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未熟な部屋


「平野! 起きなさいってば!」


 大声で僕の安眠を邪魔してくる声が聞こえる。昨日はほぼ徹夜だったのだ。用事なら後にして欲しい。


「エランス、ご主人様は睡眠で忙しいのです。用事なら後にしてください」


 完璧な部屋は僕への理解が相変わらず高くて助かる。そのまま赤ペン先生なんて追い払っちゃえ!


「はあ……『勇者転送の実験に参加』するの、手伝ってあげないわよ?」

「おはようエランス。今日も早いね」


 僕は努めてクールな声で、ファウンドのお腹から出る。

 エランスの言う勇者転送の実験とは、この学術都市の魔術学校にある、勇者転送用の術式を研究している場所だ。僕はそこに一生分の家賃を詰め込んで、管理人さんに届けなくてはならない。

 

「ようやく出てきたわね。さあ、今日から授業が開始よ! 魔術学校のカリキュラムがどんなものか、見せてもらおうじゃない!」


 エランスはやけに高いテンションで僕に美人な顔をグイグイ近づけてくる……もしかして、一番学校に行きたいのエランスなのでは?


「分かったよ。準備するから少し待ってて」


 僕は完璧な部屋に戻り、身支度を整える。三十半ばになって、今更制服を着て学校に行くようになるとは、人生とは分からないものだ。

 僕はクールな内に秘めたる龍を忍ばせ、その上から魔術学校指定のシャツとローブを着る。


 魔術学校のローブは黒色で、その下に学校指定のシャツを着る。男性は首元の襟縁が青く、女性は赤くなっている。勇者がここを設立したためか、色分けなどの男女の区分けは以前の世界と大して変わらないらしい。


 僕が着替えている間に、ファウンド達は宿泊しているホテルから出る。ファウンドは僕が起きる前から既に制服に着替えていた。彼女も学校が楽しみなのだろう。


 期待半分、不安半分で僕は完璧な部屋の玄関を開ける。

 目の前にいたのは狐風のケモ耳と、黄褐色の毛並みをした獣人のレーブンさんだった。


「ひゃっ!? ……お、おはようございます! 平野さん! そ、その……今、ファウンドさんのお腹からで、出てきたように見えたのですが……?」

「ああ、そうだよ。おはようレーブンさん」


 ファウンドのお腹にある出入り口から当たり前のように出てきたせいで、レーブンさんを驚かせてしまった。相変わらずエランスは僕にゴミを見るような目を向けてくるが、今更気にするほどではない。


 そういえば、レーブンさんの制服は、まだしっかり見ていなかったな。


 僕より少し低い身長のレーブンさんは、以前のサイズが合っていない青いシャツではなく、僕たちと同じ魔術学校指定のローブ姿だった。

 赤みのある黄褐色の毛並みが、黒色のローブから見え隠れしている。狐の耳もローブとの相性がバッチリだ。下に着ているシャツも、真っ白で清涼感に溢れている。首元の襟縁の青も、この子の空色の瞳と相性がいい。


 …………ん? 青い襟縁?


「全く。レーブンも平野のために、よくこんな遠いホテルまで来るわね。『男子寮』からだとかなり遠いでしょ?」

「い、いえ! 憧れの平野さんのためなら! こ、こんなの……なんてことないでしゅ!」


 最後の方を噛んで顔を赤らめるレーブンさん。恥ずかしそうな表情はとても可愛いのだが、僕はどうしてもその下の襟縁が気になってしょうがない。


「……レーブンさん。僕はどうしても、君に確かめないといけないことがある」


 僕はレーブンさんをホテルの壁まで誘導して両手で逃げ場をなくす。


「ひ、ひえっ! い、一体なんですか!? 平野さんっ!?」


 狐耳をピョコピョコ動かし、黒い丸鼻をヒクヒクさせているレーブンさん。両手を自身の胸に不安そうに添えているその仕草はいつ見ても可愛らしく、癒される。


 ――僕は聞くしかなかった。魔術学校の授業を受ける前に、この世界だと存在するのかもしれない可能性を!


「君は……フタ◯リってやつなのか!?」


 僕は後ろにいたエランスから、あくまで自衛ハリセンを食らった。



 ――



「へ、平野さん……だ、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だよ。むしろ、君のその優しさが今、醜い僕の心を抉っている……」


 桜散る通学路を歩く僕は、エランスからのお叱りを受けて反省モードに入っていた。

 頭にたんこぶを作った僕を心配してくれるレーブンさん。僕は彼に失礼なことを聞いて、非常に申し訳ない気持ちになっていた。


「そ、そうなんですか!? その、さっきのフタ?ってどう言う意味なんですか? エランスさんはひどく怒っていたみたいですけど……?」

「え!? えーっと、それは……」


 僕はエランスに助けを求めるが、彼女はファウンドを連れて僕より先を歩いて、振り向いてすらくれない。ここは僕だけでなんとかしないといけないだろう。


「あ、あれだよ! まだ僕たちに話せないような、心に蓋をしている事があるんじゃないかなあって!」


 苦しい言い逃れだが、こう言うしか方法が思いつかない。レーブンさんに突っ込まれたら、潔く真実を語ろう。


「……わ、私。以前はありました。心に蓋をしていた事が」


 あれ? レーブンさんがなにか語り出したぞ?


「最初に故郷からケ、ケジメをつけてこいと言われてた時は、ほ、本当に嫌でした。見ず知らずの人とた、戦うなんて出来るはずがないって。……で、でも!」


 レーブンさんは僕を見上げて、空色の瞳をキラキラと輝かせてくる。


「へ、平野さんはわ、私の気持ちをすぐに理解して、あ、歩み寄ってくれました! ……わ、わたしっ、あの時思ったんです! 誰かと少し歩み寄るだけで、世界はこんなにも面白いんだって! 戦う理由には、そんな面白い世界を守ることも含まれているんだって!」


 レーブンさんの話が、いつの間にか世界にまで飛んでいる。僕そんな大層なことしたっけ?


「だから! こ、心に蓋はもうありません! へ、平野さんのような立派な大人になれるように、い、一生懸命がんばります!」


 歩きながら僕の手を握り、羨望の眼差しを隠すことなく向けてくる狐風の男の子……まあ、この子が元気になってくれたのなら問題ないか。


「……とにかく、今まで打ち明けられなかったことを聞けて良かったよ。レーブンさんの頑張りを、僕はいつも応援しているからね」


 僕は先を行くエランス達に追いつくためにレーブンさんを連れて走り出そうとしたが、レーブンさんは通学路の途中で立ち止まる。


「…………あ、あの! 平野さん!」

「ん? なんだい?」


 初めて会った時のように下を向くレーブンさんの表情は相変わらず分からないし、三角の耳はピョコピョコ動いていて相変わらず可愛かった。


「……わ、私と! お友達になってください!」


 桜散る通学路で、震えながら自身の手を差し伸べてくるレーブンさん。その手は狐の黄褐色の毛並みに包まれていて、柔らかそうなピンクの肉球が見える。


「もちろん! これからもよろしくレーブン! 僕のことも平野でいいからね」


 僕はレーブンの手を握り返す。プニプニした肉球は、しっかりとした弾力があって握っているだけで癒されてしまう。


「は、はい! へ、平野……さん」


 少し迷いながら、結局「さん」をつけてしまうのはレーブンらしい。

 桜並木の下、お互いに打ち解けた僕達は、その手を握ったまま学校に向かうのだった。

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