10
昼休み、屋上に続く階段の途中で、ルルはぽつりと言った。
「私さ、グレーの子を助けようと思ってる」
私は一瞬、意味が分からなかった。
「……誰のこと?」
「隣のクラスの子。いつも窓際の席で本読んでる男子。
顔もしゃべり方も静かで、あんまり誰とも話さないんだけど……」
ルルは階段の手すりに手をかけて、遠くの空を見た。
「最近ずっと、机に落書きされてるの。
“黒予備軍”とか、“近寄るな”とか……」
私はその言葉に、胸の奥が冷たくなった。
「やめといた方がいいよ。
そういう子と関わると……黒、うつるって」
黒がうつる。
自分でも、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。
口から出た瞬間、
まるでそれが“誰かの言葉”みたいに、耳に刺さった。
ルルの目が、ほんの一瞬だけ揺れたのが見えた。
言葉の続きを探そうとしたけど、うまく出てこなかった。
“うつるわけない”って、自分でも知ってるのに。
誰かと同じように、
恐れて、避けて、
黒に近い誰かを「触れてはいけないもの」として扱っていた。
私だって、
無視されて、価値がないって言われて、
苦しかったはずなのに。
なのに今、
誰かをその“下”に押しつけようとしてた。
「……ごめん」
声にならない謝罪が、心の中でぽつりと落ちた。
「うつるわけないじゃん」
ルルは少し笑った。
「黒に近いからって、みんなで無視して、いじめて……
それ、私たちがやることじゃないでしょ」
「でも、それでルルに何かあったら──」
「たぶんね、助けたら価標に色がつくと思うんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私は返す言葉を失った。
それは、優しさのようでもあったけど、
必死な“願い”のようでもあった。
「わたし、やってみる。
明日の昼、あの子と話してみるつもり」
そう言って、ルルはヘアピンをつけ直した。
「こうでもしないと、私きっと変われないから」
その目は真剣で、
どこか晴れやかで、
この数日で一番“生きている”顔をしていた。
嬉しかった。
こんなふうに前を向いているルルを見るのは、久しぶりだったから。
私たちみたいな無色の人間が、
誰かを助けようとしてるなんて、
それだけで、ほんの少し救われるような気がした。
だけど。
胸の奥で、小さなざらつきが残った。
この世界は、善意だけでは動かない。
誰かを助けたからといって、
色がつくとは限らないし、
見てもらえるとも限らない。
むしろ逆に、
黒に近い誰かに手を差し伸べたことで、
ルル自身がその“隣”に落ちてしまうかもしれない。
そう思ってしまう自分も、
嫌だった。
でも、
それでも、
ルルにはうまくいってほしいと思った。
報われてほしいって、本気で思った。
だから私は、何も言えなかった。




