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私は、そのまま昇降口へ向かった。
背中で、教室の笑い声がまだ続いていた。
手には、ルルのヘアピンを握っていた。
銀の羽根のかたちのヘアピンは、
光を受けてほんの少しだけ、震えるように光っていた。
握った手が、ほんのわずかに震えていることに気づいて、
ぎゅっと強く握り直す。
私は、それをポケットに入れた。
でも──それを持って、ルルを探しに行く気には、どうしてもなれなかった。
何を言えばいいのか、わからなかった。
何か言っていいのかさえ、わからなかった。
だから私は、帰った。
家の扉を開けると、
テレビの音と、電子レンジの“チン”という機械音が重なって響いていた。
「ただいま」
私の声は、壁紙の模様に吸い込まれていくみたいだった。
リビングには母がいた。
ソファに沈んだまま、表情のない目でバラエティ番組を見ていた。
「お姉ちゃん、また課題の評価悪いって連絡きてたよ」
弟がゲームのコントローラーを握ったまま、こっちも見ずに言った。
「あのな、いい加減恥ずかしい思いせるなよ」
父がキッチンの奥から、氷をグラスに落としながら声をかけてきた。
“させるな”って何?
私のこと、
最初からずっと期待してないのに。
夕食は、家族分の三つの皿がテーブルに置かれていた。
私の分はなかった。
母は言った。
「今日、食べるのか分からかったから」
私は、小さく「うん」と答えた。
それで終わった。
それ以上、怒る気にもなれなかったし、
悲しいって言うには、もう遅すぎる気がした。
そうじゃなくて、
「私はこの家の中で、“いてもいなくてもいい存在”なんだな」って、
ただ、それだけが、静かに胸に降りてきた。
作らなかったんじゃなくて、
“最初から作る対象じゃなかった”んだって、
気づかないふりをしていたことを、
今さら改めて突きつけられたような気がした。
私は何も持たずに、
自分の部屋に引きこもるように入った。
机の上に、ヘアピンをそっと置いた。
明日、ルルに返さなきゃと思ったけど、
本当に明日も“ルルがそこにいる”のか、
不安になった。
「いや、きっとルルは来る」
そう思った。
というより、そう思うことにした。
それ以上、何かを想像したら、
心の奥が崩れてしまいそうだったから。
明日のことも、ルルの顔も、
ヘアピンの意味も、全部いったん封じ込めて。
私は布団を頭までかぶって、
呼吸をひとつ、深く吸った。
これ以上は、考えない。
考えたら、何かが戻らなくなりそうだったから。
そうやって、無理やり目を閉じた。
眠ったふりをして、
夢の中に逃げ込むように。