第28話 余韻 その2
──【ルモス村】西の出入り口付近。
とある魔法使いの送別に二人の村人が集まっていた。
「いやあ、嬢ちゃん。本当にありがとな。救われた恩は絶対忘れないし、もし嬢ちゃんに何かあったら絶対駆け付けるぜ」
青空の下で眩い太陽にも負けぬ笑顔を見せるハゼラン。
鍛え上げられた胴体には未だ包帯が巻かれていて痛々しいが、真っ白な歯と共に見せつけてくる力こぶを作る動作からして身体は大方大丈夫らしい。
流石というか、脅威の回復力である。
ハーピーから受けた外傷は確かに内臓まで到達していた。
私も詳しいわけでは無いが、一般的なヒューマンならば今尚床に伏せっているか、例え傷が癒えたとしても後遺症が残っているのではないだろうか。
私の【光球】によって恩恵を受けたとは言え、まさか動き回れるまで回復しているとは、長年生きてきた私でも少しばかり予想外だった。
というか、よく見てみれば、ハゼランの背負っている物が戦斧から農耕具の鍬に変わっている。
まさかこれから土起こしをするわけではあるまいな。
「ハゼランも無理をするでないぞ。貴様は【ルモス村】最後の砦なのだからな」
改めて感心と驚異を抱きつつ、先の彼の言葉を頼もしく思った。
「デカいのに先に言われちまったが、アンタには世話になったよ。まさか本当に村を救っちまうとは……希望なんてものにも、たまには賭けてみるもんだよ」
「いや……私の方こそ礼を言わねばなるまい。マダム・ラベンダーの作るミートパイは絶品だったぞ」
この数日間、行き場の無い私に部屋を貸して食事をご馳走してくれていたのはマダム・ラベンダーだった。
正直な話、力の大部分を失ったとは言え、私が天使であることに変わりはなく空腹を感じる日は一日も無かったのだが、彼女から受け取った優しさは何にも代え難いものだった。
ミートパイが得意料理と言っていたが、頼んで作ってもらったシチューもゴロゴロ肉が多めで美味しかった。
マダム・ラベンダーがいなければ、今頃私は不安に押し潰されて闇に墜ちていたことだろう。
「いいかい、フィーネ。今の世界は複雑だ。いつだって世界は複雑なもんだが、今は特に複雑になっちまった。アンタのその目で、その頭で、何が本当に正しいのか、何を成すべきなのか、ちゃんと見極めるんだよ」
最後の最後まで格言めいたことを語るマダム・ラベンダーに不思議な安心感を覚え、私は笑みをこぼす。
一万年もの間、世界を管理してきた始天使に世界の何たるかを教えるヒューマンは彼女が最初で最後だろうな。
この私が世界について悩む日など来るはずもないが、恩人との最後の思い出として肝に銘じておこう。
そうして別れの挨拶を交わしていると、街道の方から断続的に砂利を踏む音が聞こえてきた。
マダム・ラベンダーが「三分遅刻だよ」と一言。
私も倣って視線を向けてみれば、一台の馬車が土煙を上げながらやって来るのが見えた。
黒塗りの箱を引く二頭立ての馬車が静かに停止する。
ジッと様子を窺っていると、無駄な装飾の無い、周囲の景色を映し出せるまでに磨き上げられたキャビンの扉がこれまた静かに開けられた。
中から出てきたのは壮年の男だ。
その男はこちらを一瞥し、何かを承諾したかのように僅かに顎を引いてから歩き出した。
中々にして珍しい歩き方だ。
屹然と背筋を伸ばし空気を切り開くような足運びは力強い印象を受けるが、腕の振りや手先の残り方は舞踊にも似た優雅さを持っている──まさしく気高き者の歩き方だ。
あれがモンクシュッド男爵か。
段々と邂逅の時が近付いてくるに連れて、周囲の空気が変わるのが分かった。
緊迫感とでも言うのだろうか。
それを象徴するかの如く、全ての言動が説教じみているマダム・ラベンダーと豪快が服を着て歩いているような男ハゼランが、粛として腹に手を当て頭を垂れていた。
が、しかし──
「堅苦しいのはよせ、といつも言っているだろう。マダム、ハゼラン。此度の騒動、ご苦労だったな」
労いの言葉に先程までの緊張感が一気に解けた。
微かな含み笑いが起こった後、二人が顔を上げる。
「アンタは一応領主様だからね。媚を売ってんだよ」
「お久し振りです、モンクシュッド卿。オレたちもですが、卿も災難でした。御夫人のお怪我の具合はいかかですか」
「ああ。フェゴールはまだ寝込んでいる。が、順調に回復はしているらしい。当然だが君のように立ち上がるまではいかないな──して、君が噂の魔法使いか」
言葉の終わりにモンクシュッド男爵の黒い瞳が私を捉えた。
黒を基調とした衣装に艶のある短めの黒髪、腰に携えた剣ですら銀色の柄を除き黒色で、まるで影から這い出て来たかのような風貌だった。
私のイメージ的に貴族というのは赤色や金色を派手にあしらった衣服を身に纏い、己の存在感をこれでもかと主張する生き物だと思っていたが、彼はそうでもないらしい。
その佇まいも天界で見下ろしてきた貴族とはひと味違うようだ。
まず第一に私欲に溺れた瞳をしていない。
それに強者のオーラを放っている。
ハゼランは荒削りで猛獣の牙にも似た鋭さを持っていたが、モンクシュッド男爵が身に纏うのは長きに渡って研ぎ澄まされ、洗練された騎士道を思わせる強さだった。
端的に言えば、彼には風格がある。
第一印象は悪くない。
黒は私も好きだからな。
「うむ……私が彼の高名な魔術師にして【ルモス村】の救世主だ。高貴なるモンクシュッド男爵よ、晴れ渡る蒼穹の下、邂逅出来たことを嬉しく思うぞ!」
「……実に面白い若者だな」
「お、おい、フィーネ! モンクシュッド男爵はオレたちの村を治める偉い方なんだぞ! 紛いなりにもちゃんとした言葉遣いを──」
「──いや、良いのだ、ハゼラン。彼女は私が何よりも大切にしているものを守ってくれた恩人だ。頭を下げるならば私こそ相応しい。感謝するぞ、フィーネ嬢」
そう言って言葉通りにお辞儀するモンクシュッド男爵。
事情を知らぬ者からすれば私の身分は平民に違いなく、貴族にしてみればそこら辺に生えているちょっと生命力のある雑草くらいの存在なはずだ。
そんな雑草に対して、その働きを認め頭を垂れるとはな。
彼は相当な人格者か、気狂いなのだろう。
地位や礼節に重きを置く貴族が、出会ったばかりの平民に対等な言葉遣いを使われるなど、本来あってはならないことだ。
逆に、貴族事情を知り得る私が敬語を用いなかったことを疑問に思うかもしれないが、それは仕方がないことだと思って諦めて欲しい。
天使としてのプライドとかではないぞ。
魔導に"覚醒めて"真の言葉を操るようになって約一万年、私はもはや敬語が使えないのだ。
社会生活において必須単語である「ありがとう」と「ごめんなさい」すらまともに言えない畜生である。
少し驚かせてくれれば"覚醒める"前の言葉が出てくることもあるが、まあ、私が動揺するなど有り得ぬからな。
やはり諦めてもらうしかない。
「礼など要らぬ。私は当たり前のことをしただけだからな。ところで、今日は私に用があるのだろう?」
「ああ、そうであった。詳細は私の屋敷で話したい。急かすようだが、先に馬車に乗っていてくれるか」
「うむ。ではな…………馬車は初めてだぞ」
度重なる文明の発展と崩壊の中でいつまで経っても進化せず、いつの時代になっても存在し続けてきた乗り物──馬車。
その性能を他の生命に委ねることしか出来ず、速度においても、その大多数が人の歩行速度と遜色ないという知識人が常用しているとは思えぬ産物だ。
私はアレを見る度に飛行性能を付ければいいのに、と思うのだが、それが実現されたことは一度も無かった。
つい二千年程前にあれは我々始天使で言う「奇跡」のようなものなのだろう、と結論付けて諦めたところだ。
あの非効率的かつ超原始的な体験を遂に出来るのだな。
妙な好奇心を抱きながら私は馬車に乗り込んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「して、マダムよ。彼女の存在を"奴ら"は知っているのか?」
正体不明の異邦人が馬車に乗り込んだことを確認したモンクシュッド男爵が声のトーンを落として話を切り出す。
静かな口調の中でも「"奴ら"」という言葉を口にした際には、僅かに空気の揺れが感じられた。
その変化はモンクシュッド男爵と長年の付き合いであるイム・ラベンダーも確かに読み取っている。
「そりゃ知ってるさ。あの子は村の救世主さね。いくらアタシでも隠し通すのは無理ってもんだよ」
「そうであったか」
「だが……聖印のことはまだ知られちゃいないよ。怪我をしていると言って家には入れなかったからね」
イム・ラベンダーが皺だらけの口元をニヤリと歪ませる。
村の長とは到底思えぬ、してやったり顔にモンクシュッド男爵は何度目かの敬意と呆れを胸中に抱いてから、全く同じように笑みを浮かべた。
彼もまた教国から領地を与えられた貴族らしからぬ人物なのである。
「マダム、彼女は何者だ?」
「さてね、それは自分の目で確かめるんだね……だが、魔法使いを夢見る乙女としてはあの子は憧れそのものだよ──なんだいその目は?」
「いや、しかし、『憧れそのもの』とは?」
モンクシュッド男爵の問いに対してイム・ラベンダーは暫く考え込んだ後に口を開いた。
「偉大なる魔術師マギーネ。その人を思わせるんだよ……クククッ、馬鹿な話さね」
「闇に葬られた著者……まさか彼女が? いや、流石にそれは……しかし……」
「あんまり考えすぎるんじゃないよ。世の中、意外と単純なんだ」
腕を叩かれたモンクシュッド男爵はそこで思考を止めて、小さく頷いてから足首を僅かに馬車の方へ向ける。
そろそろ行かねばならない。
客人を待たせているのもそうだが、このまま長居すればいつ説教が始まるか分からない。
五十手前にもなって叱咤激励されるのは流石に気が滅入る。
最近は考えっぱなしで抜け毛が増してきた程だ。
モンクシュッド男爵は黒いジャケットの内ポケットから白銀の翼を取り出して、別れの言葉を告げた。
「我らに光の祝福あれ」




