35
「……これまた、弱そうな子が来たね」
低く、けれどどこか若さの残る声が耳に届いた。
振り向くと、そこに立っていたのは、中性的な顔立ちの少女だった。
長めの髪を無造作に結び、瞳は静かに鋭く光っている。
その目が、アリスとナギを順に見据える。
「ここに来たからって、全部チャラになると思わないでね。
シェードは、安全だけど楽園じゃないから」
ナギが一歩前に出ようとしたとき──
「ナズナ、そういう言い方はやめて」
さっきまで糸を巻いていた女性──ネリが、優しくたしなめた。
ナズナと呼ばれたその少女は、肩をすくめて言葉をやわらげる。
「……怒ってるわけじゃない。ただ、“痛みのままじゃ生きていけない”ってこと、先に伝えといただけ」
その視線は、どこか自分自身にも言い聞かせるようだった。
ふと横を見ると、隣にミオが座っていた。
気付かないうちに移動していた。
膝に古びた人形を抱いた、沈黙の女性。
彼女は何も言わず、ただこちらを見ていた。
その眼差しは、壊れたものを拒まず、すべてを包むような静けさに満ちている。
何も語らなくても、彼女の“存在そのもの”が、どこか心を撫でていくようだった。
私は、不意に胸が詰まった。
──壊れたままで、ここにいていいの?
そんな問いに、「いいよ」と言ってくれているようなまなざし。
言葉ではなく、ぬくもりで伝える存在。
その隣で、ネリがそっとアリスの手元を見つめる。
「あなた、何かを守ろうとして黒くなったのね」
「……うん」
声に出してみて、ようやくそれが“事実”として自分の中に落ちた。
「でも、誰も救えてない」
ネリは、穏やかに首を横に振る。
「救えなかったからって、あなたの価値が失われるわけじゃないの。
あなたの中に、今もその子の名前が残っている。
それはもう、十分な“証”よ」
その言葉が、胸にそっと染み込んでいった。
ナギが少し居心地悪そうに、口を開いた。
「……俺は、実は価標黒くなったわけではなくて」
その言葉に反応したように、ナズナが口を挟む。
「白銀か。つまり“優等生”。
制度の中の人間が、破標を助けてここに来たってわけ?
ルールを守っているんだか、どうだか」
その言い方に、ナギが一瞬だけ顔を曇らせる。
ネリが静かに言葉をつなぐ。
「でもね、ここに来た人の中には、もともと白銀だった人もいる。私だって、昔は白銀だったわ。
“何を守ったか”が色を変えるんじゃなくて、
“どう在りたかったか”が、本当の価値を照らすのよ」
「色は、社会の評価じゃない。
これからのあなたたちが、何を見て、何を選ぶか──
“記憶と選択”で、価標は変わっていく」
私は、無意識にルルのヘアピンに触れていた。
「……私、自分のことも、価標のことも……もう、よく分からない。
でも──ルルの痛みに向き合った時だけ、
ほんの少し、自分が“何かになれた”気がしたの」
ネリが小さく微笑む。
「その感覚を、なくさないで」
ナギが、それに応えるように静かに言った。
「俺も、もう見て見ぬふりはしないって決めた。
だから……ここで、何かを始めたい」
その言葉に、ツクモがようやく口を開いた。
「ならば、シェードで過ごす間に、一つずつ思い出すといい。
君たち自身の“色”を。
本当に、欲しかった未来を」
私は、そっと目を閉じた。
──静かだけど、確かに息ができる場所。
言葉のないミオのぬくもりと、
言葉を与えてくれるネリの優しさが、
少しずつ、私の中の“壊れていた部分”を包んでいく。
この“影”の中でなら──
私も、もう一度、自分を始められる気がした。




