保健室の部屋
「全く、どうして私が平野を運ばないといけないのよ」
「ごめんエランス。年甲斐もなく張り切っちゃった」
僕は張り切って腰をやった。筋肉ダルマ先生はエランスに保健室へ連れていくように指示を出し、僕はエランスに肩を預けている状態だ。
「……あなたの最後まで実力を隠す、その徹底振りには感心するわ。一番近くにいる私でさえ、たまに騙されそうになるもの」
騙すも何も、本当に腰を痛めてるんだよな。だからそんな雑に肩を揺らさないでほしい。
「どうせ私のペナルティを有耶無耶にするために一策投じたんでしょうけど、余計なお世話よ。私はグラウンド百周なんて余裕だったんだから」
何故かよく分からないがエランスがムキになってそっぽを向く。若干顔が赤かったのは体重を預けてる僕の体が重いからだろう。
――
「保健室についたけど、平野は本当に休むの?」
「ああ。まだ調子がよくないからね」
軽く腰を痛めただけのようだから、エランスに連れられている間に少しは痛みも治ってきたが、しばらく安静にするべきだろう。
「そこまで演技する必要もないと思うけれど……まあいいわ。それじゃあ入るわよ」
何が演技なのかよく分からないが、一刻も早く腰の痛みをなんとかしたい僕は保健室に入る。
そこにいたのは、意外な人物だった。
「あら? 平野さんに、エランスさんではないですか」
一目散にベッドで横になろうとしたら、先客にウールさんがいた。ウールさんは先ほど着ていた体操服を脱いで、薄緑の浴衣のような患者衣を着てベッドに長座していた。グラウンドで必死に球を持ち上げようとする弟を笑顔で見つめていたようだ。
「ウールさん? 一体どうして保健室に?」
エランスが不思議そうに聞いている。僕も先ほど元気に去っていったウールさんが、どうしてベッドにいるのか不思議だった。
「少し、学術都市の空気に疲れてしまいまして。私の『風』たちはここのドームが苦手なんです」
ニコニコしながら彼女は白い羽をパタパタ動かす。ベッドの純白にも負けない煌びやかさは、まるで天使のようだ。
「……やっぱり、ウールさんは翼人族の中でも『風』を操ることにさらに長けた存在のようね。あなたの魔法は、翼人族の魔法にしたって桁外れだもの」
隣で僕の肩を持つエランスは、何かに納得したような顔をしている。
「その通りです、エランスさん。どうやら、私たち以外誰もいないこの部屋を選んだ平野さんには、既にバレているようですけど」
アハハと笑うウールさんに「全く、初めから言いなさいよ」と呟いて来るエランス。……全く訳がわからない。
「私の本名はウール・リックス・ドラゴニア。翼人族の次期女王にして、真の『神竜教』を創設した『ドラゴニア』家の末裔です」
――
僕はようやくベッドに横になりリラックスする。僕のベッドの端に座ったエランスは、隣にいるウールさんと何やら話し込んでいた。
「まさか、神竜教に支配されたこの学校で、『本物の神竜教』の末裔が、生徒として忍び込んでいるなんてね」
「……この学校は、正しくない方向に向かっています。間違った神竜教の悪事を正すためにも、翼人族の世界から留学生としてやってきたのです」
なんだか二人は宗教の話をしているみたいで関わりたくないが、ウールさんは間違いなく困っているようなので、少しくらい気にかけておこう。
「ウールさんは、龍のためにここにやってきたんだね」
唯一宗教と関係なさそうで、僕にも分かる龍についての話題を選ぶ。するとウールさんは、神妙な面持ちになった。
「ええ。この学術都市に存在する神竜教は、偽りの教えです。元々、私たち翼人族は竜の恩恵を受けて、天空で暮らしていました。ダレーテルがこの世界を創り上げたのは事実ですが、私たちにとっての神に近い存在は、私たちの暮らす『空中庭園』を創り出した竜なのです。ですから私たちの祖先は、竜への尊敬と畏怖を込めて、神竜教を創立しました」
ウールさんは真剣な表情で僕たちに龍の凄さを教えてくれる。それだけ翼人族の宗教では、龍が偉大な存在らしい。
「それが本当なら、翼人族達の感謝の気持ちを何者かが利用したと言うことになるわね。……それにしても、翼人族の生活領域が空中にあることは知っていたけど、まさか竜が関わっていたなんてね」
二人が盛り上がる中、僕は頭の中で伝説上の存在である龍の背中に乗って空を飛ぶ妄想をしていた。一度は乗ってみたいなあ。
「……ウールさんは龍を見たことがあるの?」
もし会ったことがあるなら、経験談でも聞こうかと思ったが、ウールさんは首を横に振る。
「いいえ。竜が『空中庭園』で過ごしていたのはとても昔の話で、ダレーテルに転送された別世界の方たちが台頭してきた辺りから、竜は人間の領域に降り立ち眠りにつかれました」
ウールさんのオレンジ色の瞳は再びグラウンドを映す。しかしその瞳は弟のコットではなく、どこまでも広がる青空を眺めていた。
「私は、いつかお会いしたいのです。この人間の地で眠る、私たちの歴史を創り出してくれた竜に。そうして、翼人族の歴史を感謝を込めて伝えたい。そのためには、この学術都市に根付いた『神竜教』の間違えた教えを、正さないといけないんです」
僕とエランスに振り向いた彼女には、いつもの笑顔はなく、しかしどこか人を惹きつける魅力があった。
「……平野。まさかあなた、そのために『鍵』を手に入れたの?」
「え、これのこと?」
僕は円城井さんからもらった『竜の鍵』を取り出す。
「!? そ、その鍵をどこで!?」
ウールさんは初めて動揺した表情を見せた。天使の羽はバサバサと音を鳴らし、ベッドで長座位になっていた身体を起こして僕の持つ鍵を凝視している。薄緑色の浴衣から見える桃色の下着からは目を背けておこう。
「とある勇者が平野に託したものよ。平野は……その竜を守るために、ここにいるわ」
そう言うと、エランスは僕のかっこいい龍の服を指差す。
「当たり前じゃないか。この龍を守るためなら、僕はファウンド以外の全てを賭けるよ」
なんたって、僕のオーダーメイドだからね。
当たり前のことを言った僕を、ベッドから身を乗り出していたウールさんが突然抱きしめてきた。
「……ありがとうございます、平野さん。あなたが、勇者様としてこの地にやって来てくれて、本当に良かった……」
僕はいい加減「勇者じゃない」って言ってやりたかったが、抱きしめてきた彼女からわずかに啜り泣く声が聞こえて、思わず言葉を噤んでしまった。……ファウンド以外に泣いている子に肩を貸すことがあるなんて思わなかった。
とても動ける雰囲気ではない僕は、彼女の気が済むまで黙って身を預けることにした。




