表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/14

第九章 わたしという居場所

午後の風が、オフィス街のビルのすき間を縫うように通り抜けていく。

その風にスカートの裾を軽く揺らしながら、美由紀は歩いていた。


ふと、ショーウィンドウに映った自分の姿に目をとめる。

控えめなブラウス、落ち着いたスカート、首もとを飾る小さなペンダント。

どれも、以前の“てつ”には縁のなかったものばかり。


だけど、そこに映るひとが“わたし”であることに、いまはもう迷いがなかった。



週に数回だけ、契約スタッフとして通い始めた小さな出版社。

事務職としての業務は主に入力と資料整理、電話の応対が少し。


名刺には「美由紀」とだけ書かれていた。

姓は伏せていた。

本名を出すことに抵抗があったわけではない。

ただ、美由紀として、ここに存在したかった。


「美由紀さん、これ明日までにファイル分けお願いできます?」


「はい、承知しました」


自然にそう答える自分に、美由紀は少しだけ驚く。

少し前の自分だったら、声が震えていたかもしれない。


けれど、ここでは誰もが名前で呼び、仕事で見てくれる。

“性別”ではなく、“人”として。


――たったそれだけのことが、どれほど支えになるか。


同僚の由梨が、コーヒーを持ってきてくれた。


「疲れてない? 最近ちょっと忙しそうだったから」


「ありがとう。だいじょうぶ。まだ、がんばれる」


湯気の立つカップを両手で包むと、手のひらにあたたかさが移った。


それはコーヒーの温度ではなく、きっと、人からもらった“気づかい”のぬくもり。



その日の帰り道。

美由紀は電話で日向と話した。


「今日ね、少しだけ……自信がついた気がする」


「いいことだ。美由紀はちゃんと、まっすぐに進んでるよ」


「わたし、ちゃんと“居場所”を作れるかもしれない。

 “わたし”として、生きていくことに、怖さが減ってきた」


「それは……たぶん、“愛されてる”って実感があるから、じゃない?」


少し黙って、美由紀は頷いた。


「……うん。愛されてるって思えると、自分のことも信じられる。

 そんな気がしてる」


夜風がそっと吹いて、髪が肩をなでるように揺れた。


歩道の街灯が灯りはじめる時間。

その灯りの下で、美由紀はもう一度、鏡のようなショーウィンドウをのぞき込んだ。


そこには、きちんと前を向いて立つ“自分”がいた。

名前も、姿も、声も――そして生き方も、“わたし”そのものだった。

**第10章「告白と選択」**では、美由紀が「過去」と「現在」のはざまで揺れる中で、

とある“古い友人”との再会を果たします。

「てつ」として過ごしていた日々を知るその人物との対話のなかで、

彼女は“過去を否定すること”と“受け入れて進むこと”の狭間に立たされていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ