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聖バレンタインを処刑した皇帝 -バレンタインデー誕生秘話-

作者: シロクマ

 マルクス・アウレリウス・クラウディウス・ゴティクスは時のローマ皇帝である。

 彼は後に、聖バレンタインを処刑した男として後世の物語にしばしば登場する。

 バレンタインデーの由来についてはご存知だろうか。

 恋人たちの守護聖人としてなぜ聖バレンタインが信仰され、処刑されるに至ったか。

 まずはその話について物語ろう。



 聖バレンタインが絞首刑に処せられたのは269年2月14日、ローマでのこと。

 時のローマ皇帝クラウディウス二世は戦時下にあって兵士の結婚を禁じていた。


 これを不憫に思い、キリスト教の司祭バレンタインはとある兵士と恋人の結婚式を執り行い、そのせいで捕まり、処刑されるに至った。

 現代の我々にとっても、当時の人々にとっても、これは心を痛める出来事だろう。


 ローマ皇帝クラウディウス二世は“見せしめ”に司祭を殺めたのだから、これを後世に世紀の悪役として語り継いだとて致しからぬことである。


 しかし、当時の人々にとって本当に彼は悪人だったのだろうか。

 残虐非道な軍人皇帝だったのだろうか。


 それについてはしばしご一考いただきたい。

 

 

 現代においてはキリスト教が西欧の主たる信仰宗教として知られている為、その司祭を処刑するというのは罰当たりもいいところである。

 比叡山延暦寺を焼き討ちした織田信長のような所業に見えるかもしれない。


 しかし歴史に詳しい人はご存知であろうが、この時代、キリスト教はローマ帝国においてたびたび迫害される立場にあり、主たる宗教ではなかった。

 なぜならば、ローマにはローマ神話があったからだ。


 例えば、ローマの建国者ロームルス王は軍神マルスを父親として語られている。

 軍神マルスはギリシャ神話の軍神アレスと同一視される神なれど、あちらでは悪しざまに語られやすいのに対して、こちらでは主神に近い好待遇で語られている。


 とかく、当時のローマの人々にとって、ローマの神々は篤い信仰対象だった。

 国の成り立ちも、自然の恵みも、死後の安寧も、ローマの神々が司るものだった。


 一方、キリスト教も少しずつ信仰の広がりを見せていた。

 ローマ帝国は当初、他の宗教に対してと同じように寛容な姿勢を見せ、はじめのうちはこれといって弾圧などをすることはなかった。


 しかし宗教である以上、その違いが軋轢を産むことはやはり時にはあった。

 とくにキリスト教徒はローマの法をいくつか守らない傾向があり、これが問題視された。

 特にローマの神々への捧げ物を拒むことは、キリスト教徒の信仰としては正しくも、帝国の法を破る反社会的行動であり、危険視されるのも当然だった。


 あなたが農民であったとして、大地の恵みを神に祈る催事にお供えものをする時、その農耕の神様を偽りの神だ、悪魔だと暗に言われているようなものだ。

 そこに法律に反するという悪徳を見い出せば、異教徒を非難したくもなるだろう。


 つまり、この当時のローマ帝国にあって、聖バレンタインの執り行った結婚式というものはローマの神々をないがしろにして、国内の法律に真っ向から背き、異教の神の名のもとに兵士と恋人の婚姻を認めさせるまさに不届きな行いだったのだ。

 そしてこの時代、絞首刑といった見せしめはしばしば娯楽として扱われている。


 聖バレンタインの処刑は嘆き悲しむ人々も多かったであろうが、ローマ市民のある程度はイカれた邪教の司祭を処断する正義の行いだとみていた。

 ローマの神々へ敬意を払わないキリスト教徒へ不満を募らせていた民草にとっては、さぞスカッとしたことであろう。


 であるならば、時のローマ皇帝クラウディウス二世はむしろ称賛されたことだろう。

 闘技場として有名なコロッセオでは、しばしばこうした処刑が行われた。

 ローマ市民にとっては娯楽であり、そしてキリスト教徒には殉教は名誉なことであり、後につづく信仰のために自らの死が劇的であることを望んでいた。


 聖バレンタインはこの処刑を、不本意だと思ってはいなかったはずだ。

 こうなるとわかっていても、己の信仰と恋人たちのために結婚式を執り行ったのだ。


 コロッセオを包む大歓声の中、むしろ彼は誇らしかったに違いない。

 皇帝クラウディウス二世とは、あるいはこのようなやりとりがあっただろうか。


「ローマの神を敬わぬ狼藉者よ、なにか言い残すことはあるか」


「……ございません、皇帝陛下」


「俺を皇帝として認めるか。今ならば、ローマの神々の御前にて悔い改めるならば、その命を助けてやらんこともないが、どうする」


「……今更命乞いをするような信心ならば、この場には至りませんとも、陛下」


「であるか」


 ローマ皇帝クラウディウス二世は、英雄である。

 ゴート族(ゲルマン民族)の北方襲来を、ナイススの戦いにおいて退けている。

 国難を乗り切り、侵略戦争を返り討ちにして大勝に導き、ローマに栄光をもたらした。


 死後、クラウディウス二世は歴代の優れた皇帝と同じく神格化されるに至る。

 聖バレンタインは、後に神と崇められる英雄に抗ったのだ。


「俺が兵士の結婚を禁じたのは士気を保つためだ。北方の蛮族どもに土地と家族を奪われる悲劇に見舞われる人々を増やさぬためには、兵士は強くあらねばならぬ。貴様がやった行いは、兵士を堕落させ国を陥れることにすぎぬ。そのように俺は再三にやめるよう警告したが、ついに聞き入れることはなかったな」


「国のためだとしても個人のささやかな幸福は守られるべきです、陛下」


「その結婚する同僚を見た兵士はどう思う? 所詮、貴様はローマのために戦わぬ異教の司祭、軍人上がりの俺とは相容れぬ。やはり貴様を絞首刑に処す。その強情さだけは買ってやるがな。……やれ」


 こうして殉教者は聖人となった。

 諸説あるが、269年2月14日のことだとされている。





 ローマ皇帝クラウディウス二世の死去は270年1月であったとされる。

 その在位はたった二年間にすぎない。


 268年の即位後まもなくナイススの戦いを自ら出陣して制して、ゴート族を征した者という意味の「ゴティクス」の名を得た。数カ月後に別のゲルマン民族を迎撃、またガリア帝国とも戦っている。

 そして269年にはヴァンダル族が来襲、この戦いの最中、病に掛かり270年一月に亡くなったとされている。


 であるならば、聖バレンタインの処刑は、短い任期のうち、ごく短い戦争帰りの帰国中の戦士の休息の最中であったことになる。

 クラウディウス二世は自ら戦いに赴き、勝利を勝ち取るためにそれ相応の覚悟をし、苦心をしていたことだろう。


 その真っ最中に、聖バレンタインは異教の神の名のもとに禁じていた兵士の結婚をたび重ねて執り行ったのだからクラウディウス二世の激怒は理解しうるものではないだろうか。


 そして彼は戦地にて病に苦しみながら死んでいる。


 これを聖バレンタインを処刑した残虐非道な軍人皇帝の、因果応報というべきか。

 はたまた、ローマの神々と市民に尽くした男の名誉ある死か。

 



 2月14日は、ローマ帝国では結婚と家庭を司る偉大なる女神ユーノーの祝日だった。


 ローマ建国の王ロームルスの父、軍神マルスの母親がユーノーである。

 六月の女神とされ、「ジューン・ブライド」などの六月に結婚することを縁起がいいとする風習は、このユーノーの加護に由来する。


 聖バレンタインは、あえてこの2月14日に神々への生贄として処刑されたのだ。


 一説に、この逸話はローマ教会が作ったとするはなしがある。

 ローマ神話土着のお祭りを、ただ禁止してはキリスト教への反発を招きかねない。


 そこで2月14日のお祭りを、聖バレンタインが殉教した日だとして、女神ユーノーの祝日と合一化することでローマ神の祝日をキリスト教の祝日に塗り替えたのだ。


 栄枯盛衰。

 このようにしてかつて信仰されたローマの神々は零落していった。


 時は流れて現代、日本。

 我々はこれといってローマ皇帝クラウディウス二世や聖バレンタインの、己の信念を貫いたかもしれない者達のことなど露知らず、親しいものにチョコを贈ったりする。


 我々は軽率に義理でもなんでもチョコを贈ればよいのである。


 今この時、我々は殉教のために命を賭すこともなく、戦争のために命を賭すこともなく。

 甘いチョコレートで気軽に祝日を楽しむことがゆるされるのだから。


 それは聖バレンタインにとっても、クラウディウス二世にとっても、彼らが望んだ好ましい平和な市民の暮らしであろうはずだ。

毎度お読みいただきありがとうございます。

お楽しみいただけましたら、感想、評価、いいね、ブックマーク等格別のお引き立てをお願い申し上げます。

ちなみに筆者はブラックよりホワイトチョコレート派です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] クラウディウス二世の気持ちも聖バレンタインの気持ちもよく分かるのに、宗教や戦争が絡むとややこしいものになりますね。 お互いを尊重する、平和が一番大事ですし、価値観があまりに違ったら、そこか…
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