第七章 境界の消える夜
夜は静かだった。
外では桜が風に揺れていて、街の灯りに照らされて舞う花びらが窓の向こうでふわりと踊っていた。
日向の部屋はいつもよりも薄暗く、間接照明のやわらかな灯りが、ふたりの影をぼんやりと浮かび上がらせていた。
その空気に、美由紀はすでに何かが変わりはじめているのを感じていた。
「……緊張してる?」
日向の声は、かすかに揺れていた。
それは、美由紀自身の胸の中と同じだった。
「……少しだけ。でも、怖くはない。
いまは、あなたに触れられるのが……ちゃんと、嬉しいって思ってる」
目を伏せた美由紀の頬に、そっと日向の指先が触れる。
それだけで、肌が熱を帯びていくのがわかる。
「何も急がないよ。君が望むかたちで、君のままでいて」
日向の言葉は、まるで静かな波だった。
触れては引き、またやさしく満ちてくる。
シャツのボタンを一つずつ外されていくたびに、
“見せてもいい”と思える自分に、美由紀は少しずつ近づいていく。
“身体の境界”が、溶けていく――
それは、誰かに何かを許すというよりも、
自分自身を“認める”ということだった。
胸に触れる指、首筋をなぞるくちびる、目を閉じるその一瞬に。
「男」と「女」という二項の境界が音もなく消えていく。
「……美由紀、きれいだよ」
日向の言葉に、かつてないほどの羞恥と、しかしそれ以上の安堵が心を満たした。
「ありがとう……わたし、やっと、自分を信じられそう」
静かな夜だった。
けれどふたりの心は、確かにひとつの“岸”を越えていた。
自分を受け入れること。
他者を信じること。
境界を越えることは、終わりではなく、始まりだった。
その夜、美由紀は初めて、自分の身体を憎まなかった。
第8章「朝の光の中で」では、境界を越えたその翌朝、
“女性として目覚める朝”の感覚、
そして新たな一歩を踏み出す美由紀の姿が描かれます。