電報が来た
「上層で魔物の逆流!?」
紅い木材が艶めくギルド会館は騒然となっていた。帰還した冒険者から、第二階層の魔物を筆頭に、第四階層以上の強力な魔物も複数確認された旨が共有された。
「確認された四層級の魔物はハイオークとルナーフール……縄張り意識の強いハイオークが逆流しているということは、五層級、いや六層級モンスターの襲撃?」
「あるいはそれを超える異常事態の発生ですね」
「それにしても四層級モンスターが三つも階層も上ってくるなんて、いつ以来だ。五層級モンスターが原因だったとして、それらの移動量も少なくとも二層分以上ある。妙だな」
「まさか新種?初めて【産まれた】脅威に対して、魔物が混乱に陥ったとか……?」
「ダンジョンへの進入は一時封鎖されています!繰り返します!ダンジョンは───」
「知人の安否が不明な場合はギルド本部で遭難者名簿を作りますので、落ち着いて、落ち着いてお並びくださーい!」
「到達階層5以上の冒険者に緊急招集!討伐隊を組み、逆流を無力化します。最重要目的は未帰還者の保護!簡易編成にて反攻しますので、臨時のパーティメンバーが必要な方は───」
職員と冒険者がバッタバッタと走り、叫び、職務に邁進する。
テーブルをひっくり返したような騒音に飲まれたレダは、顔面蒼白だった。
抱えていた羊皮紙の筒がいつの間にか床を転がっている。力なく腕は痺れ、口が乾いて舌が張り付く。
「そ、んな……イ、イノン……」
思考することもできず、ただ立ち尽くしていた。
「うーん、結成された臨時討伐隊は全部で4パーティ13名、ですか」
「ああ。数で見れば心許無いが、その全員が熟練冒険者だ。下手な冒険者を百人送るより捜索も討伐も十倍は早いだろう」
「そう、ですよね。失礼なことを考えちゃいました」
そう言ったギルド職員も、手のひらが汗で濡れている。誰もがこの災害の行く末を案じた。
普段は無法の線を行ったり来たりしている冒険者たちも、出費がすべてギルド持ちで報酬金付きとなれば、荒くれ者の彼らも令に従うメリットがある。
捜索依頼受注の署名が終わったものから、次々に迷宮へ突入していく。
「あーあ。その様子じゃ、あんたのお仲間も迷宮かい?こりゃ滅多なことが無きゃ死んだねえ」
資料室でレダに話しかけた長身の女が、レダの隣に立った。
「ま、あんたはもう迷宮に入れさせてもらえないだろうから、祈るしかないね」
女は気の毒そうに肩を竦めた。
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イノンとグレスが第一層南側で魔物の群れに会い、南進してから3時間。二人は入り組んだ迷路の先の小部屋で救助を待っていた。
会話は最小限、いざというときの動きは移動中に確認してある。
呼吸の音がしんしんと岩の壁に響く。恐怖と不安に煽られ、胸が痛くなるほど呼吸を殺す。
静かに、静かに二人は座り込んで体力を温存していた。ただその眼は、小部屋の入り口を睨み続けている。
精神がざりざりと磨り減る音がする。身じろぎ一つも躊躇われる。少し冷える迷宮なのに、背中に汗が伝う。
「───ぁっ……。」
グレスが細く息を吐く。
眦が切れるほど唯一の入口を睨みつける彼の右手に、イノンは左手を静かに絡ませた。
「!」
「……?」
言葉はない。極限状態の中で目線を絡ませる。
「大丈夫だよ。」と語る優し気な瞳に、グレスのいかめしい表情もわずかに解けた。
『生きて帰ろう』
二人は運命共同体だ。生きるも死ぬも、運命次第。
もっとも地上に近い第一層は比較的エリア面積が狭く、救助隊もまず最速で到着─────
「グオッ」
「「!!!!!!」」
暗がりの天井からぬるりと”絶望”が顔を出す。
高速で皮膚の保護色を順応させる、カメレオンの稀少種……その名を迷宮の避役という。
極めて静謐な移動音、透明になったかような完璧な保護色を使い、獲物の死角から機関砲の如き威力で舌を打ち出す、第四層級モンスター。
爆発するかという勢いで心臓が拍動する。武器を構えることもできない。
極度の緊張を破った、圧倒的な格上の魔物の登場にまったく反応できなかった二人は、奇しくも動体視力に優れた相手の、鈍い静止視力から逃れることが出来ていた。
見失っているような素振りの相手にそれを察した二人は、硬直したこの身体からなにも動いたり落ちたりしないことを、心から祈った。
動けば死ぬ確信があった。
最悪の時間が緩慢に進む。
早く。
……早く。
早くどこかに。
早くどこかにいけ!
永遠に間違うほど緩慢な十秒間の後。
果たしてそれは、再びゆっくりと動き出し、元来た道を戻っていった。
……。
「「~~~~~~~~~っ!!!」」
音にならないため息がこぼれる。
まさに死地。グレスもようやくイノンの選択が正解だったであろうことを理解できた。あんな魔物を何十も相手になどできるわけがない。考える意味がない。
あの怖気。かの静かな侵入者が攻撃の一つもしないうちに、まともに動きすらしないうちに、視界に入った瞬間に理解できた。
さらに十分な時間をおいて、イノンはおもむろに立ち上がって囁いた。
「行こう、グレス。もうここは安全じゃないみたい」
砂埃を払い、外の様子をうかがう。
「行こうってなんだ。これ以上南進できる場所は、地図にない」
「ねえグレス、聴いて」
─────。
すぐそこに、獣の声が聞こえる。未知の魔物たちの重厚な咆哮でできた大合唱。
「『地獄賛歌はかく聴こえり』────。」
イノンは手のひらをぐっと握ると、グレスに背を向けた。
「うん。でもまだひとつ、ある。でも……これは、きっと決死行。きっと死ぬ……分の悪い賭け」
「イノン……」
「私は生きて帰りたい。レダに……会いたい。
もうすぐそこまで、モンスターたちが来てる。
ここにずっと隠れていても、救助されるより先に殺されちゃう。そ、それに」
「それに……?」
半端に言葉を切ったイノンに、グレスが聞き返す。
向き直ったイノンが、がたがたと瞳孔を揺らしながら、へらりと笑った。
「も、もう、こんなところで隠れてるなんて、き、き、気がおかしくなっちゃうよ」
「あっ」
イノンは震える脚で歩き出した。グレスもそれを追って歩き出す。
「イノン。もう行き止まりだ。地図には外周につながる道がたくさん書いてあった。モンスターが道なりに広がっていたら、さっきの場所よりもここはエンカウントしやすいはずだ。だめだ。戻ろう」
「や、やだ。私は先に進む。進む!!」
イノンが走り出す。危なっかしくふらつき何度も躓き、外周の壁にぶつかるまで走る。
「あー!あーレダ!あーー!お願い!私を助けて!!レダぁあああ!」
「イ、イノン!はぁ……!戻ろう、外周は……」
「「グオオオオオオオオオオ」」
モンスターの声だ!グレスはバッと左を見た。
この一本道を伝って、見たことのない巨大な亜人が、猛スピードで突っ込んでくる。
イノンはすでに右に踵を返し、力いっぱい走っている。
「イノーーーン!」
「わあああああ!!!」
「グオオオオオオオ!!!」
殺人ゲームの徒競争は、しかしあっという間に追いつかれる。
地を割る足音が背中を叩く。空気と岩床の振動が肌を震わせる。
ブン。
何かが背中をかすめる感覚。その風圧で体が浮いた瞬間、イノンの体がふっと消え去る。
次の瞬間、グレスは宙に浮かんだ。
「─────ッ!」
落下する。




