急襲、モンスター
文字通り八つ裂きになった肉塊が、ボロボロと零れて灰に変わる。
アイオスの剣技は、視界に入った魔物を反応する前に処理してしまった。
あの飛竜との戦いがいかにアブノーマルな戦闘だったのか、グレスはようやく理解した。
「ごめん、もう少しいいかな。安全確認してくる」
「わかった」
グレスに寄ったアイオスは、青い髪を揺らしながらひらりと先行していく。
グレスは四人の負傷者、イノン、ジェノー、ボンド、モナベノを抱えて必死に追いかけていた。
どたどたと落ち着きのない動きだが、驚異的な効果の【燃え滾る血よ】で無理やり筋力を底上げしているだけで、うまく荷物を取り扱えているわけではない。
これには、【燃え滾る血よ】は動的動作、つまり走るための脚の動きや剣を振るための瞬間的筋力の増強にこそ主眼のある攻撃的な強化魔法であることが関わっている。物を抱えるような静的動作の補助は不十分なのだ。
これでもグレスは一生懸命だった。
「っ!魔殻の大蜘蛛……群れているのか」
曲がり角の向こうには、十メートルある天井まで届こうかという巨大な蜘蛛たち。
紫色の棘に青と金色の禍々しい模様の体皮。頭や腹部を防護する、鋼鉄の棒をも折らんという凶悪な外殻。
通常、縄張りを避け合って巣を張る魔物だが、今は静かに身を寄せ合って動かない。
第五層にある複雑な地形を利用した曲芸的な攻撃が特長ではあるが、"下層"域のモンスター、一本道を塞ぐ巨体、それも四頭。グレスが十全に動けないことを考えれば、この強敵も、やはり、今、ここで倒すしかない。
アイオスは銀の細剣に手を掛け、一瞬おいて、それではないもう一つの銅の長剣を、さらと抜き放った。
法外な物理法則、魔力的素地に強化された外殻外皮を破るため、アイオスは詠唱する。
「【七滴の血が盃を満たす。アルパドの意志、ハドルの神火。幾重に重なる災いに明き大勝を。混迷を裂き、千軍を討ち、我が名が示すは大統一】!」
それは民衆を守り、勝利をもたらした英雄の歌。建国の王が剣を執り、幾度も闘った戦乱の叙事詩。
歴史書に記された伝説が、迷宮の呪いを介して再び現世に現象する。
「【弑されよ、虚構の大悪】────────
【赤閃剣】」
赤い幽気が剣を包む。
第一級冒険者による目視不可能な突進。大蜘蛛たちが振り返り、鎌を擡げて威嚇するまでの時間。
一撃が、その眉間の外殻を砕き潰した。体躯の下を滑り込むように抜け、二撃が頭胸部と腹部のわずかな境目を正確無比に捉え、両断する。黒い血飛沫が噴き出した。
三、四撃が次を。五、六撃がその次を。
そして七撃目が、最後の大蜘蛛の眉間に叩きつけられ、そのまま頭胸部の中ほどまでを裂き貫き……迷宮の一本道に、沈黙をもたらした。
「はぁ……はァ……っ……」
七度薙がれた銅剣は寸分の狂いもなく、強大な魔物を葬ってみせた。
アイオスは歯噛みした。剣技を使うのにまったく適正な相手ではあったが、ここまで半時間ほどの道乗りで、剣技をもう十度は使用している。
剣技は、空間魔力、体内の魔力伝達神経のほかに、武器の魔力抵抗に大きな損耗を与える。
魔力を流して武器の性質を超越した切れ味や耐久性を与えるのだから、連発すれば当然剣芯への損傷は深くなっていく。
アイオスの細剣は【白閃剣】と相性が良く、気軽に打てるはずだった。
しかし四層とは名ばかりに、下層級の魔物が越境しひしめき合う現状、連戦に次ぐ連戦で、もはや無駄撃ちはできないまでに剣芯は消耗していた。
そもそも五層や六層の魔物を相手に、休憩時間も設けず初撃即殺を求められ続けることの異常さを、同じ第一級冒険者のモナベノやボンドなら理解するだろう。
そもそもがパーティで挑むべき相手、そもそもが非剣技込みの戦闘、そもそもが攻撃手の交代を含む複数回攻撃が前提という戦闘の定石。
(このペースでは武器が持たない。なんとかして戦闘を交わさなければ)
立ち尽くす。
アイオスは荒い呼吸を押し込むように深く息を吐いた。
銅剣を鞘に戻す手が、小さく震える。
亀裂は、アイオス自身にも入り始めていた。
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「アイオスー!」
ばたばたと走るグレスが、後ろからアイオスに声をかける。
「……グレス、ダンジョンで大きな声を出しちゃいけないよ」
「あっ……すまない、でも、いい報告だ!」
首を竦めたグレスの後ろには、ふらふらと歩くボンドがいた。
「ボンド!目が覚めたんだね」
「ああ……世話かけたみたいだな」
「体調はどう?」
「最悪だ。正直、少し休みたい」
ボンドは額を押さえる。
先の小休止で外傷は治したものの、幻覚、吐き気といった症状は長時間持続する。ボンドはその橙色の液体が入った瓶を呷ると、頭を左右に振った。呪いの作用を軽減する薬だ。
「そうだよね。でも、ちょっと時間に余裕がない。……走れる?」
「やってみる。そこのやつより遅かったら、冒険者引退するかもな」
三人はすぐに出発した。
例の飛竜から離れ、目覚めているのかもしれない。今は気絶している三人も直に目覚めるだろう、とグレスは喜んだ。
「そっちはどうなんだ、アイオス。だいぶキテるようだが」
「あー、まあ大丈夫だよ。休憩地点もすぐそこだし」
「……次のは俺がやる。いいな」
「了解」
道の交差するポイントを先行する二人は迷いなく進んでいく。何度も通った上層への中央大道。
しかし四層にいたのはほぼ五層級の魔物。同じ道のりでも、会敵する脅威が違えば景色もずいぶんと変わる。地形も環境も異なる戦闘は、魔物にも冒険者にも奇妙な感覚を芽生えさせた。
「おいグレスー!煙玉を撒くからな。脚を止めずに、まっすぐ走れよ」
「煙玉?おぶわっ!ぅわぷっ!」
三メートルはある巨大な亜人系モンスターの群れ。黒い煙がボフンボフンと巻き上がり、冒険者たちの容姿を覆い隠す。相手にニンゲンの存在を気づかせないまま、数体分の戦闘を回避した。
「……それ、持ってたの?」
「いや。拝借した」
ボンドはアイオスが抱えるモナベノを指さした。アイオスは苦い笑いを漏らす。
「まあ、ある物は有効活用しないとね」
「そういうことだ。……いや、しかし」
群れを抜けたのもつかの間、次の魔物が姿を現す。
重い踏み込みからボンドが飛び出し、「フンッ!!!」気合一閃。魔物の大きな角をゴーンと鐘のように音高く叩き鳴らした。
バタリと伏せる牡牛のモンスター。
アイオスとボンドはジェノーの小さな体を空中に放り投げつつ、時に交代しながら、時に挟撃を以て立ちはだかる魔物たちを処理していく。
仲間の体を危なっかしく取り回す一級冒険者二人に、グレスの頬に汗が伝った。
「このままぶっ飛ばせば、ほんの数分だぜ」
大ムカデを二枚卸にするボンドは意気揚々と尖がった金髪を撫でた。
「いや、」アイオスが呟く。
「……ああ。そうもいかないか」
二人が入った小部屋には、眩いばかりに輝く大型の魔物、金地竜。翼をもたない、蜥蜴の最上位種のモンスター。
危険度は征伐戦、ギルドが十人未満での戦闘を禁止する魔物。
第六層北西部にのみ生息する臆病な性格ゆえに滅多に発見されない稀少種で、戦闘経験のある冒険者自体、数えるほどしかいないだろう。
本来であれば戦闘にもならなかったであろう相手だが、その両の目は、すでに三人、いや二人の冒険者を捉えてしまった。
安寧を脅かす、侵略者として。
「───ッ!!」
「まさか────ッ!?」
雷光。
「グシャァアアーッ!!」
ズガガッ!
美しい金色のアギトから、稲妻と轟音が迸る。
間一髪、直前に飛び退いていた二人の影を、金の光が焼き焦がす。
「おいおいおい、マジで稲妻なのか。避けようがねぇじゃねえか……!」
「嬉しいような、そうでないような。六層で会えたならどんなに……」
一歩踏み出し、再び顎を開こうという竜のわずかな動きに反応し、横に跳ね逃れる二人。
同様に、暴れる雷鳴が響き渡る。
「グシャーッ!」
「……通しちゃくれねぇのかい」
二人は彼の口がいつ開くのかだけを注視しながら、一歩ずつ後退する。
小部屋の入り口に着くと同時に、一目散に来た道を走った。
「外周に寄ろう。道わかる?」
「わかるわけねぇだろ。四層で中央大道以外に行くのは五年ぶりだ」
「だよね。面倒なことにならないといいけど」
そうして湾曲した道を戻る二人。
しかし一向にあの赤髪の青年が見えてこない。
「おーい、グレスー?」
「どこ行ったんだあいつ。俺たちを見失ったのか?」
「そんなに距離は離れてなかったし、角を曲がってもいないけど……」
結局一つ前の小部屋にまで来てしまったアイオスとボンドは、そこでにわかには信じられない光景を目にする。
「グレス……?」
小部屋の中には二人がいた。イノンと、モナベノ。
グレスが抱えていたはずの二人だ。
その二人だけだった。
グレスはもう、アイオスたちの視界のどこにも写ってはいなかった。




