騎兵小隊、前へ!
拙稿『The Outsider ~規矩行い尽くすべからず~』の67話を完結した短編として改稿してみました。
窓の外に視線を向けた。雨は止みそうにない。壁に立てかけたワンタッチテントには、先ほど脱いだポンチョを引っ掛けたままにしておく。野外での戦闘では水を含んだポンチョは動きの妨げになりそうだ。元々スライム対策として買った安物で、悪天候時に着用することは想定していなかった。
機動隊の旧装備一式を侮蔑的に眺める近衛の視線が痛い。ふと、神官の「道化」という言葉が頭を過る。異世界人にはさぞかし珍妙な恰好に見えているのだろう。
青紙土佐打ナイフ(剣鉈)を腰に吊るす。バックパックを背負ってからヘルメットを着用し、ワンドを手に持った。
槍を持っていくか迷ったが、馬に2人で乗って片手にワンドを持っているのに、槍を持って行っても邪魔になるだけだろうから部屋に置いておくことにした。
最低スペックではあるが一応魔法の武器なのでベッド下の床に置き、総司令官から貸与された短剣と共にタオルで巻いて、盗まれないよう[不可視]の魔法で透明化させておく。
「お二方は部屋の外に出ていただけますか」
準備を終えたタイミングでマヤに退室を促された。
見るとマヤの手には、バックパックの底に押し込まれていたような麻布があった。それは厚手で、使い込まれたキャンバス地のようにゴワついていたが、幾度も広げては畳まれてきたのだろう、表面には深いシワが無数に走っている。
不機嫌そうな男と廊下で並び立つこと数分。ドアを開けたマヤは初めて見る巻きスカートに穿き替えていた。
ちらちらと上目遣いで、何か言って欲しそうな表情をしている。
日本では絶対に見ることの無い、酷い皺の走ったロングスカート。余計なことを言わず、肯き返すだけで誤魔化した。
3人で城門に向かう。
途中、近衛は何度かマヤに話し掛けていたが、その度にマヤは俺の体に隠れるように位置を変え、宿屋に向かっていたときのような相槌を打つことさえしなかった。
空気を読んだのか、同僚の視線を気にしたのか、近衛は城門が見えてくると俺達には何も言わず駆け出して行った。
古い布や皮の濡れた臭い、馬の臭いが漂ってくる。傭兵と民兵達が城塞唯一の城門前に集まっている。マヤは気にしていない様だが、あの一番臭そうなところに入って行くのかと思うと気後れがして思わず立ち止まった。
もしかしたら立ち止まる口実が欲しかったのかも知れない。
……何で俺が凶悪であろうモンスターの群れに突っ込んで行くような戦争に参加しなければならないのか。
立ち止まった俺に気がついたマヤが振り返る。
マヤと見つめ合う。
「何か忘れ物をしましたか?」
俺は首を振る。
「40年振りに子供の理屈が頭を過っただけ。『何で俺が?』ってね。誰にも出来ない事なら俺がやる。40年前に考えを切り替えたし、そうであるからこそ、俺のような我の強い人間が集団内で存在を認められてきたのだから。ただ、そういう理屈と、戦場の矢面に立つという現実に直面しても何も感じないということは別。だから足が止まった。みんながこちらを見ているし、行こうか」
マヤは俺が歩き出しても、同じ姿勢で立ったままこちらを見ていた。
隣を通りすぎた数秒後、小走りで追いかけてくると再び並んで歩き出す。
馬の嘶きでこちらの動きを察知されないためか、見える範囲の馬全てに枚を銜ませている。
何も言わずにこちらを見ている傭兵・民兵達。
傭兵達は半球形の兜を被り皮鎧を着用している。片手には槍を持ち、腰に片手剣を装備している。
民兵だろうか? 傭兵達より長い槍を持っているが防具の類がない者たちもいる。
集団が割れていく。その中を俺とマヤは進む。
城門周囲から流れてくる悪臭に、城外からだろうか他の臭いも加わる。襲撃の時間はこの風向きに合わせたのかと、俺はどうでもいいようなことを考えながら、一際大型の馬の横に立つ見覚えのある男の方に向かう。確か直接紹介はされていないが、あの男が傭兵隊副隊長なのだろう。指揮官オーラがここからでも見て取れる。
男の前で立ち止まる。
「良く来てくれたな但馬殿。今、聞いたのだが貴殿は{ファイヤーボール}のワンドを所有しているそうだな。手に持っているのがそのワンドなのか?」
「そうですよ」
「何という僥倖か! 貴殿がシュガローフに留まってくれたことを城塞内全ての住民が感謝することになるだろう」
以前聞いた明瞭な発音とよく通る声量。まるで目の前の俺に話し掛けているのではなく、声の届く城塞内住民全員に言い聞かせるような大声だった。いきなりでかい声を目の前で出されて耳が痛い。
「この馬を使ってくれ。二人乗りでも、そちらの小柄な女子とならば問題ない。一番大きな鞍を持ってこさせているので鞍の交換を終えたら出撃だ」
恐らくは戦場経験が豊富なのだろう。多分、俺が立ち止まった理由も見抜いている。新兵相手の気遣いか、何の問題もないようなことを言って俺の不安を払拭させてくれたのだろうが、相手のペースで話を進められる前に確認しておくことがある。
「ここの馬達は72メートル先で[火球]が爆発しても動じませんか? 雨の中なので多分通常の[火球]より大きな音になると思います」
水蒸気爆発と言ってもわかってくれないだろうから、詳細は省いて懸念事項だけを聞いておく。
「それだけ距離があれば問題ないと思うが、そんなに大きな音がするのか?」
「どれだけの音がするのかは試してみないとわからないけれど、気持ちの片隅に留めておいてください」
「ふむ。[ファイヤーボール]の最大射程は72メートルだったな? 作戦目標は投石機だが、周辺にある他の攻城兵器用の部材も可能な限り破壊して欲しいのだ。我々が貴殿の射程内に突撃した後、全隊が旋回してから攻撃を始めてくれ。さすれば馬が恐慌をきたしても影響は最小限に収められる」
……攻囲下にあるのだから、戦術目標は単一に留めた方が良いと思うのだが、このおっさん欲をかき過ぎていないか? それともゴブリン相手なら問題ないとの経験の反映なのだろうか。
俺は曖昧に頷く。
「もう1点。危急の場合は馬、あるいは負傷兵に、[加速]若しくは[次元の扉]で移動させてもかまいませんか? 予め周知しておかないと、折角呪文を掛けても無駄になるかもしれない」
「あぁそういうのは止めておいた方が良いだろう。魔法に慣れていなければ逆に混乱するだけだ。掛けるのなら自身の乗馬だけにしておけ」
言質を取ったので、黙って肯いた。
話していると鞍の取り替えがはじまった。
馬に乗る事。戦場に出る事。これから始めようとする事。口の中は乾ききり、鉄の味までしてきた。
ダンジョン内では先に進むという目的意識と、殺さなければ殺されるという危機意識から、生物を殺すことへの罪悪感は既に無くなっていた。だが……
馬を眺めている視線を遮るようにマヤが俺の前に立つ。
マヤは少しだけ首を傾げるが何も言わない。初めて見るマヤの表情。複数の感情が混じっていてうまく読み取れない。こちらを品定めするような、恐れているような、不安に耐えているような、複雑な視線。
「大丈夫だよ。さっきも言ったけれど俺は俺のやるべきことをやる。その前後の事はマヤ達に丸投げして余計な事は考えない。ただ、危ないと思ったら[火球]の他にも魔法を使うかもしれない」
「魔法をお使いになる際は、必ず一言お願いしますね」
「[次元の扉]は温存したいから使う気はないけれど、本当に危なければ咄嗟に使うかもしれない。他の魔法は行使する前に予告することは出来ると思う。多分」
「但馬さんが余計な魔法を使わなくてすむように頑張ります」
マヤは本当に言いたいことを飲み込んだようにも見えるけれど、今は俺も余裕がないので他者を気遣う言葉が出てこない。
「但馬殿! こちらへ! 」
呼ばれて歩み寄った馬は、体高がマヤの身長ぐらいはある。
最初にマヤが馬の左側から乗った。
少女は馬に跨ると、左右に割れた巻きスカートの裾をそれぞれの脚に巻き付けた。さらに、用意していたのだろう。革ベルトで、太ももを布ごと強めに締め上げている。風に煽られて布が捲り上がることも、布が馬具に絡むこともなさそうだ。
さて、武士は馬の右側から乗ったらしいが、左腰に刀を差しているわけではないし、普段から自転車に乗るときには左側から乗っているのでマヤに続こうと一歩前に出た。
……どうやって乗るんだ? これ。
マヤが固まっている俺を馬上から見下ろすが、ハッとしたように鐙から左足を抜く。もしかしたらマヤもあまり余裕がないのかもしれない。
乗馬スキルが仕事をしてくれたのか、恥を晒すことなく鞍の上に収まることが出来た。
鐙から足を抜いて、ふくらはぎで馬体を挟む。左手は鞍の後ろを掴んだ。
「但馬さん。両手は私の前にまわしてしっかり掴まってください。身体をしっかりと密着させて、出来るだけ私の動きに合わせてください」
彼女の声はいつになく硬かった。
「騎兵小隊。前へ!」
弛緩していた空気が襲撃隊指揮官の号令で一変した。同時に城門が重く軋む音を立て、少しずつ開いていく。
「軽騎兵旅団前へ!」
怖じける者が1人でもいただろうか?
誰かが蒙昧に落ち込んだ故だと
騎兵たちは知っていた
彼らに言葉を返す権利はなく
彼らには理由を問う術もなく
ただ命じられたままに行い死ぬばかり
死の谷へと突き進む600の騎兵
何で俺は、英国軽騎兵隊最後の突撃を詠ったとされているテニスンの詩なんかを思い出したのか……
「[対射撃戦防御]」
邪教徒の誰かがこの馬に[魔法解除]を使わない限り、2時間の間、馬は矢や投石を無効化できる。
徐々に馬速が上がっていく。
マヤの動きに合わせて俺の身体も自然に動く。
数百キロの馬が25頭。雨でぬかるんだ地面をものともせず、地響きを立てて突進していく。
少女の身体にしがみ付く羞恥心もなく、初めての戦場という恐怖心もなく、生き物を殺すことになるという気後れもなく、馬から振り落とされないことにのみ注力する自分がいた。
周囲の状況は全くわからない。目に入る光景が見えないわけではないが、見えたものを情報として処理する思考が追いつかない。
どれくらいの時間が流れたのだろうか。
気がつけば馬はゆっくりと旋回している。
マヤが何か言っていた。
「但馬さん! 目標の投石機はあそこです! ここからでは届きませんか? 」
俺は慌ててマヤが片手剣で指し示す方向に目をやる。
自分がやるべきことを思い出すと、上半身をマヤから離し、右手に掴んでいたワンドを持ち直しながら上半身を捻り、投石機に向けて振り下ろした。
最大射程で爆発した火球は、閉鎖空間であるダンジョン内で聞いていた音よりも少し長く大きな音がした。火球の熱で水が瞬間的に蒸発し、水蒸気爆発特有の鋭い破裂音が多数混じっている。
直径12メートルの火球に何体か何十体かのゴブリンが巻き込まれているのが見えた。
副隊長の言葉を思い出し、続けて3回振り下ろす。
見える範囲に資材を積み上げたらしき物が見当たらなくなった。
「帰ろうか」
連続した火球に見惚れていた周囲の中で、俺の心だけは冷めている。
小・中学校で何度クラス変えがあっても、不思議と俺に突っかかってくる奴が必ず1人いた。
俺がクラスのために何かを成し遂げた状況で、得意げに振舞っても、大した事ではないと振舞っても、俺の態度が気にいらないと文句を言ってくる。
さっさとこの場から逃げ出したい。普段は全く没交渉なのに、こういう空気の時だけ話し掛けてくる奴に、好意を抱いた事は一度もないのだから。
周囲を見回すと、ゴブリンたちも火球があった方向に顔を向け放心している。
何故動き出さないのかと副隊長の姿を探して視線を向ける。
俺の視線を受けて副隊長は俺が見つめているのに気がついてくれた。
次に出す命令を迷っている。そんな表情をしている。
「5分以内に帰城しなくていいんですか?」
大きな声を出して副隊長に命令を思い出させた。
俺の声で副隊長の命令を待つことなく全傭兵隊が動き出す。
少し遅れて副隊長が周囲に指示を出しはじめる。
分隊指揮官が隊員や馬の状態を素早く見極め、俺を中心に突撃隊形を組み上げた。
前に8騎。右に8騎。左に8騎。ここに来るまでに脱落した者はいなかったようだ。
確か城門迄は500メートル位と言ってたな…… 遠い…… こちらに向かってくるゴブリンもいれば、城門に向かって、否、既に城門前を遠巻きにしている薄い層が形成されはじめている。
左右からこちらに向かってくるゴブリンは馬の速度に追いつけないだろうが、城門前のゴブリンの集団を突破して城門内に無事駆け込めるのだろうか。
副隊長が右手に持つ槍を頭上に突き上げた。全員が穂先を見つめる。
「前進距離500! 全隊俺に続け!」
副隊長が槍を前方に振り下ろすや否や一斉に鬨の声が上がった。
マヤのソプラノは野太いバリトンの中で一際明瞭に聴きとれる。
指揮官の号令を受け襲撃隊が再び動き出し、全隊の馬の速度が徐々に上がっていく。
常歩から速歩へ移ると、それまで前後に揺れていた身体が、今度は上下へ跳ね始め、同時に周囲から矢や石が飛んできた。
腰がうねるように前後へ揺さぶられる。駈歩へと移行したなと感じたとき、右前の傭兵が悲鳴を上げ、馬から転がり落ちたのが見えた。
反射的にワンドを右側2、30メートル先に振り下ろした。閃光とほぼ同時に轟音が響く。
或いは左側から飛んできたのかもしれないと思い直し、左側にもワンドを振り下ろす。
道端に転がった傭兵は数秒後に立ち上がり、襲撃隊に追いつこうと走りはじめる。
誰も引き返さない。落馬した傭兵と襲撃隊の距離が時間と共に離れて行く。
今度は直ぐ左隣りを並走していた傭兵の乗馬が大きく嘶いた。被弾したのか馬の挙動が変わる。
俺は咄嗟に[物品浮揚]を唱えた。
幸い、馬から転がり落ちた傭兵は、俺が作り出した透明な板に乗ることができた。
宙に浮いた傭兵は目を大きく見開き俺を見つめている。
「そのまま透明な板から転がり落ちないように動かないでください!」
馬の後ろに追従する空飛ぶ傭兵は、俺の言葉に何度も肯いていた。
代わりの傭兵がすかさず俺の左隣を並走する。一瞬だけ視線が交差した傭兵はニヤリと笑ったように見えた。
10秒置きに左へ右へとワンドを振り下ろす。
騎馬隊の突撃に怯えたのか、近づいてくる{火球}に怯えたのか、城門前に集まっていたゴブリンたちは襲撃隊の接近と共に蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
城門前で槍衾を形成していた民兵達に近衛が指示をだすと、槍衾が左右に開いていく。襲撃隊は速度を落としながら城門に駆け込んだ。
近衛が城門を閉めよと命じる声が聞こえた直後、城門上から今日聞いた中で一番大きな声が響いた。
「まだだ! まだ閉めるな! 三分だ! 三分だけ待ってくれ! 但馬は直ぐに城門上まで走って来い!」
見上げると傭兵隊隊長が俺を睨みつけていた。
馬から降りて、強張った下半身の筋肉に[軽傷治癒]を掛ける。
変なことをしたせいか、経験したことのない奇妙な感覚が全身に纏わりついているが、それを意識から排除して城門上へと駆け上がる。後ろからマヤがついて来ているが来るなとは言わなかった。
「落馬した連中が3人、こっちに走ってきているのが見えるな! あの連中が無事に城内に入るまで援護してくれ」
俺が城門上に上がるや否や隊長は外を指差した。
「援護と言っても、[火球]や[蜘蛛の巣]は巻き込んでしまうかも知れないから、ここからだと42メートル以内に[光球]を2回光らせるだけしか出来ないよ?」
「何だ? 何か凄い魔法があるんじゃないのか? 一発派手なのをぶちかましてやれ!」
このおっさんは何を言っているんだ……
「いや。そういうのないし、本当に隠していない。これを言うのは2度目だけれど誤解があるようなのではっきり言っておくが、俺は[魔法の矢]を1本しか飛ばせない初心者だよ」
「そんな訳があるか! ん? そうなのか? ちょっと待て」
隊長は、目の前の現実と自分の常識が噛み合わないような顔をしていた。目の前で初心者を言い張る俺とのギャップに混乱している。
「弓兵に指示を出さなくていいんですか?」
「おっとそうだった」
近衛は自身の指揮下にある民兵達30人に目標を指示していた。
城門に近づこうとするゴブリンの集団で比較的密度の高い場所を剣で指し示す。
弓を持つ民兵達は斜め上、高い放物線を描く角度でバラバラに矢を放つ。
頭上から雨のように降り注ぐ30本の矢。
ゴブリンたちは盾を屋根のように掲げた。
すかさず隊長が部下の傭兵達に直射を命じる。
被弾した2体が倒れ、数体が聞き苦しい声を上げながら弱々しく逃げていく。
城内に逃げ込もうとしている傭兵の方に視線を向けると、3人いたはずが2人しか見えない。
距離は100メートルか200メートルか、日本の道路だったら白線の数でわかるのだが、目視で距離ってどうやって測るのだろう?
結局、何の援護もできず、断続的に飛んでいく矢の雨を眺めていることしかできない無力な自分を晒しただけだ。
多分50メートル以内に入っただろうというタイミングで、走ってくる傭兵の後方にワンドを振り下ろす。
「城門を閉めろ」
近衛の声と共に、木材と縄が軋む嫌な音。重い何かが擦った音の直後、暗い音が響き渡る。
門内に逃げ込めたのは1人しか見えなかった。
隊長から声が掛かる前に城門から降りた。視線は感じたが何も言われたくない。
俺にできるのは、逃げたと思われないようにゆっくりと歩くことだけだった。




