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それからというもの、
私たちは時々、アズルの話をするようになった。
「アズルって、どんな人なの?」
屋上のベンチで、パンをかじりながら私が聞くと、
ルルは少し考えてから、首をかしげた。
「んー……性別も年齢も、よく分かんない。
でもね、不思議と“怖くない”んだ」
「あの夢の中って、静かなんだけど、
音がなくて、言葉だけがちゃんと届くって感じ」
「へえ……いいな」
私は、
胸の中が少しだけざわついた。
私の夢には、誰も出てこない。
ただ、空白と、無音と、
思い出せない朝だけが繰り返されている。
「私のとこにも出てきてくれないかな、アズル様」
そう言って、わざと“様”をつけて笑うと、
ルルもくすくすと笑った。
「ねえ、アズル様って、なんか神様っぽいよね」
「うん、もしくは願掛けの妖精とか?」
「“価標に光を宿したまえ〜”」
「“選定会で救ってくださ〜い”」
そんなくだらないやり取りが、
あの頃の私たちを、少しだけ救っていた。
そして、日々は過ぎた。
選定会に向けて、
私たちは“価標磨き”を頑張った。
ボランティアにも参加したし、
SNSでそれっぽい投稿もした。
清掃当番は全力でこなし、
感謝の言葉も、意識して口にした。
でも──
私の価標は、
無色のままだった。
ルルの価標は、あれ以来ずっと、
うっすらと、淡い色をまとったまま変わらなかった。
それでも、私たちは毎日同じベンチに集まって、
「今日はどうだった」
「あの先生、見てたかな」
「アズル様に願ってみよっか」
そんなふうに、
笑ったり、ため息をついたりしながら過ごしていた。
放課後。
「ごめん、先帰ってて」
ルルと屋上で別れた後、忘れ物を取りに
教室に向かった。
校舎の廊下を歩いていると、
階段の踊り場に誰かが立っていた。
一瞬、誰か分からなかったけれど──
その生徒は、こちらに気づくと
静かに目線を向けてきた。
長めの前髪の奥に、
鋭いようで、どこか寂しげな目。
制服の左腕には、**薄く光る“白銀の価標”**があった。
名前を思い出すのに、少し時間がかかった。
ナギ──
私と同じ学年で、たぶんルルと同じクラスの子。
無口で、目立たなくて、
けれど、なぜか時々“妙に大人びた目”をしている子。
私と目が合った瞬間、
ナギはふと、階段の下を見た。
そして小さく、口元で何かを噛みしめたように、
小さく息を吐いた。
「……明日来ない方がいい」
ぽつりと、そんな言葉だけを残して
ナギは階段を降りていった。
すれ違いざま、
ナギの制服の袖がふわりと揺れて、
白銀の価標が淡く光った。
誰かの話し声が、階段の下から漏れていた。
「──明日の朝が山場だな」
「あの無色女、勝手に正義ぶってバカだよな」
「あの件、押しつけられれば十分」
私は立ち止まった。
声が誰のものか、すぐに分かった。
あの“強い色”の男子生徒たち。
私の心に、
小さなざらつきが残った。
でも、私はそれ以上、
何も聞かないふりをして歩き出した。
それが──
この日、最後の選択だった気がする。
選定会の前日を迎えた。
明日、価標が何色になるのか。
その“結果”だけで、
私たちの進路も、扱われ方も、
すべてが決まる。
明日、私たちは“何色の人間”として、
名前を呼ばれるんだろう。
ルルの価標は、まだ微かに光っていた。
私の胸元は、
今日もまだ、静かなままだった。




