ダンジョンと仲間と
この紅い木材で作られた荘厳な建物、ギルド本部を意気揚々と・・・・・出てきたのには理由がある。
グレスはあこがれの職業である冒険者となったので、今から地下迷宮ダンジョンに向かうのだ。
「この剣を買いたい」
「これだけ使って、どれくらい回復薬ポーションが買える?」
「食料や水はこれで十分か。行くぞっ」
地上にはない鉱物、奇妙な生物たちの素材、あるいは死に絶えた同業者の遺品……。
階層を下るたびにその稀少性レアリティは高まり、ほんの一品で財を築いた者もいると言われている。
ダンジョンは神秘と危険に満ち溢れた、浮浪者たちの命がけの賭博場カジノなのだ。
しかし。
「う、ぐッ……!」
モンスターの体当たりを受け、グレスは岩壁に叩きつけられた。
「聞いてない!こんな……」
冒険者は一か月で、その半分が死ぬと言われる。
魔物たちの信じがたいほどの筋力、鎧をも裂く鋭い爪牙。
どんな冷静な人間も狂わせる緊迫した環境。
ダンジョンは特異であり、地上の論理は通用しない。
このグレスも同様に、墓標もなく葬られる側の人間になるだろう。
初等教練に座学があることを知りもしなかった彼は、剣を数度振っただけでダンジョンに来たのだ。
「ぐあッ……痛い……!」
手から剣が零れ落ちる。グレスは負傷した右腕を抑え、うずくまることしかできない。
名前もわからない化けトカゲが、再びグレスに突進する。
「ぎっ……ァ……!」
弾き飛ばされたグレスは頭部を強く打ち、意識を彼方に奪われかける。
「おい!」
立つこともできないグレスの耳に、誰かの声が聞こえた。
「ッ!」
肉を切り裂く音。ズシンと死体が地に倒れ、静かになる。
「ねえ、生きてるか?君、おい!」
顔をぺちぺちと叩かれて、グレスは朦朧としたまま目を向けた。
「俺はアイオス。とりあえず、外に出よう。すぐだから」
グレスはアイオスに担がれ、地上へと運び出される。
迷宮の入り口を囲むように広がる逆円錐の半地下都市、バーロス。
あるいは冒険者を迎え、あるいは地上に進攻しようとする魔物を監視し、金銭の匂いに敏感な商店が集まってできた小さな街。
その円形に敷き詰められたタイルの上は、およそ安全といっていい場所だった。
アイオスがかけた低級のポーションが目に入り、グレスはうめく。
「うがぁ……!」
「我慢してね。すぐに傷口をふさがないと」
ポーションの効き目は抜群で、擦り傷が煙を立てながらあっという間に癒えていく。
グレスは打撲と骨折の痛みにも呻いた。
「うがっ…ア…!!」
「……君、骨が折れてるんじゃないか?上級回復薬ハイ・ポーションがいるか」
アイオスはグレスの腕を触診し、すばやく粉砕骨折等がないことを確認する。小鞄ポーチから小さなガラスの瓶をとり出し、中の液体をグレスの腕に少しずつかけた。
わずかに発光するそれが腕を伝うと、グレスの苦し気な表情は次第に氷解した。
「……助けてくれて、ありがとう。俺はグレス」
「ああ。俺はアイオスだ。よろしく」
「よろしく」
立ち上がって二人は握手を交わす。
アイオスも冒険者だと名乗った。爽やかで凛とした声の、ナイス・ガイだった。
「へえ、今日がデビュー戦だったんだ。あんな入り口で倒れてたのも納得だね」
グレスは俯いた。健康には自信があったから、初戦闘で死にかけるとは思わなかった。
アイオスには高そうな薬を使わせてしまったことを謝った。
アイオスは首を横に振ると、「困った時はお互い様だ」と笑った。
グレスはその青い髪の、気前のよい青年の笑顔を忘れなかった。
「……再挑戦だ」
グレスは再びダンジョンに入っていった。
今度は警戒しながら、一歩一歩踏み出していく。
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ダンジョンは危険に満ちている。
土色の岩盤でできた未知の構造物。歴史も目的も、作者もわからぬ未踏の沼。
グレスはダンジョンを舐めていた。甘い考えから窮地に陥り、アイオスに救われてしまったことを恥じた。
グレスは考えを改めた。ここはモンスターとの決闘場コロシアムではないのだ。
ゆえに、無理に戦う必要はない。
息をひそめ、ダンジョンをよく観察し、まずこの未知の場所に慣れる必要があると考えた。
「……ッ!!」
隠密行動の末、今度は先制してモンスターを発見した。
「あれは……亜人の類か」
壁のくぼみからのぞき込むと、少し先に、低等身の獣人モンスターがいた。
名前は分からない。グレスはドラゴン以外のモンスターを知らないからだ。
グレスは足元の大きな石をそっと掴んだ。
「これをぶつけて、怯んだ隙に一刺しだ。頭が良いぞ、俺は……」
様子をうかがう。
モンスターが完全に向こうを向いた瞬間、グレスは思い切り石を投げつけた。
「らッ!……うわっ」
石は大きすぎたのか、亜人の足元に着弾した。
作戦は失敗だ。
「まずいぞッ!」
跳ね返るように亜人がグレスの方を見る。
グレスは慌てて剣を構える。
「ギェエエエ!!」
跳躍して飛び掛かって来るモンスターに、グレスは決死の覚悟で剣を突き出した。
「ッ……!」
「ギィ!」
剣は魔物の皮を裂いた。が、傷は浅い。
勢いあまってすっころび、慌てて立ち上がる。
場所が入れ替わり、魔物が再び飛び掛かろうと構える。
「くそッ!こいつ、強いぞ!」
グレスは焦った。無性に自分の背後が気になる。
まだ地形を確認していないダンジョンの奥から、次のモンスターが襲い掛かって来るのではないか。
しかし目の前の亜人からは目を離せない。
グレスは焦燥感に突き動かされ、前に走りだしていた。
「ギエ!」
迎撃を予想したが、魔物はむしろグレスの気迫に驚き、背中を向けて逃げ出した。
それを見てグレスは、急に気が大きくなって、「その背中を貫いてやる」と突進の速度を上げた。
──グサリ。
「わ、わっ……うわッ」
怖気立つような感触。骨と肉を突き貫き、グレスは初めて魔物を殺した。
返り血もぬぐわずその場にへたり込んでしまう。
しかし直後に熱い勝利の感覚が沸き上がり、両のこぶしを突き上げてグレスは大声を上げた。
「うおおおおおッ!!やったぞッ!殺してやったぞ!!」
迷宮に勝鬨が響く。途端、
ヌッ。
モンスターたちが顔を出す。喧しい人間の声に呼び寄せられ、様々な形をした化け物たちが姿を現した。
「くそッ!!聞いてないぞ!!」
グレスは剣を死体から抜くと、出口を目指して一目散に走った。
モンスターを殺したものの、戦利品は得られなかった。
グレスは、ダンジョンで大きな音を立ててはならないことを学んだ。
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グレスは考えた。ダンジョンで戦うことは容易ではない。
何か、根本的な見落としをしているのかもしれない、と思った。
モンスターへのリベンジを果たした彼は、今度はギルドの方へ向かった。
「冒険者……みんな、鎧を着ている。武器も剣だけじゃない。しかし……」
グレスは様々の冒険者を観察し、訝しんだ。
「あいつ、刃のついていない棒で、どうやって戦うんだ。あいつは多分お荷物だ」
そして気付いた。多くの冒険者が複数人で行動していることに。
単独の人間もかなりの数いるが、それは店に並んでいたり、食事をしていたり、とにかくダンジョンから離れていく人間だった。
ダンジョンに入ろうとしているのは、どれも複数人だ。
「助け合うのか。……頭が良いな」
しかしグレスはこの街に知り合いがいない。どこかの組織や団体に所属するか、それっぽそうな人に話しかけなければ。
「共にダンジョンに潜る仲間を探している」
グレスはギルド会館の受付にそう告げた。
職員は、その背後にある大きなボードに、パーティ(一緒に行動する仲間のことだ)やクエスト(ギルドが仲介している依頼らしい)が張り出されていることを教えた。
「俺が参加できる団体はあるか」
「グレス氏は昨日、冒険者になったばかりですよね。では、難しいかもしれません」
「俺では力不足か」
「はい。彼らには物事を教える時間もなければ、初心者を守る余裕もありません。囮になって死んでくれるというなら、人気者になれるかもしれませんが」
グレスはよく考えてから呟いた。
「難しいな」
「……ええ。一応、今現在も第一層の攻略を目標とする初心者パーティもあります。参加の申請をしてみますか?」
「では、よろしく頼む。足を引っ張るかもしれないから、そう伝えておいてくれ。ありがとう」
職員は(足を引っ張るとわかっている冒険者を参加させるパーティがどこにあるのか)と思うだけにとどめた。
「……承りました。向こうにも似たボードがあるのがわかりますか?」
職員はギルド会館の入り口の方を指さした。カウンターの向こうにあるボードと同じように、ハンコが押された紙がたくさん留めてある。
「もし参加を承認、あるいは顔合わせに応じるパーティが見つかれば、あそこにこの紙を貼っておきます。剥がしてこのカウンターに持ってきてください」
「了解した。これは、画期的な報告システムだな」
「……恐れ入ります。パーティが見つからなかった場合もその旨を掲載しますので、連絡用紙を剥がして廃棄してください。いずれにせよ受付には来ていただかなくて結構です」
グレスは待った。
待ちぼうけるほどに待った。入口のボードの前で。
その日は夜遅くまで待ったが、誰もグレスに話しかけてくることはなかった。
「来た」
それから2日後。ついにボードには、グレスを受け入れるパーティについて張り出されていた。
パーティメンバーは二人、前衛の男と、後衛の女だった。
二人は半年前にダンジョンに入り、第二階層に進攻しようというところらしい。
「レダだ。今日はお試しということで、まあ気楽にいこう。よろしく」
「グレスだ。足を引っ張るかもしれないが、ぜひよろしく頼む」
「イノンです。今日はよろしく」
「グレスだ。右も左もわからないが、精いっぱい頑張るつもりだ」
二人はグレスと握手する。グレスは、同じ初心者ながら、先輩となる二人の頼もしさに感動した。
黒髪のレダと、薄橙色の髪のイノン。
「グレスには前衛として戦ってもらう。戦闘経験はどれくらいある?」
「一度、獣の亜人を倒したことがある」
「……なるほど。じゃああまり期待はできなさそうだな」
「面目ない…」
グレスはしょんぼりした。亜人を1体だけ倒したという実績は、おそらく迷宮の中では塵芥ほどの価値もない。
レダは苦笑すると、グレスの肩を軽く叩いた。
「いいんだ。グレスが真剣にうちのパーティでやっていきたいなら、俺たちは歓迎する」
「ありがとう。今日は何をする」
「今日はモンスター素材を集める依頼クエストを進めよう。角のある鼠のモンスターを狩って、その角を回収するんだ」
「了解した。イノンは?」
「私も行くよ。後方支援なの。物を管理したり運んだり、地図を見たり……」
「戦わないのか?」
グレスはいぶかしんだ。
「戦わなくはないんだけど、なんというか、役割の違いというか……」
イノンは困ったように前髪を触った。
レダが「すぐにわかるさ」と、地図をしまって立ち上がった。




