秘密の横穴
「あ、その……さっきは助けてくれてありがとう。その、これも返すよ。あまり金は、持っていないが……」
ジェノーと呼ばれた魔法使いに、グレスは薬の空き瓶を見せた。
「いや、いいよ。……そんなことよりさ」
ジェノーは眉間にしわを寄せた。
「どういうつもりなの?こんなところまで適性のない人間を連れてくるなんて。この進行度なら、到達階層三層とかでしょ、この子」
「え、えっと……どういうつもり、とは、どういうことだろうか…?」
ジェノーはさらに眉を歪める。
「『どういうこと』? まさかあんた、第七層にまで来て"呪い"のことこれっぽっちも知らないなんて言わないだろ?あんまり適当なこと言うと、ちょっと……」
グレスは困って、アイオスの方を見た。
しかしアイオスも、顎に手を当ててグレスを注視した。
「そうだ。グレスはついひと月前、ダンジョンの第一層で下級モンスターとやりあって死にかけていた。正規の攻略にしては、進行が速すぎる。それに……」
「ああ。まさか二人でここまで来たわけではないだろう。」
ブロードソードの男も腕を組んだ。
「……」
「これは、しっかり話を聞く必要がありそうだね」
二人の剣士がグレスを取り囲んだ。
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「覚えてないィ?」
四人の冒険者はグレスと移動しながら、その話を聞いていた。
「ああ。俺が目覚めたのは、ちょうどそこで、ついさっき……あの魔物が襲い掛かってくるときだった」
「俺たちが割り込むすぐ前だ」
アイオスが頷く。
「確かに今日初めて三層に下りたなら呪いのことを知らなくても辻褄が合わなくはない。それより気になるのは、どうやってここまで来たかだね」
「ああ。地図もなしに第七層に無傷で到達するのはまず不可能だ。魔物がいなくても、迷宮には酸の沼や壁の崩落、水流、階層間の大穴と危険なものだらけ、迷えば元の場所に戻れないエリアもごまんとある」
グレスは首を横に振る。
「わからないんだ。三層に落ちてからは記憶がほとんどない。何か、呼ばれるような、冷たい風のする方に、ふらふらと歩いていただけのはずなんだ。ここが七層なんて、今も信じられない……」
「呼ばれる、ねえ」
ブロードソードの男……ボンドはしかめっ面をした。
「上級冒険者には、迷宮を異様に好む輩も少なくない。居心地がいいとか安心するとか……呪いの適性、なにか迷宮との親和性みたいなものがあるのかもしれないが……」
「うん、聞いたことがないね、そういう特異体質のようなものは。もちろん僕らも迷宮探索をあまり恐れていないという点で、近しい特性を持っているともいえるけど」
二人は顔を見合わせる。
「本当に何ともないの?頭痛とか吐き気とか……体は異常なさそうだけど」
「ああ。第一層や地上と、あまり変わらないと思う」
「こりゃえらい化け物を拾っちまったか?」
アイオスは苦笑して、また顎に触れた。
「しかし、上で魔物の逆流があったなんて。正直、こんなところで油を売ってる暇はないんだが……」
「結局、原因を突き止める方が、僕らの任務なんでしょ」
「そうなるよね、ジェノー」
「アイオス、魔物の逆流はよくあることなのか?」
グレスが問う。
「何月かに一度、不定期に起こる。でも今回のは相当大規模だ。原因はモンスターの異常発生、有力な冒険者や魔物が階層内で大暴れする、なんかがあるけど……大抵は二階層移動クラス」
「仮に第六層までの魔物が隠れちまったなら、前代未聞の階層六つ分の異常事態、それはもう魔物の逆流と呼べるのか?」
「やはり調査は必要そうだね。第八階層は普段と変わりなかったから、ここから上に向けて調査をしないと」
冒険者たちは気合を入れて頷いた。
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七層を走る五つの影。四人の第一級冒険者と、初級冒険者のグレスだ。
グレスはジェノーから身体補助の魔法を受け、体感したことのない速度で移動していた。
「グレス!疲れたら言ってくれ」
「……ああ!」
すでに全力疾走であって、大腿も脛も焼け付くほど酷使していることを言うべきか。グレスは逡巡した。
この迷宮は完全に整備された人工建造物ではない。そのため設計が不完全な地下深くへ進行するごとに、自然の洞窟につながるようになっていく。
第七階層の面積は第六階層に比べて一割ほど狭くなっていると考えられているが、階層を縦に繋げる崖や大穴による、階層間を行き来する複雑な地形、また洞窟との連結、未到達領域の存在もあって、その探索の難易度は加速度的に高まっていく。
未知の原因の調査のためには、平坦な道はもう走破してしまわなければ時間が足りない。
グレスは前の二人に離されまいと必死に足を動かした。
「アイオス、どこを目指す」
先頭を走る斥候のモナベノが隣に問う。
「そうだね……八階層中部から七階層に上がってくるまでは異変がなかったことから、なにか異常事態があるなら、七階層だろう」
「中央大道を回るか?」
「いや、どうだろうね……七階層の中央大道は道が狭いし連絡できる主要なルートも少ない。それに、今回の件にはなにか超自然的なものを感じるんだ。理外の何かが動き出したような、そんな気がする」
「理外の、何か……」
七層は静まり返り、五人の足音だけが音高く響いていた。
冷たく、ひっそりとしていて、魔物の喧騒の面影すらない。
ドン。
「おぼあっ……ぷ!」
衝突音と潰れた声に、先行する二人は振り向いて足を止める。
「どうしたっ」
「いたた。……こいつが急に止まって」
ジェノーが指さす先には、上級冒険者に弾き飛ばされて伏せているグレスがいた。
「グレス。大丈夫か」
「ほら立て。見て回る場所は無数にあるんだぞ?それとも休憩にするか」
「……」
「グレスー」
「おい……グレス?」
グレスを助け起こすが、一点を見つめたまま呆然としている。
「グレス、どうした」
「……ああ、ボンド。いや、少し気になっただけだ」
「なんだって?」
「ああ。なんか『気になる』って」
「……ふうん?」
グレスの視線の先には、横穴があった。三メートルほど壁を登ったところに、自然洞窟につながる横穴がある。
「あれは自然洞窟だ。床の高さが明らかに違うだろ?……ほら、あっちの壁にも、同じ高さに横穴がある。洞窟を横からぶち抜いてつくられたのよ、この道は」
「さ、行こう」
アイオスがグレスの肩を叩いて歩きだす。
一行はそれに応じて踵を返すが、グレスは一瞥もくれずに横穴を見ている。
「……。」
アイオスはそれをまじまじと見つめ、他の三人に言った。
「行ってみようか」
「……あの横穴に?」
「マジで言ってんのか?ありゃ絶対"迷宮"の外だぜ」
本来、完全なマッピングがされていない階層で、高度が明確に変わる場所に移動するのはご法度。加えて自然洞窟の横穴など、魔物も遺物も出現しない無駄足必死の外れ道だ。
「外れたらその時だ。パット行ってすぐ帰ってくればいい」
「それはそうだが……未踏破領域だぞ」
「迷宮の外なんだろ?気負うなよ」
「や、アイオス、言葉尻を捕まえても危険なものは危険ではないか」
「失礼。よっ」
アイオスはグレスを抱えると、一足跳びに二メートル跳躍して壁から少し出っ張った岩に着地、再度跳躍して横穴に入った。
「ほらみんなも」
三人は渋々、同じように二段跳びで横穴に入る。
ゆっくりと奥に進むグレスを追って、四人は歩き始めた。




