第26話 覚醒せし至高の魔術師
ハーピーの放った風の刃から私たちを庇ったハゼラン。
紙一重の所で身体を割り込ませた彼に防御姿勢を取る猶予など無く、無防備な背中へ直撃を喰らっていた。
口端から滴り落ちる血液は傷が身体の内部にまで到達している証拠であり、自然と手から滑り落ちる戦斧は物を握る力すら残されていないことを表していた。
だが、彼は倒れなかった。
咳き込むようにして少量の血反吐を撒き散らしながら、私たちに背中を向けて再びハーピーと対峙したのだ。
まさか時間を稼ごうとしているのだろうか。
先程の言葉通り、私たちが逃げられるように。
ハゼランは何も言わなかったが、その逞しい背中に刻まれた痛々しい傷が私たちを急かしているようだった。
本当に逃げるべきか、と私は悩む。
真横で座り込む男爵令嬢が言葉にならない声を漏らしながら、目の前のハゼランに手を伸ばしていた。
母親に次いで、希望の眼差しを送っていたハゼランまでもが自らの為に犠牲になろうとしているこの状況。
令嬢にとって逃亡は死よりも苦痛かもしれない。
だが、死とは終わりを意味する。
魂の抜けた肉塊では何も成すことは出来ないが、生きてさえいればまだ希望はある。
復讐するなり、忘却するなり、好きに乗り越えればいい。
それに、ハゼランの決意も無駄にしてはならない。
そう思い、令嬢の手を取った刹那、ハゼランの巨体が視界から消えた。
ハッとして前方を見てみれば、血痕を残しながら地面を転がる彼の姿があった。
一体何が起きた?
災いの元凶であるハーピーに視線を向けると大翼をはためかせ、砂埃を落とすような仕草をしていた。
まさか大翼でハゼランを打ち払ったのか。
その何の予備動作も無いただの翼の一振りだけで、私より一回りも大きい身体をいとも簡単に弾き飛ばしたというのか。
じわじわと胸中に広がる恐怖心から苦い唾を飲み込む私に対して、ハーピーが今までで一番の破顔を見せる。
予見じみた回避能力と殺傷力の高い風攻撃に加えて、これ程までの膂力を持ち合わせていたとは。
すまない、ハゼラン。
判断が遅かった。
次は私たちの番だ。
手に取ったままだった令嬢の細い腕が小刻みに震え始める。
そのあからさまな恐怖が私にも感染したのか、思考を忘れる程の途方も無い脱力感が襲い掛かってきた。
私はここで死ぬのか?
魔物特有の朱色の目を厭らしく細めて、大翼を揺らしながら勿体振ったように時間をかけて近付いてくるハーピー。
まるで眼前の獲物をどう弄んでやろうか、と吟味しているかのようだ。
くそ。
せめて魔法さえ使えれば。
「……もう……むり……」
令嬢が小さな声で呟く。
完全に同感だった。
久方振りに下界に降りてみれば何者かに襲撃され、目が覚めると魔法が使えなくなっていて、人の子は戯言を繰り返すばかりで、天界には帰れない。
そして、目の前には強靭な魔物。
血塗れの悲劇の渦中、いくら私でも力を失った状態では切り抜けるなんて不可能────ではない。
そうだ……。
私の魔導書に「不可能」の文字は存在しない。
私は無限の可能性──魔法を司る者なのだ。
何を弱気になっている?
言葉は力なのだろう?
私は誰だ?
「……? あなた、何を……?」
「クククッ……案ずるな、男爵令嬢よ。ようやく思い出したのだ……私が何者なのかを」
私は立ち上がり、令嬢の傍に落ちていた血に染まる外套を拾い上げ、首元のボタンだけを留めて身に纏う。
魔法が使えない?
そんなもの幻想だ。
マナを失った?
ならば生み出せばいい。
心を自由にして、魔法に変えるのだ。
「よく聞け……そして、魂に刻むがいい。我が名はマギウェル・デア・フィーネ……深淵に黎明を齎す者だ──『奇跡解放! 漆黒より深く、閃光より輝け、無限より来たるは我が魔法──【魔導書・顕現】!!』」
無限の可能性を秘めたる私の心が空っぽだった身体に僅かばかりのマナを生み出した。
そして、私の言葉に世界が呼応する。
眩いばかりの光が辺りを包み込み、遂に魔法が発動する。
私の右手に顕現したのは、最強無敵の魔法の始天使が遍く可能性を綴った至高の魔導書──白の魔導書だ。
懐かしい。
この胸に広がる温かさ、靄が晴れたような感覚。
生まれて初めて魔法に触れた時のようだ。
『世界に魔法を再適用しますか?』
「……許可する」
『マスターの許可を確認。世界と創造主の意思片を再接続しました──マスターの異常を確認。所有マナの9割以上の消失。本著に残留するマナを譲渡します──現在接続可能な魔法を案内します──【吸収】【発火】【出水】【旋風】【土塊】【雷鳴】【光球】【暗闇】が接続可能になりました──存分に暴れて来てください』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
先刻まで死に物狂いの戦闘をしていた狩人ハゼラン。
極限まで研ぎ澄まされた感覚は今尚残っており、いやに過敏になった皮膚が草原の柔らかさを不快に感じていた。
悔しさから歯を食いしばると血特有の嫌な味と口の中に入り込んできた砂の感触が合わさって、更に顔を顰める。
「ちくしょう……」
かつての仲間たちを失った絶望と後悔がまたもや心を蝕む。
いくら身体を鍛えても、前を向いても、結局は何も守れない。
そして、数々の死を見送り、虚しく生き残ってしまったこの命も今、何の成果も挙げられずに終わりを告げようとしている。
背中に受けた深傷が無数の槍に突き刺されるような痛みを訴えてくる。
それを助長するのは奈落の底に落ちたような絶望感だった。
──だが、せめてあいつらだけは。
ハゼランは最後の力を振り絞り、顔を上げる。
すると、むくりと起き上がる異邦人が視界に映った。
ただでさえ寄せられていた眉根が一層深みを増す。
何をしている、男爵令嬢を連れて早く逃げろ。
大口を叩く癖のある異邦人に向かって必死に目で訴えかける。
しかし、彼女は静かに俯くばかりであった。
ハゼランにはそれが死を受け入れた者の立ち振舞いにしか見えず、酷く焦燥した。
オレが何とかしなければ。
石でも投げて魔物の注意を引くしかない。
そう考え付いた時、ハゼランは驚愕する。
──異邦人がニヤリと笑ったのだ。
「よく聞け……そして、魂に刻むがいい。我が名はマギウェル・デア・フィーネ……深淵に黎明を齎す者だ! 『奇跡解放! 漆黒より深く、閃光より輝け、無限より来たるは我が魔法──【魔導書・顕現】!!』」
難解だが、しかし力強い言葉の羅列を異邦人が唱える。
気でも狂ったのか、と唖然としたのも束の間、目も開けてられない程の光が異邦人の身体から放たれた。
何だ?
困惑しながらも何とか状況を確認しようと無理矢理に瞼を開けると、外套を大袈裟に翻す異邦人の背中から何と純白の翼が生えていた。
灰色だった頭髪は黄金色に変わり、瞳も人外的に輝き、頭上には太陽の如く輝きを放つ光輪のようなものも見える。
その姿はまるで「天使」だった。
百年前まで存在していたという世界の管理者。
その多くは迷える人々に救いの手を差し伸べ、最上位階級ともなれば自然や星々などの世界を構築する要素を司るまでの権限を持っていたという女神の子。
これはあくまで創作じみた伝承の類にはなるが、中には世界征服目前まで迫った魔王を勇者、聖女と共に打ち倒した天使や、大暴走した意思を持つ大樹木を木っ端微塵にした天使もいたらしい。
そんな密かに語り継がれてきた逸話の中だけの存在。
そして、世界の創造主を殺した禁忌の存在でもある天使が復活したというのか。
瞳が捉えた光景が信じられず、強く目を擦った。
一瞬の閉目の後に再び瞼を開けると眩い光は消え去っており、異邦人には純白の翼など生えておらず、ましてや光輪など片鱗すら見受けられなかった。
ただの錯覚。
逃げ道の無い深淵のような状況に希望を見出そうとする脳が作り出した一種の幻覚だったのだろう、とハゼランは先の不可思議な光景を片付ける。
ただ、依然として異邦人は立ち上がったままだ。
人生史上最凶と言っても過言では無い魔物を前にして、堂々とまるで勝利を確信しているかのように。
「か弱き命を弄ぶ闇の眷属よ……貴様の強さは認めよう。しかし、眼前の敵を見定められぬ愚かさは『死』と成って貴様に降り掛かるのだ。ふっ……分からない、か。ならば証明してくれよう……至高の魔術師である我が顕現させし魔法──轟々と燃ゆる煉獄の業火によって」
やはりまともには理解出来ない言葉の数々にハゼランは痛みも忘れて何度目かの唖然を露わにする。
人間の言葉を理解出来ないはずのハーピーですら僅かに首を傾げて困惑しているようだった。
唯一脈絡から察せられたのは魔法を発動するらしいこと。
だが、「魔法」は天使の消失と共に機能しなくなった古い力であり、今は"道具"を頼ることでしか再現出来ないもの。
それを一介の人間の手によって成し遂げようなど不可能なのだ。
だが──彼女ならば。
そう思わせる程のオーラを、力を、異邦人は放っていた。
一方で息が詰まるような状況に飽きたのか、ハーピーは再び笑顔に似た表情を浮かべて飛び上がり、異邦人に突進し始めた。
「突撃か……その浅はかさが愚かだと言っているのだ。命までは奪うまいと思っていたが……良いだろう……我が炎に焼き尽くされるがいい──『塵を焼く、始まりの炎よ、我に力を──【発火】』」
風を切りながら猛進して来るハーピーに対して、異邦人は微動だにせず、ただ人差し指を突き立てた。
そして──その細く、夕闇の中でも白く浮かび上がる程の美しい指から小さな炎が噴き出る。
周囲を照らすその炎は警戒心からか急停止したハーピーの胸元に着火し、信じられない速度で燃え上がった。
鼓膜を劈くような絶叫が周囲に響く。
「だ、だめだ……ッ」
目の前の光景にハゼランは思わず声を漏らした。
魔法にせよ何にせよ森林周辺での火気使用は厳しい規則によって縛られている。
害獣駆除や見回りなどの業務上、森の守り人と呼ばれることもある狩人の彼はその危険性を熟知していた。
それに加えて、目下には草原が広がっている。
下手をすればアーリア地方の宝である母娘にも危害が及びかねない。
そんなハゼランの危惧を知ってか知らずにか、異邦人が謎のポーズを取りながら自慢げな笑みを浮かべて口を開いた。
「貴様を焼く其れはただの炎ではないぞ……『敵を燃やす』という宿命を背負った魔法の炎だ……術者は勿論、草木や同胞は傷付けず、しかし、敵にかすりでもすれば一瞬にして業火と化す……クククッ……これが魔法の力だ…………ようやく使えたぞ」
彼女の言う通り宵闇を照らすのはハーピーに纏い付く炎だけだった。
人の悲鳴にも似た鳴き声と轟々と燃え盛る炎の中で藻掻き苦しむ影はやがて大人しくなり、何かが倒れる音を皮切りに終わりを告げた。
マギウェル・デア・フィーネ。
その名を忘れない、とハゼランは心に誓い、目を閉じる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ようやく魔法が使えるようになった。
かつてハーピーだった物を前にして私は心から安堵する。
大きく息を吐きだすと、目尻から汗が伝うのが分かった。
汗で滲む視界の中で、黒い亡骸は焦げた臭いを周囲に撒き散らし、陽炎のような灰煙を上げると共に虹色の粒子も溢れさせていた。
天まで昇る光の帯の正体はハーピーが所有していたマナだ。
多くのマナを身体に宿す者、特に魔物が死した際は所在を失ったマナが自然に還るこの現象がより明瞭に確認出来る。
まるで夜空に浮かぶ天の川のような光景を眺めていると、ふと、とある魔法が脳裏に過ぎる。
それは、かつて世界樹消失事件の際に贖罪、もとい解決策として私が完成させた「禁忌魔法」のことだ。
その自然の摂理に反した効果に対して、余りに簡単な詠唱にて顕現出来てしまう恐ろしい魔法──
「『其の源を我に──【吸収】』」
天の川に向かって手を翳すと、無数の星々は流れを急転させ奔流となって私の身体に流れ込んで来た。
ハーピーがその一生を賭して育んできたマナが、たった一つの魔法によって私の物となる。
良い気分だ。
例えるならば、乾いた喉に冷涼な水を流し込んだ時のような満足感と快感だった。
『所有マナの上昇を確認──【火球】が接続可能になりました』
白の魔導書の声を聞いて、私はニンマリと笑みを浮かべる。
一時はどうなるかと思ったが、ようやく希望が見え始めた。
このまま魔法を習得して行けば天界に帰還出来るぞ、と新たな決意を抱いて空を仰げば目当てのものが見当たらない。
あれ? 天界どこ?
先程まで浮かべていた笑顔が一瞬にして消え去るのだった。
備考
【発火】
「塵を焼く、始まりの炎よ、我に力を」
其れは始まりの魔法。
空虚だった世界に激情を与えんとする熱き灯火。
深呼吸をして、鼓動に耳を傾け、心に身を委ねよ。
内なるマナを手掌に集め、強く捻りを加えよ。
熱情を火へと変換するのだ。
概要
・火属性の基礎魔法。
火属性の適性を持つ者、火の道を進まんとする者は必ず最初に習得しなければならない。
・当魔法によって顕現した火は自然界の火とは異なる。
一方で、自然界の火に力を与え、当魔法と同様に扱うことも可能である。
・最終的な完成は、安定した火の顕現と狙い定めた対象だけに着火、燃焼させることである。
発動手順
一、詠唱を開始せよ。
二、マナを顕現箇所に集中させよ。
三、集中させたマナに捻りを加え、火へ変換させよ。
この時、覚悟や怒り、決意などを思い浮かべると良い。
四、溢れんばかりの熱を感じたら、心のままに解放せよ。
この時、高らかに魔法名を呼ぶと良い。
但し、力みすぎによる霧散もしくは爆散には注意。
出典
偉大なる魔術師フィーネ「火の魔導書〜初級魔法〜上巻」, p.3.




