奴隷令嬢の鎖自慢
最後までお付き合い頂けたら、幸いです。久々の異世界恋愛です。
「なぁ。アンタも南部に逃げる口かい?」
馬車の中。私と同じ様な襤褸を着た少年が、満面の笑みを浮かべながら尋ねて来た。幾らか欠けた歯が、彼がどの様に扱われて来たかを物語っていた。
「そうよ。私みたいな落ちこぼれは、北部ではマトモに扱われないから」
「ヘヘッ。でも、それも今日で終わりだ。何でもかんでも自分で手に入れなきゃならない北部と違って、南部じゃ仕事も飯も住む所も貰えるらしいぜ」
「その代わり。自由が無いとは聞くけれどね」
「自由が何だって言うんだ。えらい奴らが言う自由のせいで、俺達は酷い目に遭ったんだか、ら……」
今までの出来事を思い出したのか、途中で言葉を途切れさせた。私はそんな彼の傍へと移動して、そっと抱きしめした。
「大丈夫。貴方が言う通り、きっと南部に行けば救われるはずよ」
「そう、だよな。うん。だよな! ありがとう。俺、トムって言うんだ。姉ちゃんの名名前を教えて欲しいな」
「私の名前は、アーネットって言うの。向こうでも一緒になれると良いね」
ガタンと馬車が揺れた拍子に頭部を覆っていた布が外れた。露わになった素顔を見て、トムだけではなく同乗者達も溜息を漏らしていた。
「綺麗……」
「ありがとう」
顔だけは、両親から譲り受けた唯一の物と言っても良いだろう。それも、もう少しで必要なくなるのだから、嬉しさの様な感情も沸き上がらない。ただ、胸の中にすっぽり収まっているトムの体温だけが有難かった。
#
馬車に揺られて南部に入ると、緑が生い茂る農園が多々目に付いた。
そこで働く人々は様々で、女子供から廃兵と思しき人達までいた。トムを始めとした皆が期待に胸を馳せていた。
「すげぇ! 見てよ、姉ちゃん! あっちじゃ俺と同じ位の女の子が働いている! おーい! あ、手振り返してくれた!」
私もトムと同じ様に手を振った。やがて、馬車はとある場所で停まった。
この農園の主が住まう屋敷。その前には、私達が乗って来た物とは別の馬車が停まっていた。軍服に身を包んだ男達に挟まれて、紳士服を着た初老の男性が降りて来ました。軍人と比肩する程の体躯を持っており、凄まじい程の威圧感を放っています。
程なくして、屋敷から男性が出て来ました。こちらは対照的に、跳ねた癖っ毛から分かるように、少々間の抜けた雰囲気の持ち主でした。
「ようこそ、お越しくださいました。リムカル・マーティス殿。今日は、来訪の予定が無かったとは思うのですが……」
「セス殿が奴隷に対して真摯な扱いをしているかどうかを視察しに来たのだ。我々、北部の人間は自由を尊ぶのでな。して、話は考えて貰えたか?」
「奴隷解放。ですか?」
「そうだ。人々は自由の下、競争し、前に進んで行くべきなのだ。奴隷制度は一部の権力者が多くの意思を奪っている。これでは互いに研磨し合うこともなく、停滞が生まれるだけだ」
馬車に乗っていた人達が、リムカル様に恨みがましい視線を向けていました。この場に居る人達は皆、競争の末に蹴落とされて逃げざるを得なかった者達です。その象徴たる人物に恨みが向くのは当然のことでしょう。
「お言葉ですが、世には自分の意思だけでは進めぬ者もいるのです。リムカル殿の様な高貴な方々が、彼らに道を示すのも使命ではありませんか?」
「自分の意思で歩ける者に対してはな。中には何を命じても碌に動かぬ、本当のクズがおるのだ。例えば、そこにいる者達のようにな」
リムカル様の射貫く様な視線がこちらに向けられました。先程まで睨んでいた者達は皆、あらぬ方向へと視線を逸らします。そんな私達を、彼は鼻で笑っていました。
「リムカル殿は彼らが排除されるべきだと?」
「そうだ。役立たずは死ねばよい。その末路を見せることで人々の危機感を沸かすことが、唯一奴らに出来ることだ」
「奴隷解放を謳う割には、随分と差別的な様に思えますが」
「いいや、これほどの温情もあるまい。奴らがこの世に生まれてしまった苦しみから解放してやろうというのだからな」
「そう言う提案でしたら、飲み込めませんね。お引き取りをお願いします」
事を荒立てるつもりはないのか、リムカル様達は馬車に乗って去って行きました。……すれ違いざま、私の方を一瞥しながら。
「なんだよ、アイツ!!」
「トム。気にする必要はないわ。行きましょう」
改めて、私達は屋敷へと辿り着きました。慌てた様子でセス様が出迎えてくれました。
「ようこそ、セス農園へ。俺は君達を歓迎するよ」
ワァっと歓声が沸き上がりました。他の奴隷達に案内されて、私達は農園へと入って行くのでした。
#
改めて、私達は自由を捨て去り『奴隷』と言う身分になりました。
基本的に男性は農園での仕事で、女子供は召使でしたが。セス様に希望をすれば、農園の方で肉体労働に従事しても良いそうです。
私は所有物であることを証明する為に付けられた、首輪を撫でながら作業に従事していました。こういった作業は慣れた物で、皆からは歓迎されていました。
「アーネット、アンタは北部の出身だったね。よく働くし、器量も良い。どうして南部へと来たんだい?」
年長者であるミランダさんが私に尋ねて来ました。他の人達も同じ疑問を抱いていたのか、興味深そうにこちらを見ています。
「私には優秀な姉が居たんです。会社を立ち上げ、貿易で多大な利益を上げて、数々の発明もして来て。……そんな彼女に比べたら、私は特に何かが出来る訳でも無くて、ただ言うことを聞くだけしか出来なくて」
姉は才女であり、他者を顧みない人でもありました。会社を立ち上げて、幾人もの人間を使い潰し、貿易では不平等な取引を押し付けて築いた財で囲い込んだ者達を使って、数々の発明品を作らせてきました。
「ご両親は何か言わなかったのかい?」
「むしろ、精々していたみたいですよ」
他者から奪い取ることも出来ない私は要らない人間だった様で。この南部へと送り込まれていました。
「全く、こんな良い子を放り出すなんて何を考えているんだい!」
「それが北部ですから。……だから、こうしてミランダさんや皆に褒めて貰えて。私、凄く嬉しいです」
これは嘘偽りのない本音です。ちゃんとするべきことを示してくれて、上手に出来れば褒められる。北部に居た頃には、決してすることのない体験でした。
「あんたって娘は……。よっし! 旦那様に相談して、今日は歓迎会をしよう!」
「良いのですか?」
「良いってことさ! 旦那様は話の分かるお方だ。それに、アンタと話してみたいとも言っていたしね」
心臓がキュッとします。極力、目立たない様にしていましたが目を付けられる様なことをしてしまったのでしょうか? 私の心配も他所にミランダさんはノリノリでした。
「よっし! じゃあ、今日は仕事を早めに終わらせよう! 皆、頑張るよ!」
皆が威勢よく返事をするのに合わせて、私も控えめに声を上げました。ここにいる人達は皆優しくて良い人だなぁと思いました。……だからこそ、私の胸の奥はシクシクと痛みました。
#
「美味しい! 姉ちゃんもこれを食べてみて!」
「トム。急いだら、喉を詰めてしまうわ」
その夜のことです。作業を早めに終わらせて、歓迎会が開かれました。
出て来る食事は、北部の物と比べて質素で素朴な物ばかりでしたが、何処か安らぐような優しい味がしました。トムや皆との歓談を楽しんでいると、ふと声を掛けられました。
「楽しんでいるかい?」
「セス様。はい、それは勿論」
そう言えば、私と話したいとも言っていました。一体、私にどの様な用件があるのでしょうか?
「良かった。ミランダからも、よく働いてくれていると聞いている」
「皆様が良い人だからです。『自分で考えろ』とか『見て覚えろ』等と言わず、ちゃんと教えてくれますから」
「北部は噂以上なんだな。君の口から、どんな所だったかを聞きたい。場所を変えよう」
他の人からも聞けると思うのですが、どうして私なのでしょうか? それとも、夜伽の為の口実かもしれません。
場所を変えて、人気の少ない場所へと移動すると。セス様は幾らか、佇まいを正して、私と向き合いました。彼が口を開くのを待ちます。
「北部はどんな場所だったんだ? 超競争社会とは聞いているが」
「そうですね。北部はとても自由な国です」
身分も生まれも関係なく、才能と実力さえあれば誰もが認められる国。逆に言えば、才能と実力が無ければ身分も生まれも何の保証にもならない場所。
「権力を手にさえすれば、無能な人間をどの様に弄んでもいい。だって、それが彼らの自由ですから」
「他者を侵害する自由ね。随分、崇高な理念だ。例えば、ソイツは権力者の令嬢であっても同じことか? マーティス・アーネット嬢?」
私の本名を知っている。と言うことは、私が何者かと言うことも知っているのでしょう。急いで、この場から逃げ出そうとして腕を掴まれました。
「奴隷解放を謳う男が、娘を奴隷として送り込んで来るなんて、ただ事じゃない。君の話を聞かせて欲しい」
単純に力の差でも勝てませんでしたし……先程の歓迎会での皆の笑顔を思い出すと、逃げ出そうという考えすらなくなるのでした。
「そうです、マーティス・リムカルは私の父です。そして、私は。父の奴隷解放を助力するべく、送り込まれました」
「奴隷解放の助力を? 一体、何をするつもりだったんだ?」
「……明日、父の遣いの者がここを訪れます。私は無残に殺されて、奴隷と化した娘が非人道的な扱いの末に殺された。と言う、大義を持った父が奴隷解放を建前に、南部へ進出するという目論見です」
南部は奴隷労働による大規模農園が盛んであり、一部の権力者達による協定的な経営が行われています。幸いにして、彼らは北部の惨状を知っている為。持続可能で緩やかな経済を行う為の取り決めが作られています。
そんな彼らの存在が北部としては目障りなのでしょう。競争を是とする彼らとしては、奴隷と言う逃げ場所である南部を潰したいのです。
「君は、それに賛同したのか?」
「だって、生きていても良いことなんて無いですし。誰かを傷付けて、蹴落として、嘲笑うことでしか生きられないなら。もう、楽になりたいと」
父の提案を拒否する気はありませんでした。どうせ生きていても侮蔑と苦痛に満ちた生でしたから。南部に迷惑を掛けることについても何とも思っていませんでした。早く解放されたい、と言う一心だけだったから。
もしも、望むことがあるなら。私が上手に死んだときに父が褒めてくれるか。と言うことだけでした。実際、ここに初めて来たときの父はそう言っていましたから。
「今も、そう思っている?」
「……最近、トムがよく話をしてくれるんです。エヴァンって子と仲良くなったこと、周りの大人達と一緒に働くのが楽しいこと。将来は、セス様みたいな人になって、同じ様な境遇の子を助けてあげたいって」
「それは嬉しい限りだ。トムならできるよ」
「ミランダさんもとても優しくて。この間は、一緒に木の実のパイを焼きました。正直、北部の物と比べて味もあまり良くなかったけれど。とても美味しかったです」
「そうだろうな。北部の物は品が良いからな。向こうはシェフの腕前もいい」
北部であった嫌なことは殆ど思い出せなくなっているのに、ここに来てからの楽しかったことは幾らでも話すことが出来て。何時の間にか、言葉一緒に涙が溢れて、本音も零れました。
「私、ここで生きたいんです。生きていても、良いんですか?」
「良いよ。君は俺の奴隷だ。勝手に死ぬなんて、絶対に許さない」
決して、手放さまいとキツく抱きしめられました。こうして、誰かに抱擁されたのは初めてかもしれません。私はここに居ても良いんだと。
「ですが、明日には父の遣いが来ます」
「なぁに、俺に考えがあるんだ」
私は父の計画を洗いざらい話しました。すると、セス様は会場へと戻って、先ほどの話を皆に打ち明けました。これには、皆が憤りの声を上げました。
「連中はアーネットちゃんのことを何だと思っていやがる!」
「腹立たしいだろう! だから、皆! 俺に協力をしてくれ! そして、北部の奴らに一泡吹かせてやろう!」
反対する人は誰も居ませんでした。皆が私のことを想ってくれているんだと思うと、不思議なことに涙が出て来ました。けれど、とてもしあわせな気分です。
#
「来たようだな」
翌日、父の計画通り。例の遣いの者がやって来ました。唯一、私が想像していなかったことがあったとすれば。
「いやぁ、やっと貴方を消せると思って。私、今日を楽しみにしていたの」
「リベア姉様」
「姉様って呼ばないでくれる? 汚らわしい」
全身が竦む。徹底的に仕込まれて来た上下関係と恐怖が呼び起こされ、息が詰まる。そんな私の様子を、姉様は心底楽しそうに見ていた。
「貴方の様な無能が、最後の最期でようやく私達の役に立てるの。だから、丹念に殺してあげるからね。そうね、ここは農園だから最後には貴方を果実にして上げましょう。あの樹に吊るせば、奇妙なフルーツの出来上がりよ」
傍に控えていた者達が鞭を取り出した。奴隷の調教として使われるステレオタイプな道具なだけに、プロパガンダにはピッタリでしょう。
チュニックを剥ぎ取られ、何度も打たれる。体に痣として、言い逃れが出来ない証拠が残ったのを見計らって、叫んだ。
「皆! 助けて!!!」
「は?」
周囲に潜伏していた皆が姿を現した。誰もが憤りを堪えていた。代表する様に進み出たセス様が、私を庇う様にして立った。
「お初にお目に掛かります。リベア様、一体。私の所有物に対して、何をなさっているのですか?」
「……何のことかしら? 私は何もしていないわ。コイツらが勝手にやっただけよ。そうよね?」
「はい。その通りです」
彼らは毅然としている様に見えて、注視すれば額に脂汗を流している様子が見えます。姉様から命じられたことを実行しただけですが、権力者には逆らえないという北部の因習がありありと表れていました。
「私は奴隷になった妹の様子を見に来たの。あぁ、こんなに傷つけられて可哀想に。早く、私達の故郷に帰りましょう」
抱きしめられましたが、セス様の時と違って不快感が募るばかりでした。私は、そんな姉様に向って言います。
「姉様。貴方は何時まで自由の奴隷を続けるのですか?」
背中の痣に爪を立てられました。何かが背を伝って行きますが、こんな機会でも無ければ言うことも出来ませんから。
「貴方の言っている意味が分からない」
「私は、この場所で沢山のことを知りました。腹の探り合いも無く話を楽しんでも良いのです。意味のない時間を過ごしても良いのです。私は奴隷になりましたが、とても自由です。姉様は自由が勧める理念に従うばかりで―――まるで、毛嫌いしていた奴隷その物ではありませんか」
背中に鋭い痛みが走りました。今度は引っ掻いた程度ではなく、本気で食い込ませて来たのでしょう。周りの人達が引き剥がしてくれました。
聞くに堪えない罵詈雑言が大量にぶつけられましたが、今の私には彼女が憐れに思います。
「アーネット! 大丈夫かい?」
ミランダさんが駆けつけてくれて、急いで包帯を巻いてくれました。あまり打たれない内に呼んだお陰で跡になることは無さそうです。
「コイツらを連れていけ! リムカルに抗議をする!!」
姉様の顔が青褪めて行く。奴隷解放を宣言していた彼女らの計画が明るみに出れば、もはや北部に居られる場所は無くなることでしょう。彼らは、彼らの信じていた信念に殺されるのです。
連行されて行く彼女らを見届けても、何の感慨も沸き上がって来ませんでした。全てが終えた後、トムとセス様が慌てて駆け寄って来ました。
「姉ちゃん! 大丈夫!?」
「えぇ。何とか……」
「ミランダ、手当を頼む。アーネット、よく頑張ってくれた。感謝する」
この作戦、相手が手を出したという証拠が必要な以上。私が幾らか、痛みに耐える必要もあったのですが、私は快く頷きました。
私が真に解放される為に必要なことでもありましたが、皆の力になれるなら。これ位の苦痛なんて耐えられると分かっていたからです。
「セス様。これからどうなるんでしょうか?」
「安心しろ。君の挺身は決して無駄にしない。絶対にだ」
力強く返事をするセス様の言葉に頷きながら、私はちゃんとした手当を受ける為に屋敷へと戻るのでした。
#
それから、数日後のことです。父の計画が明るみに出たことにより、関係者は全員逮捕され、彼らが積み立てて来た栄華は崩れ去りました。
私の方はと言えば、今も変わらず屋敷で働いています。あの日の活躍が認められて、今ではセス様の隣にいます。
「セス様。1つ、聞いてもよろしいでしょうか?」
「うん? なんだ?」
「どうして、私に打ち明けてくれたのですか?」
もしも、あの時。私の素性を知っていることを打ち明けてくれなければ、私は父の計画の犠牲になって居たでしょう。
もしも、打ち明けたとしても私が翻意しなければ、あるいは力尽くで取り押さえたとしても。やはり何処かしらで私は犠牲になっていたと思います。
「そうだな。アーネットが、何処か苦しそうに見えたからかな」
「私が?」
「あぁ、ずっと思い悩んでいる様に見えたんだ。何か抱えている物があるんじゃないかって、それを打ち明けて貰う為には、俺も打ち明ける必要があると思ったんだ」
「でも、私がそのまま口を閉ざしていた可能性もあったんですよ?」
「いや、俺は思わなかったよ」
「どうしてですか?」
「俺は、この屋敷で働いている皆を大切に想っている。その皆が、君のことを大事に思っていたんだ。だから、君も俺達のことを想ってくれているって、信じていたんだよ」
何もかもお見通しだったみたいです。私は所有物であることを示す、首輪を撫でました。
「セス様。私、奴隷なんですよね?」
「そうだけど」
「私、世界で一番幸せな奴隷です。これからも大事にしてくださいね」
「勿論だとも」
穏やかに流れる時間。どれだけお金を積んでも、家柄があっても手に入ることの出来なかったしあわせがあります。これは、そんな私の鎖自慢です。
最後までお付き合いありがとうございました! もしも、面白いと思っていただけたらブクマと評価をお願いします! モチベーションに繋がります!