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第25話 森林に散る悲鳴と血液


 私たちは緑の中を駆けていた。

 視界の端で矢継ぎ早に流れ去って行く、夕日に濡れた樹木と無も知らぬ草花たち。

 疾風迅雷の如く速さで──いや、私の主観(エンジェロ・アイ)を捨てれば、人の子が走るよりも少しばかり遅い速度で私とハゼランは悲鳴の発生源に向かっていた。


 無論、進みが遅い原因は私だ。

 緊急事態において最も求められるのは速度だということは重々承知している。

 しかし、普段から魔法管理局に引き篭もっている為に運動とは無縁、それに加えて未だに魔法が使えないと来た。

 常に全能感に溢れていた身体の調子も悪く、歩みを進める度に足首に掛けられた重りが増していくようである。 


 急ぎたいが、急げない。

 まるで何者かに追いかけられる悪夢の中にいるような感覚。


 悲鳴をあげた(がいるなら)、本当にごめんなさい。

 

 空気を渇望するように、顎を上げ、天を仰ぎながら走る。

 枝葉の隙間から垣間見える真っ赤な夕焼け空が実に不気味で美しかった。


「ハゼランよ……はあ、はあ……本当に……悲鳴は、聞こえたのか?」


 前方を走り、なるべく開けていて尚且つ平坦な道を選別してくれているハゼランに息も絶え絶えに声を掛けた。

 完全にお荷物状態の私を気遣いながらも、乱れぬペースで走り続けている彼の背中が一層逞しく見えるようだ。

 

 流石は狩人(ハンター)といった所なのだろう。

 その運動神経はさることながら、迷宮のような森林を平然と突き進めるまで培った知識と経験、微かな異常を見逃さなかった聴力、そして、恐怖に臆すること無く身体を動かせる胆力は見事と言う他ない。


 こうして確認を取っている通り、私には悲鳴など一切聞こえなかった。


 ハゼランは潤沢なマナをその身に宿しているのだろう。

 今の私は力を失っている為に、その正確なマナ量を観測することは不可能だが、少なくとも彼がマナの扱い方を心得ていることは予想できた。

 これまで数分程走り続けていて尚、全く息を切らしていないのが何よりの証拠だろう。

 

 マナの用途は魔法だけに非ず、武術や肉体強化にも用いられる。

 むしろ、下界においてはそちらの方が主流と言えるだろう。

 武術などは武器という実体と動作がある分、技の完成形をイメージしやすく、肉体強化は鍛錬の延長線上にある為に大した知識が無くとも自然と身に付くことが多いと聞く。


 何に於いても準備が必要な魔法よりも武術や肉体強化の方が簡単で効率的、というのは下界の通説だった。

 何時ぞやの勇者も魔法の才能を秘めておきながら剣技に現を抜かしていたからな。


 無論、私は納得していない。

 魔法の方が良いに決まっている。

 

「悲鳴は確かに聞こえたぜ。しかも、どっかで聞いたことがあるような……っていうか嬢ちゃん、本当に付いてくる気か!?」


「と、当然だ……ひい……ふう……私も、戦うぞ……!」


 悲鳴と聞いて見過ごせる程、私は無感情では無い。

 むしろ脅威に晒された迷える仔羊を救うことこそ我々天使の本懐と言えるのではないだろうか。


 普段は魔法管理業務に没頭し、下界で絶え間なく発生する些事は総合管理局や使徒天使たちに任せきりの私だが、たまには人助けも悪くはない。

 それに知名度アップにも俄然繋がるだろう。


 自然の始天使アモルなんかは種族問わず手当たり次第に助けまくっているおかげで、女神デア様に匹敵する信仰を集めているらしい。

 他にも信仰と言うより崇拝の眼差しを向けられている生と死の両名や子供やカップルに大人気な星々の始天使ルキス、多くの天使から慕われる感情の始天使シオンなども、私と比べてさぞ名が知られているに違いない。

 重力の始天使ラピスや捕食の始天使アヴァスちゃんだって、下界に残された天使目録では大々的に記された各章があるくらいだ。


 対して私は偶像に於いても、天使目録に於いても、大抵はローブを纏った謎多き始天使としか描かれていない。


 今思えば悲しすぎる事実だ。

 私だって頑張っているのだ、多少は人々から尊敬されてもいいだろう。


 何か言いたげな表情をこちらに向けるハゼランだったが、私の瞳に燃える決意が伝わったのか小さく頷いた。


「そこまで言うなら、多少は戦えるんだな?」


「う……うむ! 多少どころではないぞ……!」


「戦闘職は? 見た所、武器は持ってねえみたいだが」


「クククッ……よ、良くぞ聞いてくれた……はあ、ふう……崇高なる我が司りしは奇跡の……うぷっ……うっ……ま、魔法使いだ!!」


 まさか、この私が言葉を諦める日が来るとは。


 い、息が苦しい。

 足が痛い、目眩もしてきた。

 早く到着してくれ。

 それか仔羊の方がこちらに歩いて来てくれ。


「魔法使いだあ? 魔法使いなんてもう存在しないだろ」


「……ッ──」


 ──またこれか。

 眠りから覚めてから素っ頓狂な問答が多すぎる。

 いい加減思考を巡らせるのにも疲れてきたぞ。


 とは、言うものの。

 魔法の管理者である私が暫くの間、意識を失っていたのはおそらく間違いない。

 管理者不在の概念は暴走こそすれ消滅することはないと思うが、実際の所は分からないな。


 そういえば私の白の魔導書(ホワイト・アルバム)は何処へ?


 そうして走り続けている最中でさえ抑えることの出来ない思考に浸っていると、やがて視界が開けた。

 遂に目的地に到着したのだ。

 森を抜けると平原が一面に広がっており、少しばかり目を走らせると街道が敷かれているのが分かった。

 

 血のような色をした夕焼け空の下、延々と続く街道には馬のいない馬車が止まっている。

 周囲に人気は無く、涼し気な風が吹くばかりであった。

 そして、何より着目すべきは目前の親子らしき者たちと、頭部の無い鎧、そして、それらにじりじりと距離を詰める魔物の姿だろう。

  

 一人の少女を庇うように気品溢れる風貌の婦人が覆い被さっており、その背中には洞穴のような深い傷があった。

 ひと目見た時は赤いドレスを着ているのかと思ったが、それは止め処なく流れ出る鮮血が作り出した色彩なのだと遅れて理解する。


 こうして見ているだけで身体が疼いてくるような深手を負っているのにも関わらず、婦人は少女に対して「大丈夫よ」と無理やり作った笑顔で励ましていた。


 当の少女は今尚広がり続ける血溜まりの上で、人形のように整った顔面を更に蒼白にして、過呼吸になりながら大粒の涙を落としていた。

 その傍に落ちているのは千切れた花冠だろうか。


 また、少し離れた場所に転がる鎧は、首を刎ねられた死体であることが分かった。


 私は今、絶望の象徴となるものを目の当たりにしている。 


 このような惨劇を生み出したであろう魔物は笑っていた。

 こげ茶色の長い髪を生やした頭部と一糸纏わぬ胴体はまさしく人のものであるが、腕の代わりに身の丈以上の大翼を生やし、下半身は羽毛に覆われ、獲物を掠め取る為に特化した禍々しい脚部と鉤爪は鳥類のようでありながら、より凶悪だった。


 半人半鳥の魔物ハーピー。

 彼奴が今まさに、その鋭い鉤爪を猛らせて、今際の際に立つ婦人にトドメを刺さんとする場面であった。 


「──させるかよっ!」


 ハーピーの背後から戦斧を以て襲いかかるハゼラン。

 両腕を力強く撓らせて、横薙ぎに放った斬撃は直撃寸前の所でハーピーに気付かれ、空中に逃げられてしまった。


 大翼が翻され、平原に小風が吹く。

 私たちの存在を視認したハーピーが一瞬だけ驚いたような表情を浮かべるが、すぐさま邪悪な笑顔を取り戻した。

 私には新たな獲物の登場に悦んでいるようにしか思えない。


 千載一遇の好機、奇襲は失敗に終わった。

 とは言え、婦人の寿命を延ばすことには成功したと言える。

 どの道あまり長くはないだろうがな。


「モンクシュッド男爵夫人、男爵令嬢! ご安心下さい。オレが何とかします!」


「貴方は……ハゼラン……!」

 

 ハーピーの前にして握り拳を作るハゼラン。

 その逞しい姿に安堵の声を漏らした婦人、いや、モンクシュッド男爵夫人は張り詰めていた糸が切れたように気を失った。

 令嬢の方はと言うと、気絶した母親を泣いて抱きしめながらも突如現れた狩人に希望の眼差しを送っているようだった。


 双方は顔見知りなのか。

 貴族らしい親子から絶大な信頼を寄せられているハゼランだが、奇襲を避けられている時点で苦戦は免れないだろう。

 

 先程のハーピーはおそらく斬撃が纏う風に反応していた。

 翼を持つ魔物や風を操る者は大抵、自身の武器でもあり、強力な味方でもある風の動きに敏感だ。

 鍛錬を積み上げた剣士が相手の剣の振り方を見れば、ある程度の攻撃パターンが予測出来るように、彼のハーピーもまた、風の流れから攻撃を感知して避けることが可能というわけだ。


 我々も運が悪いな。

 なかなかの強個体を引いている。


 筋書き通りに、ここは私も加勢するとしよう。

 脳裏に「天使法」という単語が過ぎるが、この状況で絶体絶命の親子を見捨てる選択肢は無い。

 そのような類の迷いはいつかの村で捨て去ったのだ。


 時間も経ったし、お誂え向きの魔物も現れたし、きっと魔法も使えるようになっているはずだ。


「時は満ちた……! 今こそ我が力を見せてくれよう! 清き水よ、湖畔を侵す者に、水に弾かれる痛みを──【水撃(ウォータ・ショット)】」


「嬢ちゃん、こんな時に冗談はよせよ! ほら、これで男爵夫人を手当してやってくれ」


「く、くそ!」


 内心思っていた通りに魔法は発動せず、しかし現実を受け止められずに泣きそうになる私に、ハゼランは腰に付けていたポーチを放り投げた。


 長年愛用されて型崩れしている革製のポーチを開けると、ナイフやロープの他に先程採集した薬草と包帯が入っていた。

 それらを目にして自身の役割を完全に理解した私は、悔しさを噛み締めながら親子の元へ駆け出す。


 この私が衛生兵紛いの事をやることになるとは……


 不規則でか細い呼吸をするモンクシュッド男爵夫人の横に跪き、慣れない手つきで応急処置を始める。

 包帯で包みながら薬草を握り潰すのに手こずっていると、令嬢が手を貸してくれた。

 相変わらず涙は流しているし、手は震えているが、その瞳は決して諦めてなどいない。


 令嬢に感化され、私も今出来る精一杯を発揮することに決めた。


「もう少しの辛抱だからな! すぐにコイツを倒すぜ!」

 

 格上を相手にしてまたも大口を叩くハゼラン。


 だが、言葉は力だ。

 親子を守らなければならない、唯一戦える自分が何とかしなければならない、という責任感が彼を強くしていた。


 戦斧を振るえば空に逃げられる。

 空に逃げられれば鉤爪による強襲を受ける。

 強襲を防ぎ、反撃に転じれば再び空に逃げられる。


 戦いはその繰り返しであった。

 しかし、埒が明かない状況は言い換えれば、互角に渡り合えているということだ。

 相変わらずハゼランの斬撃は直撃寸前の所で回避されているが、刃と羽毛の距離は少しずつだが縮まってきている。


 ハゼランの成長速度がハーピーの回避能力を上回るのが先か、それとも、ハゼランの体力が尽きるのが先か。

 勝敗はそこにかかっていた。


 それは対峙しているハーピーも本能的に自覚しているらしく、これまでの邪悪な笑みは失せて、獣歯を咬み合わせて鬼気迫る表情を浮かべていた。


 夕暮れも過ぎて、辺り一帯が暗くなってきた逢魔時。

 黒影が滲む草原に風音だけが響き渡る血戦を、手当しながら眺めていると不意にハーピーと目が合った。

 紅色の突き刺すような視線。

 呆けていた所に突然名指しで呼ばれたような感覚に陥る。

 心臓が跳ねて、私は思わず目を見開いた。


 瞬間的に切り取られた記憶の中で、ハーピーは確かに笑みを浮かべていた。


「あ」


 危険を察知した頃には既に風の刃が放たれていた。

 大剣の如く大翼から生み出された、魔法とは別系統の、闇の眷属だけが扱える「破壊の力」が私と親子に迫る。


 身体が引き裂かれる、と本能が告げた。


 恐怖心から思わず目を閉じると、遅れて生暖かい液体が飛び散ったのを皮膚が感じ取った。

 だが、痛みは無い。

 不思議に思って顔を上げると、そこには我々の前に立ち、血反吐を零すハゼランがいた。


「は、早く……逃げろ」


 粘り気を持って目の前を滴り落ちる真っ赤な血と、真横で誰かが息を呑む音がやけに鮮明だった。


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