 黒鴉の面々は正体を探ろうと目を凝らすが、彼若しくは彼女は外套を着てフードを深く被っている為、顔はよく見えなかった。

 傲慢を体現するかの如く腕を組んだ佇まいはどこか自信に満ちているものの、全く敵意は感じられない。

 その左手にある分厚い本は暇潰しの為だろうか。

 様子を見に来た同業者か、とそんな考えがサラマンダーの脳裏を過ぎる。


 しかし、その正体は驚いたことに当人によって明かされた。


「私はモンクシュッド男爵家に雇われた最強の用心棒。貴様らと言の葉を交わすことを望んでいる。その儚い命の為にも、まずは耳を傾けよ」


 勿体付けたようにゆっくりとフードが外され──夜風に揺れる灰色の髪と場に不相応な幼顔が露わになった。


 その外見に一同は驚く。


 由緒ある貴族の令嬢と言われても全く不思議ではない風貌だ。

 いや、むしろそれ以上と言うか、どこか現実離れした造形の整い方をしている。

 瞳はくすんだ茶色をしているが確かな輝きを放っており、その肌は満月に溶け込むような白い透明感があった。

 贔屓にしている商人がこの場にいれば、最高の商品だ、と飛び上がって喜んでいただろう。


 自ら顔を晒し、用心棒と名乗りさえした女は困惑する黒鴉を置いて言葉を続けた。


「黒鴉は彼のアールディア正教団の使わせし暗殺部隊。それは間違いないのか? ──答える気は無いか。良かろう……ならば我が心の内を聞くが良い。私は百年の眠りから覚めた後、様々な思惑入り混じる混沌めいた道を歩んできた。時には嘲笑され、時には血に塗れ、時には絶望し、それでも歩み続け、ここに立っている。だが、未だに迷宮に囚われているのだ。『正義』という名の迷宮にな──そこで問う。貴様らは本当にモンクシュッド男爵を暗殺するのか? そして、過ぎ去りし時にはエルフ──う、うわ!?」


 あまりに長く、意味不明な戯言に耐えかねた斥候シルフィードが「【風刃(ウィンド・カッター)】」と唱えて風の刃を放った。


 良い判断だ。

 どうせ殺される人間の言葉を最後まで聞く意味など無い。

 

 黒鴉の一番の武器であり、特徴でもある魔道具による攻撃。

 シルフィードが発動したのは風属性の初級攻撃魔法【風刃】だ。

 単純だがその威力は凄まじく、これまで何人もの暗殺対象を切り裂いてきた。

 

 惚れ惚れする程の完成度で、尚且つ高速で放たれた風の刃は用心棒の首元を目指して一直線に猛進する。

 用心棒はそれに反応すら出来ていない。 

 そして、風の刃は呆然と立ち尽くす憐れな用心棒に直撃した。


 そのうち血の雨が降る。

 掃除が面倒だな、と思った。


 ──が、しかし、そうはならなかった。

 用心棒は依然として屋根の上に立ったまま。

 その身体、というより外套にすら傷一つ見られない。


 一体何が起きた?


 風の刃は確かに直撃していた。

 だが、その瞬間霧が晴れるように消え去ってしまったのだ。

 防御系の魔道具の使用を疑うが、奴はひと言も話していない。

 

「貴様らに二つ宣告しよう。まず一つ目、人の話……特に私の話は遮るな。次に二つ目、私に魔法は効かぬ。あと三つ目、魔法はこうやって使うのだ──『草木を揺らす、始まりの旋風よ、我に力を──【旋風(デア・ウィンド)】』」


 そうして用心棒が指を差す。

 その方向は先程【風刃】を放った斥候シルフィードだ。

 彼は用心棒の動き──昔話や絵本に出てくるような"魔法使い"の光景に呆然としていた。

 

 気持ちは分かる。

 だが、まずい。


 そう思って手を伸ばしかけた瞬間、シルフィードがいた場所に塵旋風が巻き起こった。

 ただの塵旋風ではない。

 多量の血液、肉片を含んだ真っ赤な塵旋風だ。


「だから言っただろう……その儚き命の為にも話を聞け、と」


 用心棒はそう言って、黒鴉の前に舞い降りた。


備考

旋風(デア・ウィンド)

「草木を揺らす、始まりの旋風よ、我に力を」


 其れは始まりの魔法。

 束縛された世界に自由を与えんとする解放の風。


 深呼吸をして、鼓動に耳を傾け、心に身を委ねよ。

 内なるマナを手掌に集め、優しく押せ。

 夢を風へと変換するのだ。


概要

・風属性の基礎魔法。

 風属性の適性を持つ者、風の道を進まんとする者は必ず最初に習得しなければならない。

・当魔法によって顕現した風は自然界の風とは異なる。

 一方で、自然界の風に力を与え、当魔法と同様に扱うことも可能である。

・最終的な完成は、安定した風の顕現と顕現した風を自由自在に操ることである。


発動手順

一、詠唱を開始せよ。

二、マナを顕現箇所に集中させよ。

三、集中させたマナに押しを加え、風へ変換させよ。

  この時、好奇心や安楽、自由への渇望などを思い浮かべると良い。

四、吹き抜ける風を感じたら、心のままに解放せよ。

  この時、高らかに魔法名を呼ぶと良い。

  但し、力みすぎによる霧散もしくは爆散には注意。



出典

偉大なる魔術師フィーネ「風の魔導書〜初級魔法〜上巻」, p.3.


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