第29話 南東の街【メリディ・リサ】
街道の踏み均された土を走り、それでも尚、時折現れる小石による反撃を受けてガタガタと揺れる馬車。
黒塗りのキャビンの大きく切り取られた窓から外を覗けば、風の流れと共に移り変わる自然の風景を楽しむが出来た。
貴族風に言えば、優雅だな。
体力を消費せずに、ふかふかの座席に腰を下ろしているだけで目的地へと近付いてゆくのはやはり大変便利であった。
乗る前は小馬鹿にしていたが撤回しよう。
中々良いではないか。
ただ、一つの欠点を除いて。
「──して、私が治める領地のことだが……」
「う、うッ……今は、話しかけないで下さい……オエッ!」
私は今、絶賛乗り物酔い中だった。
馬車の揺れは脳みそを揺らし、絶えず変化する景色は眼球を狂わせ、閉所的な空間はプレッシャーを与えてくる。
ふかふかの座席もなんだか不安定な気がしてきた。
優雅な景色など知ったことではない。
今朝、身体の中に放り込んだたまご焼きトーストと豆のスープの残骸たちが喉元まで登り詰めているのだ。
私の名誉の為にも嘔吐だけは何とか避けねばならない。
「あと、どのくらい……かかりますか」
「いや……まだ数分しか経っていない。町まではもう暫くかかると思うが……」
「オエッッ!!!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
──アーリア地方南東【メリディ・リサ】
外周部には壁の代わりに自然で囲んだ緑豊かな街。
約一時間にも及ぶ最悪の馬車移動を経て、遂に目的地に到着した。
御者が鞭を引き、馬車が停止する瞬間。
まるでトドメを刺すかの如く激しい振動に意識を失いかけながらも、強引に扉をこじ開けて外へ雪崩込んだ。
硬い地面の感触が何より有り難い。
「し、死の淵が見えたぞ……」
苦しげに喘ぐ私に対して、役目を終えた馬車馬がフン、と鼻を鳴らした。
これを嘲笑っている、と感じ取った私は末期だろう。
もう二度と馬車には乗らないことを心に誓った。
その為には、いち早く補助系魔法を再習得しなければな。
というか、これを移動手段として常用するヒューマンはあまりにも屈強すぎる。
いや、私が軟弱、というか引きこもりすぎなのか?
ちなみに、嘔吐の件に関しては、ご想像にお任せする。
最後に一つだけ言及しておくとすれば、馬車から降りたモンクシュッド男爵は御者に"紙袋のようなもの"を渡していた。
「ふう……気分は良くなったかね?」
「う、うむ……ここはどこだ?」
「ここはアーリア地方、南東の街【メリディ・リサ】。そして、目の前に建つのはモンクシュッド家の屋敷──我が家だ。と言っても、あまり自慢出来るものでもないがね」
彼が顔だけを動かして視線を送った先には、これまで下界で目にしてきたどの建物よりも立派な屋敷が建っていた。
綺羅びやかと言うよりは荘厳な雰囲気を醸し出しており、鉄製の門や石造りの壁面はそれを更に引き立てている。
私の魔法管理局が稚拙に思えてくるな。
アレは下界で例えるならば小屋だ。
しかも趣味が悪いらしく、守護天使バニーには「性悪魔女の家みたいですね」と批判されたことがある。
と、ここまで絶賛したものの、家主であるモンクシュッド男爵が謙遜していた理由も何となく理解出来る気がした。
大きな理由としては、思ったより小さいのである。
勿論、魔法管理局や平民の家屋と比べれば断然大きいが、上流階級レベルで比較するとその評価は一気に下落する。
そもそも屋敷は街中に建っているのだ。
広大な自然を切り開いた中にあるでもなく、城郭都市の限られた土地を贅沢に使っているわけでもない。
ほんの少し顔を動かせば、平民の家屋や商店が見られるし、今だって私たちの背後を買い物帰りらしき婦人が「ご機嫌よう」と挨拶してくる程の距離感だ。
これが良いことなのか、悪いことなのか。
私には判断が付かない。
先程の婦人と軽い世間話を終えたモンクシュッド男爵が、私に目配せをしてから鉄門を開けた。
「男爵自らの手で開けるのだな」
「その方が早い。私はせっかちな性分でな」
そう言うモンクシュッド男爵はつかつかと歩き、玄関までも自身で引き開けて、あろうことか扉を手で抑えて私を待った。
紳士的と言うか何と言うか、もし私が少女向け恋愛物語の主人公であれば恋に堕ちる展開だっただろうな。
残念ながら私は魔法物語の主人公なので、決して色恋沙汰には陥らない。
若干駆け足で彼の横を通り過ぎると、落ち着いた赤を基調とした玄関ホールが私を迎えた。
まるで絵画の中に飛び込んだかのような気分だった。
センスを感じる調度品の数々、家主の美学が伝わってくる色彩の統一感、主張しすぎない洗練されたデザインのシャンデリア等々、「自慢出来るものでもない」だなんてとんでもない。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「出迎えご苦労、ルビィ。こちらフィーネ嬢だ」
「ようこそお越し下さいました。フィーネ様。お話は旦那様より伺っております。わたくしはモンクシュッド男爵家にお仕えさせて頂いております、ルビネッタと申します」
私は有史以来最も美しい礼を見た。
これが本物のメイドか。
皺一つない給仕服を身に纏った透明感のある清楚な風貌、洗練された立ち居振る舞いでありながら、敢えて己を主張しない。
しかもこれはおそらく──
「モンクシュッド男爵、彼女の他にメイドは?」
「彼女だけだ。炊事以外の家事は全てルビィが担っている」
──粋だ。
紳士的で体裁を気にしない男爵に、街中に佇むお洒落屋敷に、たった一人の有能メイドだと?
この男、デキるぞ。
「さて、盛大な歓迎パーティを開きたいところだが、まずは所持品検査を受けてもらいたい」
「む、貴君の寝首を掻く武具など持ち合わせていないぞ。第一私に敵意など無い」
「それはこちらも承知しているが、状況が状況なのでね」
正直驚いた。
検査とは疑わしき者に対する処置だ。
確かに私は身分も国籍も証明出来ぬ部外者だが、此度は【ルモス村】での功績を認められて招かれたものだと思っていた。
怒りこそ無いが、不思議だった。
そこまでする必要があるのだろうか、と。
しかし、拒否する気も起きない。
仮にも相手は貴族だしな。
「良いだろう。好きに調べるが良い」
とその場で服を脱ぎ始める私に、初めて慌てた顔を見せるモンクシュッド男爵とルビネッタ。
マナの傀儡に過ぎない裸体を見られることなど、どうという事もないのだが、専用の部屋があると言うので従う事にした。
有能(推定)メイド、ルビネッタに案内されたのは2階へ繋がる階段の下を通り抜けた先にある小部屋だった。
大きな姿鏡の他には特に特筆すべき物は見当たらない。
私(の外見)が異性と言うことで小部屋にはルビネッタと二人きり、モンクシュッド男爵は客間で待機しているらしい。
唯一の所持品である星型のペンダントと古びた懐中時計を差し出した後、衣服の下まで確認することになった。
私に羞恥心等は一切無く、下着の中まで堂々と調べるが良い、という意気込みである。
検査とは言え、一応客人として饗されているのか、脱衣に関してはルビネッタがやってくれていた。
マダム・ラベンダーに譲ってもらった紫黒色の立ち襟ローブから始まり、村娘が着るような素朴なワンピースを丁寧に脱がされて、遂に下着姿となった所でルビネッタの手が止まった(蛇足になるが、私の下着の色は白である)。
「どうした?」
「いえ、何でも御座いません。下着の方も宜しいでしょうか」
そう聞かれて、鏡越しにルビネッタと目が合う。
涼し気な表情をしているな、という感想も程々に私の視線は彼女の身体を這って下へ下へと向かっていき、その豊満に実った二つの果実に──いや、あまりにも変態じみているので止めておこう。
とにかく、彼女のそれは中々にして大きかった。
肌の露出に関しては相当な防御力を誇るメイド服でも、慧眼たる我が神聖眼は誤魔化せない。
それに比べて私は木の実サイズ、いや、それはいささか言い過ぎであるが、下着を脱がされるのを一瞬躊躇う程には大きな差があった。
「コホン……しっかり調べてくれ」
私の言葉に応えたルビネッタがハラリと下着を取る。
そうして、私のありのままの姿が晒された。
──まじまじと己の身体を見るのは初めてかも知れんな。
翼や光の輪が無い事はひとまず置いておくとして。
率直な所感は、女らしくない、だろうか。
胸に関しては先程書き記した通りであるが、腰回りだとか、下半身だとか、その辺もまた魅力が無いように思える。
少しばかり贅肉が付きすぎているのだ。
おおよそ日頃の運動不足が祟っているのだろうな。
下界における女性の美学としては、腹は勿論、四肢は細ければ細い程良いと聞いたことがある。
この、擬音で表せばむちむち、むにむにとした太腿や下腹部、臀部はあまり受けないのだろう。
私が他人のものを見る際には結構嫌いでは無いのだがな。
「さあ、異常は無いだろう」
「はい、フィーネ様。ご協力ありがとうございました」
ルビネッタは少し微笑んでからそう言って、まるで時を巻き戻すように私に衣服を着せ始めた。
黙って待っているのも退屈なので、世間話を投げかけてみる。
「新たなる魂を招待する際はいつもこうしているのか?」
「"こちら側に"迎え入れる際はこうしております」
こちら側?
それは屋敷の中を指しているのだろうか。
それとも領地的な話か。
私が首を傾げると、ルビネッタが小さく声を上げた。
「フィーネ様、襟首に糸屑が付いております。僭越ながら取ってしまって宜しいでしょうか」
「む……ああ、気軽に取ってくれていいぞ──んッ……妙にべっとり取るのだな。いや、良いのだが」
糸屑と言うものだからてっきり摘んで取るのかと思ったが、はたくような、撫でるような取り方をされた。
言葉通り、別に良いのだがな。
しかし、妙な声が出てしまった。
それからは何事も無く服を着終わり、小部屋を後にした。
ルビネッタから許可が出たので、再度彼女に案内をしてもらいモンクシュッド男爵のいる客間へ向かった。
失礼ながら屋敷は広くないので、さほど時間も掛からずに客間の扉に辿り着き、私は鼻を膨らませながら中に入る。
テーブルを挟んで対面するように置かれたソファの片方に、モンクシュッド男爵は膝の上に手を組みながら座っていた。
私は促されるより前に、向かいのソファに座ってふんぞり返る。
肘掛けにもたれて、足を組んで、どちらが家主なのか分からないくらいに。
対面するモンクシュッド男爵はそれを咎めることなく、ルビネッタに退出を促してから姿勢を正した。
「協力に最大限の感謝をしよう。では、改めて、ようこそ。我がモンクシュッド男爵家に」
「うむ。それで、所持品検査までして私に何の用なのだ?」
「そう急くことも無いだろう。まずは有耶無耶になっていた自己紹介から始めるのはどうかね。思えば、我々の出会いは伝聞上のものだった」
「良いだろう……我が名はマギウェル・デア・フィーネ。原初の七大基礎魔法を再び手中に収めた魔術師にして、尚、かつての輝きを取り戻さんとする魔法の始天使だ。貴君に伝えておくこととすれば……そうだな……深淵から目覚めた折、我が力の消失から幾日も過ぎ去ったが、諸悪の根源には未だ辿り着けぬままだ……天上の故郷を憂う日々に終わりを告げる為、知り得る言伝があれば是非教えて欲しい」
自己紹介のついでに現在の目的を話す。
【ルモス村】での穏やかな日々の中で、渾沌とした情報を整理した末に、再度我が指標を定めたのだ。
それは──力を取り戻し、世界の実状を明らかにすること。
うむ……まさに世界の謎に迫る者だな。
少し前まで「知名度アップ」などと呑気な指標を掲げていたのが恥ずかしくなってくるようだ。
そんな大いなる使命に感銘を受けたのか、目前のモンクシュッド男爵は眼光を鋭くしていた。
「古い詩文のような言葉の真意は曖昧にしか汲み取れないが……フィーネ嬢、一つだけ聞かせて欲しい。今、自身を何と騙ったのだ?」
「む……私は七属性の基礎魔法を覚え直した魔法使いであり、それに留まらず、失われた力の全てを取り戻したいと願う魔法の始天使だ、と言ったのだ」
「魔法の始天使? それは……真か?」
どういった気持ちの表れなのか、声を低くして怖い顔をするモンクシュッド男爵。
まるで内に秘めていた憎悪が途端に噴き上がってきたかのような変遷の様であった。
こちらが圧倒されている最中、彼は不意に立ち上がる。
「ならば、ここで殺さなければならないな」
モンクシュッド男爵はそう言って、鞘から剣を抜き、その冷たい刀身を私の首筋に押し当てるのだった。




