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けれど──
そんなことはなかった。
⸻
私は、教室に戻ってすぐ担任に声をかけた。
「ルルのことで、話したいことがあるんです」
そう言った瞬間、担任はあからさまに眉をひそめた。
「……またか。お前ら、似たようなもんだからな」
「“無色同士”でつるんで、正義感こじらせてるって噂だぞ」
「違います、ルルは──」
「ルルのことはルルの担任が見る。お前はまず、自分の色の心配しろ」
私は何も言い返せず、軽く頭を下げて教室を出た。
次に、ルルの担任を探した。廊下で見かけて声をかける。
「ルルのことで──」
「ああ、ちょっと今、他の対応中だから」
そのまま、目も合わせずに足早に立ち去っていった。
誰も、真面目に聞いてくれない。
でも──あの人なら。
私は迷わず、職員室の前へ向かった。
扉をノックすると、中から出てきたのは進路指導のサカイ先生だった。
以前の相談で、少しだけ話を聞いてくれたことがある。
「アリスさん? どうかしましたか」
「少しだけ、お時間いいですか」
サカイ先生は、表情を引き締めて会釈し、応接スペースに通してくれた。
私は、胸の中に抱えていたものを全部話した。
ルルの周囲で起きているビラのこと。
あのビラが、主犯格と呼ばれる生徒に通じているかもしれないこと。
そして、ルルの精神状態が限界に近いこと。
サカイ先生は、黙って最後まで聞いてくれた。
私は、ぐしゃぐしゃになったビラを差し出した。
先生はそれを受け取り、広げて目を通したあと、小さく息を呑んだ。
「これは……悪質だ。内容も表現も、完全に意図的だね」
その一言だけで、胸の奥がふっとゆるんだ。
「先生、これ……ちゃんと調べてもらえますか?」
「もちろん、記録に残して報告する。
学年主任にも伝えるし、ルルさんの担任とも確認をとるよ」
それでも、先生の目にはどこか影が差していた。
「……こういうの、悔しいんだよ」
私は顔を上げた。
サカイ先生の声は、どこか遠くを見ていた。
「誰かが真面目にやっても、心から行動しても、
“色の強さ”で語られた“物語”にすり替えられてしまう」
「たとえ、それが嘘でもね。
この制度では、“何色の人が言ったか”の方が、“何を言ったか”よりも強い」
「僕は教師だから、生徒の言葉に本当は耳を傾けたい。
でも……それが制度に反していたら、“教師の色”も濁る」
「正義よりも、色が優先されるこの世界が……悔しいんだ」
その言葉に、私は胸が詰まった。
サカイ先生の目には、ほんのわずかに怒りと無力さがにじんでいた。
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
よかった。
ちゃんと聞いてくれる人がいる。
ちゃんと、動いてくれる大人がいる。
「大丈夫。これで、きっと何とかなる」
自分に言い聞かせるように、私は心の中で繰り返した。
──午後の授業。
黒板に文字が走っていく。
でも、私はそのどれにも意識が向かなかった。
ルルは、ちゃんと教室に戻れたのだろうか。
耳には教室のざわめきが響き続けていた。
「あの無色の子と一緒にいたからじゃない?」
「なんか、もう価標黒っぽいって聞いたよ」
「てか、選定会どうするんだろ」
机の上のノートが滲んで見えた。
ペンを持つ手が、微かに震えていた。
“誰かが動いてくれる”って、思いたかった。
“先生にちゃんと話した”って、安心したかった。
でも──
この空気が、それを否定していた。
ここには正しさはない。
あるのは、“どの色が勝ったか”だけだ。
⸻
休み時間、廊下に出た瞬間だった。
「ねえ」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、ルルのクラスメイトの一人だった女子。
以前、ルルをいじめてた子だ。
「ルルの件で、みんな大騒ぎだよ」
私は何も答えられなかった。
「ていうかさ……そもそも、ルルの価標が黒っぽくなってきたのって、あんたのせいなんじゃない?」
彼女はわざとらしく小首を傾げながら言った。
「ずっと一緒にいたよね? 何かしたんでしょ?」
「学校中で、変な正義感おしつけてくるって有名だよ〜」
彼女が、思いついたように笑う。
「……ああ、もしかして、自分だけ“無色”なのが嫌だったからルルの価標を汚したとか?笑」
心臓がぎゅっと縮んだような感覚がした。
「そ、そんなわ…け…なぃ…!!」
何かを返そうとしても、うまく声にならなかった。
私はただ、黙って立ち尽くしていた。
彼女は、軽く肩をすくめて去っていった。
笑いながら、友達の元へ戻っていく。
私は、廊下の壁にもたれかかった。
喉の奥がつまるように苦しい。
「……私のせいなのかな」
ルルが黒くなったのは、
私がそばにいて、
何もできなかったせいじゃないか。
自分の正しさを信じたかっただけで、
“ルルの心の奥”には踏み込まなかった。
私は、友達のくせに──
ずっと、“見ないふり”をしてた。
指先が震える。
私は、何も変われてなかった。
だから、ずっと無色のままなんだ。
「……情けない」
そう思った瞬間、目の奥が熱くなった。
自分に──悔しくてたまらなかった。
放課後、ルルの行方を探している途中──
サカイ先生の姿を見つけて駆け寄った。
サカイ先生は、
ちらりとこちらを見て、気まずそうに
すぐに目をそらした。
「……すまない」
その一言だけが、宙に残った。
先生の背中は、どこか押し潰されていた。
先生は、それ以上は語らず去っていった。
私は悟った。
きっと、どこかでこの件は“なかったこと”にされたのだ。
主犯格の持つ色の濃さが、制度の中で勝ったのだ。
教師ですら、逆らえない。
この世界では──「真実」は、常に“色”にねじ伏せられる。
私は、下駄箱の前で立ち尽くしたまま、拳を握りしめた。
「……なら、私がやるしかない」
心の中で、何かが静かに燃え始めていた。
正しさを“信じる”だけでは、何も変えられない。
だったら、“戦う”しかない。
それが、私の“初めての決意”だった。




