保健室の部屋②
「ありがとうございます、平野さん。私は一人で戦っていないのですね。とても気分が晴れました」
ウールさんは僕に抱きついてきた時よりもスッキリとした顔をしている。
「こんな僕でお役に立てるなら、安いものだよ」
今まで誰かの役に立ったことなんてほとんどなかったけど、こうして誰かに感謝されるのも悪くないな。……感謝されるような事をした憶えはないけど。
「あなたは、翼人族の代表として、偽りの宗教を滅ぼす使命を一人で抱えて来た訳ね。ということは、あの弟さんは護衛か何か?」
エランスは、未だにグラウンドで鉄球相手に苦闘するコットを指差す。
「いえ。コットは実の弟で、翼人族の第二王子ですよ。まだまだ未熟なので、地上に連れてくるのは心配でしたが、クラスの方々に順応できたようです。これも平野さんのおかげですね」
そう言うとウールさんは、窓の向こうを笑顔で眺める。
「私の『風』で応援してあげてもいいのですけど、この授業は個人の実力ですからね。姉として潔く見守ります」
「それにしても驚きよ。まさか翼人族の『秘術』をこの学術都市で見られるなんて」
……え? エランスはそんな秘術をどこで見たの?
「アハハ、私なんてまだ大したことないですよ。お母さん……女王は、もっと強大な『風』を操れます」
「その能力自体が化け物じみてるのよね。自然現象で発生する風を利用して物体を動かすだけでなく、風を使って欲しい情報を集められる。しかも、こうして実際に使用者がいないと、魔法とさえ判断できない自然現象だもの」
ウールさんは恥ずかしそうに毛布で顔を隠す。
……なんだかよくわからない単語の連発で、頭がこんがらがりそうだ。
「あの……その翼人族の秘技って、何?」
僕の言葉に二人は驚いたような目を向ける。
え? もしかして知ってる前提だった?
「平野……あなた、翼人族の秘技『空間超越魔法すら知らない状態で、ウールさんの正体を見破ったっていうの!?」
「あなたの実力は、やはり測れませんね」
「……二人して僕を貶すのはやめてくれ」
エランスは僕の無知を馬鹿にしてくるし、ウールさんは僕の能力が最低値であることを嘲ってくる。ファウンドにプライドの全てを捧げた僕でも、多少傷ついた。
――
「それでは、この学術都市で行われている『偽竜教』の作戦について、私のわかる範囲で説明します」
僕たちは、この学術都市に蔓延る教えを『偽竜教』と改名し、彼らが何をしているのかについての情報共有をすることにした。
「神竜教との明確な違いは、『竜がこの世界における神』と定められていることです。これは、ダレーテルの存在を否定し、勇者が正義ではないと言っているのと同じです」
「そうね。もしこの考えが広まったら、偽竜教にとって勇者という存在は看過できない敵になる。結果的に勇者を転送するこの世界の人間は、間違いなく滅ぶでしょうね」
僕は昨日の授業で偽竜教に取り憑かれたエルフのテラファネア先生を思い出す。明らかにヤバい目をしていたことから、偽竜教は相当ヤバい宗教だろう。エランスの言った事も平然とやりそうだ。
「でも、勇者ってエランス達にとっても、多種族にとっても魔族を退ける救世主なんでしょ? そんなに簡単に女神を否定するのかな?」
最初にエランスと会った時、エランスはファウンドのことを『勇者様』と言って尊敬の眼差しを向けていた。この世界での勇者というのは、少なくとも人間にとっては救世主のはずなのだが。
「普通ならあり得ないわ。人間という種族を何度も救ってくださった勇者様に、恩を仇で返すようなものだもの。だけど……」
エランスは難しい顔をして僕を見る。
「始まりの地でも見たでしょう? 勇者は『堕ち勇者』になって悪行を重ね、その名声は落ちつつある。最も勇者が転送されてくる地でさえ、冒険者の方が支持されているの」
エランスは自分の言葉を否定したいかのように首を横に振る。
「創設者のオーレ氏や勇者でもあるナシスト達が活躍していたから、始まりの地では違和感程度で済んでいたけど……どうやら私がカクレータ村にいる間に、人間にとっての勇者は生存を脅かす敵になりつつあるわ」
エランスは真っ直ぐな青い瞳をこちらに向けて来る。状況はそれほど良くないらしい。
「……そうですね。エランスさんの仰ることは事実です。私の『風』が教えてくるこの世界の勇者の情報に、良い感情はあまり伝わってきません」
ウールさんは片手を上げて空気を撫でている。どうやら勇者という存在は、この世界の人間達から嫌われ始めているようだ。
しかしこれも、歴史の移り変わりというやつだろう。以前の世界でも流行というものはすぐに廃れて忘れ去られたり、貶されたりすることがよくあった。
「じゃあつまり、勇者を信じられなくなった人たちは、別の宗教を信じようとし始めるってこと?」
「まあ、大雑把に言えば平野の言う通りよ。何者かが崩れかけた信仰心を利用して、自分に都合のいい教えを作り上げた。それも一から創るのではなく、翼人族の『神竜教』を都合よくアレンジしてね」
エランスの発言に、ウールさんは太ももに置かれた両手を強く握りしめる。
「許せません……! 私たちの歴史に泥をかけた犯人には、翼人族の怒りを思い知らせましょう」
ウールさんの羽は逆立ち震えていた。あんまり交流はないけど、いつも穏やかな印象のウールさんが、これだけ怒った表情をするのは驚きだ。
「でも、ウールさん達を怒らせてまで作った宗教なんてすぐバレそうだけど」
僕の素直な疑問に、エランスは神妙な面持ちで答える。
「……それが犯人の狙いよ、平野。奴らの最終目的は、この世界に単独顕現する、眠りについた竜の復活。そして、人間と交友関係を持つ種族間での戦争の始まりだわ」
するとエランスは、衝撃を受けたような表情のウールさんの方に振り向く。
「ウールさん。あなた達がこの魔術学校に留学して来たきっかけは何かしら?」
「……この魔術学校の資料を受け取ったのがきっかけです。表上では異種族の交流のためですが、この学校の資料にあった『神竜教』の教えが、翼人族としてはあまりにも許せない内容だったため、コットと共にやって来ました」
「そう……なら、あなた達は誘き寄せられたのよ。犯人の計画のためにね」
僕のベッドの端から移動して保健室の椅子に座り直したエランスの言葉に、ウールさんは激しく動揺している。
「そんな! まさか私たち翼人族の王族が来ることを想定して、学校の資料を送って来たと言うのですか?」
「ここまであからさまに、あなた達の歴史を嘲笑う行為をした資料を送ったらどうなるか、少なくとも翼人族の重鎮くらいなら来ると考えたでしょうね。そしてそれは、恐らく他種族にも言えること」
エランスは保険室に置いてあった学校資料をパラパラめくり、僕たちにその表紙を見せつけてくる。
「……つまりこれは、人間と他種族の交流を建前にした戦争の火種。勇者を信用できなくなった人間達が辿る、種族の最悪な滅亡よ」
グラウンドで必死になって鉄球を持ち上げようとする生徒達の声は、僕にはとても遠くから聞こえたように感じた。




