第五章 触れあう輪郭
「美由紀って、ほんとに肌きれいだよな」
日向がぽつりと言ったのは、ソファで隣同士に並んで映画を観ていた夜だった。
肩と肩が軽く触れ合い、足先がかすかに絡まる。
ふいの言葉に、美由紀は一瞬息を呑んだ。
「え?そんなことないよ……ホルモンのせいかもしれないけど」
「ううん。ちゃんと、“美由紀”になっていってるんだなって思う。見ててわかるよ」
その言葉がくすぐったくて、けれど少しだけ怖かった。
“見ててわかる”と言われるたび、いつか“見た目だけじゃない何か”まで見透かされてしまいそうな気がして。
――それでも、触れ合いたいと思う自分がいる。
「……ねえ、日向は、わたしのどこまで……受け止められる?」
沈黙。
「身体が、変わっていっても?
完全には“女性”になれない部分があっても、それでも?」
日向は、ほんの少しだけ息を吸い込んで、美由紀の手を握った。
「……“男だから”好きになったんじゃない。
“女になろうとしてる”から受け止めてるわけでもない。
オレは、“美由紀”を見て、知って、惹かれたんだよ」
その言葉に、心の奥がじわりと温まった。
でも同時に、美由紀は自分の内側で、複雑な感情の波がうねっているのを感じていた。
好きになってくれたことが嬉しい。
けれど、“美由紀として”見られることが、まだどこかで怖い。
夜が更けるにつれて、ふたりの距離はゆっくりと近づいていく。
唇が触れるその一瞬前、ほんのわずかに、心が揺れる。
美由紀は目を閉じて、静かに呟いた。
「お願い……そのままでいて。今は、これ以上は……まだ、こわいの」
日向の手はそのまま、美由紀の手を包み込むように握りしめた。
「うん、わかったよ。急がなくていい。
オレは、ちゃんと“待つ”ってことも、できるから」
それがどれほど美由紀を安心させたか、彼は気づいていなかったかもしれない。
けれど確かに、その夜、美由紀の中でひとつの“壁”が静かにほどけていった。
次章「第6章:名前を越えて」では、美由紀が“名前”や“記号”を越えて、自分自身の存在と他者との関係性にどう向き合っていくかが描かれます。
心の奥底にある「わたしは誰か?」という問いと、他者との関係で見えてくる新たな自画像。