第30話 信者は嘯き、信条の刃を向ける
「ちょ、ちょっと待て! 何か誤解しているのではないか!」
背筋まで凍りついてしまう程に冷たい感触を首筋に覚えながら、私は必死に声を上げる。
憎鬼と化したモンクシュッド男爵を再び人へ戻す為に。
「誤解は無い。貴様が、我が祖先の故郷を含めた二国を滅ぼし、あまつさえ女神様をも殺害した世界の叛逆者、天使の生き残りだと主張するのならば──敬愛なる教皇様より爵位を授けられたこのアシュマン・モンクシュッドが断罪する」
「ば、馬鹿なことを言うな……! 天使が国を滅ぼし、女神デア様を殺害しただと? そんなこと有り得ない!」
静寂に包まれた客間に私の声が反響する。
先程までは変貌したモンクシュッド男爵に対する動揺が声を大きくしていたが、今度は困惑と否定が根源となっていた。
彼の発言は、枯れ木に花が咲くだとか、天と地がひっくり変えるだとか、そういった類の荒唐無稽な有り得ない話だった。
百歩譲って女神デア様の件を受け流すとしても、我々天使が殺害したという部分は吐き気を催す程の拒絶反応が出る。
彼女は天地の創造主にして、我々の母なのだ。
ゴブリン族が女神様を亡き者にした、と言われた方がまだ信じられる。
しかし、モンクシュッド男爵の視線は針のように鋭く、依然として憎悪の表情を浮かべたままだった。
「有り得ない、と思っていたのは今から百年前に生きていた者たちも同じだろう。だがしかし、その一部、歴史の生き証人【アンハンゲル】は我々に教えてくれたのだ。『女神の落日』と呼ばれるあの日、一人の天使の叛逆により世界は破滅へと追い込まれた。そして、教皇様が救済して下さるまで他の天使は助けてくれなかった、と」
眼前で正義面をする男に愕然とする。
何を馬鹿なことを言っているのだ。
遂にモンクシュッド男爵までもが狂ってしまったのか。
そんな言葉が思い浮かび、【魔導書・顕現】の詠唱が喉元まで出かかった所で、【ルモス村】でのやり取りが脳裏を過った。
ハーピー退治に向けて村を発つ前に、活発な少年少女と交わした、あの不可思議なやり取りだ。
確か少年は、天使のことを話すと殺される、と言っていた。
それに加えて、天使は皆死んでしまった、とも。
その時は子供の戯言だと思っていたが──
それはもしや、本当に天使が世界を裏切ったからなのか?
そして、裏切り者である天使は皆、モンクシュッド男爵のような者たちによって断罪されてしまったのか?
ルモス村でマダム・ラベンダーとハゼランに初めて自己紹介した時、冗談だと笑い飛ばされたのはそれが原因なのか?
──狂っているのは私なのか?
自身の中に確固としてあった何かが崩れ落ちていくのが分かった。
言葉を模索しても見つからず、私はただ項垂れる。
沈黙の中、細身の刀身を更に首元に押し付けられた。
肌色を反射するまで磨き上げられた刀身は普段ならば見惚れてしまう程に美しかったが、今はその輝きが心の底から恐ろしい。
恐ろしいが、もし彼らの話が本当ならば私はここで殺されるべきなのだろう。
私は天使として生まれ、世界の管理者として生きてきた。
死に対する恐怖は無い。
世界が私を必要としないのならば、私の存在意義は無いに等しい。
剣が首の薄皮にめり込む。
マナによる守護を失った私の身体は、地の民が発明した野蛮な武器すら阻むことが出来ないようだ。
まあどの道、この状態から抜け出すのは困難だろうがな。
私は全てを受け入れる気持ちで目を瞑った。
「──だがしかし、貴様が【ルモス村】を救ってくれたのは事実。そして、その容姿も言い伝えとは乖離している……もし貴様が先程の自己紹介を撤回し、人として生きるのならば我がモンクシュッド男爵家で引き取ってやろう」
「……何だと?」
驚いて顔を上げた私に、モンクシュッド男爵はほんの少しだけ表情を緩めてから言葉を続けた。
「本来ならば天使を自称する行為は死罪に値する。しかし、貴様が殺すには惜しい存在であることは紛れもない事実なのだ。運命の悪戯か、先日我が家はたった一人の護衛を失った。それを貴様が補うというのはどうかね。貴様が天使だとしても、そうじゃないとしても、これまでの一切を捨て、我がモンクシュッド男爵家の護衛となるのだ。決して悪い話ではあるまい」
そう言ってモンクシュッド男爵は剣を鞘に納めた。
それは捕らえていた罪人の縄を解く行為に等しく、この提案が脅迫ではなく、あくまで交渉であることを示していた。
彼に出来る最大限の配慮なのだろう。
そして、彼の話は確かに悪いものではない。
むしろ、今の私にとってメリットしかないものだと言える。
モンクシュッド男爵家の護衛となれば、生活の保証、特に住居の問題は間違いなく解決するはずだ。
それに加えて、力を取り戻し、世界の実状を明らかにするという目的にも取り掛かることが出来る。
だが──
「それは出来ない……過去は私の全てだ。己を偽ることは己を否定すること。それは、やはり出来ぬ。例え世界の叛逆者と呼ばれようになったとしても、私が始天使であることは揺るがない」
「ここでその命が終わるとしても、か?」
「……うむ、私にも誇りがある。死ぬ時は魔法の始天使として魔導と共に死のう」
「そうか……ならば貴様に用は無い」
魔法の始天使、生涯最後のカッコつけに対してモンクシュッド男爵は背中を見せる。
一瞬の戸惑いの後に、それが「見逃す」という意思表示である事に気が付いた。
「教皇様」とやらに叙爵された男爵としてではなく、【ルモス村】を治める領主としての判断なのだろう。
そして、その行為に言及するのは野暮であることも理解した私は黙って屋敷を出ることにした。
彼の横を通る際、横目で表情を伺ってみたが柱の影に隠れていて見ることは叶わなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
モンクシュッド男爵の屋敷を出た私は空を眺めていた。
【メリディ・リサ】の街を適当に歩き、お誂え向きなベンチを見つけて、空を眺め始めてから早一時間程が経過していた。
さながら盛りを過ぎた老人の余生の一幕である。
懐中時計をローブに仕舞い、再び空を見上げる。
乾いた筆で線を描いたような掠れた雲が浮かぶ青空。
どれだけ探しても天界は見当たらない。
【ルモス村】では頭の片隅に押し退けて考えないようにしていた事実に、今ならば向き合うことが出来そうだった。
そう、天界の消失は紛れもない"事実"なのだ。
そして、その事実が今尚信じられない地の民たちの戯言を真実へと昇華させる。
かつて天使は各地を四六時中飛び回っていたが、私が目を覚ましてからは一度もその姿を見ていないこと。
かつて地上には【エルモア】、【アーリア】、【ウォーセン】の三国が存在しており、ここはアーリア地方と言うらしいこと。
かつて下界では魔法が日常的に扱われていたが、私が出会った地の民は誰一人魔法を使っていなかったこと。
それも、私がこの目で見てきた事実だ。
私は深い溜め息を吐く。
天界滅んでるな、これ。
変色してしまった頭を抱えて、私は泣いた。
嗚咽し、鼻水を垂らし、周囲を顧みずに泣いた。
いや、心の何処かで薄々気が付いていたのだ。
始天使が迷子になっているというのに誰も迎えに来ないし、そもそも女神デア様や他の始天使たちの大いなるマナが感じられない。
では皆死んだのか…………
バニーも、ルキスやアモルも、シオン、リヴ、ニル、アヴァスちゃん、ラピスも死に、私は一人ぼっちになってしまったのか。
と言うことはつまり、魔法管理局も無いのか?
私が好きだった場所、家族は全て無くなってしまったのか?
事実を受け入れると、次々に思い出が浮かんできた。
心に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく情景の数々。
形見の品となってしまった星型のペンダントを抱きしめながら、私は大粒の涙を流し続けた。
ふと脳裏にとあるアイデアが思い浮かぶ。
しかし、それは計画を練るまでもなく、すぐに霧散していった。
流石の私でも【死者蘇生】は不可能だ。
──どれほどの涙を流しただろうか。
生涯で流してきた涙の量を遥かに上回る号泣から暫くして、ようやく涙が枯れてきた頃、気が付けば太陽は正午を示す真上まで登っていた。
燦々と降り注ぐ陽光が陰鬱とした心に差し込むようだ。
さて……とすぐに気持ちを切り替えることなど出来ないが、このままベンチで干からびてしまうのも不本意だった。
いつまでもクヨクヨしているのも私らしくないだろう。
天使特有の性質である感情の希薄さは故郷と愛する家族を失っても健在のようだ。
見逃してもらった人生を早くも歩み始めようとしている私。
眩いばかりの陽光を浴びながらぼんやりと考え事をしていると、ふと疑問に思うことがあった。
誰がやったのだろう、と。
モンクシュッド男爵の発言を元にすれば、百年前に世界を最悪の形に変革させたのは、一人の天使らしい。
今一度言及しておくが、天使は天使以上の力を用いるか、若しくは「信仰度」を無にしなければ破壊不可能だ。
また、天使の中でも力量差は存在していて、使徒天使であれば使徒天使以上の力が、始天使であれば始天使以上の力が無ければ破壊条件を満たすことは事実上無いと言っていい。
つまり、あまり考えたくはないが、理論や理屈の上で言うのならば、始天使の中の誰かが事を起こしたということになる。
女神デア様の殺害に、天界と地上の二国の滅亡。
おそらく多くの地の民も手に掛けたのだろう(そういえばハゼランが魔物は全く出ない、と言っていた)。
また、百年前と言えば、私が何者かに攻撃されて意識を失ったタイミングと一致する。
その全てが一人の始天使によって行われたと言うのか。
だが、それはあまりにも納得出来なかった。
理論上は始天使の仕業だと言わざるを得ないのかもしれないが、感情的な観点から見れば、あの七人の中で世界を裏切るような者はいなかった。
皆、世界を管理する為に日々努力していたのだ。
それは勿論、私も例外ではない。
総合管理局がやるような「下界への干渉」だったり、平等な世界管理の為に定めた「天使法」だったり、小難しい事には疎かったが、魔法とマナに関しては一生懸命だったと自負出来る。
緊急時には下界に「光臨」して奮闘したこともある程だ。
そんな努力を無に帰すような行為を誰が出来ると言うのか。
というかそもそも、女神デア様は死に至るのか?
彼女は万物の創造主であり、無限の可能性を秘めたるマナ及び我々始天使の権能の起源なのだ。
胸を刺されたとしても、首を刎ねられたとしても、何食わぬ笑顔で復活して来そうなものである。
とにかく始天使が叛逆者だと言うのは信じられないな。
我々は世界に最初の争いが生まれた時、女神デア様と共に嘆き悲しみ、世界を管理することを誓った家族なのだ。
これ以上、家族を疑うことは出来ない。
とりあえずは下界で誰が叛逆者として吹聴されているのか確かめなければならないな。
モンクシュッド男爵の口振りから察するに、既に特定されているのではないだろうか。
私は新たなる目標を胸に立ち上がる。
しかし、これからどうしたものか。
聞き込みをしたいところだが、【ルモス村】の少年の話によれば、聖都という場所では天使の話題を出しただけで殺されるそうだ。
ここがアーリア地方の【メリディ・リサ】と言えど、叛逆者とされる天使について聞いて回るのは得策とは言えないだろう。
そう考えると、モンクシュッド男爵の屋敷を追い出されてしまったのは、かなりの痛手であったな。
貴族であれば歴史書は多数所持しているはずだし、身元が証明されれば下界の施設も利用出来るはずだった。
それに私は百年後の地理や法律がさっぱり分からん。
モンクシュッド男爵との件もあるし、なるべくここを離れた方が良い気がするのだが、下手に動いて断罪されてしまっては元も子もない。
今の私に天使の特徴──翼や光の輪が無いとしても、何らかの方法で正体を見破られる可能性だってある。
現に天使は皆殺しにされているようだからな。
実に恐ろしいことだ。
護るべき世界が敵になってしまった。
そうやって考えあぐねていると、遠くから何やら声が聞こえてきた。
「さあさあ寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 今回持ち寄ったのは何と【清化】の魔道具だよ!」
まどう、ぐ? ま、魔道具だと?
聞き捨てならぬ言葉に、新たなる目標を忘れて取り憑かれたように歩き出すのだった。




