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「僕、聞いたことがあるよ」
グレーの子が、机の縁を握りしめながら言った。
「君の家族が、“価標を直す薬”って言って……
高い金を取ってたって。詐欺だって──」
教室が静まり返った。
一瞬だけ、空気が凍る。
けれど、次の瞬間には、
誰かが吹き出した。
「は? 何言ってんの、こいつ」
「うわ、出たよ、グレーの逆恨み」
「またかよ〜。妄想まで黒寄りとか、まじで重症」
笑いが連鎖する。
誰も、信じようとしなかった。
主犯格の男子は、鼻で笑った。
「は? お前、なにそれ。証拠あんの?」
「ないくせに、そういうの“デマ”って言うんだよ?」
「名誉棄損って知ってる? まあ、お前に法律は早いか」
そう言って、わざとらしくため息をつくと、
彼の価標が、またわずかに光を強めた。
教室中の空気が、また“彼の側”に傾いていく。
私は、ネームタグを無意識に指でつまんでいた。
そこに“何も刺繍されていない”ことが、やけにリアルに感じられた。
隣で立ち尽くしていたルルが、ぽつりとつぶやいた。
「皆、わかってるのに……」
声は震えていた。
「主犯の子が嘘をついてるって、
うすうす気づいてるのに、誰も言えない。
言ったら、自分の価標が濁るから」
そう。
この世界では、正しい言葉より“誰が言ったか”の方が重い。
グレーの子の手が、震えていた。
顔を伏せて、何かを飲み込むように、唇をかみしめていた。
その時だった。
「マジで、そういう“妄想”って、標に出るんだよね」
主犯格が、ひとことそう言った。
瞬間──
教室の空気が、急に重たく沈んだ気がした。
私は、グレーの子のほうを見た。
制服の胸元にあるはずの価標。
そこにある“形”は、私からはよく見えなかった。
でも──
彼の体のまわりに、何かがじわじわと滲み出していた。
最初は気のせいかと思った。
光の加減か、目の疲れか。
けれど、確かにそれは存在していた。
黒い“影”のようなものが、彼の肩から背中に、ゆっくりと広がっていく。
呼吸するたびに、それは濃く、重く、
まるでインクが水の中に垂れていくように──
彼の“存在そのもの”を黒く塗り潰していった。
私は言葉を失った。
誰も気づいていない。
誰も、見えていない。
でも、私の目にははっきりとそれが見えた。
“心が塗りつぶされていく音”が、聞こえた気がした。
彼が今、価標を黒く染めているんじゃない。
染められている。
この教室の空気に、この言葉に、この世界に。
彼は、まだ何もしていない。
ただ、生きているだけなのに。
黒くなっていく。
それが、あまりにも静かで、
あまりにも悲しかった。




