15-2 伏見 遠山1
武家屋敷に特使が来ている間中、勝千代の周囲は厳戒態勢だった。
その特使のなかにはやはり庶子兄の姿があるが、特に怪しい動きをしているわけではないようだ。
そもそも特使一団が伏見の町中を歩くことなどなく、こちらも近づかないようにしていればエンカウントの危険はない。
ただし、出会わないからといって気にしていないわけではない。
亀千代殿は時折通波止場のある方向に目を向けるようで、そちらには紛れもなく勝千代らが滞在中の宿がある。
あの嵐の夜の刺客が彼とは無関係で、今回のような大掛かりな背景がなければ、福島家を放逐されたとはいえ兄は兄、会ってみたいと思ったかもしれない。
だが四人死んだのだ。
勝千代の周囲はすでに彼を完全な敵とみなし、その挙動を事細かに監視している。
いずれ福島家に戻るつもりでいるなら、家臣らを傷つけるような真似をするべきではなかった。
加害者は拳を振り上げた事を忘れても、家族を失った者はその事を忘れない。
憎悪は蓄積する。
例えば明日帰参を許されたとしても、確執は残るだろう。
いや何か誤解があるのかもしれない。実際はあの刺客たちとは関係ないのかもしれない。
そう思いたいのは、他ならぬ父の実子だからだろう。
……左馬之助殿が副将を弔った事を、甘いだなどと言えないな。
「お邪魔しております」
負傷者たちの見舞いを終え、部屋に戻ると、ニコニコといまだご機嫌な遠山が来ていた。
この男は自身で言っていたように、軍内に地位があるわけではなく、左馬之助殿個人の側付きのようだ。
それで言うなら、勝千代とてそうだ。
ただの一武将の嫡男だというだけの、まだ元服もすませていない子供だ。わざわざ会いに来る理由などないだろうに。
「これは遠山殿。左馬之助さまのお加減は如何ですか?」
「なかなか熱が下がりませぬ」
……ニコニコ笑顔で言う事か? これはあれだな、仮病、あるいは言われているほど重篤ではないのだろう。
「それはご心配ですね」
「ええ。京からやいのやいのと使者がせっついて参りますが、とても動かせる御容態ではございません」
「食事はできていますか? 食べねば体力が持ちません」
「一日の大半を眠っておられます。痛み止めがよく効いているようで……」
なるほど、意識も定まらない状況だと特使にも言っているわけだな。
「骨を折ると身じろぎしただけでも痛みますからね」
ろっ骨を折られた時の記憶は定かではないが、あの激痛だけは覚えている。
「ご養生ください。無理をして動けば予後に響きます」
一度折った骨は強くなると聞くが本当かな。いまだに疼痛が走ることがあるのだけど。
無意識のうちにわき腹をさすっていて、気づくと大人たちが複雑な表情で勝千代を見ていた。
「ああいえ、そういう話を聞いただけです」
取り繕うようにそう言ってみたが、愛想笑いを返してくれたのは遠山だけだった。
遠山は左馬之助殿の病状を言いふらしに来たわけでも、勝千代へのご機嫌伺いに来たわけでもない。
用件はやはり亀千代殿のことだった。
庶子兄は特に目立った振舞いをしているわけではないが、勝千代の話題を振られると不愉快そうな表情をするらしい。『実子でもないのに嫡男の座についた野心家』で、『人に取り入る事がうまい口だけの子供』なのだそうだ。
あまりにも露骨な悪口で、遠山は不安を感じたらしい。
不安、不安か。
今さらなので、どう言われていようが構わないが、それよりも気になるのが遠山だ。
わざわざそんな事を注進してくるほど親しい間柄ではないはずだ。
庶子兄との仲を更に険悪なものにしようとしているのか? そう疑いたくもなる。
ふと頭をよぎったのが、あの人外じみた風魔忍びの顔だった。
風魔小太郎といえば、歴史にそれほど興味も関心もなかった勝千代ですら知っている、忍びの中の忍び。後世にまでのその名が残っている有名どころだ。
その忍びが伊勢殿を暗殺しようと話を持ち掛けてきた。お抱えの忍びが勝手にそんな大仕事を手掛けるはずはないので、誰かの指示によるものなのだろうが、それがこの男だという可能性はないだろうか。
左馬之助殿のスタイルではないだろうと感じてはいた。
あの男はそういう事は厭いそうだと直感的に思うが、遠山は、左馬之助殿ほどわかりやすい人物ではない。
北条家と福島家の確執も知っていたようだし、もしかしたら本当にこの男こそが忍びを使っているのかもしれない。
とはいえ、だとすればさらに疑問もあるのだ。
伊勢殿の暗殺を決断するだけの権限を、一介の忍びが持つはずがないというのと同じ理由だ。
確たる地位を持たない側付きにも、そんな決断を下せるわけがない。
「あれはどうなりましたか?」
「あれですか?」
「一昨日の嵐の夜に……」
どうとでも取れるよう語尾を濁した。
あの日の雨は一晩中続き、川もかなり増水した。おかげで軍の配備の事でトラブルがあったらしい。
遠山が何も知らなければ、近くに落ちた雷のことか、その事故の件だと受け取るだろう。
じっと見守っていると、質問への直接の返答はなく、ほんのわずかに口角が上がった。
ああ、やはりそうなのか。




