授業の部屋②
「すみません! 遅れました!」
僕とエランスは円城井さんと邂逅した翌日、実技の授業を受けに来た。僕が遅刻するのは分かるけど、まさかエランスまで遅刻するとは思わなかった。なんでも、神竜教の件について一晩中考えていたらしい。
ちなみにファウンドは昨日に続き、学食に篭ってケーキのレシピを勉強中だ。この世界で好きなことを見つけられたようで、家主として誇らしい。
「遅いぞお前ら! 罰として、グラウンドを百周だ!」
実技の先生は以前の試験監督さんで、筋骨隆々の体型に、張りに張った赤いジャージを着ていた。ティオ婆とは違う意味で、ジャージの胸部が悲鳴をあげている。
それにしても、この先生は無茶を言う。一周するのだって苦行でしかない校庭のグラウンドを百周しろって?
いくら遅刻のペナルティにしたって、この先生は頭がおかしい。僕のこの痩せ細った体型で、何故走れると判断したのか全く理解できない。
「先生、僕は全く体力がないです。以前ギルドにある鑑定石で能力値を鑑定してもらった時、筋力も持久力も最低評価でした」
僕は先生に最低な能力値を自慢げに明かす。僕の生命の危機だ。プライドなんていくらでも投げ捨てる。
「そんなわけなかろう。お前がどれだけの実力を持っているかなど、入学試験を見ていた私が一番よく理解している」
……この筋肉ダルマは試験の時に何を見てたんだ? 僕は的の前でリラックスして背伸びしただけだぞ?
「先生。無粋ですが、少々宜しいですか?」
僕の意見に聞く耳を持たず、腕を組んで仁王立ちする筋肉ダルマ先生に、翼人族のウールさんが話しかけた。
「む? どうしたウール? お前は既に授業を終えたはずだ。こんな所で時間を無駄にせず鍛錬に励むんだ」
「ええ、その通りです。鍛錬とは、常に自分で見つけるもの。……そしてそれは、彼にも同じことが言えるのです」
「…………なんだと?」
筋肉ダルマ先生はウールさんを見て驚愕したような目を向ける。
「先生もご存知の通り、平野さんはこれから行われる作戦の要です。彼の力は、この学術都市の命運を分けるでしょう。……今日だって、授業に遅れなければいけない使命を果たしてきた。そうですよね? 平野さん?」
「え? あ、はい」
ウールさんは筋肉ダルマ先生に熱弁を披露している。作戦? 命運? 何故僕がその渦中にいるみたいな話になっているのだろうか?
まあ、一応円城井さんが軟禁されている件は、授業に遅れる理由にはなるだろう。本人が独房から出ようとしなかったけど。
「こんな所で費やす時間はない、か……いいだろう。平野頼来のペナルティは取り消す! 早速授業を始めるがいい!」
「あ、ありがとうございます……?」
なんだかよく分からないが、ウールさんのおかげでグラウンドを走らなくていいらしい。
「ありがとうございます先生。それでは、私はこれで失礼しますね、平野さん」
去り際にウールさんが、背中に生えた真っ白な翼と美しい手を軽く振ってきた。僕は感謝の気持ちを込めて手を軽く振り返す。……どうしてあの人は、僕にここまで親切なのだろうか?
「やるじゃない平野。あんな広いグラウンドを百周するなんて、とても出来ないわ」
エランスはやれやれといった表情で早速授業に向かおうとする。
「何を言っているエランス。お前はグラウンド百周だ」
「は!?」
エランスは筋肉ダルマ先生に正気を疑うかのような目を向けている。いくらエランスでも、あのグラウンドを百周するのは厳しいらしい。
しかし、せっかく授業を受けに来たのに遅刻は良くない。ましてや彼女は、昨日の授業をボイコットしているのだ。ペナルティは与えられるべきだろう。
……僕が遅刻したのは運が悪かっただけだ。
「ふっざけないでよ! こんな広いグラウンドを百周もしてたら日が暮れるじゃない!」
「甘ったれるな! 魔力を育てるには体力も肝心なのだ! 大人しく走ってこい!」
全く揺らがない意志を持った筋肉ダルマ先生の姿は少し怖いがカッコよく思えた。彼のペナルティを受ける当事者にはなりたくないけど。
「……ああ、もう! 走ればいいんでしょ、走れば!」
エランスは揺らがない筋肉ダルマ先生に痺れを切らして、グラウンドに向かって走り出した。……帰ってきたらファウンドの紅茶をお裾分けでもしてあげよう。
――
「へ、平野さん、何かあったんですか? ホ、ホテルに行っても、平野さんのへ、返事がなくて。ファウンドさんは『大丈夫』と言ってましたけど」
ようやく授業に参加出来た僕は、昨日からずっと心配してくれていただろうレーブンと合流する。
「気づかなくてごめん、レーブン。昨日は少し夜更かししちゃって起きれなかったんだ」
「い、いえ! へ、平野さんがご無事でよかったです!」
レーブンは目を泳がせながらも僕のことを気にかけてくれている。なんとも優しい子だ。
「よし、お前たち! 授業の続きだ!」
エランスにグラウンド百周の指示をした筋肉ダルマ先生が僕たちの前に立つ。
「内容はシンプルだ! ここにある鉄球を投げることが出来れば、今日は帰っていい!」
筋肉ダルマ先生は地面に手を突っ込み、サッカーボールくらいの鉄球を両手で取り出す。ボールはずっと地面にあったが、重すぎて埋もれていたらしい。
そんなボールを、筋肉ダルマ先生は数メートル先に投げた。地響きを上げて地面に落ちた鉄球は、固い地面に再びめり込んで、僕たちから見えない地面に潜り込んでいた。
「ひ、ひええ……あ、あれを持ち上げるなんて、そんなのむ、無理です」
レーブンはめり込んだ鉄球のあった地面を眺めて、狐耳をぺたんと垂れさせて、愚痴をこぼす。
「……レーブン、君はまた、やる前から諦めようとしているよ?」
「え?」
僕はレーブンの姿を見て思い出した。今のレーブンのように失敗を恐れて、前に踏み出せずに失敗してきた若い頃を。……だけど、この子には僕と同じ過ちをして欲しくない。
「君はあの時、勇気を出して学校に来れたじゃないか。今更出来ないと決めつけるなんて、今までの自分を否定してしまう。そんなのはダメだ」
……そうだ。完璧な部屋の装備だって、一日で完成したわけではない。そこには途方もなく長い時間と、一日ごとに込められた想いがある。今までの自分を信じてこなければ、決して辿り着けなかった頂なのだ。
僕の情熱に燃える瞳を理解してくれたのか、レーブンは小さく頷く。
「そ、そうでした。平野さんが見てくれているんだ。こ、こんな所で立ち止まっていられない!」
上を向いたレーブンの瞳は、目の前に映る快晴の空のように綺麗な空色をしている。吹っ切れたようで何よりだ。
「〈身体強化〉!」
レーブンは地面に埋もれたサッカーボール大の球目掛けて片手を突っ込む。その手は球だけでなく周りの地面すらも抉り取り、レーブンの頭上に持ち上げられる。
彼は勢いよくその地面だったものを投げた。勢いのついた地面は、グラウンドの反対側にあった柵まで届き、その形をひしゃげさせる。
グラウンドの右の方にいたエランスは驚いて、思わずこちらを凝視している。
「や、やりました! こ、こんな私が、目標を達成出来るなんて……」
口を小さな両手で覆い、三角の耳をピョコピョコ跳ねさせて感動の涙を流しているレーブン。僕は彼の温かくふさふさな黄褐色の毛並みを撫でる。……レーブンのことは怒らせないようにしよう。
「……うむ。レーブン合格! 本日の授業は終わりだ。帰っていいぞ」
筋肉ダルマ先生は壊された柵に驚きながらも、レーブンに合格を出す。周りの生徒達は、レーブンのことを羨望の眼差しで見つめている。
これならレーブンは、学校の人気者にだってなれるかもしれない。……正直、ちょっと羨ましい。
――そこで僕は、調子に乗ってしまった。
レーブンにアドバイスできた自分ならいけると思った。それに僕には完璧な部屋を完成させた実績があったし、この世界に来てからも、なんだかんだで僕のしたいことは達成できていた。ファウンドの家賃問題を解決できそうな学校にも来れた。はっきり言って、順風満帆だったのだ。
僕は帰っていくレーブンに手を振り、再び地面に埋もれた鉄球の所へ向かった。グラウンドの反対にあっただけあり、筋肉ダルマ先生や生徒達からかなり離れた所まで来た僕は、早速地面に埋もれたサッカーボール大の鉄球に手を伸ばした。
……久しぶりだなあ、ボールを投げようとするのは。
そんな少年心を懐かしむ感情も、その時はあったのかもしれない。
僕は、埋もれたボールを掴んで持ち上げようとした。一向に動くことのない鉄球を、必死になって持ち上げようとした。
――意識が飛んだ。
それは、唐突に起こった。僕の意識は一瞬飛びかけたのだ。それと同時に体は動かなくなり、僕の意識とは関係なく身体は横に倒れる。
グラウンドを走っていたエランスが、僕のところまで駆け寄って来てくれた。
「平野! 一体どうしたの!?」
「……腰をやった」
衝撃で横に倒れた体を前屈みにして、膝を軽く曲げて意識を失う痛みから必死に逃げる。
腰からミシミシ伝わる電撃に近い衝撃は、まだまだ肌寒いこの時期にはひどく堪えた。




