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第22話 開幕


 目が覚めると見知らぬ天井があった。

 色褪せて継ぎ接ぎのようになった焦げ茶色の天井には陽光が差し込んでいるらしく明度は鮮やかだ。


 大きく息を吸い込むと古い木材に湿気が混じったような、しっとりとした匂いがやってくる。


 靄がかかった意識の中で、朧げな思慮に浸った。


 白くない。

 本の匂いもしない。

 やはりここは魔法管理局ではないようだ。

 というか天界ですらない……もしや下界か?


 どうやら私は見知らぬ場所(多分下界)で眠っていたらしい。

 乱れた繊維が肌に擦れる掛布団を退かして身体を起こすと、脳が揺れるような目眩と途方も無い疲労感に襲われた。

 睡眠を取っていたはずなのに身体は疲れている。

 長い悪夢でも見ていたかのような最悪の気分だ。


 ここはどこだろうか。

 そして、私は何故ここにいるのだろうか。


 周囲に人気や敵意は無く、拘束されているわけでもない為、拉致監禁の可能性は極めて低いように思えた。

 ご丁寧に掛布団まで用意してくれていたのだ。

 依然として警戒する必要はあるが、ひとまず安心だろう。


 しかし、直前までの記憶が完全に抜け落ちているな。


 何か手がかりはないか、と改めて辺りを見渡してみる。

 ここは下界で言う宿屋の一室のようだった。


 私が寝ていたベッドは石とまではいかないが、悪夢を見てもおかしくない程の硬さだし、家具といえばベッド横に備え付けられた収納棚と簡易的な丸テーブルくらいで、人が住んでいるような生活感は感じられない。

 一括りに宿屋と言っても、その日暮らしの旅人が飛び込みで寝泊まりするような格安で庶民的な宿屋だ。


 ふと収納棚の上に置かれていた手鏡に目が留まる。

 あまりの怠さからだろうか、顔色を確認したくなったのだ。


 微かな拭き跡の残る木製の手鏡を手に取り、顔を覗き込むとそこには──なんと別人が映っていた。


 目を丸くする見知らぬ女。

 誰だ貴様は。


 途端に声を荒げたくなったが、一呼吸置いて冷静になって見ると、あることに気が付いて息を呑む。


 鏡に映っていたのは結局のところ私ことマギウェル・デア・フィーネに違いは無かったのだ。

 ただ、髪色は天の上に住まう者の象徴である金髪からくすんだ灰色に変わり、瞳もまた輝きを失って土色になっていた。

 そして何よりも、天使の光輪と四枚の大翼が無い。

 私の身体から光という光が消失していた。

 

 我が身に起こった異変に愕然とする。

 ひと目見ただけでは別人と間違えるのも当然である。

 これではまるでヒューマンのようではないか。


 服装も漆黒のローブ「闇夜を背負う外套」から素朴の代名詞とも言える布で作られた上下一体の衣装、例えるならば田舎の村娘がよく身に着けているような軽装になっていた。

 元々控え目な胸もより一層痩せてしまったように感じる。

 これは由々しき事態だ。


 首に掛けられた星印のペンダントだけが以前と変わらぬ所有物であり、姿が変貌しても尚、私がマギウェル・デア・フィーネであることの物理的な証拠だった。


 外見もそうだが、むしろ身体の内面に妙な違和感がある。

 まさかとは思うが、さすがに考えすぎだとは思うが──


「『渇きを潤す、始まりの水よ、我に力を──【出水(デア・ウォータ)】』」

 

 私の詠唱によって覚醒し、捻りを加えられたマナが水に変化する──はずなのだが、反応は無かった。

 見知らぬ部屋に空虚な時間だけが訪れる。

 魔法失敗──生まれて初めての経験に嫌な汗が滲むのが分かった。

 有り得ない光景に苦笑が沸いてくるほどだ。


 私は魔法の始天使だぞ。

 遍く魔法を司る至高の魔術師なのだぞ。


 もう一度適当に思い浮かんだ詠唱を口にしてみる。

 だが、言葉が空回りするだけで魔法は発動しなかった。


 何かの冗談だろう?

 未だ悪夢にうなされているのか?


 酷く焦燥しているのが自分でも分かった。

 粘り気のある汗が首筋を伝い、視界は焦点が定まらず、地面が揺れているような錯覚に襲われる。


 それから何度も、何度も、何度も魔法を試してみるが結果は変わらなかった。


 私はどうしてしまったというのだ。

 世界の根幹を成す要素であり、天上天下における奇跡の産物であり、そして、私の大好きな魔法が使えないなんて……


 目尻にも汗が滲んできた所で何処からか足音が聞こえてきた。


 唐突に横槍が入り、土壺に嵌りかけた思考が中断される。

 焦燥が緊張に変わって目尻の汗も引っ込んだ。

 力強く地面を踏む音、扉の方から──来る。


 扉が焦らすようにゆっくりと開けられた。

 隙間から顔を出したのは鬼、ではなく強面の男だった。

 その身体を屈めなければ部屋に入れないほどの巨漢で、革と鉄の胸当て、そして筋肉の鎧を纏い、背中には身の丈ほどある戦斧を背負っていた。


 後方へ無造作に掻き上げられた髪型が歩みによって浮つく。

 吊り上がった眉毛と首元を覆う山羊髭は無骨な印象を与えるが、一文字に結ばれた口元は私を見るなりニカッと笑った。


「水晶の嬢ちゃん、目が覚めたか! おーい! ばあさん!」


 野太くも朗らかな声に空気が一気に明るいものに変わった。

 最初は鬼と勘違いしてしまうほどの厳つい風貌の彼だったが、きょとんとする私に向かって「痛む所はないか?」と聞いてくる姿は、間違いなく善人である。


 「水晶」という謎の単語は気になるものの、今はこの安心感を噛み締めるのが先だろう。


 緊張がほぐれて安堵していると扉からもう一人やって来る。

 老婆だ。

 直角近くまで曲げた腰を杖で支えながら歩くヒューマンの女性、おそらく斧男の言っていた「ばあさん」なのだろう。

 今にも格言を言い放ちそうな凄みのある雰囲気と暗い紫色のフードを被った姿が相まって、魔法使い若しくは占い師のように見える。


「おはようさん、もう目を覚まさないかと思ったよ。顔色は相変わらず真っ白だが……まあ元気そうさね」


 そう言った老婆は、ベッドに腰掛ける私の右手首をおもむろに取って脈拍を測る。

 まるで商人が陶磁器を品定めするような含みのある視線と仕草が私の腕に絡みついた。

 皺だらけで鉤爪のような手は外見こそ魔物のようであったが、その温かさはまさしく人のものであった。


 心が完全に警戒を解き始める一方で、天使とヒューマンとでは脈拍の規格が違うのではないか、と余計なことが気になったが、ひとまずは状況確認を優先することに決めた。


「老婆よ、貴君がここへ運んでくれたのか?」


「老婆ぁ? 上品な顔をしてる割にはずいぶん礼儀知らずだね。アンタみたいな若いもんから見たらあたしゃ老婆かい? せめてマダム・ラベンダーとお呼び。心はまだピチピチの乙女なのさ」


 私の質問に倍以上の、しかも趣旨からかけ離れたことを早口で捲し立ててくる老婆……ではなくマダム・ラベンダー。


 怒らせてしまったかと内心焦る私だったが、彼女が言葉を言い切った後に歯抜けの口元でほくそ笑んだのを見て、無い胸を撫で下ろした。

 おそらくは年齢に触れられた際の常套句だったのだろう。

 こちらの反応を楽しんでいる気配すら感じられる。


 推測するに七、八十代程だろうか。

 何かと物騒なこの世界でここまで生き永らえている事自体が称賛に値するのだが、言の葉を操る専門家にして何百倍も生きている私を弄ぶとは中々のやり手である。


 ヒューマンに軽口を叩かれる経験など早々無い、というか初めてだったので新鮮な気分になった。

 

「ばあさん、そりゃ答えになってねえよ……それに誰から見たってアンタは老婆だぜ。あ、ちなみにお嬢ちゃんを運んで来たのはオレだからな」

 

 外見に似合わず気の利くフォローをしてくれる斧男。

 その強面を自分で指を差しながら、少しばかり照れ臭そうな笑みを浮かべる彼は命の恩人かもしれないらしい。

 

 小さく舌を鳴らすマダム・ラベンダーはともかく、現状が把握し切れていない私は「運んで来た」という文言に引っ掛かりを覚えながら斧男の方へ向き直る。


 天使である私が見知らぬヒューマンの家屋にいる理由。

 最強無敵である私が昏睡に至るまでの経緯。

 なぜ私が魔法を使えないのか。


 聞きたいことが山ほどあった。


「斧使いよ──」


「──おっと、オレの名前はハゼランだぜ。ばあさんを真似するわけじゃないが、せっかくの縁だ。名前で呼んでくれよ」


「……ではハゼランよ、先程私を運んで来たと言っていたが……それは一体何処からだ? 私自身、記憶が曖昧でな」


 目を伏せて再び記憶を探ってみるがやはり、女神デア様に指示された座標に向かったこと、その後強烈な光と痛みに襲われて何処かへ逃げ込んだことくらいしか思い出せなかった。

 幸か不幸か、数百年前に感情の始天使シオンから意味深な忠告を受けたことも脳裏に浮かんだが、やはり見当違いだろう、と結論付ける。


 座標の地では何か仰々しい物を見たような気もするのだが、目的の情景に辿り着こうとすればする程、掠れて遠のいていくようだ。


 私の質問に対してハゼランは一瞬目を見開いた後、その虹彩に僅かな同情を浮かべた。


「オレが嬢ちゃんを見つけたのは【光苔の洞窟】だが……もしかして嬢ちゃん記憶喪失ってやつか?」


 ハゼランの言葉には首を横に振った。

 しかし、その後に続けられた彼の説明は記憶喪失と錯覚してしまうような内容だった。



 ここは【アールディア教国】南東、アーリア地方の【ルモス村】。

 聖都【サイリス】から遠く離れた場所に位置しており「シャングリラ計画」の各建国予定地からも除外された田舎中の田舎だと言う。


 ただし知名度がないわけではないそうで、村近くの【光苔の洞窟】に繁茂する「ランプゴケ」は周囲のマナを養分にして発光する性質を持ち、その名の通り灯火器の代替品として一定の需要があるのだと、ハゼランは自慢気に話した。


 

 ──が、残念ながら思い当たる節は一切無かった。

 発光する苔は勿論、国名や地名すら初耳だ。


 私の記憶では下界には大陸中央に位置する央国【エルモア】、大自然に囲まれた国【アーリア】、海沿いの小国【ウォーセン】の三国しか無かったはずで「アールディア教国」などという胡散臭い名前の国は存在していなかった。


 魔法の始天使である私は国や人種に拘らず業務を全うしていた為、各国の成り立ちや政治的な知識は皆無に等しい。

 それでも、下界の魔法使いならば全員一度は目を通したことがあったし、マナ管理を始めてからは些少ながらも地理に関して詳しくなったつもりだ。


 各地に無数に存在していた町村や洞窟ならまだしも、知らない国がある、などということはありえない。


 同名である「アールディア教団」という女神デア様を信仰対象とした宗教団体は耳にしたことがあったが、まさか私が眠っている間に建国でもしたのだろうか。


 また、記憶と違うのは国に関することだけではない。

 あの日、あの場所で何かに襲われた私が逃げ込んだ先は暗闇に満ちていたはずだ。

 村の名産品「ランプゴケ」の話は私の記憶と矛盾している。


 これらを踏まえて導かれる仮説は──


「──今、女神暦何年だ?」


「おいおい冗談よしてくれ。今は教皇歴百年だぜ? 嬢ちゃん、本当は記憶喪失なんじゃないか?」


 降伏を迫られるように再度記憶喪失を疑われる私だったが、否定するでもなく思索に耽っていた。

 予想した通り、想定外のことが起きているようだ。


 教皇歴──間違いなく知らない暦。

 そしておそらく、その暦に変わった瞬間を知らないということは最低でも百年以上意識を失っていたことになる。


 いささか眠りすぎたか。

 だが、百年など我々天使にとっては大した年月でない。

 業務に遅れが発生していることは間違いないが、幸いにも魔法管理については白の魔導書(ホワイト・アルバム)に委託したばかりだったので、すぐに取り返すことが出来るだろう。


 ひとまず仕事のことは良しとしよう。

 それよりも気になることがある。


 「教皇」というのはアールディア教団の主のことだろうか?


 いや、実際に会ったこともなければ顔を見たことすらない。

 女神デア様に狂信的だという噂を守護天使バニーが話していたようないなかったような、私にとっては記憶に留める必要性すら感じないどうでも良い人物だ。


 そもそも自由奔放で争い事を嫌う女神デア様が特定の誰かに教えを説いたことなど一度も無いのにも関わらず、何を根拠に教義や戒律、宗教を作り出したのか、その存在自体が甚だ疑問だった。

  

 まあしかし、人が何を信じ、何をしようが自由だ。


 女神デア様を信仰しようが天使を信仰しようが好きにすれば良い。

 アールディア教団は世界の管理者である我々始天使ですら一介の小間使いくらいの感覚で捉えていたらしいが、それに対して怒りも無ければ嫉妬も無い。


 その辺は結構尊重するタイプなのだ、私は。


 しかしだ、いくら暦とは言え女神デア様が星屑の数程存在するヒューマンに取って代わられたというのは納得出来ない。

 

 世界を、我々を、万象を創り出した女神デア様は絶対だ。

 全智全能に限りなく近い神聖不可侵の絶対的な存在。

 信じる信じないではなく全生命における共通認識だと私は思っている。


 それを覆し、上に立つなど傲慢にも程があるのではないか。

 これまで御託を並べてきたが、素直に言わせてもらう。

 私の敬愛する人を馬鹿にするんじゃない。

 スゴいんだぞ、あの人は。


 眉を顰めて黙り込んでいると、同じくこれまで口を閉ざしていたマダム・ラベンダーが沈黙を破った。


「アンタ、名前は何ていうんだい」


 名を聞かれ、これまでの鬱蒼とした気分が吹き飛ぶ。

 私としたことが、渾沌めいた出来事が続いたせいで渾身の特技、魔法と並ぶ我が人生の結晶を披露し忘れていた。


 自己紹介──それは自身の存在を世界中に知らしめ、あらゆる戦況を覆す魔法の言葉。


 私の正体を知ったヒューマンたちの反応が楽しみだ。

 まさか苔むした洞窟で拾った女が実は魔法の始天使だったとは思ってもみないだろう。


「クククッ……聞いて驚くなよ? 我こそは崇高なる魔術師にして世界樹から引き継がれしマナの管理者。ある者は『地上最強の賢者』と呼び、またある者は『伝説の始天使』と呼んだ……その真価は常闇の如く深淵に黎明を齎す者──我が名はマギウェル・デア・フィーネ!! 女神デア様の子、魔法の始天使である!!」


 過去最高の名乗り口上。

 万雷の如く拍手喝采が今にも聞こえてくるようだ。

 発光する苔が有名だったこの【ルモス村】は、魔法の始天使を介抱した偉大なる村として世界から崇められ、後世に名を残すことになるかもしれない。


 しかし、現実は呆然とするマダム・ラベンダーと堪えきれないという風に爆笑するハゼランの姿があるばかりであった。


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